狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

デジタヌ作小説コーナー

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鉄道フィクションー"阪神・近鉄友情物語"「69年間待ち続けた男」 ”在る鉄道マンの半生” この物語は、全ての阪神電鉄社員、全ての近鉄社員に捧げるオマージュであり、2009年の阪神なんば線開業に対する心よりの祝辞として捧げました。この物語は、実在する団体、個人とは全く関係がない「フィクション」です。事実にヒントを得ただけの全くのフィクションです。

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《連載小説》在る鉄道マンの半生 "69年間待ち続けた男" 第1話 2009年3月阪神なんば線開業!
"阪神・近鉄友情物語" ー在る鉄道マンの半生ー この物語は、阪神なんば線、近鉄難波線 建設にかかわった人たちに捧げるオマージュであり、来るべき2009年の大阪難波駅 開業に対する心よりの祝辞として捧げます。ー2007年11月デジタヌー
第2話 徹路の語る父の生い立ち《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.父 庄一は1893年(明治26年)1月15日生まれの林業従事者、俗に言う木樵であった。母、寿美は1897年(明治30年)4月10日生まれで、近くの営林署の署長の娘。...関東の出であったので、この辺りでは珍しく標準語に近い言葉で...
第3話 徹路の幼少期 前編《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
両親が結ばれ、1年後の1917年(大正6年)1月10日布施徹路は生まれた。翌年11月世界大戦が終結した。徹路が2歳の年、長女幸子が生まれ祖祖母キクが享年七十歳で亡くなった。徹路5歳の年の11月、祖母安江が脳梗塞で突然倒れ帰らぬ人となった。47歳の若さであった。...
第4話 徹路の幼少期 後編《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
徹路には毎日の苦しさを忘れられる楽しみがあった。それは、今の大和上市駅付近で行われていた吉野電気軌道の鉄道工事を見に行くことであった。吉野川に掛かる吉野川橋梁はようやくその勇姿を現しつつあった。...叔父の家に下宿した徹路が、高等小学校に入学してから1年が過ぎようとした1928年(昭和3年)3月25日に六田ー吉野間が開業し、全通した。
第5話 徹路の思春期《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
翌年1930年(昭和5年)前年10月ニューヨークのウォール街に端を発した世界大恐慌の荒らしが日本にも飛び火し、昭和の大恐慌が発生、深刻な不況と成った。...不況の嵐はまだ吹き荒れており徹路の学校を続けさせるため、その年長女幸子が、翌年には次女秋美が桜井の材木商の大店(おおだな)に住み込み奉公に上がった。東北では、身売りや一家心中など多くの惨劇が起こっていた時期である。...
第6話 一高・東大入学《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
叔母は父庄一の一番下の妹で、祖父 信好が亡くなった年、営林署の署長の仲立ちで署長の親戚の家に里子(さとご)に出されていた。その後に航空技師と結婚し、浅草橋の近くに住んでいた。36才になった叔母は、子供に恵まれていなかった。...
第7話 鉄道連隊入隊《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
『私も鉄道建設に携わって見たいと考えております。』『そうか、鉄道建設か大阪電気軌道なら知り合いもおるゾ。』『いいえ、そうでなくて、海外に出て未開の地に自分のこの手で鉄道を引いてみたいのです。』『それで、先生が鉄道連隊にいらっしゃるご友人のことをよくお話になっていたのを思い出しまして...、ご紹介いただけないかと。』...
第8話 従軍そして帰還《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1941年(昭和16年)9月徹路の配属された鉄道第九連隊は泰緬鉄道(たいめんてつどう)建設のため、ビルマ(元ミャンマー)に派兵された。この年の12月8日 「日米開戦」すなわち太平洋戦争が始まった。...徹路の配属された第9連隊のビルマ到着を待って、開戦の翌年1942年(昭和17年)タイ側、ビルマ側同時着工で工事が開始された。
第9話 近鉄入社《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.翌年3月、帰還後半年が過ぎようとしていた頃、恩師から一通の手紙が舞い込んだ。...『是非、我が社で迎えたい』と言ってきた、ついては... 山本 武 氏を訪ねるように]と言うような内容だった...
第10話 名古屋線工事現場出張《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
戦時中でもあり入社式もなく、出社早々先刻の杉山主任から真新しい作業服、安全靴、ヘルメットを渡され、一通りのレクチャーを受けただけで技術部に案内された。技術部の奥の机に、山本部長がいた。『布施君を、お連れしました。』山本部長に案内すると杉山はそそくさと去っていった。...
第11話 伊勢若松の名古屋線改良工事現場《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
伊勢若松までは長い道のりである。本社から市電で上六に向かい自社線の急行で伊勢中川までいき、名古屋線に乗り換えて4時間位かけて目的地の伊勢若松の現場事務所に着いたのは、午後3時まえであった。この時、徹路は初めて青山峠・青山トンネルを体験した。徹路は、図書館でみたロッキー山脈越えの写真集を思い出し、まだ見た事のない彼の地の有名な峠に思いをはせた。...
第12話 現場復帰初日《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
杖をついた、徹路の姿に笑い声も聞こえたが、徹路は構わず全員の前で、名前と簡単な抱負を述べた。...『副所長』『なんや...?、副所長はやめてんか』『どう呼べば宜しいでしょうか?』『井上はんでええがな』『井上さん、工事の資材はどうしてるんですか?』この頃になると、そろそろ鉄や、コンクリート等の資材が入手しづらく成っていた。...
第13話 現場での活躍《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
翌日は、日曜だったので朝から洗濯である、洗濯と言っても今のように電気洗濯機など無い時代、たらいと洗濯板を用いた手洗いである。朝から、洗濯場は土工達でイッパイだった。土工達に混じりフンドシや作業衣を洗い、物干竿に干した...
第14話 叔母奈賀子の死《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男 
それまでのB17主力の中国大陸からの爆撃に代わりB29長距離爆撃機による本土空襲が日本全土を襲うようになってきた。12月には名古屋が翌年1945年(昭和20年)1月には大阪が初空襲を受ける事となる。この間、資材難も益々切迫し...近鉄も翌年2月には南大阪線の尺度ー樫原神宮間の線路を供出させられ、この間は単線運転区間と成ってしまった。
第15話 敗戦と復興《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
資材難のおり復旧工事と言えども貴重な鉄(線路)や、銅線(架線)を使用する許可が下りたのは、近鉄名古屋線が重要な路線であったからである。...、四日市ー津間は...近鉄が最短ルートで結んでいた。さらに1959年(昭和34年)の伊勢湾台風襲来以前は現在と違って国鉄と同じ軌間1067mmの狭軌であった。為に四日市ー津間の重要な物資輸送路線であったからであろう。
第16話 大阪高速鉄道設立と朋友との出会い《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
...確かに、戦後復興の為に東西を結ぶ路線は必要ではあったが、戦災の復旧も完全には終わっていない時期に、...これには、当時の近鉄社長佐治一徹(さじいってつ)の強い思いがあったからに他ならない...
第17話 縁談話《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.吉野の実家から、手紙で、{小学校の校長がお前の評判を聞き、是非うちの娘をお前にと言ってきた、ついては来週の5月12日の日曜日にお見合いをするので、戻ってこい!}という内容だった。...お見合い相手の梨花は1926年(大正15年)6月7日生まれで9つ年下、もうすぐ二十歳になる女性だった。...
第18話 徹路の結婚《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
阿倍野の近鉄本社内に出来た大阪高速鉄道は活気にあふれていた、少ないスタッフは徹路を筆頭に全て20代の若者達だった。毎朝早くから、夜遅くまで時には激論を戦わせながら、全員一丸となって戦後復興、大阪復興の為に良い仕事をしようと頑張った。そんな毎日を過ごしていたある日、実家から一通の手紙が届いた。...
第19話 初めての帰宅と新婚生活《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
裸電球がともった玄関に立ち、ガラス戸を開けて、『ただ今』と言ってみた。すぐ脇の台所から、妻梨花が『お帰りなさい』と言って割烹着を脱ぎながらいつもの笑顔で現れ、居間に両手をついて出迎えてくれた。台所からは、サンマの良いにおいが立ちこめていた。...
第20話 大阪高速鉄道解散と近鉄難波線再申請《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
『いいか阪神は必ず来る、難波駅で我々と手を繋ぐ、だから行き止まりの終着駅にしては成らん、阪神側につなげられるよう途中駅構造で計画しろ』...
第21話 初めての大工事《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
名古屋線の善光寺カーブは、前身の伊勢電気鉄道が当初四日市から伊勢を目指していた名残で、四日市から何とか名古屋を目指そうと当時の三重鉄道と四日市鉄道の路線を一部買収し762mmの狭軌を1067mmの国鉄と同じ軌間に改軌しこの路線を、無理矢理伊勢に向かう本線に接続したために生じた急カーブである。...
第22話 次女「未來」誕生と現場《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
徹路は日本の未来と彼女の行く末を願って「未來」と名付けた。1950年(昭和25年)6月朝鮮戦争が勃発した。皮肉なことに朝鮮半島での戦争が戦後5年しか経っていない、日本の復興を助けてくれたいわゆる"特需景気"である。...
第23話 名物部長の誕生《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
翌1955年(昭和30年)、朝鮮戦争での特需景気をバネにすっかり回復した日本経済は、神武景気と言われるほどの好景気に湧いた。旺盛な需要を見込んで翌1956年(昭和31年)2月阿倍野近鉄百貨店の増築工事が着工された。...
第24話 ビスタカーの登場と誕生秘話《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
皮肉なことに、この年から世の中はあれだけ威勢のよかった神武景気が急速に衰え、不景気に見舞われていた俗に言う"鍋底景気"である。そんな不景気を吹っ飛ばそうと、...近鉄は大阪線にリゾート列車の先駆けである初代ビスタカーが投入された。アメリカン機関車風デザインの先頭車を持ち中間部に2両の2階建て車両を連結した7両編成の列車は大陸横断鉄道を彷彿とさせる勇姿であった。...
第25話 伊勢湾台風襲来と宿願の名古屋線改軌完成《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
翌1959年(昭和34年)2月1日、待ちに待った難波線の特許が、阪神西大阪線の延伸特許と共に降りた。近鉄社内は沸きに沸いた、市営モンロー主義の壁を打ち破りやっとミナミの中心部ナンバに乗り入れが敵うのである。...、
第26話 突然の妻の死《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
月妻梨花が突然血を吐いて倒れた。...無理がたたって、結核を患っていた...発見が遅れたのは、徹路を心配させまいと隠していたからだった。...
第27話 国分太郎との出会い《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
『オッチャン...朝から精出るな、企画統括部・分室ってココかいな?』『アアそうだ...』『ワイなー、今日からここで働くことになっったんや、宜しゅう頼むわ』『そうか...』『ナンや、無愛想なオッサンやな、まあエエわ、そいでやな』...
第28話 1964年東海道新幹線開業!前夜の名阪ノンストップ特急登場《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
中川短絡線が3月29日に開通、名阪ノンストップ特急が運転を開始した。そして8月8日津ー津新町間複線化工事完成した。これによって...ノンストップ特急は名阪間を2時間18分で結べるようになり、...'ビジネス特急こだま"とやっと互角に戦えるようになった。...
第29話 久しぶりの現場の匂い《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
「もう現場で陣頭指揮に立つ立場では無くなってしまったんだ」それでも、工事となれば血が騒ぐ適当な理由を付けては現場を訪れた。...先年 分室の庭先であった国分である。...『国分君、私だよ』『私か、かがしか知らんけど、エエからハヨ出て行って!』『国分君、布施ダヨ、布施』『伏せ、伏せってうるさいオッサンやナ』...
第30話 近鉄難波線着工《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
この年4月、次女未來が帝山女子高等学校に進学した。初めは『姉さんと同じように電車通学がしたいから、帝山はイヤ』と言っていたが、祖母寿美と徹路に諭され、スクールバスで行ける帝塚山女子高に入学した。この時も、徹路は休暇をもらい、入学式に参列した。...
第31話 久々の国分との対面《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.完成祝賀会に出席した徹路は、国分を見つけて声をかけてた。『国分君おめでとう、よくやったな』『ハ、...有り難う御座います』『どうした、』『いやそれが、部長御存知でなかったのですか?』『ナンのことだ?』...
第32話 道路整備に後押しされたモータリゼーションの到来《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.同月7日神戸高速鉄道が開通した。...この鉄道の開業によって、関西における戦後初の大手私鉄同しの相互乗り入れ直通運転が実現した。これ以後、本題の阪神ナンバ線開業まで、関西では私鉄間の相互乗り入れによる直通運転は実現されていない...
第33話 悲願達成近鉄難波線開業《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.翌1970年(昭和45年)2月24日難波線に試運転電車が入線した。同日北大阪急行電鉄が江坂ー万国博中央口間で開業。...そして3月1日鳥羽線が全通、志摩線の全線改軌工事も完成。...
第34話 大阪線、特急電車正面衝突大惨事発生《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
『父さん、本当に近鉄と阪神電車は繋がるの?、そうだったら早く繋がると楽なんだけどな...』『鉄朗さんが、頑張ってくれている』『アア、西宮のおじさん?』『そうだ、彼は約束を守る人だ、今にきっと難波まで阪神電車を引っ張ってきてくれる。』 『そうなると良いね...』そう言い残して娘は無表情なまま、自室に戻っていった...
第35話 新青山トンネル着工《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
『徹路君、決めた、ヤルゾ。』『社長、何をですか?』『トンネルだ、新青山トンネルだ』『ハイ、でもまだ大分先の計画では...?』...
第36話 母寿美の死《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
徹路が病院に到着したときには、既に事切れていた。...程なく1時間ほど経って、由有紀から知らせを聞いた父庄一が近所に住む妹幸子につきそわれてやっと吉野からついた。変わり果てた、寿美を前に徹路の前で父庄一は初めて涙を見せた...
第37話 母寿美の葬儀《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
徹路は事前に総務に、「葬儀を行う実家は田舎なのでバス道から先は車では入ってこれない様な辺鄙なところ。出来るだけ乗り合いバス以外での葬儀への参列は控えていただきたい。」旨案内するように伝えておいた...
第38話 次女未來の退職《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
祖母寿美の死は、未來にささやかなクリスマスプレゼントを与える結果になった。葬儀の会葬者に対する、香典返しである。田舎の葬儀屋が腰を抜かすほどの会葬者であったので、香典返しも莫大な物となった。丁度、未來が外商部に勤務していたので、一喝して近鉄百貨店上本町本店外商部に発注することにした...
第39話 長女由有紀の結婚《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
この年10月11日JALが国内線にB747SRジャンボ機を投入、国内線の空の大量輸送時代が幕を開けた。そして翌1974年(昭和49年)5月長女由有紀が4才年上の船守健(ふなもりたけし)と結婚した...
第40話 鉄道マンと時代の流れ《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男 
この年5月阪神国道線が廃線となった。珍しく、鉄朗から電話があった。『徹路さん、ニュースでご覧になったかも知れませんが、国道線が廃線に成りました。』...
第41話 徹路の決断《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
この頃、徹路は定年まで残り一年を切っていた。あるとき社長室に呼ばれた。前々から、言われていた役員昇格への勧誘である...
第42話 定年と次女未來の結婚《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
そして、引き揚げ線の終端に来たとき、車止めのその先の壁にソット手を当ててみた。徹路はこの壁の向こう側で、地下トンネルを掘削している様な錯覚に囚われた。「俺が在職中には、かなわなかったが、きっとその内この壁が取り払われて、阪神電車がやってくる、きっと...。」...
第43話 布施駅立体交差事業完成《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
布施駅周辺の奈良線・大阪線の連続立体交差事業が完成した。...巨大ターミナルである。建設前には、中央2線の通過線を持つ北側4線が奈良線、南側2線が大阪線の広大な平面駅であった。此処に列車を通過させながら、奈良線の下り側から上層部に上げていく大工事であった...
第44話 初孫誕生と金三の決意《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
この年9月待望の初孫を長女由有紀が出産した。父親と同じ立派な技術者になるようにと大志(たいし)と名付けられたこの子は4000gのまるまるとした大きな男の子であった。翌1978年(昭和53年)10月には次女未來も長女美里を出産した...
第45話 娘婿金三、天職を見つける!《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
成田国際空港が開港した...初めは、金三に留守番兼・工程監理要因として、翌日の資材や機材の準備や手配に事務所で待機させていた。そして、自動車免許を取りたいと言うので、自動車教習所に通わせたりしていた。 自動車免許がとれてからは、現場に引っ張り出し雑用をさせることにした...
第46話 近鉄バッファローズ リーグ初優勝!《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
この年、名将西本幸夫監督率いる近鉄バッファローズが念願のリーグ初優勝を勝ち取った...『徹路さん、おめでとう御座います』『ハア、何のことですか?』...『何だ、ご存知無かったんですか?』...鉄朗の口からは、ナンバ線の話は出なくなってしまっていた。
第47話 父庄一の死《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
『徹路、ワシはコンナ、牢屋みたいな所は嫌だ、この通りぴんぴんしているし、早くコンナ所から連れ出してくれ.。』と言って、徹路を困らせた。医者からは、「永くて1年、もう手遅れで手術をしてもそう永くは生きられない」と通告された... これが永い闘病生活の始まりとなった。
第48話 徹路とJV《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
..戸田ー伏屋間の立体交差事業を大手ゼネコンとジョイントベンチャーを組んで施工することとなった...幹事会社となり施工監理を一手に引き受けることとなった。...創業以来苦節8年初めての大仕事である。精鋭部隊を集め、毎日現場を見て回った...
第49話 近鉄 国分新社長誕生《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1985年(昭和60年)ー5月近鉄に新社長が誕生した、若干45才の若さであの国分太郎が近鉄本社の社長に就任したのである。彼は、近鉄グループ各社を渡り歩き、行く先々で斬新なアイデアと実行力と勘の良さで、高度成長期を通じてグループ各社の飛躍的な躍進に貢献した...
第50話 徹路の考える人の使い方とは...《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
最近は土木従事者もサラリーマン化し、毎朝ランチジャー片手に、マイカーで通勤してくる風景も珍しくはない。しかし徹路が会社を始めた1970年代は、全国の土木現場を渡り歩き、着の身着のままな一人暮らしをしているベテラン労務者が多かった...
第51話 徹路の戒め《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1987年(昭和62年)前年の年末から起こった、バブル景気で世の中はわいていた...この頃、娘未來は本社にやって来る度に『○○建設の社長さんとこは、毎週末にベンツに乗って別荘に行ってるって話よ、うちは未だにカローラ、ご近所で小学校の送り迎えに、歩いて行ってるのは家だけよ』...
第52話 朋友・鉄郎の死《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1989年(昭和64年)1月7日...この年から年号は平成に変わった。...平成1年10月14日 激しい優勝争いの末、名将仰木監督率いる近鉄バファローズが3度目のリーグ優勝を果たした。そして、年の暮れ12月のはじめに朋友西宮鉄郎が66才でなくなった...
第53話 バブル景気崩壊!《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1991年(平成3年)4年間の長きにわたって続いたバブル経済が遂にはじけた...本業以外のマネーゲームに手を出すこともなく堅実な経営を続けた...結果ボロ儲けもなかったが、大損もしなかった。堅実経営のおかげで、...いつのまにやら100人近い大所帯になっていた...
第54話 近鉄 佐治会長の死《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.彼の死によって「明治生まれの事業家に共通した事業哲学」...決して金勘定だけに囚われない、社会貢献への信条、事業家としての誇り・気概・気骨・情熱それらの全てが、徹路の目の前から消えていく様(さま)を眺めているような...
第55話 徹路の社長引退《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
"1993年(平成5年)3月28日伊勢自動車道が全通した。バブル崩壊後、...伊勢道の開通は新たなる脅威の出現でもあった...同じ9月、志摩線の複線化事業も完工した...
第56話 阪神大震災と有限会社鉄路《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1994年(平成6年)... 円高が進み再び海外旅行ブームになり、バブル崩壊後一時低迷した渡航者が回復した。そして9月4日関西国際空港が開港した。...
第57話 次女未來のボヤキ《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1996年(平成8年)4月のとある日、由有紀の主人船守から誘いが入り金造がゴルフに出かけた。翌日姉由有紀から、未來に電話が掛かってきた。t...
第58話 金造の反旗 その1《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
1996年(平成8年)4月のある日、金造が未來を伴って徹路の居る技術開発室に入ってきた。『お父さん相談が有るんですが』『何だ金造君』『実は鉄路建設さんが、この本社ビルの3、4階をまとめて借りたいと言ってきたんですが』 『何のために?』...
第59話 金造の反旗ーその2《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男 
金三が話を続けた。『お父さん済みません。でも未來の言ってるとおりなんです、うちの会社は火の車なんですよ』『何だって、火の車?どうして何だ、そんなこと無いだろ!近鉄さんから直の仕事を貰っていて!』『それが、問題なんです』...
第60話 タヌキ親爺との攻防《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
5月に入って金造にアポを取らせ、近鉄資材部を表敬訪問した...
第61話 徹路の苦悩《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
徹路は寮に残っていた6人1人1人に頭を下げて回った彼らは、徹路が近鉄の現場で監督をしていた頃からの長いつき合いで、何れも60才以上の高齢者だった...
第62話 阪神なんば線の着工《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
『徹路さん、大変ですよ、国分社長がお見えで、「布施さんに用がある、取り次いでくれ」っておっしゃってます。』『さて、この老いぼれに何の用だろう...
第63話 徹路が思う20世紀を代表する日本の土木工事《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
明石海峡大橋は20世紀を代表する日本の土木プロジェクトだと考えている。鉄道技術者としては、...、ほぼ10年の歳月を費やし、工事中に襲った阪神淡路大震災にも耐え、立派に完成した明石海峡大橋は、久しぶりに徹路に血湧き肉躍る感動を蘇らせた。...明石海峡大橋だけは訪れる度に徹路の胸を強く打った。
第64話 徹路の感慨《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
.機械化が進んだ今の工事では、現場の土建屋の経験は余り必要なくなっていた。さらに、トンネルと盛り土が殆どの工事ではさほど技術者としての興味もそそられ無かった。それに、今までの路線と違い、全くの単独路線である。...何故コンナ路線を引く羽目になったのか徹路には納得いかなかった。...
第65話 鉄治の夢 その1《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
そして、徹路が更に69年間待つことになっても、実現して欲しいと思っている今一番の夢は、"南北串刺し路線"の実現である。それはナニワ筋の地下に地下路線を建設し、...大阪南部と新大阪が一本の鉄路で結ばれる事である...
第66話 日本初 フリーゲージトレイン の導入で 近鉄特急 のさらなる躍進を!《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
少し前の話題になるが1999年(平成11年)1月専門誌に{日本初のフリーゲージトレインが(JR総研により)開発され山陰本線(米子~安来)で試験運転が実施された...
最終回 鉄朗の墓前に「なんば線開通」を報告する《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
...『69年前はお前さんにもずいぶん、苦労を掛けたが今日やっとお前さんの苦労に報いることが出来たような気がするよ...』『これで、孫達にも、「お爺ちゃんは嘘つきだ」なんて言われなくて済むようになるよ。ワ、ハ、ハ、...』...


 



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