タヌキがゆく(狸穴総合研究所)

日本各地から森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が消えた理由とは?

森林鉄道・軽便鉄道・路面電車衰退の理由は、一般的には、鳩山内閣当時の1954年12月から1972年11月の第2次田中角栄内閣当時にかけて訪れた戦後復興・高度成長期に訪れた「急速なモータリゼーション化の波に飲み込まれた」としてかたづけられていることが多い。

しかし、そう簡単に片づけられることではなさそうなので、このコラムをまとめてみた。

プロローグ 文明開化と共に始まった日本の鐡道輸送

文明開花の象徴として鉄道が日本各地に敷設されたことは皆様よくご承知の通りである。

ではなぜ、鉄道だったのかはあまり顧みられていない。

輸送手段の整備であれば、江戸時代からの「街道」整備でもよかったはずであるが...。

天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」としての鐡道

当時物流を支える陸上輸送手段と言えば「大八車」や、「背負子」すなわち人力がメインであった。

河川を利用し川船を用いた水運も盛んではあったが、日本は南北に背骨が貫いた細長い島国、当然一部の地域・平野部を除き河川は海に至る「列島横断」に限られ、列島を貫き大量の物資輸送を行うには北回りや南回り廻船を利用する以外には"道"はなかった。

天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」が求められていた。

お手軽な大量輸送手段だった「鐡道敷設?」

大量の物流を担うには、それに見合う施設・設備が必要であり、大八車や背負子に頼る当時の陸運では、いくら道路整備(精々石畳舗装程度だが)に邁進しても、所詮たかが知れている。

そこで、当時の貧弱な道路事情とトランスポーターに代わり、比較的簡単に敷設でき、かつ大量輸送が可能な「鐡道」が注目され、お上主導の官鉄、民間有志・起業家による私鉄建設を問わず、急速に全国鉄道網の整備が行われたわけである。

またイカダなどによる材木の搬出が行える適当な河川の少ない北海道での森林開発や、炭鉱開発に、また多エリアからの物資の"移入"を人手による陸運に頼らざるを得なかった内陸地などに鉄道網が広がっていき地域経済の活性化に貢献してきたわけである。

富国強兵政策の明治期には最適の兵力輸送手段でもあった

つまり「一般人のアクセス手段」より「物流」が主体であった富国強兵時代の明治期においては、鉄道敷設はお手軽に大量の兵力を輸送する最適手段であったわけである。(※軍隊の兵は兵力の一部で"人"とは思われていなかった?)

鐡道時代が長く続く

主要幹線が、官鉄・私鉄の旺盛な路線拡張でほゞ全国に完成したこの時期、地方交通においても幹線の主要ハブ駅からエリア内のアクセス手段として敷設が容易な「軽便鉄道」が持てはやされ、日本各地でご当地鐡道が敷設されていった。

中でも福島県の旧日本鉄道(東北本線)敷設当初案で現在阿武隈急行として現在に蘇った沿線における「大日本軌道」(現福島交通)が構築した「日本初のトラム網」や、同じく北陸石川県で広域トラム網?を構築していた北陸鉄道 、北海道東部で発達?した殖民軌道などが、戦前の貧弱な道路輸送に代わって地域の産業振興に果たした役割は大きい!

第1節 「敗戦」後に訪れた「廃線」期?

例えば最後に残った殖民軌道・浜中町営軌道の廃止は1972年3月。

1960年代中期北海道ではまだ路線延長されていた地域もあった。

これらは、百貨ひとまとめ、高度成長と共に訪れた「モータリゼーション」の津波に押し流されたとして片付けられているががそうではない!

事実北海道の多くの殖民軌道を除き日本各地にある多くの「軽便鉄道、森林鉄道、路面電車」は廃止の前日まで、地域交通を担っていた例が多い!

各地の森林鉄道の衰退期

1963年(昭和38年)武利意森林鉄道(むりいしんりんてつどう)廃止

※関連記事森林鉄道《鉄道人気スポット ナビ》まるせっぷいこいの森はこちら)

1964年(昭和39年):3月30日魚梁瀬森林鉄道全線廃止となる。(※関連記事魚梁瀬森林鉄道 《 鉄道 人気 スポット ナビ 》魚梁瀬丸山公園はこちら。)

1976年(昭和51年) 鯎川森林鉄道(最後の木曾森林鉄道支線)廃止(※関連記事王滝森林鉄道復元軌道 《 鉄道 人気スポット ナビ 》松原スポーツ公園はこちら。)

森林鉄道の衰退

森林鉄道については、モータリゼーションの津波というよりは林業自体の衰退が1番の要因である。

高度成長期、の住宅建設ラッシュと時を同じくして、安い海外製の原材が大量に輸入されるようになり、各地の林業(材木出荷量)は急速に縮小し、もはや森林鉄道による出荷集積地までの大量輸送も必要なくなり、各地の河川の水資源開発で誕生していったダム建設に伴う建設資材輸送のための道路整備が進み林業衰退で減った出荷量位ならば、トラック輸送で十分にまかなえられるようになり、お上の営林事業縮小とともに消えていったと解釈すべきであろう。

逆に、道路環境整備を待たずに規模(路線)縮小が先行し森林鉄道軌道跡地が道路整備に転用された例も多い!

第2節 高度成長期に訪れた道路整備・舗装技術の技術革新!

実は敗戦後の高度成長期でもまだまだ日本のモータリゼーションは聡明期であった!

敗戦後の高度成長期でもまだまだ日本のモータリゼーションの聡明期は続いており、小生の幼い時期の記憶でも、1950年代の「ダットサン1000(ブルーバードの前身)」のTVコマーシャルは長閑(のどか)な郊外ドライブ風景...等ではな「豪州ラリー」で荒れた荒野を力走する姿であった!

つまり、高速性能などという以前に「当時の酷道」における高い走派性・耐久性が必要とされていた時代であった。

「モータリゼーションの津波」は実は一般道の整備と深い関係がある!

しかしその後の爆発的な「モータリゼーションの津波」は実は一般道の整備と深い関係がある!

ご存じ日本初の本格的自動車専用道路「名神高速道路」は1963年 から1965年にかけて開通した。

この後、つまり1964年の東京オリンピック初開催時期になって初めて「高速周回路(※1)」を使った連続高速耐久性試験の様子などがTVコマーシャルに登場するようになり、マイカーへの関心も高まっていった。

※1、バンク伝説シリーズ記事はこちら。

名神高速道路建設用大型建設機材の輸入が転機!に

一般的には、マイカーブームで「急激なモータリゼーションの津波!」が発生し「地方のローカル鉄道網」が衰退した?ことになっているがそうではない!

大型自走式「モーターグレーダー」の登場で日本の一般道路網が一変した!

モータリゼーション到来は名神高速道路建設に始まる、高速道路網建設に必要な大型建設機械、特に大型自走式の「モーターグレーダー」や「アスファルトフィニッシャー」の輸入・国産化により、各地の道路舗装率が急激に向上したことによる!(※2)

どういう因果関係かというと、戦後進駐軍が持ち込んだグレーダーが登場するまでは、ツルハシ・スコップ・もっこを使用した人力が道路整備の主役?で、舗装がどうのこうのという以前に、未舗装の一般道の凸凹を馴らす補修作業ですら大変な時代であった!

当初ブルに牽引されるタイプのグレーダーが自走式のモーターグレーダーに変わり、飛躍的に作業効率がUPしさらに自走式のアスファルトフィニッシャーが導入され大都市近郊の周辺都市にまで「簡易舗装」が普及しだし、ついに雨上がりの凸凹道でのスタック(※3)が珍しくなり、パンクの恐怖?も遠のき、トラックやバスが幹線道路を我が物顔に暴走?するようになり、大都市近郊から徐々にモータリゼーションの津波が広がっていった。

※3、小生が小学校の頃(1950年代後半)でも我が村?は未舗装であり、近くの幹線道路(国道)もやっとコンクリート舗装が...、もちろん集落の中や国道に繋がる準幹線道(府道)も含めすべて完全未舗装!のダート・ロード!?が1km以上も続き、雨上がりや晴天が続いた後は道路は凸凹だらけパンクでもないのにあちこちの「公道」のど真ん中で「スタック!」する車両が続出する有様で、村の万屋(よろづや)に週に一度位しか来ない500kg積のバタバタ(オート3輪)が村はずれでスタックするたびに、村人総出?で押す光景をしょっちゅう目にしたものであった!

※2 グラフでみる道路建設業 はこちら

※3 鉄道 は陸上旅客輸送の1手段にしか過ぎない!

舗装は最後の仕上げ「道路面の厚いお化粧?」

舗装は、道路建設の最後の段階であり、いわば「道路の厚いお化粧?」である、すなわち全国に高速道路網建設が始まったとはいえ、そうそう年中出番のある機械でも無かった!

つまり高速道路建設で全国各地にアスファルトプラントと共に出現した舗装会社の作業所(事業所)の普段の「凌ぎ」に当時の建設省の各地方建設事務所、地方公共団体(県道・市道管理者)などに猛烈なプロモーション活動が展開され、瞬く間に全国の幹線・準幹線・主要都市の市内道が舗装整備されたわけである。

第3節 地方広域ライトレール網の衰退

「即時性」が何より重要となった現代社会が到来し鉄道は敗退した!

前途した道路整備に伴って陸運全体が「トラック・バス・乗用車」にスライドし「逆モーダルシフト?現象」が起こり、鉄道事業は時代に取り残されてしまった。

サービス全盛の現代社会においては「即時性;スピード輸送」が重要視される中、前途の様に「当面の陸運確保」の為に仮設?されたようなローカル鉄道線では、輸送力は確保できても利便性が悪く利用者からも見放され次々と終焉を迎えたわけである。

もはや全国規模の広域アクセスと地方規模のエリア内アクセスは別次元の代物になったといえる(※3)。

今や物流の99%はトラック運輸が担い、鉄道貨物輸送の占める割合は極端に低くなっている。

鐡道貨物は、大都市間の大量コンテナ輸送と、首都圏などのトランスポーター集中エリアでの定時性確保のための近中距離輸送に限られているといっても過言ではない状況になってきている。

1910年開業の大日本軌道(現福島交通)のトラム網の場合

福島県北部で現伊達市エリアの交通を一手に引き受けていた1910年開業の大日本軌道(現福島交通)の日本初のトラム網!

1976年に廃止された板東線は1910年に軌間760mmの軽便鉄道として開業し16年後の1926年には1067mmの狭軌に改軌されあわせて600v電化されたことにより実に半世紀以上にわたって伊達エリアの旅客・物流の主役であった。※関連記事 福島県 伊達市 《 タウンヒストリア 》 日本における 広域トラム 発祥の地はこちら

このトラム網は併用軌道上を走行していたチンチン電車だが、貨物輸送も行っていた!

廃止まで地域の脚として重宝がられていた路線網であったが、1961年に併走する東北本線が電化され、運行本数が増えると徐々に通勤客がながれ、併用軌道を走るチンチン電車であったことが災いし、道路整備(舗装化)で増えたバス、トラック、乗用車の渋滞に巻き込まれ、定時運行が維持できなくなり、大都市のチンチン電車と同じ運命をたどった!

名鉄岐阜市内線と近隣トラム網

大日本軌道に遅れること1年の1911年に美濃電気軌道(現名鉄電車の前身)によって岐阜市内線が開業し、長良軽便鉄道を買収するなどして周辺都市にまで広がり、忠節線、揖斐線、美濃町線、田神線、高富線などの広大なトラム網を構築していたが、末端支線部分からじょじょに路線を縮小し、ついに2005年に市内線も廃止され95年に渡る長い歴史を終えた。

この路線の場合は、市外においては一部専用軌道で急行運転なども実施され、速達性は平行バス路線と差ほど遜色はなかったが、市内の併用軌道部分を含む幹線道路の整備が進まずに、沿線利用者以外の市民・県民から疎まれ邪魔者扱いされて廃止に追い込まれた。他の大都市とほぼ同様のパターン。

皮肉なことに、廃止後はマイカー渋滞が多発するようになった!

北陸屈指の北陸鉄道のライトレール網

1916年10月29日に前身となる 金沢電気軌道株式会社が設立され、3年後の1919年に金沢電気軌道の市内線チンチン電車が開業した!

1943年の戦時統合で(旧)北陸鉄道・能登鉄道・温泉電気軌道・金名鉄道・金石電気鉄道・湯涌自動車・七尾交通の7社が合併し、現在の北陸鉄道が設立された。

終戦直前の1945年7月20日には小松電気鉄道も合併し、さらに終戦後の1945年10月1日には浅野川電気軌道も合併し北陸金沢を中心に一大ライトレール網を構築していたが、金沢市が空襲を受けなかったことが返って災い、市街地の道路整備が極端に後手に回り、他の都市同様にというよりそれ以上の早さでモータリゼーションの津波に押し流され1967年(昭和42年)2月11日 に 金沢市内線が全面廃止に追い込まれ、路線の要を失ったことで、市内からの乗り継ぎの便が悪くなり次々に路線縮小においこまれ、加賀温泉駅と駅前バスターミナルの整備や主要国道8号線の整備と共に貸し切りバスによる団体客輸送に変化した、加賀温泉郷の路線網の廃止など、北陸本線に依存した支線・盲腸路線網が、金沢を中心とする放射状の経済活動(通勤需要)に呼応しなくなり、次第に縮小していった。

現在金沢駅西側市北西部、北陸道沿道部分と旧城下の周辺部分が道路整備とともにドーナツ状に発展してきており、BusTramなどを用いた広域BRT網の整備が急務となってきているのでは?

※関連記事地方交通路線の再生は可能か?その2《鉄タヌコラム2019》赤字交通線間違いなし!の新規計画路線についてはこちら。

第4節 少々事情が異なる大都市市街地からのチンチン電車の敗退理由

道路交通網の整備がモータゼーションの津波を発生させ「地方交通路線」を押し流した事実とは逆に、大都市市街地では「舗装路の充実」が、リアス式海岸での「津波増高効果」の様に「モータリゼーションの津波被害」を拡大させたといえる!

ビデオでも明らかなように、利用者にとってはありがたい「庶民の足」であり、重宝がられていたチンチン電車ではあったが、急激に増加した「自動車の津波」を受け止めるだけの防波堤(道路)整備が後手に回っていた、大阪市、名古屋市、福岡市などの地方大都市では、その場凌ぎの苦肉の策で「一般車両軌道敷内通行」を特認してしまった為に、「トラム」最大のメリット「定刻走行」が崩れ、利用者離れにつながり、最後は邪魔者扱いされながら軌道敷から敗退させられたわけである!

大阪市営電気鉄道 1969年3月31日全廃。

西鉄福岡市内線 1979年2月11日廃止 。

その後、大阪、福岡の2大都市では、1970年代当時に比べ都市計画道が飛躍的に整備(新設)された。

特に大阪大正区などでは周辺の木津川(運河)に数カ所の橋梁が新設され、周辺の陸地部?と島内(中洲・埋め立て地)を結ぶ道路網が完備され、チンチン電車廃止当時とは交通事情が一変している。

更に、大阪市中心部においても、国道1号線(キタ新地通り)中央大通り、長堀通、千日前通り、新なにわ筋、なにわ筋、谷町筋の拡幅整備・新設などにより、廃止当時とは一変し交通事情は飛躍的に好転している。

全国の中核都市ではもう一度トラムに目を向けるべきである!(※4)

※4、関連記事『トラム 建設は お得 で "ナチュラル バリアフリー!"』はこちら。

不幸にも終戦時灰塵にきしていた広島では

不幸にも敗戦時灰塵にきしていた広島では都心部で重点的に道路整備が行われ、広~い都市計画道路整備のおかげでチンチン電車・広電がその後のモータリゼーションの津波被害にも屈せずに生き延びることができた!

一方同じように戦火にあいながらも、旧態依然の町割りに固執した岐阜市内からは「路面電車が排除されてしまい」、日常的な万世交通渋滞を引き起こしている!

さらには、軟弱地盤に無理やり地下鉄を掘った福岡市では同時に「墓穴も掘ってしまった」ようである?

エピローグ 一度立ち止まって「22世紀に向けた交通体系」を冷静に見直す時期では?

地下鉄建設は高コストで東京・ニューヨーク・ロンドンの例を挙げなくても「土一升金一升」の超大都市でしか有効な手段とは言いにくい!

"帝都"東京以外の地方の中核都市では無理をしてまで高コストな地下鉄建設に拘る必要はなく「同じ公共投資額(道路特定財源=ガソリン税)」なら道路拡幅に回した方が「市域全体のアクセス改善」につながると思うのだが...。(※5)

渋滞の中を走行する堺トラムの事前映像

トラムも車もスイスイの事後映像

地元に票田・支援団体を構える「痴呆議会嫌疑員」は「立ち退き問題」が生じる「道路拡幅整備」を嫌い、政治資金調達先の地元土建業者と屈託し「地下鉄・新都市交通建設推進派」に回るようである!

パリ、ベルリンなどの大都市を含む「西欧の先進国!」の地方中核都市では「トラム」が当たり前になってきている時代、今だに「地下鉄建設に猛進しているのは」後進国である日本やアジアにある痴呆都市だけである!

参照欄

※5、軌道施設のいらない『 トラム型トランスポーター 』登場!はこちら

 

公開:2019年7月23日
更新:2019年10月16日

投稿者:デジタヌ

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