『タヌキがゆく』狸穴ジャーナル

江坂駅 周辺がまるで未来都市!《タウンレビュー》吹田市

前書き(要約)大阪市(維新の会)が目指すコンパクトシティー構想から落っこちた町?

21世紀後半はコンパクトシティ実現で生き残りを図ろうとしている大阪市(計画調整局 計画部 都市計画課・交通政策課)と 維新の会は、周辺属国?の躍進は気に食わないらしい!

吹田市が「のぞみ」を賭ける「新大阪駅巨大ハブステーション」計画も大阪市計画調整局都市計画課・交通政策課では検討もされておらず、

明るい「ひかり」は差し込まなくて、新横浜駅周辺のように「田んぼの中の新都心」は生まれないでしょう!

せっかく江坂に転入?してくれた企業もゆくゆくは、「グランフロント大阪梅田駅」「大阪梅田中央駅」周辺のオフィス街に...

吹田市《タウンヒストリア》まるで未来都市のような江坂駅周辺が... の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。

※本ファンタジーについて

本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...

筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。

後述する各団体とは直接関連はありません。

また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。

本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。 

★プロローグ 大阪市が目指すコンパクトシティー構想から落っこちた町?

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新大阪駅(淀川区)以遠の発展は大阪市の利益につながらない!?

大阪府とともに1970年大阪万博を大成功に貢献した吹田市(会場敷地提供)・北大阪急行(アクセス)の働きは、大阪市とは何ら関係のない出来事であったらしい?!

万博終了後も伸び続ける御堂筋線新大阪⇔梅田間の需要に応じて。天王寺⇔中津間で区間運行されていた区間運行便をこそこそと新大阪迄延伸して、我田引水した後は知らんぷり!

  • 新大阪⇔江坂4分とビジネスに最適な環境の江坂ステーションが昼間8本(約7~8分間隔)
  • 新大阪⇔本町10分 と2倍近く要するビジネス街方面が昼間 18本(約2~3分間隔)

と倍以上の格差ダイヤが組まれている!

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★第1節 どうしようもない東京一極集中による大阪の地盤沈下!

大阪府・近畿広域連合ではどうしようもない少子高齢化による大阪府の地盤沈下!を克服して21世紀を生き残るには京阪神「メガロポリス」構想を捨てて、京都・大阪・神戸のそれぞれの中(核)都市が広域通勤に頼らずに済む「コンパクトシティー」を実現して、点と線による「ヨーロッパ型」の都市共同体の構築で、近畿州の成立を目指しています!

つまり、吹田市が大阪市に編入・合併しない限りは「江坂駅周辺」にはこれ以上の発展は望めません!

頼みの綱の新大阪駅は「単なるハブステーション(乗換駅)」にとどまり、新横浜駅周辺のような「新都心」にはならないでしょう!

何故なら、北陸新幹線と共に山陽新幹線・大阪梅田支線が開業すれば、メインはそちらに移り、JR東海さんの所有する新大阪駅は地盤沈下!するからです。(※10)

住人にとっては、意地を捨てて大阪市に泣きついて?「大阪市・吹田区」になったほうが得策かもしれません?...

参※10)当サイト内関連記事 周辺オフィス街から隔離された 新大阪駅 では 北陸新幹線 も リニア中央新幹線 もやってこれない?... はこちら。

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★第2節 豊島郡榎坂村と御堂筋線の歩み

※ここをクリックすると本節をスキップして次節にワープ出来ます!

1889年4月1日 - 豊島郡榎坂村、垂水村が合併して豊津村となる。旧村内の地名から1字ずつ取った合成地名。
1940年4月1日 - 吹田市に合併。

1964年(昭和39年)9月24日:新大阪駅 - 梅田駅間 (3.5 km) が開業

梅田駅 - 天王寺駅間の区間運行便が中津駅 - 天王寺駅間での運転となる。

1970年(昭和45年)2月24日:江坂駅 - 新大阪駅間 (2.9 km) が開業

同日:北大阪急行・南北線・会場線 江坂 - 千里中央(仮駅) - 万国博中央口間開業。

北大阪急行電鉄と相互直通運転開始。

1972年9月 - 大同生命江坂ビル竣工。
1975年3月31日 - 江坂東洋ビル(現・パシフィックマークス江坂ビル)竣工。
1978年 - 江坂駅南改札口供用。
1983年4月17日 - 吹田市立中央図書館江坂分室を供用開始。

1990年(平成2年)4月1日:昼間・天王寺⇔中津駅区間運行便 天王寺駅⇔新大阪駅 間に延長!

1996年4月1日 - 吹田市立中央図書館江坂分室を「吹田市立江坂図書館」と名称変更し供用開始。

令制国(律令国)摂津国の生い立ち

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。

現吹田市江坂が属していた摂津国豊島郡

淀川(大川本流)以北の六甲山系と伊丹台地に挟まれた三田から流れる武庫川、伊丹台地、と千里丘陵に挟まれた能勢郡から流れる猪名川、淀川分流の神崎川、の各河川流域の比較的早く形成された平野部と古くは難波宮が置かれた上町台地とその周辺部で構成されている。

榎坂村があった豊島郡(吹田市西南部、豊中市、池田市、箕面市西部など)と島上郡、島下郡、能勢郡、西成郡、東成郡、住吉郡の現大阪府域と現兵庫県川辺郡(。現在の尼崎市東部・伊丹市・宝塚市北部など全8郷)有馬郡(現在の神戸市北区北部・三田市など全5郷)武庫郡(現在の西宮市南部・尼崎市西部・宝塚市南部など...全8郷)菟原郡(現在の芦屋市・神戸市東灘区・同市灘区・同市中央区東部など...全8郷。)八部郡(現在の神戸市兵庫区・長田区・須磨区南部・中央区西部・北区南部など...全5郷。)とで構成されていた。


瀬戸内海航路の起点で、旧淀川・旧大和川水系との結節点でもある難波津があり、津国(つのくに)と呼ばれた。

旧大川(旧淀川)以北と上町台地周辺の比較的高地(東側河内国は河内湖を起源とする湿地帯)

593年、推古天皇の摂政聖徳太子が難波(上町大地)の荒陵に四天王寺を造立した。

645年 孝徳天皇は難波に遷都し、大化の改新が行なわれた。

652年 上町大地に難波宮(前期難波宮=難波長柄豊崎宮)が完成した。孝徳天皇の後、都は飛鳥に戻ったが、「壬申の乱」の後天武天皇は、「畿内の外港」であり要地である難波宮を「副都」とした。

726年(神亀3年)、聖武天皇が難波宮(後期難波宮)の造営に着手し、平城京(奈良)の副都とした。

744年(天平16年)には恭仁京から「難波京への遷都」が実施されたが聖武天皇は遷都の「翌年再び平城京」に遷ったが、その後も難波は「副都として維持」された。その後(再利用のため)長岡京遷都に伴って難波宮が解体され消滅した!

793年(延暦12年)旧暦3月9日に摂津職を廃し、新たに摂津国を置いた。

難波津は土砂の堆積が進み、湊は淀川分流(神崎川)にある神崎や江口などに移っていった。

前身の摂津職から引き継いで「摂」の字を冠し、「せっつのくに」とも呼び、また元の津国の訓みそのままに「つのくに」とも呼んだと伝えられている。

難波津も土砂の堆積が進み、その機能は淀川分流にある神崎や江口などに移っていった。

室町時代に摂津の守護職は管領細川氏が世襲した。室町時代初期(南北朝合一を果たした明徳年間前後)に細川氏の安定した支配が確立していた今日の千里丘陵より東側の地域(島上郡・島下郡のほぼ全域)を上郡(かみのこおり)と総称された。

その後、応永年間までに千里丘陵以西の摂津平野部を掌握した細川氏は豊島郡・川辺郡南部・武庫郡・菟原郡・八部郡を下郡(しものこおり)と称した。

神崎川以南の西成・東成・住吉の3郡(ほぼ現在の大阪市域)は細川氏の支配から欠けていたため、欠郡(かけのこおり)と総称された。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

大和川付け替えによる影響

「旧高旧領取調帳」によると、独立した藩としては、尼崎藩、三田藩、麻田藩、高槻藩のみであった。太字意外は大名の飛び地。
島上郡(32,889石余) - 高槻藩及び代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、美濃加納藩、公家領
島下郡(57,496石余) - 高槻藩及び代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、一橋徳川家領、田安徳川家領、下総古河藩、美濃加納藩、大和芝村藩、仙洞御領、宮家領
豊島郡(31,640石余) - 麻田藩 及び代官支配地;、幕府領、旗本領、一橋徳川家領、武蔵岡部藩、上総飯野藩、備中岡田藩
能勢郡(12,736石余) - 高槻藩及び代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、上総飯野藩、武蔵岡部藩
川辺郡(66,655石余) - 尼崎藩及び代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、一橋徳川家領、大洲藩預地、田安徳川家領、麻田藩、武蔵岡部藩、上総飯野藩、大和小泉藩、公家領
有馬郡(45,961石余) - 三田藩及び代官支配地;幕府領(天領)、田安徳川家領、尼崎藩飛び地、武蔵岡部藩、上総飯野藩
武庫郡(23,754石余) - 代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、尼崎藩飛び地、尾張名古屋藩、丹波篠山藩
菟原郡(13,975石余) - 代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、尼崎藩飛び地、下総古河藩
八部郡(19,631石余) - 代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、下総古河藩、大和小泉藩
西成郡(54,057石余) - 代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、田安徳川家領、下総古河藩、宮家領
東成郡(36,679石余) - 代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、大阪城代役知、京都守護職役知、相模小田原藩
住吉郡(20,759石余) - 代官支配地;幕府領(天領)、旗本領、高槻藩、下総古河藩、相模小田原藩

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め

大阪府(旧摂津国)も幾多の行政変遷にさらされた。

1868年2月24日(慶応4年2月2日) - 有馬郡・武庫郡・菟原郡・八部郡の幕府領・旗本領が兵庫裁判所の管轄となる。
同年2月 - 豊島郡・川辺郡・西成郡・東成郡の幕府領・旗本領が大坂裁判所司農局の管轄となる。

1871年大阪府豊島郡となる

1871年12月31日(旧暦11月20日) - 第1次府県統合により、猪名川以東の島下郡・豊島郡・能勢郡・西成郡・東成郡・住吉郡および島上郡の大部分(山崎村を除く)が大阪府、猪名川以西が兵庫県の管轄となる。

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

1873年10月5日 - 島上郡山崎村が大阪府の管轄となり

1881年(明治14年)2月7日 - 第2次府県統合により新大阪府の管轄となりほぼ現在の大阪府県域が完成した。

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★エピローグ "第2の本町"界隈になるはずだった江坂駅周辺!

区画整理事業と北大阪急行線始発駅"江坂駅"生い立ちは

1970年の日本万国博来会の開催に合わせ、当時の市営地下鉄が新大阪⇔江坂間を"いやいや延伸"し阪急が主体となって建設した北大阪急行 江坂⇔万博会場中央ゲート 間と同時開業し、1970年万博アクセスの主役インフラとなっていた!

当時も今も「りょうけんの狭い」市営モンロー主義者(※1)一派が、大阪市域外の吹田市域への延長・乗り入れに難色を示し、1970年万博のアクセス問題に暗い影を落としていました!

当時から「ホワイトナイト」を自認していた阪急電車が大阪府の要請に応え、北大阪急行電鉄を設立して、吹田市内の万博アクセス鉄道の敷設を引き受けた!わけです。

1960年代以降に南吹田土地区画整理事業が行われ、加えて1970年の千里万博に合わせて地下鉄・北急の敷設と新御堂筋の整備がなされた。千里ニュータウンの前衝地帯として開発が進んで人口が増加し、大企業も本社を構えるようになったり、大企業の大阪支店が大阪市内から相継いで移転するなど、大阪の副都心の性格を持って発展した。...なお、江坂の由来が大阪の江戸という噂話もある。《Wikipediaより引用》

※参1)、当サイト内関連記事 《歴史ファンタジー》大阪三郷・旧四大区に端を発する「市営モンロー主義者」達の陰謀とは?

江坂駅折り返しも勿論可能

北大阪急行・大阪メトロの分岐駅である江坂駅は駅の南北に渡り線があり、江坂駅での折り返し運転も勿論可能です。

なのに市営モンロー主義一派と組んだ維新の会は...

北大阪急行の箕面延伸が完成した暁には、北大阪急行独自便でもよいから、新大阪⇔江坂間の折り返し便を増発すべき!何ではないでしょうか。

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《市営モンロー主義と大阪メトロ》関連記事のご案内 

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後書き 《沿岸部のMetropolisが抱える砂上の楼閣問題とは...》シリーズについて

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第1項 沿岸都市の盲点は地盤沈下!と地球温暖化!

現在コンパクトシティー(Metropolis)を目指している、地方都市は一部の都市を除き、いずれも海に面した沿岸部にあります!

そしてこれらの都市は、正しく大河川の河口部の"砂州"に構築された"砂上の楼閣"なのです。

これらの都市を悩ましているのが、地球温暖化による「海面上昇と、巨大台風」がもたらす高潮被害や巨大地震発生による津波被害への対策です!

第1目 高潮被害を防ぐには最低海抜5m以上の標高が必要

一度、自然災害が発生すると、最低でも標高10m以上は必要!とされており、河口部の堆積で生れた、3角洲が主体のこれらの都市では、その後の埋め立てで出来た"夢の島"エリアも含めて、地下水のくみ上げ等による、地盤沈下の影響もあり、標高0m地帯どころか「海抜マイナス数m」エリアを相当抱え込んでいて危険な現状!です。

第2目 港湾施設・石油コンビナート隣接都市では

更に、沿岸部に物流・工業地帯を配置している港湾都市では2次災害の危険も...

高潮が発生すると、沿岸部のコンテナが流れ出して、水門や橋脚の破壊や、流された危険物による火災!などの2次災害も発生します!

事実大阪では高潮被災時に、港湾部のコンテナターミナルから多くのコンテナが流出して、漂着した先で積載可燃物の自然発火による火災なども生じています!

第2項 自然災害は待ってくれません!

現在、各沿岸都市では、防潮堤の嵩上げ事業などの対策を進めていますが...

三角州や埋め立て地で出来た沿岸都市は、数多くの分水流(水路)で出来ていて、どの都市もかなりの防潮堤総延長を抱えています。

例えば東京23区の場合では、5mの高潮に備えるだけで、今後数兆円!の事業費と数十年の歳月が必要だと試算されています。

第1目 更に巨大台風や局所豪雨による河川氾濫の危険性も...

東京で近年起こった二子玉水害に代表されるような、巨大台風や局所豪雨による河川氾濫の危険性もぬぐいきれません!

第3項 税収確保より市民の生命財産を守る市政が必要では

東京などのように"武蔵野台地"と言う"自然の防災エリア"が背後に広がっているMetropolisでは、出来る限り「デルタエリアに開かれた下町から高台に人の流れを移す」ような都市計画の発想転換が必要でしょう。

嘗ての江戸時代には"防災"の観点から、居住区として認められていなかった、旧大川以東の低地部に暮らす人たちの「生命財産」を守る施策が緊急を要するのではないでしょうか...

第1目 高台に防災拠点(庁舎)を構える必要が

いざという時に、災害本部として機能する必要のある自治体庁舎は、抜け目ない東京都(庁)?のように出来る限り高台に移転する必要があるでしょう。

つまり大阪府庁舎の南港全面移転構想など全く非常識でナンセンス極まりないvision(夢想)!と言えます。

第2目 住居は出来るだけ高台に

山麓の高所は広島市や静岡市、そして大阪市・阿倍野区のように、土石流災害や"斜面崩落(&地すべり)で大災害を起こす場合もありますが...

東京都ならば武蔵野台地に広がる三多摩エリアが

(大阪市の上町大地のように)なだらかな丘陵エリアがある場合は、住居エリア(賃貸マンション・高級コンドミニアム)としての活用を考えるべきでしょう。

大阪府ならば千里丘陵・泉北丘陵に広がるニュータウンが

政令指定都市"堺市"の場合であれば、羽曳野丘陵・泉北丘陵に広がる北区・中区・南区・東区・美原区。つまりは泉北ニュータウンの開発続行に向かうべきでしょう。(※01)

参※01)当サイト内関連記事 堺市のメリット・デメリットを認識していない市当局者! はこちら。

狸穴総研 都市防災研究室 出自多留狸

※脚注 ♥関連団体 問い合わせ先 リンク集

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関連団体リンクテーブル 

 

公開:2019年10月22日
更新:2022年9月12日

投稿者:デジタヌ

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