大阪メトロ 迷走の歴史!市民生活の「日頃の足」となる地下鉄建設のはずが...
大阪市の輝かしい発展を信じて、「庶民の足」を目指して建設が開始されましたが...
現状ではお先真っ暗の"暗渠"に突入してしまっているとしか表現しようがないでしょう!
新生"大阪メトロを救う路"は"完全民営化"という"転車台"に乗って180度転回して"市営モンロー主義路線"から嘗ての帝都高速度交通営団ような♥"開かれた鉄道会社"に変化する必要があるでしょう!
※本記事は2007年10月14日から11月10日にかけて旧サイトで初稿公開した連載コラムを統合し、新たに補筆し令和元年版に再構成し直した「鉄道ファンタジー」です。)
※リンクについて
(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくは各国語版Wikipediaへ直接リンクされています。
※本ファンタジーについて
本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 な検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...
筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。
後述する各団体とは直接関連はありません。
また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。
本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。
★プロローグ
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大阪地下鉄の歴史は古く、東京の銀座線に続き1933年に1号線・御堂筋線が梅田⇔心斎橋間を開業したことに始まります。
当初はオープンカット工法で道路を開削して世界的にも主流であった第三軌条集電方式による高速地下軌道を敷設しました。
戦後復興期に失業者対策事業として建設が再開された時には「乏しい資材」と少しでも掘削断面積を小さくして建設費を抑える目的と各路線の車両の共通化を狙い戦前同様にサードレール集電方式での延伸・新規路線建設が続けられました...
※詳しくは当サイトシリーズ記事 大阪メトロ Watch 編 最終回をご参照願います。
大阪メトロを、市営モンロー主義シンジケート(※00)の魔の手から救う路は永遠に見つからないのでしょうか?...
結論から先に述べますと、残された"路"はただ一つ完全民営化とrefinance(再投資・再融資)しかないでしょう!
現状は大阪市が100%出資する公営企業ですが、完全民営化を行いrefinanceでJR西日本も含む在阪私鉄5社(阪急・阪神・京阪・近鉄・南海)と大阪府が主要株主に名を連ねる組織に改変すべきでしょう。
つまり嘗ての帝都高速度交通営団(現東京メトロ)と同じような企業となれば良い訳です!
大阪市が2名・大阪府と鉄道各社から均等に1名ずつの役員、都合8名で重役会を構成すれば"民喝"が入り、大阪市交通局と市営モンロー主義シンジケート一派に牛耳られている体質が改善できるでしょう!
参※00)当サイトシリーズ記事 第1節 大阪市 が拘り続けてきた"既得権益構造"『市営モンロー主義』とは?はこちら。
※参0、当サイト内関連記事 市営モンロー主義の変遷《 歴史ファンタジー令和元年 》 はこちら。
参※00)当サイト関連記事 ゾンビ状態?の 大阪メトロ を活きたメトロに蘇生するにははこちら。
★第1節 大阪メトロが『崇高な理想と使命感』に燃えていた頃...
日本最初の公営地下鉄として誕生した、「地下を走るチンチン電車!」高速地下軌道
1903年に日本最初の公営路面電車としてスタートした大阪市電。
最盛期は118km弱と、市電では日本有数の路線となった(東京都電に次いで日本第2位)。《Wikipediaより引用》
1923年(大正12年)に就任した關一(せき・はじめ)市長(※1)が市議会の猛烈な反対を押し切って"御堂筋の拡幅事業"(※2)と地下鉄道敷設計画を推進して1926年から着工。
同時に梅田⇔心斎橋駅間約3kmの地下鉄建設も開始した。
※参1)2007年当時の市長、關淳一の祖父。
※参2)当時淀屋橋以南の大八車用?の巾6mしかなかった街路を"44m"!に拡幅する工事で着工は1929年で10年近い歳月をかけて1937年5月11日に竣工しました。
日本最初の公営地下鉄開通!
東京地下鉄(株)に遅れること6年後の1933年5月20日 梅田⇔心斎橋間3.1㎞で「日本最初の公営地下鉄」として産声を上げた大阪地下鉄は...
1933年以来「地下を走るチンチン電車!」高速地下軌道として市電の路線を引き継ぐ形で拡大を続けて、2016年に今里筋線が開通したことにより(2007年当時の)市交通局直営区間だけでも、前身の大阪市営電気鉄道の総延長118kmを超えて遂に総延長129.9Km!にもなってしまいました
大阪市交通局と地下鉄建設推進派の「地元民党施疑団?」はこれでも飽きたらず?にさらなる拡張へと暴走を初めてしまったわけです!
当初は猛烈な地下鉄建設反対運動の旗手に立っていた「市営モンロー主義」市議団
大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)は当初計画の段階では、(戦前は極右翼!で現在は真っ赤な(嘘?)主張で有名な、日和見主義の権化ともいえる某大新聞社)マスコミをも巻き込んだ市議会の猛烈な反対運動!にぶつかり難航していました。
当時の関一市長は大阪市の命運と自らの政治生命をかけて「市営モンロー主義」シンジケート一派の市議団を敵に回しながらも、大英断で「都市計画道・御堂筋と地下鉄」着工にこぎ着けたわけです。
当然のことながら、開通当初の市民の反応は冷たいものでした!(※4)。
※参4、御堂筋線開通当初だけでなくなにわ筋線計画が決定し一部着工している?2019年現在でも依然として冷めています?(※関連記事はこちら。)
常に「不況と荒廃」による失業者対策事業として...
淀屋橋交差点以北の御堂筋は1926年(大正15年)に着工されて翌1927年(昭和2年)には完成しましたが同年3月から発生した昭和金融恐慌に遭遇!
淀屋橋交差点以南については失業者対策事業に一転した御堂筋整備事業は用地買収の難航もあり1929年(昭和4年)にようやく着工にこぎつけましたが...
今度はウォール街に端を発する世界大恐慌が追い打ちをかけることなり、資金難に直面!
1933年(昭和8年)には地上部の都市計画道「御堂筋」に先立って地下軌道が完成して5月20日に梅田仮駅⇔心斎橋駅間3.1km4駅が開業しました。
その後1937年(昭和12年)5月11日に着工以来8年の歳月をかけた地上部分の都市計画道路「御堂筋」がようやく竣工しました。
豪華絢爛な装いをまとって登場した大阪市営高速地下軌道1号線
昭和大恐慌・世界大恐慌の最中に建設されたにもかかわらず「シャンデリアや大理石をあしらい、意匠を凝らした豪華な駅を持つ「3駅で終点の短い路線」...
それが開業当初の高速地下軌道1号線(現堂筋線)でした!
物珍しさに惹かれて見物に訪れた「お上りさん達」を乗せた、たった1両の単行電車「地下を走るチンチン電車」が遊園地の「お猿の電車」ヨロシク行ったり来たりしていました。
壮明期の大阪メトロは「崇高な理想」と「使命感」に燃えていた
それでも壮明期の大阪地下鉄に携わった人たちは崇高な理想と使命感に燃えていました!
太平洋戦争真っ只中の1942年には乏しい資材状況のなかにもかかわらず、何とか天王寺まで開通させて同時に大国町⇔玉出間の3号線(現四つ橋線)も開通できました。
高速地下軌道のその名が示すように、一部を除き大阪メトロの大部分は軌道特許で建設されており、いわば国内初の「チューリッヒ方式」(※6)の地下鉄といえなくも...
※6、当サイト内関連記事 チューリッヒ方式(市内併用軌道用トラム車両の近郊鐡道路線への乗り入れ方式)とは?。
チンチン電車の市内均一料金に比べて高額運賃設定だった大阪市営地下鉄
しかし建設に携わった労働者たちや一般市民では市電(市内全域一律6銭乗り継ぎOK)の2倍近い高額な運賃(10銭)でしかも乗り継ぎのできない御堂筋線は役立たずの代物で、戦時中の1943年には「安いチンチン電車」が約5億2200万人の年間利用客数最多記録を更新しています。
戦前の市営地下鉄の運賃と路線拡張
梅田仮駅⇔心斎橋駅間3.1km4駅の創業時
1933年5月1号線(御堂筋線)開業 全区間 10銭(※大阪市電1919年8月以来市内全区間6銭乗り継ぎOK)
同年10月に1駅に限り5銭適用)
同年12月 2駅間のみ利用7銭適用(翌年1月19日早くも廃止)
1935年10月 心斎橋駅 - 難波駅間 (0.9 km) 開業延伸開業。2両編成運転開始。
1936年4月運賃改定。1区 10銭、2区 15銭の距離料金へ。
1938年4月21日:難波駅 - 天王寺駅間 (3.4 km) 開業。3両編成運転開始。
大戦末期1945年7月 全区間 一律20銭(※大阪市電1943年6月以来10銭のまま据え置き)
激しい空襲にも耐えて生き残った地下鉄は敗戦後の「復員兵の失業対策事業」の柱に
そして終戦の年.1945年、激しい空襲にも耐え生き残った地下鉄は、今度は「大量の復員兵の失業対策事業」として乏しい資材の中で建設を再開しました。
大阪の戦後復興を象徴する事業として地下鉄建設は進み1951年12月20日の天王寺駅 ⇔昭和町駅間、1952年10月5日には昭和町駅⇔西田辺駅間と2度の延伸開業を経て1960年には我孫子通りとともに「我孫子駅」まで開通しました。
天王寺と大阪駅を結ぶ重要な幹線として戦後の庶民の足となり「大阪復興を力強く支える」はずでしたが?...
戦後もチンチン電車全盛期が続き、戦後復興と高度成長を支えた「なにわの一般市民」は戦前戦後を通じてチンチン電車廃止直前まで「安くて使い勝手の良いチンチン電車」を日常の足としていました!
事実戦後の1957年4月1日 には 戦後初でかつ最後のチンチン電車新線 森之宮東之町 ⇔ 緑橋間 が新規開業しています!
大阪市営地下鉄とチンチン電車の料金改定の歴史
激しいインフレで度重なる料金改定を実施
敗戦後1946年3月 全区間 50銭(※市電30銭)
1947年3月 全区間 60銭(※市電40銭)
同年7月 全区間 1円50銭 市電と同額運賃に
同年11月 全区間 2円(※市電2円同額)
1948年5月 全区間 3円50銭(※市電3円50銭同額)
同年8月1日 全区間 6円(※市電6円同額)
1949年6月 全区間 8円(※市電8円同額)
1951年12月 全区間 10円(※市電10円同額)
1952年(昭和27年)10月1日 - 交通事業地方公営企業として、大阪市交通局が新発足
1953年6月 市営地下鉄全区間 15円に単独運賃改定、再び市電と別設定に(※市電10円据え置き)
※1957年4月1日 戦後初でかつ最後の建設区間 大阪市電 森之宮東之町 ⇔ 緑橋間 が新規開業。
1960年7月 全区間 20円(※市電13円!)
1961年12月11日...4号線(言中央線)開業
4号線(中央線) 全区間 15円 1号線(御堂筋線)・3号線(四つ橋線線)全区間 20円(※市電全区間1回13円!据え置き1962年4月に15円、1966年になって20円に、)
事実1951年生まれの小生も子供のころ、よほどの事がない限りは、地下鉄に乗せてもらえなかった!(つまり両親が乗らなかった!)
1967年11月 大阪市営地下鉄距離制運賃へ移行
この年1月1日 大阪市交通医局は栄えある?路面交通事業財政再建団体の指定を受けましたが手m実質的には、路面交通事業の不振ではなく「地下鉄建設を猛進」したためでした!
(※市電は1969年全廃まで全区間1回25円!)
3kmまで1区20円、以後4kmごとに10円増
運賃1区 20円、2区 30円、3区 40円、4区 50円、5区 60円、6区 70円
1950年代後半から急激なモータリゼーションの津波を防ぎきれない貧弱な道路網が麻痺しだす
戦後復興が一段落して、1950年に勃発した朝鮮動乱による特需景気がきっかけで神武景気が後押しした高度成長期初期の1950年代後半に入って、急激なモータリゼーションの津波を防ぎきれない貧弱な道路網が麻痺しだしました!
この間の1952年10月1日にその後の市営モンロー主義シンジケートの温床となる大阪市交通局が交通事業地方公営企業?の名目で発足しました。
1960年10月6日 記録に残る大阪市北部地域を中心にした10時間にわたる交通マヒが発生してこれを機にチンチン電車元凶説市電廃止論(※7)が.巻き起こりました!
東京オリンピックが開催された1964年に開業した「東海道新幹線」新大阪駅に合わせて北進した御堂筋線がつながって南北の大動脈に躍進して以来次々と市電の南北幹線も廃止されていきました。
そして1966年3月29日 の大阪市議会で"1968年度3月31日限りでの市電の全廃"が議決され、実施されました!(※8)
※参7)当サイト関連記事 少々事情が異なる大都市市街地からのチンチン電車の敗退理由はこちら。
※参8)当サイト関連記事 地下鉄建設推進シンジケート一派によって「 仕組まれた交通渋滞!」とは?はこちら。
高額運賃で乗客数と"列車長"は伸び悩む
高額運賃設定で一向に伸びない地下鉄利用者が祟り、長い間10両編成対応のホームに3両編成!の電車が走る状況が続きました..
敗戦後2度の延伸で1952年に西田辺まで開通した後も、高い料金が災いして戦前どうように3両編成のまま!の運行が続けられていました。
- 1953年8月になってやっと4両編成に。
- 1953年8月1日:4両編成運転開始。
- 1957年4月1日:5両編成運転開始。
- 1958年5月1日:6両編成運転開始。
- 1960年7月1日:西田辺駅 - 我孫子駅間が開業(2.5 km) して7両編成運転開始。
- 1963年6月1日:8両編成運転開始。
1964年東京オリンピック開催に合わせ、突貫工事で建設された東海道新幹線の開業に合わせて御堂筋線は新大阪まで延伸しました。
道の無い所には「高速地下軌道」は伸ばせない!
思えば併用軌道としての"高速地下軌道"だった生い立ちが、その後の運命を決めてしまったようです。
新たに道路を造らない限りは、道の無い所には「高速地下軌道」は伸ばせません!(※9)
このことが後々、御堂筋線中百舌鳥延伸工事が滞った最大の原因となりました!。(※99)
参※9)但し、大阪メトロでも鉄道法適用の区間もあり、実際には「道路特定財源(ガソリン税)」の悪用?が目的でしょうが...
※99)、当サイト内関連記事 泉北高速鉄道建設のいきさつ《 コラム2017 》 何故乗り入れ相手が市営地下鉄ではなかったのか? はこちら。
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★第2節 大阪都市圏広域交通で起こっている大病..."交通動脈硬化"とは?
1964年東京オリンピックの年には中央大通りの整備に合わせる形で、地下鉄の前身大阪市電が最初に走った記念すべき本町⇔大阪港(天保山)間も1完成して、
翌年1965年には「四つ橋線(大国町⇔西梅田間)」も御堂筋線混雑緩和の大義のもとに完成しました。
第1項 梅田・難波・天王寺で起こっている交通動脈の血栓状態
大阪市で起こっている交通動脈の血栓状態とは、言わずと知れた梅田駅(大阪駅)・難波駅・天王寺駅各ターミナルでの乗り換えに伴う慢性的滞留混雑のことです。
特に梅田駅の混雑は有名で、建設当初より将来の増線に備えて準備してあった道床とホームまで飲み込んでホームを拡幅して、ホームからあふれる積み残し客対策のために何とか急場を凌いでいる有様です!
毎日、多数の積み残された遅刻確定組の通勤客が発生しています。
『市営モンロー主義』がもたらした大病"交通動脈硬化"とは?
もしも大阪市が「市営モンロー主義」を取ってなかったら、大阪の交通事情は大きく変わっていたでかもしれま線(せん)!
高度成長期以降に建設された、四つ橋線の大国町以北への延伸や谷町筋線、千日前線、中央線等は、最初から相互乗り入れを前提に、架空線方式の集電方法をとっていた可能性もあったといえるでしょう。
大阪市・交通局は前途した市営モンロー主義の巣窟で有り、一部の例外を除いて両端閉鎖の独自路線主義を貫き通しています!(※101)
これが現在に至るも続く御堂筋線の混雑に代表される、悲劇(いや喜劇?)的事態を生んでしまった。
参※101)当サイト関連記事 京阪中之島線 九条駅延伸計画?京阪神を直結する第2ラインの夢はまたしても...はこちら。おけいはんに出資迄させながら㈱中ノ島高速鉄道(京阪中之島新線)を九条駅などというとんでもない駅に延伸させようとしています!
第2項 オープンカット工法と第三軌条集電方式の足かせ?で作られた御堂筋線
土木技術も発達していなかった建設当初は1933年に1号線・御堂筋線が梅田⇔心斎橋間で開業した大阪地下高速軌道は、一般的な「オープンカット工法」で道路を開削(溝を掘って)して建設されました。
また建設費を抑えるために建築限界が小さくて坑道断面積が小さくて済む、1933年当時は当たり前だった第三軌条集電方式による地下軌道が採用されました。
建設当初は世界の趨勢「サードレール集電方式」
19世紀後半から20世紀前半にかけて世界の主要都市で建設された地下鉄はロンドン、ニューヨークの2大都市をはじめパリ、ベルリン、東京などでも「サードレール集電」が主流でした。
更に、ロンドン、ニューヨーク等では「地下鉄網が郊外に広がって」都市圏広域交通網が整備されたために、都市近郊では日本のように架空線電化方式ではなく、「サードレール集電」が広く普及しています。(※102)
参※102)このことがイギリス、アメリカでの電化による列車高速化の妨げの一つにもなっています!但しイギリスでは100㎞/h以上の高速走行も行われている線区もありますが...
戦後復興と失業者対策の手掘り工事!
大阪では敗戦後も資材難と建設費抑制の為にサードレール集電による延伸と新線建設を引き続き継続して、更にニューヨーク・ロンドンを見倣い?市内地下鉄路線網の郊外路線延伸化策を取り、郊外路線網を持つ既存鉄道各社の市内侵攻?を阻み続けてきました!
思えば敗戦後の路線網拡張期のこの判断が今日の赤字体質の起源とも言える悪い結果を生んだわけです!
更に市営モンロー主義が
やむなく?独自路線建設に突き進んできた大阪地下鉄ですが...千日前線に限らず民鉄各社と直接競合!している路線が多いのも特徴の一つです。
御堂筋線と四つ橋線(大国町以南)は戦前戦後を通じて建設された線でもあり致し方なかったにしても、それ以降に建設された新線も第三軌条方式に拘り続けた為に他の鉄道各社との相互乗り入れを拒絶した孤立路線となり、「収益率の悪さ」に拍車をかけてしまいました。
※、前途のロンドン・ニューヨークでは、モンロー主義とは関係なく鉄道事業者が既存の郊外路線に第3軌条電化区間を拡大する形で郊外路線に乗り入れを行っています!
唯一堺筋線のみは、阪急との相互乗り入れの目的で架線方式を採用しているのはご存知の通り。
但しこれも、当時千里丘で開催された、大阪万博の第2アクセス路線として阪急千里線に乗客を振り分けたくて断腸の思い?で泣く泣く当時の大阪市交通局側が折れた?だけです。
第2項 官民一体の旧帝都高速度交通営団
対して、東京メトロは前身の帝都高速度交通営団略して営団地下鉄が
帝都高速度交通営団法にもとづき、東京都区部およびその付近の"地下都市高速度交通事業"を目的として1941年7月4日設立。同年9月1日、太平洋戦争中の運輸統制のため、陸上交通事業調整法により現在の銀座線を運営していた東京地下鉄道及び東京高速鉄道を統合、路線を譲り受けた。(Wikipediaより引用)
つまり、営団は当初より広域交通の円滑化を最大の目的として、国・東京都、当時の国鉄、在京大手私鉄が出資しあって設立した特殊法人の形態だったために、統合した銀座線と廃線後すぐに着工した池袋線(丸の内線)の両線を除き、全路線が両端開放型で既存鉄道との相互乗り入れにの便を図り、首都圏の広域交通体系の一元化と効率的な運用を目指して現在に至っており、首都圏交通の円滑化・混雑緩和に大いに寄与してきました。
更に東京都営地下鉄では、後述するように鉄道各社と相互乗り入れするために馬車鉄道時代の偏軌(軌間1,372mm)も加えて、標準軌(軌間1,435mm)狭軌(軌間1,067mm)と3種類の軌間を採用しています!
東京メトロが普及させた地下鉄の「架空線給電」方式!
帝都高速度交通営団(現東京メトロ)が引き継いだ日本初の銀座線と戦後初の地下鉄丸の内線以外の1960年以降にスタートした路線では、「既存鉄道網の連携・活用による首都圏公共交通網の整備」を打ち出し既存鉄道が採用している「架空線集電」方式を全面採用して、新規路線網を拡張整備したことにより、(都営地下鉄も含め)架空線集電が主流となりサードレール集電はマイナーな存在となっています。
20世紀後半の鉄道技術の進展で東京メトロはトロリー集電を全面採用した!
高度成長期の土木技術、鉄道技術の目覚ましい進歩により架空電車線方式も、カテナリー(ブラジャータイプ架線?)からソリッド架線へと進歩を遂げて、掘削断面も第3軌条方式と大差なくなり、建設費も第3軌条レール方式とあまり変わらなくなってきています!
東京都交通局の先を見通す力、見識の高さには敬服する!
大阪では市営地下鉄の車両共通化?(※131)と建設費削減?(※132)を大義名分に「私鉄締め出し!」作戦として「標準軌、直流750V電化、第3軌条集電」の「3種の神器」にこだわり続けてきましたが...
天子様のおわします、帝都東京の都営地下鉄では、在京鉄道各社との相互乗り入れに重点を置いて、「軌間1037㎜の狭軌、軌間 1,372 mmの偏軌(馬車鉄道・都電)軌間 1,435 mmの標準軌」と3種の軌道をそれぞれの路線で使い分けて、おまけにリニアモーター駆動のミニ地下鉄や都営荒川線では「現役チンチン電車」まで運行しています。
一部のアホたれ「鉄オタYoutuber」は無駄で無計画だとののしっていますが、後先考えずに「3種の神器」にこだわり続けた大阪市交通局の「市営モンロー主義」一派のほうがよほど先見性に欠けていたのではなしでしょうか?!
※参131)車両共通化を唱えながら、ミニ地下鉄、今里筋線と長堀鶴見緑地線では、車両共通化ははかられていません!当サイト関連記事 都営大江戸線 だけが持て囃され田舎町の "リニア地下鉄電車" が受けない理由 はこちら。
※参132)大阪メトロは、「銀座線」とは異なり戦後の1954年に開業した「丸の内線」よりさらに車両限界(※133)の大きい大型車両を前提に建設されており建築限界(※134)も大きく更に戦後になって延伸した部分では掘削断面の大きな地下トンネルを使用しているので、架空線方式と大差ない掘削断面積となっています。
更に阪急千里線・京都線と相互乗り入れしている架空線集方式の車両よりも「全長・全幅」ともに御堂筋線その他のサードレール集電車両のほうが大型です!
大阪メトロ 30000系第3軌条集電車両
全長 先頭車 18,900 mm全幅 先頭車 2,890 mm全高 先頭車 3,745 mm
大阪メトロ 66系堺筋線用架空線集電車両
全長 18,900 mm全幅 2,845 mm全高 4,080 mm
※参、東京メトロ1000系銀座線車両
全長 16,000 mm全幅 2,550 mm 基準幅)全高 3,465 mm
東京メトロ 2000系丸の内線用車両
全長 18,000 mm全幅 2,780 mm (基準)全高 3,480 mm
※133、車両限界についてのWikipediaの解説はこちら。
※134 建築限界に関するWikipediaの解説はこちら。
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★第3節「打ち出の小槌」が完成するまで
"打ち出の小槌"とは勿論「利益誘導とギョーカイ癒着構造」のことです!
ゼネコンの間で密かに囁かれている言葉があるそうです?!
『先の受注見通しが立たなくなったら、大阪市交通局をつつけ!』
大阪市議会は1966年3月、市電を全廃し高速鉄道(地下鉄)による新交通体系を確立する旨の決議を行い、市電は1969年(昭和44年)3月31日限りで65年半の歴史を終えた... 《Wikipediaより引用》
高度成長期真っただ中のころ大阪市営地下鉄は「ギョーカイ」に強い発言力と影響力を持つようになっていました。
業界がこぞって市当局のOB獲得に乗り出し、地下鉄工事受注拡大の為に市当局との「太~い絆」作りに注力し始めていました。
この頃には、地下鉄建設は道路整備と呼応する形で、「都市公共交通の要?」と言う位置づけを冠して市議団(当初あれ程反対に回っていた地元民党市議団)の強力な後ろ盾の下に建設推進されていきました。
第1項 大阪市街地の発展を支えた?
当初、御堂筋線梅田⇔天王寺駅⇔我孫子間が開通したころは、まだ地上を走る兄貴分の市電も健在で料金の安い市電を利用する人が大多数でした。
事実小生も幼児の1960年頃までは、両親と連れ立ってお出かけしてもめったな時以外は地下鉄などには乗せてもらえず!千日前(なんば)当たりへは、専ら"天王寺から市電"に乗せられていました!、その後道路整備の遅れで、市内交通が麻痺状態になり、東海道新幹線開業後に大阪市議会で1966年3月29日 の大阪市電の全敗を満場一致で可決させたのでした。
1959年12月8日に大阪港~弁天町間の高速地下軌道4号線(現・中央線)着工
1961年12月11日:4号線(現:中央線)部分開業。
1962年10月 御堂筋線 新大阪~梅田間延伸着工。
1963年5月12日 四つ橋線 本町~大国町間延伸着工
1964年2月 谷町線 着工
同年9月24日 御堂筋線新大阪延伸開業。
1970年大阪万国博覧会開催決定が癒着構造完成に一役
そして1965年に戦後復興を象徴する記念すべきイベント「1970年大阪万博」開催が決定しました!
1965年当時の人々は高度成長に酔いしれており、誰もがバラ色の未来像に疑問を抱かなかった時代です!
この頃、現在の利権構造(すなわち部外者が触れてはならない聖域?)が確立しました。
業界主導?で路線延伸拡張が始まる
ここからは、市民そっちのけでギョーカイは安定した発展(長期的な受注見通し)を求めて「業界繁栄」のために、役人は「将来の生活安定」のための天下り先確保の為に、地元民党市議団はの政治資金(献金)捻出と選挙協力団体確保のために必要もない地下鉄工事を業界主導?の下に際限なく進められることとなったわけです。
1965年9月 、万国博覧会が大阪府吹田市の千里丘陵での開催が決定。
同年11月17日 千日前線 野田阪神~桜川間 着工
1966 4月1日 堺筋線 南森町~恵美須町間 着工
1966年3月29日 - 大阪市議会において、1968年度(昭和43年度)末(1969年3月)限りでの市電の全廃が決議されました。
不名誉ある?「路面交通事業財政再建団体」に指定される!
1967年1月1日 に不名誉ある?路面交通事業財政再建団体の指定を受けたのは交通渋滞で定時運行ができなくなり、収益性が無くなった市電のせいでは無く高速地下軌道建設費が急増したためでした。
更には近畿地方交通審議会が描いた「幻想の答申原案」とはかけ離れた赤字増産路線網計画、すなわち地元民党市議団の後押し(圧力)で交通局が作成した「(利用者無視の手前勝手な)自己陶酔型地下鉄網計画」に変ぼうを遂げようとしていたのでした"!
このことが地下鉄建設を食い物とする「利益誘導と癒着の構図」の誕生に一役買ってしまい、地下鉄事業は次第に目に見えた形で市の財政を圧迫しだしていったのです!
1967年1月1日 大阪市交通局が路面交通事業財政再建団体に指定される。
1967年(昭和42年)3月24日:2号線(現:谷町線)部分開業。
1968年1月4日 御堂筋線 江坂~新大阪間 延伸着工
1969年3月31日 -大阪市電全廃
阪急東口(梅田)⇔都島車庫 ⇔ 守口(地下鉄谷町線相当区間)と今里車庫 ⇔戎橋(難波) ⇔玉船橋間(千日前線相当区間)で最後まで運行されていた市電が全廃となりました!
1969年(昭和44年)4月16日:5号線(現:千日前線)開業。
同年12月6日:堺筋線開業。
つまり1963年~1970年にかけて、新線建設建設ラッシュとなり並行して進められた新線建設費は膨れ上がる一方で、どんどん市の財政を圧迫していったわけです!
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★第4節 マスコミを巻き込んだプロパガンダに翻弄されない冷静な観点が必要!
世界でも有数の赤字増産都市交通ネットワーク建設の仕組みを出現させてしまったわけですが?!...
大阪市民は現状を良く理解したうえで、もうこれ以上地元民党議員団の甘い誘いにのり「目先の利便性」ばかり追うことに走ってはいけないでしょう!
この際もう一度、大阪市の都市交通体系を見直して早急に「大阪市交通局そのものを解体」して地下鉄部門を完全民営化する道を選ぶべきではないでしょうか!
第1項「近畿地方交通審議会」は「全能の神」かそれとも「エンマ大王」か?
交通施策の預言者・先導者モーゼのような?「近畿地方交通審議会」とは...
近畿地方交通審議会は大阪の鉄道網全体のネットワークを考えているのでしょうか?
『そんなこと全く考えていません!各社どうぞ御勝手に...?』
このどちらでもありません!
一般庶民や「鉄オタ」が"勘違い"していることをいいことに一部の「提灯持ちジャーナリスト」がプロパガンダ・誤報しているに過ぎません!「無権限の諮問機関」(※14 )の一つ!なのです。
※参14)当サイト内関連記事 インフラ整備の大義名分?『親義会( 審議会 )』とその「 答申 」なる代物は? はこちら。
第2項 答申を踏まえて地下鉄計画を見直していたら...
市当局がよりどころとする近畿地方交通審議会の近畿地方交通審議会答申第8号とは。
近畿地方交通審議会は四つ橋筋線・谷町筋線・堺筋線が完成してもいっこうに改善されない御堂筋線の慢性化した混雑の原因は、既存の鉄道網から孤立無援の状態にある独立した地下鉄網計画その物にある事を見抜いていた。(専門家を自認するならア・タ・リ・マ・エ!)
ですが答申で「提言」として盛り込めるのはそこまで...
交通政策(路線計画)の流れとは
新規路線計画原案は当事者(鉄道事業者)が作る!(これって当たり前でショ!)
地方自治体→国交省、ないしは市議団(自民党)→国会議員連盟(自民党)→国交省の過程をへて作成されているのです。
全て当事者の具申・上申によって起案されているわけです!
第3項 地下鉄建設ファンタジー?『打ち出の小槌はこうして振られる』
大阪メトロ絡みの利益誘導と癒着の構図とは大まかコンナ所では無いでしょうか?
※以下は裏がとれていないデジタヌの妄想「ファンタジー」であり確固たる裏付けはありません!、"皆さまの良識"でご判断ください!
モンロー主義の巣窟大阪市の新規路線計画とは?
1)市営モンロー主義シンジケートの"(ゼネコン系)交通コンサルタント"が新線のプランをたてる。
2) 市民の代表?であるはずの市営モンロー主義一派(地元民党市議団)に儲け話を持ち込む。
3)建設業界・地元市会議員団がつるんだ市営モンロー主義シンジケートが"大阪市交通局にねじ込む!
4) 大阪市(交通局)は仕方なく、「ギョーカイの作成した素案?」にこれまた市営モンロー主義シンジケートの「息のかかった」害虫?調査会社が作成した尤もらしいい需要予測(希望)データで飾り立てて国交省(旧運輸省派)にこの新線計画の「是非のお伺い」を立てる。
5)国交省は外部諮問機関・近畿地方交通審議会を設置して自治体交通事業者がまとめた「上申書(計画案)」の審査を外郭諮問機関である近畿地方交通審議会に審議依頼する。
6)近畿地方交通審議会はこのプランに「その時々に応じた尤もらしい屁理屈?」を付けた「答申書」を作成して政府(国交省)に答申(審議過程(真偽?)報告)する。
7)お墨付きを得、晴れて大阪市に戻ったプランは、業者の全面協力?の下に詳細な実施計画にが策定される。
8)実施計画案は市議会に予算案として提出されて市議会満場一致で可決成立する!
この仕組みで採算度外視!、赤字大増産間違いなしの地下鉄路線網がどんどん延びる!
更に受け加えるなら
1)建設業者は大阪市(建設局・交通局)のOBの天下り先。
2)OBの天下り先から計画を持ち込まれた市当局者は、将来定年後の自らの再就職先の提案でもあり先例に従い謹んで参考資料として「地下鉄路線計画素案」をいただく。
3) 「近畿地方交通審議会」ではまともに答申案を出せば『先生コンナ事書かれては困ります。』となるのが判っているから、申請者(大阪市職員)の意向を十二分に汲んだ「提灯持ち答申案」をでっち上げる。
4) 所轄官庁(国交省、旧運輸省)から市に戻った答申案は、計画沿線住人へのアセスメントを行う前にすでにギョーカイ団体主導で設計が完了している「詳細な実施計画予算案」となり市議会に回される。
5) 市議会は実際の地下鉄建設を支える、下請け・孫請け・曾孫受けの在阪業者(これらは市職員の天下り先でもある。)に選挙協力をお願いせねばならない立場なので、「返せる当てもない巨額の借款(市債=借金)に基づく地下鉄建設案」だと判っていながら満場一致で可決する!
とま、コンナ仕組みではないでしょうか?
お見事「大当たりかな?」...ネ 地元民党施擬団のお偉い先生型。
第4項 現在、進行している赤字確実新線建設計画は早急に全面白紙撤回!すべし
千日前線の大正駅以南への延伸計画や今里筋線の南進計画、ニュートラムの東進計画、等何れも、LRT 計画(※15)に変更するなどして、もうこれ以上「業者と市職員に甘い汁を吸わせるだけの地下鉄建設」を続けさせてはならないでしょう!
※参15、当サイト内関連記事 ブリュッセル方式 トラムカー地下鉄乗り入れなら 大阪メトロ 長堀鶴見緑地線 の延伸も楽々実現!はこちら。
今の大阪市にはお金が無い!
過ぎてしまったことを悔やんでも仕方ありませんが、大阪の経済基盤がここまで凋落して、"富"まで東京に掻っ攫われたのは、バブル経済崩壊と共に露呈した「不良債権処理問題」に端を発した1996年からの(第2次橋本内閣がとった)「金融制度改革」いわゆる金融ビッグバンによる都市銀行の合併による関西系金融機関の東京都移転!が原因でしょう。
在阪の大手都市銀行本店や大手証券会社本店が、統廃合で次々と大阪から姿を消し"帝都東京"に移転したために、在阪有力企業の本社も次々と東京に移転して「大阪市の財政基盤(税収)」をガタガタにしてしまいました!
大阪市を困窮に陥れたのは自民党政府!
そして、あれほど栄華を極めた本町御堂筋界隈のビジネスビルに"空き室"が目立つようになり今日の"惨状"を招いたわけです!
地下鉄建設推進派の旗頭自民党大阪市議団の"親方"自民党政府の失策で、大阪市をはじめとした"地方都市"は軒並み"財政基盤(税収)"を失いました!
今の大阪市(都市交通局)には何千億円もの巨費を捻出する財政基盤はありません!
なので自民党大阪市議団の皆さんは地下鉄建設はあきらめて、"身の丈"に応じた建設的な分相応!の交通施策を考えるべきです!
どうしても造りたいなら、党本部・政府と掛け合って"日銀本店を大阪市に移転してもらい、"メガバンク"の本店を大阪に返してもらう事が先決です!
更に第2次金融改革と称して"地方銀行"の統廃合を図ろうなどというバカゲタ構想も取り下げてももらう事です!
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★第5節 地下鉄サービスエリアと大阪市の影響圏
現在「大阪市域外で大阪市営地下鉄の恩恵を受けている市」は、北から吹田市、門真市、守口市、大東市、東大阪市、八尾市、堺市、つまり、府道2号・中央環状線内側にある各市です!
そして、北から御堂筋線江坂駅周辺、谷町線大日駅周辺、同じく八尾東駅周辺の順に、都市化が進み、特に吹田市江坂駅周辺など、本町当たりと見まごうばかりの繁栄ぶり(※16)となっています。
これらは、皆大阪市営地下鉄様のおかげであり各周辺都市の市職員は大阪府をそっちのけで大阪市に『米つきバッタ』さながらペコペコひれ伏している訳です?
大阪市(役人)にとって見れば将来道州制が実施されたときに、州都にふさわしく周辺都市を併合して「大・大阪市」を成立させるための布石なのかもしれません?
自らの大阪市民を苦しめても、「己の手柄と名誉」のために地下鉄建設という大盤振る舞いを餌に、周辺各都市を抱え込む構えなのでしょう?
※参16)当サイト内関連記事 吹田市《タウンヒストリア》江坂の大躍進を妬む"市営モンロー主義者"一派の陰謀!とは はこちら。
泉北ニュータウン住人のとばっちり!の例
但し、大和川を挟んだ堺市だけはそう簡単には尻尾を振らず!...
為に大和川潜りの難工事?(※実際には、新淀川同様に堤防を築いただけの簡素な造り?で堂島川や大川のある中之島界隈を掘り進むよりは「はるかに容易」な土木工事?)と府道建設の遅れを絶好の口実とばかりに御堂筋線中百舌鳥駅延伸を引き伸ばしただけです?
泉北ニュータウン計画の立案当時に二転三転し迷走し続けた「地下鉄御堂筋線南進計画」と「堺筋線南進計画」にしても、16年間もの長きにわたり大阪府(道路事業)、大阪市(市交通局高速地下軌道)、南海電鉄(高野線)、泉北高速鉄道の4者の足並みがそろわずに、泉北ニュータウン住人に長年不便と「いらぬ出費(初乗り運賃の3重払い)」(※17)を強要する結果となっているわけです。
「審議会答申に従ったため計画が二転三転した」のではありません!
某サイトや交通局HPに記述されているように、「審議会答申に従ったため計画が二転三転した」のでは決してない!
それどころか、審議会メンバーは政府当時の運輸省の特命を受け南海電車・大阪府連合と阪急電車・大阪市交通局連合の「調停役」までひきうけさせられていました!
最初から審議会答申に記されている「提言」を真摯に受け止めて計画を練り直していれば、利用者や市民に不便という「つけを回す」ことはなかったはずです!
とどのつまりは、役所(役人)は利用者・納税者(住人)の事など、何も考えて無く!常に、自身の保身と手柄に汲々としているだけなのです!
※17、当サイト内関連記事 泉北高速鉄道建設のいきさつ《 コラム2017 》 何故乗り入れ相手が市営地下鉄ではなかったのか? はこちら。
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★エピローグ リソースの有効活用を
過去に起こったことは悔やんでも致し方ないとしても...
嘗ての路面電車の総延長118kmを上回った現在、これ以上無駄な路線を拡張するのは愚の骨頂だといえます!
作るなら、既存の路線を有機的に結合運用できる"連絡路線"建設(※20)に目を向けるべきではないでしょうか?
懐の狭い考えで、限られた沿線住人だけの利己的な利益・利便追求路線?を猛進してはならないでしょう。
※参、当サイト内関連記事 大阪メトロ は 路線別 から"系統別運行"へ 転線 し真のメトロポリタン・トランジットに進化すべし!はこちら。
★「創建当時の崇高な理想と使命感」を取り戻して...
完全民営化によって、(地元民党市議団の)地域エゴから解放されて...
「創建当時の崇高な理想と使命感」
そして何よりも...
「鉄道事業者としての誇り」
を取り戻していただきたいと思います。
近畿全体の地域社会の活性化・発展に貢献出来る社会資産として、
近畿の中枢、大阪の都市交通の要として、
広域交通の一翼を担う都市交通網の構築を目指してほしいと願っています。
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- ♥《Theme》 大阪メトロ 迷走の歴史!市民生活の「日頃の足」となる地下鉄建設のはずが... の目次
- (summary)大阪メトロ・大阪シティーバスの再統合(大阪都市圏広域交通事業団)の実現!は両 Transit を通勤・通学・お買い物など「日常の足」としている市民に...
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欧米先進国では"都市圏交通事業"は同一オーソリティー(公共事業体)による一元化の方向に移ってきています!
21世紀は、「ハードウェアー」トランスポーター種別の優位性を競う時代では無く、都市圏全体のtransit(交通機関)の有機的な結合による「ソフトウェアー」運行システムの時代です!
地下鉄やモノレール、新都市交通、LRTなどの"軌道"に拘らずに、BRT、水上バスまで含めた広範囲なトランスポーターが有機的結合を果たして、"利用者"であり出資者(納税者)でもある一般市民の立場に立って、コストパフォーマンス(費用 対 効果 )についての総合的な検討を加えた上で、エコロジー・エコノミー・バリアフリー・コンビニエンス(利便性)の4拍子がそろった「総合的な一元化された都市圏広域交通システム体系(事業体)」が求められている時代では無いでしょうか!
狸穴総合研究所 地域交通問題研究室 出自多留狸
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関連団体リンクテーブル
- ●国交省 ♥国土交通ホットラインステーション(交通行政への要望受付) 鉄道局
- 都市・地域整備局 都市計画課(LRTガイダンス)
- ●大阪府 ♥府政へのご意見受付
- 都市計画局計画推進室計画調整課(Email) 鉄道連続立体交差事業、道路計画など
- ●大阪市 ♥区政・市政へのご意見等受付ページ
- 大阪市計画調整局 都市計画課(Email) 交通政策課(Email)
- 大阪市都市交通局、♥市民の声ページ
- 鉄道ネットワーク企画担当(Email) バスネットワーク企画担当(Email)
- ●大阪メトロ ♥お客様の声メールフォーム
- ●大阪シティーバス ♥ご意見・ご質問受付フォーム
- ●自民党大阪市議団 ※不動産業の皆様の意見以外は一切受け付けておりません?
- ●一般社団法人 大阪府宅地建物取引業協会
- ●一般社団法人 全国不動産協会 大阪府本部
- ●公益社団法人 全日本不動産協会 大阪府本部
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参)当サイト内関連記事 海外鉄道・ 空港関連 ご当地Wikipedia リンク集 はこちら。
思想(イデオロギー)に関するcontentについてのイエローフラッグは"糞"フラッグが多い!
特に歴史・イデオロギーに関するイエローフラッグは、ボランティア?で"管理人"としてウィキペディア事務局に関与している平和ボケした理想主義者、有識者?達が日"教祖"の偏向教育(大衆洗脳)方針に沿うように"注意喚起?"されており、ハッキリ言って"糞"フラッグです!
むしろ"糞"フラッグが立っているcontent(内容)のほうがfairness(公正)な立場の内容と言えなくもありません!
交通施策に関するcontentは運輸族のプロパガンダの温床に
但し、交通関係は、スポンサー(与党運輸族)の意向を強く反映しているので、イエローフラッグが警鐘(fairness)を鳴らしている場合もありますが...
更に、地名に関しては、Google地図検索を容易にするために、言語表記を基本に、(カナ表記)についてもGoogle 地図で使用されている「カナ使い」を使用しています。
又、引用句に関しては《XX語版》を明確にしています。
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- ●中国語表記は Both China版 維基百科
にそれぞれ直接リンクしてあります。
※但しハングル表記 韓国語版 위키피디아 は著しく信憑性が無く!殆どが日本語版以下(50歩100歩?)の fake content なので無視!しました。(Red China版 維基百科のほうがはるかに信頼性があります!)
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公開:2007年10月14日
更新:2022年7月 6日
投稿者:デジタヌ
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