タヌキがゆく(狸穴総合研究所)

《歴史ファンタジー》旧大阪3郷・大阪四大区 に端を発する"市営モンロー主義"シンジケート一派の陰謀とは?

本コラムは、大阪市で蔓延っている『市営モンロー主義』について歴史的事実を"状況証拠"として積み重ねて構成した《 ノンフィクション・ファンタジー 》です。

いわば検察当局も立件が難しいとして避けて通る「不起訴処分」に当たる事柄について、歴史的事実に推論(邪推・妄想?)を加えて、その裏事情を推理(深読み)した「歴史ファンタジー」です。

但し偏った思想は排除し、できるだけ「色眼鏡」は避けて事実に基づいた公正な立場で過去に起こった「史実」を再評価し、解決策を模索した1文としてあります。

by 狸穴総合研究所・都市交通研究室 大阪メトロ追跡調査班 しゅかん(主観・酒燗?...) 出自多留狸(デジタヌ)

ー「誰がために槌音は響く」シリーズ2019-

プロローグ そもそも『市営モンロー主義』とは?

恥ずかしながら小生も市営モンロー主義とは「地下鉄市営モンロー主義」の略語ぐらいの認識しか持ち合わせていなかったが...

しかし、「歴史(的事実)を紐解いていく(深読み・邪推?)」うちに交通政策だけではない事に気が付いた。

大坂市における「市営モンロー主義」は表面だっては"旗印"に利用された「大阪市営電気軌道」と高速地下軌道・バス事業の「市内独占運行権益」に象徴されてきたので前途の誤解をしてしまったわけである。

『モンロー主義』は大阪の「公益事業」全般に及んでいる

実際には、給食事業、清掃事業、有料駐車場、文化・スポーツ施設、宿泊・保養施設などの「公益サービス事業全般」、職員共済組織の"既得・権益"...etc.

大阪府とて同じ穴の貉?市民の安全を守るはずの警〇官共済組織、交通安全〇会などの"権益"、挙句の果てには教材選定、学校行事全般に教育委員会以上の"既得・権益"を持つに至った教職員組合にまで及んでおり、大阪府の市民生活は「市営モンロー主義」で"がっちりとガード"されている!

おまけにこれらの"既得権益"の受益者たちの多くは「大阪市民・府民」ではなく、下手をすると「他府県の市民!」だったりする...。

第1節 大阪 が拘り続けてきた『市営モンロー主義』とは?

大阪市・中央区《 タウン ヒストリア 》「成り上がり新興勢力」と「旧町衆・大商人」の利権争い」で記したように最初は「大商人や武家屋敷の下働きの使用人などの町衆」の自治体(公共団体)として江戸幕府から認められていた「大阪三郷」、後の4大区(東区・西区・南区・北区)で「町衆」が中心となって行っていた"自治組織の権益"を守るために「すべての商取引」に関する施策(届け出許可制度)であった。

明治維新で「交通アクセス手段」としての鉄道が脚光を浴びるようになり、特に「人の移動・旅客輸送」が注目されだすと、市内(4大区)内についての公共交通アクセスの権益を一手に独占しようと一般鐡道会社の「市内(4大区)乗り入れお断り!」を打ち出したわけである。

第1節第1項 大阪市で生き続けた"モンロー主義"

大阪では旧城下の町衆による大阪三郷を母体とした独立した自治体である大阪4大区(東区・西区・南区・北区)の集合体して「寄り合い所帯の大阪市」が誕生し、当初は大阪市会も専任の市長すら任命されずある種放任された自治区の集まりであった。

そして大阪市旧4大区ではこの"独立した自治組織"としての自治体資格は戦時体制下の「1943年まで続く」こととなった!

※<本節は11/14/2007に旧サイトで初稿公開したレビュー記事に補筆を加えた部分>

見かけ上は単なる鉄道鎖国?

1903年(明治36年)9月12日に開業した花園橋西詰(後の花園橋) ⇔築港桟橋(後の大阪港)間5.1km(当時の公式記録では、3マイル15チェーン)「大阪市営電気鉄道」築港線の成功を受け。

当時の市長(4大区から選出された)第2代鶴原定吉市長が『市街鉄道のような市民生活に必要な交通機関は、利害を標準に査定されるものではなく、私人や営利会社に運営を委ねるべきではない』と市会(4大区の寄り合い所帯)で市営モンロー主義の採択と議決を迫った!

これを受けて同年末に大阪(4大区)市議会で「市内交通を営利企業に任せず、市民の利益が最大となるよう市営にて行う」とした都市計画に関する基本方針が満場一致で採択され「市電路線網拡張」を旗頭として正式に市営モンロー主義宣言が公表されたとされているが...

勿論、これにはそれなりの『屁理屈!』はある

「大阪市は、100年の計を考え、南北を貫く各筋と東西を結ぶ各通りで構成された秩序正しい整然とした町並み作りを、都市計画の根源として実践している。そこに、鉄道事業者が営利目的で、好き勝手な路線を闇雲に引かれては、整然とした街作りがかき乱されてしまう」

とまあコンナ具合である。

別のとらえ方をすればまさしく新興住宅地に良くある『私道に着き通り抜けお断り』的発想である。

よって市内を縦貫ないしは横断して周辺都市を連絡するインターアーバン(※1)路線は

『JR東西線の開通』まで認めてこなかった。

新幹線然り、もっと昔に返れば東海道線ですら当時町外れの摂津郡『梅田郷』に作らせた!

日本で聖域等と嘯いても文句のでないのは、伊勢神宮と恐れ多くも天子様のおわします宮城ぐらいである。

※参1、インターアーバンについてのWikipediaの解説はこちら。

大阪市の木っ端役人共は、大阪は『実質的な日本の首府』であると思い上がっている!

(実は単なる一地方都市にすぎないのに!)

今も尚「毎朝、周辺の属国から通勤する多数の人々はターミナルという城門で、通行税かわりに乗車料金を徴収!され、無理矢理地下鉄に押し込められ!夕方には同じ門から退去させられており、彼らにとっては

『神聖なる大阪中心部を通り抜けて、別の属国に赴くなど、言語道断?』

の話なのである。

今の今まで、近畿の屋台骨、京阪神を結ぶ京阪、阪神の両私鉄が市内を通り抜ける連絡鉄道で結ばれていなかったことは以上の役人共の思い上がりが原因であった!

つまり、近畿の発展どころか現状の凋落?を招いたのは、大阪市の取ってきた『市営モンロー主義』に基づく「鉄道事業者の締め出し施策」に他ならない!

第1節第2項(令和元年補筆) 大阪市における「市営モンロー主義の真の姿」とは

以下は当サイトコラム 「成り上がり新興勢力」と「旧町衆・大商人」の利権争いの果てに旧町衆が大勝し「市営モンロー主義」が生まれた過程を大阪ミナミ・道頓堀界隈の「私鉄の侵攻」の過程から眺めた「鉄道歴史ファンタジー」からの抜粋に補筆を加えた部分です。

江戸時代以前の豊臣政権の築城時代から徳川政権まで面々と続いた「城下の町衆」である大阪3郷の3組(北組、南組、天満組)が明治維新後の1869年に旧4大組→大阪4大区(1~4大区、)となり1879年の郡区町村編制法施行で自治4区(東区・南区・西区・北区)に改組され、1943年の軍事政権による戦時決戦体制整備で「自治」が廃止されるまで延々と長きにわたり続いた「町衆に寄る自治組織が育んだ利権と既得権益への執着!の歴史」が生んだ「既得権益主義」。

大阪市における「市営モンロー主義」の真の姿とは大阪市政の基礎を築いた「町衆自治」から生まれた「利権と既得権益への執着!」が起源となり、変態を繰り返しながらもシブトク生き抜いた既得権益集団であり「利権」と「権益」を守る「組織構造」で有り「業者をも巻き込んだシンジケート」と言える。

この「利権擁護」の組織構造は、極端なリベラル思想の職員組合や各種共済組合、(一社)(一財)などの外郭団体などにも及び、職員総ぐるみで「継承・踏襲・温存」が図られているいわば職員による「大阪版フリーメーソン組織」と言えなくもない!

第1節第3項(令和元年補筆)モンロー主義が原因で「府」と「市」の中の悪さに!

モンロー主義;権利擁護主義は、何も大阪市の十八番(オハコ)ではなく、大阪府と末端の市町村、自治会組織にまで浸透?しており、このことが大阪市役所vs大阪府庁のお互いの覇権争い確執の原因の一つにもなっている。

このことが、某党が主張している、大阪都構想、近畿州構想の進展にもつながらない大きな要因である。

つまり前・前大阪市長の橋下徹氏が引退前に行った都構想の前提となる現行の「行政区割り見直し・区統合」の住人投票で惨敗したのはこのためである!

現行の各区での説明会でも、区民を代表する?自治会組織の自治会や市民団体の「モンロー主義者」たちが、現行彼らの持つ「既得権益」が侵されると大反発した!

事実平成の大合併で某市と合併し損ねた「〇早〇坂村」も両自治体の既得権益の調整が噛み合わずに空中分解している!

出路樽狸の体験談 2題

今を返る四半世紀前1985年ころ、持ち家の測量を行った時の出来事。

(測量)を嗅ぎつけた、当時の自治会長が血相を変えて怒鳴りこんできた!

『自治会(長)に断りも入れずにこんなこと(測量)を勝手にされたら困るがな!』

???である、当時我が集落は都市化もそれほど進んでおらず、新規転入者(建売住宅)も多くなく、新築・改築は自治会長の口コミで「xx工務店」不動産売買も自治会長の口コミで「xx興産」が慣例?となっていた。

つまり、市役所も含め土地建物業者と深~い(不可解な)絆があった!

ちなみにこの御仁は元衆議院議員の私設秘書で、事件?当時は「お若いのに、引退して無職」でおられた?

その2 桜並木伐採・撤去事件!

大阪では、他人の家の前に平気で吸い殻を捨てても、首都圏でよく見かけるような風景、早朝に家の前に出て"桜の花びらの絨毯"を掃除す奇特な御仁?はいらっしゃらないのである!

つまり、市民一人ひとりに至るまで「既得権益」に拘り「共存共栄助け合い」などというお為ごかし?は『何アホナこと言うとんねん!』になってしまうのである!

首都圏・東京・ダサいたまに10年以上暮らしたことのある小生にとっては信じられない???ばかりである。

これも今を返る20編ほど前の1990年頃の出来事

近くにある1960年4月に完成した水道局敷地のフェンス際には樹齢30年以上の立派な桜が並び、フェンスに沿った立派な市道は近くの工業団地の送迎車やスクールバスの待機場所として通勤・通学の人たちの目を楽しませていた。

ところが...、ある日「住人の代表と称するとある人物が市役所に殴り込み?を掛けた!」

『あの桜の木何とかシテエな!、桜の花びらの掃除がカナンし、夏になったら毛虫が落ちてキヨルし、ホンマに迷惑しとるんや!...』

???ではあるが、市当局の答えは『ハイ畏まりました、2・3日中に早速伐採処理いたします!』

1週間足らずで、立派な桜並木は跡形もなくなくなった!

当時32年の長きにわたり、ただ時の流れを見守っていた(傍観していた)某市長(※2)が即断したらしい!

※2 当サイト関連記事 懐かしいレトロシティー柏原!?はこちら。

数少ない美談紹介

京阪萱島駅(Wikipedia)、の高架ホームのど真ん中に「推定樹齢700年」のクスノキがにょっきり!

京阪電車は前途したように、「東京から来たインテリと地元京都の旦那衆」が作った会社!

なので、残してくれたのであろう。

第1節第4項 鉄道事業独占にみる市営モンロー主義の略年表

1869年 - 大阪城下(天領)の大坂三郷を再編し、大阪市街地が東大組、南大組、西大組、北大組の4大組に分割される。

1879年 - 郡区町村編制法施行により、4大組が東区、南区、西区、(旧)北区の4大区(法人区:地方自治組織)となる。

1885年(明治18年)12月29日に現・南海本線 難波駅 - 大和川駅間が軌間838mmの軽便鉄道として初代・阪堺鉄道開業。

1889年 5月14日:大阪鉄道(現JR大和路線) 湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開通し天王寺駅開業

  • 4月1日 大阪鉄道起点湊町駅が建設中であった西成郡西浜町が単独で町村制施行
  • 同じく、難波村は西成郡西側町・材木置場町・西高津村字髭剃を取り込み、難波村大字難波・西側・材木置場・西高津となった。

※つまり、現南海電鉄の始祖である初代「阪堺鉄道」が生まれた1885年当時は難波駅周辺は西成郡難波村で有り「市営モンロー主義」の元凶の元である町衆の自治組織「大阪4大区」には含まれていなかった!

そこで後に南区に取り込まれた道頓堀川南べりの難波新地で興行を行っていた新興勢力である興行主達が株主・発起人となって、中央政府・大阪府と直接話を付けて自分たちの通勤手段!として軌間762㎜の軽便鉄道「初代阪堺鉄道(現南海電鉄の始祖)」を設立した訳である。

このことが、現在に至る大阪府と南海電鉄の強い絆(※3)と同時に大阪市交通局(大阪メトロの親玉)と南海電車の根深い確執につながっている!

更には、初代大阪鉄道(現JR大和路線)が難波に侵攻できた理由でもある。

※参3、関連記事 南海汐見橋支線は生き続ける!《鉄タヌ・ファンタジー》赤字でも南海汐見橋線が複線で頑張っているわけ はこちら。

旧大阪三郷「モンロー主義」一派の縄張り拡大戦法?

旧大阪4大区南区における隣接市外郡部の歓楽街「南新地」の「新興勢力」成金集団を取り込んだ(旧大阪三郷「モンロー主義」派)の縄張り拡大戦法?

歓楽街で大儲けしている、「おきなかし」の手配師から身を立てた土建業や興行主(プロモーター)などの新興勢力であるエンタメ業(小屋主、興行主)と「由緒正しいまち衆?」の勢力争いに終止符を打った手とは大阪市域として「次第にその勢力範囲・縄張り」を広げていく手法であった!

そして、当初は敵陣営であった「新興勢力の土建業」も味方につけ、ますますその横暴ぶり?を発揮していったわけである。

1889年 - 大阪4大区が統合し市政制施行により、大阪市が発足!

と同時に4大区の縄張りが拡大!(難波新地は)大阪市南区へ移行。

※明治政府が定めた市制特例により市長は置かず、大阪府知事が名目上の市長職を兼任し実務はそれぞれ独立した自治組織・4大区の長が取り仕切っていた!

実際に大阪市発足時1889年当初市長は大阪府知事が兼任し、市役所すらなかった!

  • 同年5月14日 大阪鉄道のちの関西鉄道(かんせい!てつどう)→国鉄関西(かんさい)線(現JR大和路線)湊町ー

天王寺ー柏原間開業

1893年  谷新太郎外4名が神阪電気鉄道株式会社設立を発起(後発起人に鹿島秀麿外4名追加)

1895年(明治28年)8月25日 南海鉄道誕生

つまり「市営モンロー主義の縄張り」大阪市域が拡大する前に現市内中心部乗り入れを果たしていた現存する在阪民鉄は「南海電気鉄道」のみであるということになる。

1897年 - 第1次市域拡張 で大阪市はさらに広がり、市営モンローエリアも拡大された!
  • 北区;西成郡下福島村・上福島村・曾根崎村・北野村の全域と野田村・豊崎村・川崎村・東成郡鯰江村・野田村・都島村の一部を編入。
  • 南区;西成郡西浜町・難波村の全域と木津村・今宮村・東成郡天王寺村・生野村の大阪鉄道(現在の関西本線・大阪環状線)以北・以西を南区へ編入。
  • 東区;、東成郡玉造町・清堀村・東平野町・西高津村の全域と中本村の猫間川以西・鶴橋村の大阪鉄道(現在の大阪環状線)以西を東区へ編入。
1898年 - 市制特例廃止と大阪市が大阪府から独立し市役所と市長が誕生

1898年政府が東京・大阪・京都の市制特例を廃止し、市役所が正式設置されることに伴い市長も選出されることになったが1898年10月12日、初代市長には4大区の一つである南区の商人田村太兵衛が選任されている!

大阪市役所が機能しだしても、太平洋戦争中の1943年まで続く4大区(自治権をもつ自治体)の自治区拡大作戦と市役所に深く入り込んだ4大区出身者による働き?で4大区町衆の権益をますます強めていった...戦時中の4大区廃止大阪市政1っ本化まで、旧4大区出身者が市長を歴任している。

1900年9月3日に大阪高野鉄道(1898年開業)現・南海高野線の道頓堀駅(現・汐見橋駅) - 大小路駅間が延伸開業し大阪市内乗り入れが実現した。(1897年以前の大阪府西成郡木津村当時鉄道免許があったので開業できた!)

第2節 大阪市の"市営モンロー主義"と在阪私鉄のターミナルの関係

町衆の利権体制"市営モンロー主義"は前途の通り今を遡る116年前の1903年に日本最初の公営路面電車が花園橋(現在の九条新道交叉点)と 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)間5.1kmの間に「大阪市営電気鉄道」築港線として開業した時点で「大義名分化」された!

以降は4大区出身者で固められている大阪市内への鉄道乗り入れは事実上不可能になった!

1903年9月12日 -「 市営モンロー主義・大義名分化」の旗頭として大阪市営電気鉄道築港線(花園橋 - 築港桟橋 間約5km)が開業。

1905年4月 阪神電車 大阪(出入橋/北区・旧福島村ー神戸(三宮) 間の営業を開始

1906年(明治39年)1月15日 箕面有馬電気鉄道(現阪急)創立発起人会設立。

1908年9月26日 京阪電車やっと大阪市との間で協定が締結でき軌道特許が下り、北区東野田網島(現・都島区網島町)の車両工場、車庫の建設にこぎつけた。

1910年(明治43年)3月10日に現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田(北区・旧曽根崎村) - 宝塚間、石橋 - 箕面間を開業したのが始まり。阪急は梅田までは侵攻できた!

1910年9月16日:奈良軌道(現近鉄)設立。

1914年(大正3年)4月30日:生駒トンネルの開削により上本町駅 (東区・旧鶴橋村)- 奈良駅間が開業。

1923年(大正12年)4月13日:(2代目)大阪鉄道(現近鉄南大阪線)大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋駅/旧住吉郡・天王寺村) - 布忍駅間が延伸開業し大阪天王寺駅 - 道明寺駅間が1500V電化で開通。近鉄が南区(現天王寺区)に隣接した現大阪阿倍野橋に侵攻できたのは大阪市外の旧天王寺村で(市営モンロー主義が及ばないエリアであったからである!

1925年の 第2次市域拡張で大阪市域西成郡・東成郡が消滅す

1925年に東区から旧東成郡西高津村と東平野町にあたる地域が、南区から旧東成郡天王寺村・生野村の城東線内にあたる地域が分区されて天王寺区が誕生

1925年4月1日 - 12か町村が大阪市に編入され現阿倍野区は「住吉区(第一次)」となり現大阪阿倍野駅が大阪市内となった!

つまり「市営モンロー主義」とは、旗頭である大阪市営電気鉄道による市内軌道網建設以前から「旧大阪三郷」時代から面々と受け継がれた?「大阪町衆・大商人」の「既得権益防衛・利権闘争」シンジケート集団がぶち上げたアドバルーン?と言い換えることもできる。

太平洋戦争中と敗戦後に2度の転機が....

最初に転機が訪れたのは太平洋戦争突入後の1943年に軍事政権が「戦時体制下」を理由に目障りな危険分子の一掃を狙い自由主義者の巣窟(と見做されていた)大阪4大区を解体して、大阪市政を一本化した時であった。

更に敗戦後、食うのもままならない状況下で再度の転機が訪れ、「闇市」等で巨万の富を得た「元ごろつき集団?」の成功者が、大阪市議会を乗っ取り?、自らの事業(不動産、土木建設業)拡大のための利権擁護手段として「大阪市交通局」に残っていた「市営モンロー主義者」の残党と結託し大阪市の土建事業の多くの利権をほぼ独占し、「市民の生き血(血税)を吸い出し始めた?」わけである。

リベラル派であったはずの「モンロー主義者」が「保守派」に鞍替えった(様変わり)したわけである。

第3節 "市営モンロー主義"を掲げた大阪市の在阪私鉄各社への嫌がらせの歴史!

もし大阪市が京都市同様に「大阪市営電気鉄道」誕生時に「市営モンロー主義」を捨てていたら?大阪市域の交通事情は現在とは大きく違っていたであろう!

第3節第1項 路線を割譲させられた南海鐡道上町連絡軌道の例

事実、市営モンロー主義の「錦の御旗」となる大阪市営電気軌道が開業する以前に旧大阪城下に滑り込んでいたのは現阪堺電気軌道の始祖である「大阪馬車鉄道であり」同じく最初に「巧妙かつ卑怯な手口」で追いだされたのも その後継となった南海鉄道上町連絡軌道(現阪堺電気軌道)であった。

つまり南海鉄道上町線の天王寺駅 - 公園東門駅間を卑怯な騙し打ちで半ば強制的に路線譲渡させた1921年12月21日当時は、現終点である天王寺駅前電停の所在地は「大阪の郡部;東成郡天王寺村」であり!1925年4月1日に現阿倍野区に当たる 天王寺村の一部が大阪市(初代住吉区)に編入される 迄は 大字(おおあざ)阿部野に村役場をおく東成郡天王寺村にあった!

つまり、自らの権限の及ぶ範囲内からは「卑怯な手段を用いてでも目障りな私鉄共を排除する」のが彼ら町衆の唱える「市営モンロー主義」であった。

更に付け加えるなら、旧4大組こそが「大阪市の正当な継承者」であり、それ以外は政権が派遣した傀儡(かいらい)自治体大阪府の属州であり、大阪城(市役所)からはよそ者・新参者は徹底的に排除していた。

1898年に東京・大阪・京都の市制特例が廃止されてからも大阪4大区出身者が市政を牛耳り、このことが大阪郡部であった頃の旧住吉郡と大阪府(=中央政権)との強い絆を造り、当初このエリアをテリトリー(サービスエリア)として発足した初代阪堺鉄道(現南海電鉄)と大阪市との軋轢(あつれき)につながっている。

第3節第2項 避け?(サケ)増(マス)・タラは北海道だが

大阪市が意地悪?をしなければ、戦前1910年代に大阪梅田に南海(1901年から関西(かんせい)鉄道が国有化され城東線となる1909年10月まで汽車列車運行で直通乗り入れ実施!)京阪梅田連絡線で京阪・近鉄(※5)が集合し、近畿5大私鉄がすべてがそれぞれ別ルートで大阪駅に乗り入れ出来ていたことになる!

御堂筋線は開通年度からいっても致し方ないとして、高度成長期以降に建設された、四つ橋線の大国町以北、谷町筋線、千日前線、中央線等は、最初から、私鉄各社と相互乗り入れを前提に、架空線方式の集電方式をとっていたであろう!

これまでにもたびたび述べてきたが、谷町筋線は門真あたりで京阪と、千日前線は両端で近鉄、阪神と、四つ橋線は中津当たりで阪急の神戸、宝塚、京都のいずれかの線と相互乗り入れしていたであろう!

JR大和路線に関しては民営化のごたごたが、ソレより何より電化(1973年9月)が余りにも遅すぎた為、大阪地下鉄のまともなパートナー(交渉相手)とはなり得なかったのは事実。(JRさんごめんなさい)。

いずれにせよ、それぞれの線で相互乗り入れが実現されていたならば、現状の様に黒字は御堂筋線と谷町線だけで、あとはみな赤字!等という不名誉いや不甲斐ない状態には至っていなかったのではないか?

※参5、1920年当時近畿日本鉄道(近鉄)の前身となる大阪電気軌道(大軌)が、奈良線額田駅から蒲生信号所までの路線を建設し、京阪線に乗り入れ桜ノ宮や天満橋へ向かう四条畷線計画を立てていた。

第4節 大阪以外の市営モンロー主義とは

江戸幕府・明治新政府のとった町衆の『懐柔策?取り込み策』が切っ掛けとなり...

ある種「リベラル」陣営を装った革命政府・明治新政府は、徳川政権時代からあったリベラルな「町衆」勢力の取り込み策で保守勢力一掃に取り組んでいた。

元より「理念より実利」を貴ぶ町衆は、自治権と引き換えに新政府の打ち出した「富国強兵策」に協力し税収UPに貢献した!

大阪では京阪電車創設に尽力した渋沢栄一、佐分利一嗣らの理想家のインテリ連中とは肌が合わ無い彼ら「町衆」の自治体4大区が「京阪電車の路線計画」をことごとく妨害したのは有名な実話である。

第4節第1項 市制特例と各市の公営交通

市制のうち、東京市・京都市・大阪市の3つの市(三都、三市)に、1889年(明治22年)から1898年(明治31年)までの間、導入した特例。<Wikipediaより引用>

...三市では「市会推薦市長」は置かず、府知事(内務省が任命)がその職務を執り行った(1条)。また、三市では、府知事が任命した書記官が助役の職務を行い(1条)、府庁の官吏が収入役・書記等の職務を行った(3条)。

すなわち三市では、市会の多数派意見が行政に必ずしも反映されなかった。市会と行政の各々が独立していたことで...<Wikipediaより引用>

「はんなり」とした京都市では共存共栄方針が

1879年4月10日に上京区と下京区が町衆の手により自治体として誕生した。

1889年 上京区と下京区が集結?して京都市が発足。

大阪市同様に1898年までは市制特例により府知事が名目上の市長を兼任した。

京都市電(きょうとしでん)は、京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。1895年に京都電気鉄道によって日本最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年の市営路線開設、1918年の全面市営化を経た後、1978年9月30日限りで全廃された。<Wikipediaより引用>

1910年4月15日には京阪電気鉄道が最初の路線として京都・五条まで乗り入れ大阪・天満橋 との間を開通させ、

1912年12月14日 京阪京図千三条大橋 - 札ノ辻間10.0kmが一体化し、京津電気軌道株式会社(現京阪京津戦線)直通運転を開始。

1915年10月27日:鴨川線 五条 - 三条間1.5kmが開業。

1918年に路面電車の全面市営化を果たした後も、京都市では"りょうけんの狭い「市営モンロー主義」"はとらなかった!

それどころか

1928年には当時京阪系列であった奈良電気鉄道(現近鉄京都線)の京都駅乗り入れ開業を認め、

1931年には国内初の地下鉄道西院駅⇔大宮間を当時の第2京阪(現阪急京都線)が開業させ、敗戦後の1963年6月17日には大宮駅 ⇔河原町駅間の繁華街部の地下への延伸開業も認めている。

1978年9月30日 83年の長きにわたり京都市内を駆け抜けたチンチン電車が姿を消した。

御多分に漏れず、急激な「モータリゼーションの津波」に押し流さながらも、大阪・名古屋・京都の3市の中では一番最後まで頑張り通した。(※現在、京都鉄道博物館隣接地で乗客を乗せた動態保存まで続けている!)

1981年 北大路 ⇔京都間で開業した地下鉄烏丸線は当初より近鉄との相互乗り入れを前提に計画され1988年6月11日には烏丸線京都⇔竹田間が開業し8月28日からは烏丸線、近鉄京都線と新田辺駅までの相互直通運転(※6)を開始している!

1989年(平成元年)10月5日:京阪電気鉄道・鴨東線の三条⇔ 出町柳間開業が開通し叡山電鉄と出町柳で徒歩連絡接続

1997年(平成9年)10月12日には東西線醍醐 ⇔二条間が開業し京阪京津線の御陵から京都市役所前までの片方乗り入れ(※7)をも認めている!

同じ町衆発祥の自治体ではあるが、京都市は"がつがつ"しない「はんなりとした(上品な)」町衆気質で、1918年の市内軌道線全面市営化後も、"下品で露骨な権益主義"である「市営モンロー主義」は一貫して行っていない!

※参6、1997年6月3日に烏丸線国際会館 - 北山間が開業し2000年3月15日の近鉄のダイヤ改正でさらに乗り入れ区間は伸び、近鉄奈良駅⇔国際会館駅で急行の相互直通乗り入れが実施されている!近鉄奈良駅で京都市営地下鉄車両を見かけるのはこのため。

※参7 2008年1月16日京都市役所⇔太秦天神間の延伸開業と同時に乗り入れ区間も延長)

旧東京市では

1878年(明治11年)7月22日、東京府は府下を区と郡に分かち、府税収入の多い地域を吟味選定のうえ、郡区町村編制法第2条の定めるところに従って旧幕時代の地称を付し麹町区・神田区・浅草区以下の東京15区を設けた...

1889年(明治22年)5月1日、前月施行の「市制・町村制」に基づき東京府は府下に東京市を設け旧15区の区域をもって市域となして、区部の財産管理を移掌した。東京市の市制は、同3月公布法律12号「市制中東京市京都市大阪市二特例ヲ設クルノ件」(市制特例)によって一般市とは一部異なる変則的な市制だった。東京府知事および府書記官が市長を兼務しており、市役所も市職員も置かれなかった。その一方で従来の15区はそれぞれ単独で区会(議会)を持ち、東京市の下位の自治体とされた。同年12月には市章を制定した。<Wikipediaより引用>

つまり各市ともに経済力を持った「町衆・町民」によるリベラルな自治区として自由裁量権のある自治体資格をもっていた。

...が大阪町衆のみが"露骨で下品"な権利主義「市営モンロー主義」路線上を突っ走ってしまった!

第4節第2項 ちょっと異質な名古屋市の市営モンロー主義?

名古屋市電(なごやしでん)は、...名古屋市交通局が事業を行っていた。 1898年(明治31年)に名古屋電気鉄道によって日本で2番目の電気鉄道として開業され、1974年(昭和49年)3月31日に全廃された。...

1914年(大正3年)9月、不況下における高額の運賃に不満を持っていた市民が「電車賃値下問題市民大会」を催し、大会終了後市民が暴徒化して電車・施設への焼き討ちを行って、...柳橋駅(名古屋駅のやや南東)が全焼、電車23両が損傷する事件が発生した。これを機に名古屋市でも市内電車の買収に動き、1922年(大正11年)に名古屋電気鉄道から市内線を買収して名古屋市電が誕生した。<Wikipediaより引用>

つまり大阪とはやや異なり、「市民の声で市電とモンロー主義?が誕生」したわけであるが...

戦後になるとまず、1946年(昭和21年)1月、高速鉄道網検討用基礎案...戦災復興のため将来人口を200万人と想定した都市計画...鉄道着工よりも鉄道用地を先行確保するのが主目的の計画であった。この計画では、平田橋、上飯田、守山、八事などで既存の鉄道との相互乗り入れが重視されていたため、現在の地下鉄路線とはかなり違う経路を通っているものが多い。<Wikipediaより引用>

当初は、帝都高速度交通営団同様に、名古屋市独走案?ではなく当時の国鉄・民鉄の既存路線との相互乗り入れで名古屋都市圏全体の交通網整備が第一に掲げられていた!

しかし当初の「崇高なコンセプト?」とはかけ離れた、銀座線並みの小型車両と「どぶ板工法?(オープンカット工法)」により1957年(昭和32年)11月15日に1号線(現:東山線)名古屋 ⇔ 栄町間が開業してから後は大阪市とほぼ同じ流れで順調に路線をポイント切り替え?」し市営モンロー主義による"民活"事業の「名古屋城下乗り入れお断り路線に転線?」し現在に至っているわけである。

ただ大阪市交通局のような「露骨な鉄道事業者乗り入れ拒否」の嫌がらせである両端閉鎖の600v第3軌条集電(何れも軌間1435㎜標準軌、15m級の小型車両!)の単独路線!は1号東山線、名城線、名港線の3路線のみで、1977年3月18日開通の- 鶴舞線伏見 - 八事間以降からの新規路線1989年(平成元年)9月10日開業 桜通線中村区役所 - 今池間、2003年3月27日 開業の 上飯田線平安通 - 上飯田間はすべて軌間1067mm直流1500v架空線電化による「まともな電車線」として名鉄線との相互乗り入れを実施している。

エピローグ この「陳腐化した大阪のモンロー主義体制派」を解体できるのは...

大阪のモンロー主義者の正体は地元民党と光明党の視界疑淫夜盗グループ。

地元民党は大手ゼネコンと地元中規模土建屋、光明党は地元小規模零細の工務店と共に地元土建屋の隠れ蓑・権利団体である!

彼らは、地元有権者には一切耳の痛い話(立ち退き話)は持ち掛けず、ひたすら「絵に描いた餅の大ホラ話"楽ちんな夢物語"(地下鉄新路線計画)」を説いて回っている!

彼らの「悪魔の誘惑」を途絶えさせられるのは「〇新の党」でもなければ「日本〇産党」(※8)などでもなく、「市民」一人ひとりがその時々の「冷静な判断」で対処(選挙権行使)するしか道はないだろう!

政治・議会とはある種 「妥協の産物」であり、崇高な理想や・理念などという「甘ちょろいファンタジー」の世界ではない!

リアリスト達が駆け引きを行いながら、自己の主義主張を実践に結び付けようと画策する場であり、大義名分同士のぶつかり合いの場である。

さらに言うならば、施政を担当している「役人」達は「超リアリスト」で現在だけでなく"将来"を通じて「自らの不利(再就職口の不利)」に繋がるような事業には絶対に手を出さない!

だから21世紀「令和の御代」である現在でもあらゆる部署で「既得権益」が横行し「従来からのシキタリを踏襲」しているわけである!

橋本徹氏は大阪府・大阪市の自治体長を歴任し府民・市民の「末端・自治会などの権利組織」の利権擁護構造の根深さに呆れ 、さらには「シンジケート一派」の恫喝と「甘い誘惑」に「身の危険」を感じ、真正面からシンジケートと戦うことに疲れ「政治の表舞台」から引退したのであろう...。

出路樽狸は「狸穴」に籠り?武力によらない「筆力」を使った抵抗運動・パルチザン活動で、彼らシンジケートと戦っているわけで有る?

事実小生も過去において、何度か「その筋の方」と思わしき匿名さんから、励まし?(恫喝!)をいただいたことがある(*^▽^*)。

※参8 現在の大阪の日本協参党?は、体制に寄り添っていて自らも権利擁護に回る中道左派一派程度で、体制側からは「必要悪?」程度にしか見られていないし事実そのとおりでもある!

 

公開:2019年7月29日
更新:2019年10月 2日

投稿者:デジタヌ

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