狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

汐見橋線 は なにわ筋線 が開業しても 廃止 にはならない!

前書き(要約) 南海グループの新たな挑戦"桜川パークス"実現の為に...

そう簡単には「汐見橋本線!」の鉄道事業者免許と"複線の既成事実"を手放さない強い決意!とは...

なにわ筋線 が開業しても 汐見橋線 は決して廃線 にはならないでしょう!

"0"㎞ポストを持つ南海 高野線のれっきとした始発駅!だからです。

高野線始発駅汐見橋駅は"市内第2のターミナル"いわば南海グループの『将来の布石!』なのです。

なにわ筋線 が着工された今も 赤字路線を"意地"して、おいそれとは 廃線 にしない 南海電車の『読み』について..

一般 株主 投資家 の皆さん必見の難解な南海の中期経営ビジョンとは...

.

なにわ筋線 が開業しても 汐見橋線 は 廃止 にはならない! の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくは各国語版Wikipediaへ直接リンクされています。

※本ファンタジーについて

(土建屋"傾" !の) 鉄道系Youtuber (擬き)では、明かせない"裏事情"を、過去の歴史的背景や、状況証拠(事例)に基づいて解き明かしたした"ファンタジー"です。

本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...

筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。

後述する各団体とは直接関連はありません。

また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。

本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。 

プロローグ 高野線の始発駅 南海の出城 "汐見橋城" !

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岸ノ里玉出駅で東西に分断されてはいますが南海高野線の始発駅は汐見橋駅なのです!

汐見橋線は「鉄オタも含めた一般人」が考えているような「なにわ筋線の(既成事実)布石」としてのみ存在しているような「ただのお荷物路線・駅」などではありません!

第1項 「大阪市」誕生以前からあった現存する大阪唯一の私鉄 南海電鉄!

1885年(明治18年)12月29日に始祖に当たる 初代・阪堺鉄道開業が難波駅 ⇔大和川駅間を軌間838mmの軽便鉄道として開業しました!

在阪私鉄各社の市内中心部乗り入れを阻んできた「市営モンロー主義」(※2)旗揚げ以前からあった「近畿唯一の現存する私鉄です!」

※参2、当サイト内関連記事 大阪三郷・旧四大区に端を発する「市営モンロー主義者」達の陰謀とは?

1900年9月3日 大阪高野鉄道の"道頓堀駅"として開業した汐見橋駅

大阪市の中心部から鉄道事業を締め出す「市営モンロー主義」の旗揚げは1903年に日本初の公営電気鉄道として「大阪市営電気鉄道」が開業した時点とされているわけですが?...

1897年以降大阪市第1次市域拡張により大阪市を名乗った4大区の「縄張り」が広がり、同時に強権を発揮するようになり、これ以降は各鉄道は市域中心部(概ね現大阪環状線内側)に侵攻!できなくなりました!

「市営モンロー主義」の旗揚げは1903年

その後1903年 日本で最初の公営軌道「大阪市電」が「市営モンロー主義の旗印」を掲げて,

花園橋(現在の九条新道交叉点)⇔ 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)間5.1kmの築港線で走り出しました。

これを期に大阪市は「市営モンロー主義」を口実に一世紀以上にわたり「大阪城本丸開門」を拒み続けて、現在の大阪駅・梅田駅周辺への「私鉄ターミナル一極集中」を引き起こしてしまったともいえます。

つまり南海電鉄3路線(本線(及び天王寺支線)・高野線・上町軌道線)は「大阪市議会の市営モンロー主義宣言」以前から開業していた近畿で現存する唯一の私鉄事業者ということになります!

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第0節  年表で紐解く南海電車の難解な歴史?

ここをクリックすると本節をスキップして次節にワープ出来ます!

第1項 大阪4大区の「市営モンロー主義」旗揚げまで

※印は 南海以外の鉄道事業者

参※1874年5月11日  大阪 ⇔ 神戸駅間の鉄道開通と同時に大阪駅開業。

明治18年 阪堺鉄道開業!

1885年12月29日に現・南海本線 難波駅 ⇔大和川駅間が軌間838mmの軽便鉄道として初代・阪堺鉄道開業。

参※1889年5月14日開業の初代大阪鉄道(後の関西鉄道→国鉄関西本線→現JR大和路線)  湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開通し天王寺駅を開業した。

参※1895年5月28日:大阪鉄道 により天王寺駅 ⇔玉造駅間 (2M28C≒3.78km) が開業。桃山駅・玉造駅が開業し同年10月17日:玉造駅 ⇔梅田駅間 (4M29C≒7.02km) も延伸開業。京橋駅・天満駅・梅田駅がそれぞれ開業し。天王寺⇔大阪間がつながる!

1895年8月25日 南海鉄道設立

1897年 阪堺鉄道  難波駅 ⇔ 堺駅間を1067mm軌間に改軌。

住吉駅 ⇔ 堺駅間を複線化。

難波駅 ⇔ 尾崎駅間で阪堺鉄道と直通運転開始

1898年1月30日 当時の大阪高野鉄道により大小路駅(現在の堺東駅) ⇔狭山駅間が開業し同年4月2日には狭山駅 ⇔長野駅(現在の河内長野駅)間も延伸開業。

同年10月1日  阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡。(晴れて全線南海鉄道となる!)

1900年 大阪高野鉄道大阪市内乗り入れが実現

1900年9月3日 大阪高野鉄道道頓堀駅(どうとんぼりえき、現在の汐見橋駅) ⇔大小路駅間が開業しました。

※同年6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に吸収合併し、併せて梅田駅を官営鉄道の大阪駅に統合する。(大阪⇔天王寺駅連絡線完成!※現大阪環状線東側)

9月20日  大阪馬車鉄道(現阪堺電気軌道)が1067mmの軌道線(路面線)として天王寺南詰(天王寺駅前交差点付近) ⇔八弘社(現在の阿倍野駅) ⇔阿倍野(現在の東天下茶屋駅)間1.05マイル(1.7 km)を開業。

同年10月26日 南海鉄道 天下茶屋⇔天王寺駅間2.4kmの天王寺支線を単線で開業。

1901年10月5日:南海本線 住吉駅 ⇔天下茶屋駅⇔天王寺駅(関西鉄道)⇔大阪駅(関西鉄道)間で乗り入れ直通運転開始!

1902年までに 大阪馬車鉄鉄道 天王寺南詰 天王寺3(現在の大阪市天王寺区四天王寺前交差点にあった駅)間延伸開業。

第2目 1903年市営モンロー主義旗揚げで"大阪市の嫌がらせ"が始まる!

この時期を境に、大阪城築城以来の歴史を持つ旧大阪三郷"なにわ町衆"の市営モンロー主義一派(※91)による露骨な嫌がらせの歴史が始まりました!

1906年 鉄道国有化法が公布されそれまで天王寺から先の大阪駅まで乗り入れていた関西(かんせい)鉄道が国有化された!

1907年3月29日 大阪馬車鉄道から大阪電車鉄道株式会社に社名変更し、資本金を50万円に増額。

同年7月 南海本線一部区間(難波⇔浜寺間) 直流600V電化完成

同年10月29日 大阪電車鉄道株式会社から浪速電車軌道株式会社に再度の変更。同年11月 大阪市と軌道および車両の共用契約を締結。

同年11月11日 南海鐡道 天下茶屋駅 ⇔天王寺駅間も直流600V電化して電車併用運転を開始。

これに伴って、1901年以来実施されていた「関西鉄道乗り入れ、大阪駅直通運転」は終止符を打ち!南海本線沿線の大阪駅へのアクセスは天王寺駅乗り換えとなった!

1909年12月24日 浪速電気軌道株式会社が南海鉄道株式会社に吸収合併される。

1910年9月 大阪市との軌道共用契約に基づき上町連絡線用電動客車(チンチン電車)30両を新造!
上町連絡線・ 天王寺 ⇔住吉神社前(現在の住吉)間が大阪市電に合わせて軌間1435㎜に改軌および電化・複線化工事が完成。

同年10月1日 軌間1435㎜に改軌して電化した南海鉄道・上町連絡線が天王寺(西門前)⇔住吉神社前間で電車の運転を開始。

1911年1月29日 大阪市との軌道共用契約に基づき、上町連絡線の大阪市電・上本町線(1968年12月18日廃止) 天王寺西門前 ⇔上本町二丁目間および大阪市電玉造線(1961年11月1日廃止) 上本町二丁目⇔谷町六丁目間への直通運転を開始。
同年8月20日 上町連絡線の大阪市電への乗り入れ区間を延長して、大阪市電・谷町線(1944年6月1日廃止) 谷町六丁目 ⇔天満橋南詰までの直通運転を開始。

参※91)当サイト関連記事 大阪市における" 市営モンロー主義 "の起源と変遷 はこちら。

第3目 1911年11月21日 南海鐡道 南海本線 全線直流600v電化完成!

大坂では4例目となる郊外電車の全線電化は、1934年の関西地区省線(東海道線)電化の実に23年も前に果たされたことになります!

電化が早かったので、1973年10月の南海本線・高野線全線 1500Vに昇圧工事完成まで40年間も直流600v時代が続いたともいえます。

  • ●1912年1月12日 大阪市電全線の運賃均一制の実施のため、上町連絡線から大阪市電への乗り入れ契約を解除

※当時の片方乗り入れは、現在とは異なり、乗り入れ会社の運賃収入となっていた!つまり南海は区間制(距離制)をとっていたので、大阪市電の均一料金制とは矛盾が生じて!結果的に体(てい)よく旧大阪市街から追い出されたわけです!

  • ●同年2月13日 上町連絡線の大阪市電上本町線 天王寺西門前 ⇔上本町二丁目間、大阪市電玉造線 上本町二丁目 ⇔谷町六丁目間、大阪市電谷町線 谷町六丁目 ⇔天満橋南詰間への直通運転を廃止。上町連絡線が大阪市電と連結する役目を終え、「上町線」と改称した。
  • ●1921年12月24日 上町線 天王寺 ⇔公園東門間大阪市へ(仕方なく)譲渡。
  • ●同年:尼崎・平野線の道路建設を口実に、天王寺駅前停留場を0.1km(営業キロ)南側の現在地あべのハルカス前、当時の西成郡追い出す!

第4目 1922年 9月6日  南海鉄道が大阪高野鉄道、高野大師鉄道(未開業)を合併し南海鉄道・高野線となる

1925年3月28日橋本高野間を結ぶ「 高野山電気鉄道」設立。

※1929年7月18日:阪和電気鉄道(京阪系列!)により阪和天王寺駅 ⇔和泉府中駅間(13.0M≒20.92 km)、支線 鳳駅 ⇔ 阪和浜寺駅間(1.0M≒1.61 km)が全線複線1500V電化で完成。

※1930年6月16日:和泉府中駅 ⇔阪和東和歌山駅間 (40.3 km) が複線電化で延伸開業して阪和線全通。

1931年8月20日:天王寺支線;天下茶屋駅 天王寺駅間を複線化。

※1933年2月16日:天王寺駅⇔大阪駅間が直流1500V電化(※90)。桜ノ宮駅 ⇔大阪駅間が高架化。電車運転開始。

同日:国鉄・城東線の電化に伴い、南海本線→南海天王寺駅直通電車を増発。(※91)

※参同年5月20日:大阪市営地下鉄・1号線 梅田駅(仮)⇔心斎橋駅間 (3.1 km) が開業

※この時点で、電化方式が異なるために電車での直通運転は不可能になったが、乗り入れは汽車列車だったので、継続されていた。

※91)1935年0月30日には難波⇔梅田間に大阪市営地下鉄1号線(現御堂筋線)が開通し、さらに1938年(昭和13年)4月21日には難波駅 ⇔天王寺駅間 が延伸開業して、南海・難波(南海・天王寺)から大阪駅へは地下鉄ルートが開業していたが、地下鉄開業当時の運賃(※91-1)は天王寺乗り換え省線・城東線経由大阪駅ルートに比べかなり高額!だった。

第5目 1940年12月1日:阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、南海鉄道山手線となる

  • ※1941年(昭和16年)5月1日:西成線 大阪駅 ⇔西九条駅 ⇔桜島駅間が電化
  • ※1944年5月1日:国有化され国鉄阪和線が誕生。
  • 1944年6月1日 戦時統合により関西急行鉄道と南海鉄道、が合併、近畿日本鉄道となる。

参※91-1)当サイト関連記事 チンチン電車の市内均一料金に比べて高額運賃設定だった大阪市営地下鉄はこちら。

★第2項 難解な略年表 その2  戦後 の南海電気鉄道

  • 1947年3月15日 高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更。
  • 1947年6月1日 近畿日本鉄道が、旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道へ分離譲渡し現・南海電気鉄道の路線が確立。
  • ※1961年4月25日:国鉄・西九条駅 ⇔大正駅 ⇔天王寺駅間 (7.4km) が開業。
  • 城東線 (10.7km)、西成線 (大阪駅 ⇔ 西九条駅間 (3.7km))、野田駅 ⇔大阪市場駅間 (1.3km) を合わせて大阪環状線が誕生したが、この時点では西九条駅で外回り・内回りそれぞれ折り返しの「のノ字」運行だった。
  • ※1964年3月22日:大阪駅 ⇔福島駅間の複線化による全線複線と西九条駅が高架化西成線接続一体化が完成して、環状運転開始。同時に国鉄・新今宮駅が開業
  • 1966年12月1日:南海本線の今宮戎駅⇔ 萩ノ茶屋駅間に、新今宮駅が開業して国鉄・環状線との乗換駅になる。これ以降天王寺支線の乗客が激減した。
  • ※国鉄大阪環状線が開業し国鉄・南海「新今宮駅」が乗換駅として開業してからは、天王寺駅乗り換え内回り(旧城東線)利用で大阪駅に行くより新今宮駅乗り換え「外回り」の大阪環状線利用のほうが「大阪駅」には至便で、南海沿線住人はこちらを乗換駅として利用するようになった!
  • 1969年12月6日:当時大阪市営地下鉄堺筋線、天神橋筋六丁目駅 ⇔ 動物園前駅間 (7.0 km) が開業した。
  • 1972年1月10日:天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業、および都市計画が決定。

この間、南海電気鉄道が天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業に関連し、天王寺支線 天下茶屋駅 ⇔ 天王寺駅間2.4kmの廃止の方針を発表する。

  • 1973年10月10日:南海本線・高野線全線 600Vから1500Vに昇圧工事完成。
  • 1977年:天王寺支線貨物営業廃止。(※この時点まで貨物列車が走っていた!)
  • 1984年11月18日:天下茶屋駅 ⇔ 今池町駅間1.2kmが(地下鉄工事のために)廃止。

今池町駅⇔ 天王寺駅間が単線化。南海天王寺駅が今池町駅寄りに100m移転し、路線距離が0.1km短縮。

今池町駅と南海線(高野線)萩ノ茶屋駅間が徒歩連絡となる。

  • 1993年3月4日: 市営地下鉄・堺筋線、動物園前駅 ⇔ 天下茶屋駅間 (1.5 km) が開業し全通。
  • 1993年3月31日:南海天王寺支線さよなら電車を運行。
  • 同年4月1日:南海天王寺支線 今池町駅⇔ 天王寺駅間1.2km廃止に伴い、全線廃止。

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第1節 南海電車にとって『南海汐見橋線』とは...

たとえ、現在懸案となっている高野線の大阪市内区間の連続立体交差高架化事業が『大阪市の都市計画に組み込まれる事業で、建設費の大半を「道路特定財源=ガソリン税」で拠出するので、南海さんの自己資金調達はあまり心配ありません...』と甘い誘いをかけられたとしても、またぞろ交換条件で『ただし汐見橋支線?は天王寺支線同様に廃線にしてください!』などという交換条件が付いていたのでは、そうおいそれとは誘いに乗れないわけです!

というわけで、たとえ「なにわ筋線」(南海連絡線)が現行計画通り2031年に完成して、(新今宮と今宮駅の間から分岐して)新・難波駅地底ホームを経由して、JRとの共用本線区間に乗り入れたとしても...

「大阪市の獅子身中の虫」南海電鉄「出城」汐見橋駅汐見橋本線は、廃線にはならない!でしょう。

第1項 すれ違い列車も無いのに「複線」を"意地"?している本線!

南海が「超赤字路線」で、しかも列車交換も必要ないのに「複線」を"意地"管理している事実は南海だけに「難解」ですが?...

通称南海汐見橋線・汐見橋駅は

実情は1日の平均乗降客数575人(2016年)の"都会の秘境駅?"ですが...

通称南海汐見橋線は南海鉄道の誇りであり大阪市内の第2の拠点なのです!

「現存する在阪の唯一最古の私鉄・南海電気鉄道」の起源の一つである大阪高野鉄道が20世紀とともに大阪市内乗り入れを果たした記念すべき「出城」 なのです!

1985年6月16日岸ノ里駅構内で路線分断して以来は...

1925年(大正14年)3月15日の岸里駅東連絡線(短絡線)開設以来 難波駅乗り入れを開始して、1929年には高野線全列車が難波駅始発となり、さらに1985年6月16日岸ノ里駅構内で南北に路線分断さてれて実質盲腸線となりましたが...

現在でも汐見橋駅は"0kmポスト" を持つれっきとした『南海高野線の始発駅』です!

すれ違列車は来なくても「立派な複線!」

営業キロ;4.6㎞ 途中駅;3駅、所要時間;約9分

5時55分/岸里玉出駅発(6時10分/汐見橋駅発)の始発から終電22時代まで21時代(21:30発)を除き汐見橋発毎時10分&40分発で運行されている路線!

たった1編成(2両連結)の同じ電車が行き来しているだけで、単線でも充分な「すれ違い列車の無い!」の大都会にある超ローカル線!ですが...

第2項 「繁華街ミナミ」は汐見橋まで伸びてくる!

もう少しの間 辛抱強く我慢すれば「繁華街ミナミ」はきっと汐見橋まで伸びてくるでしょう!

帝都・東京で行われている「都心部乗り入れ前の分岐」の優位性から考えても、「高野線」汐見橋本線!は南海にとっては"切り札的路線"であり、単なる捨て石の「ローカル支線」ではないのです!

(※次項は当サイト関連記事 大阪の表玄関・梅田界隈と大歓楽街ミナミを結ぶ"目抜き通り"の変遷より一部転載した記事です)。

嘗ては陸の孤島だった桜川エリア

難波⇔大正間の大阪市電が廃止された1964年から1970年までのこのエリアは「陸の孤島」状況で正しくarea(空き地)同然でしたが、1970年の千日前線開通、 2009年(平成21年)3月20日の阪神なんば線開業以来桜川周辺はアクセス至便ゾーンに生まれ変わっています!

このエリアへの「商業施設」進出は(令和元年現在)さほど顕著ではありませんが、将来的には「商業ゾーン」として期待できる一帯です。

南は東西?に広がりだしている!

地図をご覧いただければお分かりの様に、御堂筋(心斎橋筋)の南北筋と、千日前通り(道頓堀)の東西通りの交差点「大阪難波」を中心にして商業エリアが東西に広がってきています!

●緑のラインがウッドデッキ

また2000年頃から大阪市開発公社の手によって道頓堀の両岸に整備されてきた遊歩道とんぼりリバーウォーク (※01)が、現在はJR難波駅前にある「なんばハッチ」と対岸を結ぶ"歩道橋浮庭橋"で終わっていますが"汐見橋"までは残り僅か800m!

この区間にウッドデッキが延長されて道頓堀川両岸が再整備されれば、両岸には商業施設・飲食店が進出して、千日前通りにも四ツ橋筋同様に「オフィスビル」が立ち並ぶようになるでしょう!

参※01)2012年4月からは大阪市から南海電気鉄道に管理と各種イベントなどの運営が委託されています。)

阪神なんば線開業で未来が開けた!

阪神なんば線開業で、以前からあった"いじわる"「地下鉄千日前線」桜川駅よりもずっと近い"すぐ目の前"に阪神・桜川駅が開業した今、さらには2037年頃にはリニア中央新幹線もやってくるかもしれません?(※02)

そうなれば今は「マンション」などが立ち並ぶこの辺りも、「四つ橋筋」同様に商業街に生まれ変って通勤客や昼間の「買い物客」の人通りも増えて、1900年の大阪高野鉄道「道頓堀駅」開業当時以上の賑わいを見せるのは間違いありません!

更に、「絶対に損をしない阪急商法」(※03)で知られる阪急・阪神ホールディングスの一員阪神電車が"なにわ筋線開業"に合わせて?2032年完成予定で、淀川橋梁架け替え事業を行っています!

勝算が無ければ"絶対に投資しない"親会社"が許可を与えた架け替え事業です、阪急・阪神ホールディングスは今後ともにミナミが反映する確実な情報を得ているのでしょう!

更に、不動産事業を展開するために、グループで秘密裏にミナミ一帯(日本橋・桜川周辺の千日前通り沿道)の用地取得を行っているでしょう?

嘗て、阪急梅田駅(3番街)造営!プロジェクトの時も「極秘裏」に用地取得を成功させています!

※02)当サイト内関連記事 中央リニア新幹線は名古屋駅→奈良駅→"大阪・難波"終着ルートで... はこちら。

参※03)当サイト関連記事 『絶対に損はしない 阪急 商法』...日本の私鉄におけるフィロソフィー抗争?の歴史はこちら。

第3項 デジタヌのボヤキ

第1目 なにわ筋線 が当初計画通り汐見橋線接続だったら

  • 緑の電車マークは親切駅!(&起点駅)
  • 青い線がなにわ筋線

当初案だったら、南海さんは小額投資ですんで、しかも現在の汐見橋(桜川)駅を"なんばパークス"のような商業施設"桜川パークス"に出来て、ミナミの第2ターミナルとして桜川周辺を商業ゾーンに生まれ変わらすことも可能だったでしょう!

前途した連続高架事業1㎞あたり146億円/km、を汐見橋支線 岸里玉出⇔汐見橋間4.6㎞に当てはめるた場合の南海電鉄の負担金は、

総事業費 約672億円! 都市計画指定が受けられると、南海電鉄負担は7%約54億円!

第2目 なんば地底ホーム新設案では...

周辺が開発しつくされた南海「なんば駅」地下60mの地底に、地上15階建て相当の(商業施設テナントも入らない)"巨大空洞"を作るために、建設負担金直接負担金185億円も拠出させられて、新今宮から南海連絡線を引かされた挙句...

(高野線山岳地帯用の)ズームカーしか入線できないような44‰の急勾配では、サザンも、泉北ライナーも一般形通勤電車も入線できなく、"看板列車のラピートは全車両新車更新!しなければならない!

こんな「追加投資のおまけ」までついている"なにわ筋線"に変更されてしまって、どこによいところがあるというのですか?お気楽な"鉄オタ"の若い衆...

これはもう「大阪・梅田新都心計画」を強引に推し進めている「大阪市都市計画局」と、御堂筋の未動化・廃道計画を推進している「御堂筋完成80周年記念事業推進委員会」シンジケートのミナミ壊滅作戦!(※96)の陰謀としか言えません!

参※96)当サイト関連記事 2032年 なにわ筋線 開業で 御堂筋沿道オフィス街は大阪・梅田新都心に移り 御堂筋 は" 廃道 "に! はこちら。

  • グリーンラインピンクレッド は御堂筋新線
  • マルーン色は阪急新大阪連絡(しま)セン

第3目 事業免許は届け出だけで...

鉄道の事業免許は「届出」だけで無かった事(廃止)にできます!

今からでも、なにわ筋線事業取り下げは可能ですから...

一度 御堂筋新線 案を役員会に諮って...

もう一度役員会議にかけて、計画を見直して、嘗ての1957年5月20日の西横堀川線申請の初心に戻って、阪急電車さんと共同で「御堂筋新線」(※97)を再度申請なさってみてはいかがでしょうか?

南海本線今宮ジャンクション⇔阪急十三間8㎞の「御堂筋新線」(※97)なら2,500億円!で建設できます!

更に、今の大阪市(交通局)にはお金(税収)が無いので、1955年当時のように、並行当て馬(いやがらせ)路線を独自申請できるような資金(財源)もありません!

さらに、"やとう自民党市議団"も、"自分たちの利益"につながるので、反対はしないでしょう!

既に事業受け皿として 2001年7月10日設立の3セク 西大阪高速鉄道株式会社(阪神なんば線の持ち主)があり、全く荒唐無稽なお話ではありません!

むしろ、最急勾配44‰の急勾用用車両を新造する方が、荒唐無稽で滑稽な"ジョーク"ではないでしょうか?

一般 株主 の皆さんも"欲々"考え直されたほうが...

参※97)当サイト関連記事 御堂筋新線構想 が 御堂筋廃道 計画のおかげで実現できるかも?...  はこちら。

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第2節 道頓堀歓楽街の興行主たちの住まい住吉郡との通勤手段としての始まり

第1項 南海が難波に侵入できた「難解」な答えは

1879年(明治12年)の郡区町村編制法により難波新地(現難波)は"大阪府南区!"に含ま"その後1889年の市制施行によって、大阪市南区となりました。

阪堺鉄道として"大阪府"にし申請・開業した1885年当時、は大阪府南区で大阪市ではありませんでした!

南海鉄道誕生当時、住吉区・阿倍野区(1943年旧・住吉区より分立)などは存在していなく、1897年 の4大区の周辺侵略!(第1次市域拡張)で道頓堀川以南の難波新地が南区に侵略!されるまでは、大阪府下でした。

JR以外の旧民鉄では南海電鉄のみが中心部「ミナミ」に侵攻出来て、阪神・阪急・京阪・近鉄の各社が「市営モンロー主義」を表明する旧4大組の"縄張りへの"乗り入れを拒まれた理由はこれです!

つまり、1889年の市制施行以前の、当時の4大区(東・南・西・北区)は大阪府に属した別々の"自治組織"で、1889年以後の大阪市となってからの4大区ほどには強権を発揮していませんでした!

第2項 その後の南海の鉄道事業に絡む"重要なキーワード"大阪府との強い絆!

社史のなかにも挙げられている「大阪府(1868年旧暦5月2日誕生)との強い絆」は創業時から現在に至るまで変わらない!

言い換えれば、起点;難波駅のある1889年誕生の大阪市旧・南区(現中央区・浪速区)、そして通過する大阪市・住吉区(1925年誕生)などは相手にしておらず?終始一貫して大阪府との「協調体制」路線を敷いてきたわけです!

現存する我が国初の民間鐡道・南海鐡道(現・南海電気鉄道)の生い立ち 

...明治15年(1882年)大阪-堺間鉄道会社の設立を見るに至って、ここに純然たる民間事業として日本最初の私設鉄道が生れたのである。...

...大阪市南区難波新地(※1)を起点として、天下茶屋・住吉を経て堺に至る延長11km余の狭軌(838mm)鉄道敷設を計画した。...

...明治17年(1884年)2月4日付を以て当局に願書を提出した。 同年(1884年)6月16日設立許可の指令を得て、資本金25万円、...株式2,500株...会社は創立されたのである。
 同年(1884年)11月社名を阪堺鉄道会社と改定した。...

土地買収についても大阪府庁に依頼して便宜を得、工事施行に当っては当時関西屈指の事業家たる藤田組に委託した。 ...、明治18年(1885年)2月起工、同年12月には難波-大和川北岸間の竣工を見た。

 同月14日、臨時株主総会を開いて定款の改正を行い、...ここに会社の基礎は確立した。
明治18年(1885年)12月26日開業免許を受け、...翌々日即ち29日より難波-大和川間の運輸営業を開始した...

<開通五拾年南海電鉄発達史 昭和10年刊 大正期鉄道史資料第Ⅱ期第10巻の復刻版より引用>

第3項 旧・南海鉄道が通過した現住吉区は...

1925年になって旧住吉郡全域(平野郷町、喜連村、北百済村、南百済村、田辺町、依羅村、墨江村、住吉村、安立町、敷津村、長居村)と旧東成郡"天王寺村"のエリアで誕生した区です。

大阪市の第二次市域拡張に伴って天王寺区、浪速区、港区、此花区、新市域に西成区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区が設置されて、大阪市が13区となった時に「東成郡全域が大阪市に編入」された時に生まれた区なのです。

一方1881年(明治14年)誕生当時から安立町にあった「住吉郡役場」は、「住吉郡」が1896年(明治29年)に東成郡に統合されて、この時点で住吉郡もろとも無くなりました。 

1897年 には4大区による第1次市域拡張(侵略)が行われて面積:55.67 km2、人口:約75万人となりました。

1898年になって 市制特例(※4)が廃止されて、府庁舎から大阪市役所が独立して今の場所に移りました。

第4項 澪標の鐘を鳴らし続ける人たちが懐かしむ旧4大区

しかしその後は4大区の横暴ぶりはエスカレートする一方で...1925年 の第2次市域拡張(侵略?)で初めて旧4大区(東区・西区・南区・北区)以外の天王寺区、浪速区、港区、此花区、西成区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区が設置されてようやく13区・人口約211万人の大阪市となりました。

ようやくこの時点で市議会議員も各区からほぼ均等に選出するようになり4大区の独走はやや抑えられました?が1925年以降も「本家大阪市」として市役所・市議会で絶大な影響力を行使していました!

4大区はその後も戦時中の1943年になるまで大阪府・大阪市・配下の自治区(自治体)として残り、大阪府・大阪市とは一線を画した「モンロー主義の砦」として既得権益を行使していました。

敗戦後の1947年になってやっと大阪市長が「公選制」となり第11代 近藤博夫 市長が初代公選大阪市長となりました?(大阪市長は長らく、ほぼ4大区出身者で固められている大阪市議会議員が仲間内の市議から選出していました!)

※参4 1889年に誕生した大阪市は1879年以来続く各々独立した自治体4大区の寄り合い所帯?として1898年まで長らく"市制特例"で市長は置かずに大阪府知事が便宜上の市長職務を兼任していました。

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第3節 旧4大区モンロー主義者たちとの攻防の歴史!

江戸時代の自治組織「大阪3郷」から続く旧4大区を、牛耳ってきた"なにわ商人"・町衆の南海電車迫害の歴史!

第1項 旧・南海鉄道・上町連絡線を旧南区から締め出す!

「南海鉄道・上町連絡線(現阪堺電気軌道上町線)を大阪市内南区(現天王寺区)から追い出す!」

略年表2の通り1912年(明治45年)1月12日 上町連絡線から大阪市電への乗り入れ契約を解除させられ、同年2月13日 上町連絡線の直通運転が廃止となり「上町線」と改称しました。

1921年12月24日迄はリアル天王寺駅前!にあった「天王寺駅前」電停

上町線・天王寺⇔ 公園東門間の路線を大阪市(旧4大区の南区現天王寺区(※21))へ割譲させられた上に、さらに大阪府道「尼崎・平野線」の道路建設を口実に、天王寺駅前停留場を0.1km(営業キロ)南側の当時の西成郡天王寺村だった現在地(あべのハルカス前)に追い出されました!

なんのことはない当時「市営モンロー主義」の居城"中ノ島城"内にあった当時の南区(現天王寺区)から、「目障りな上町線」を大阪府下であった住吉郡の新・天王寺村へ追い出した!訳です。

現在阿倍野区の近鉄・大阪阿部野橋駅前に堺電気軌道上町線の「天王寺駅前?」停留所があるのはこのためです!

※参21)当サイト天王寺区ヒストリアはこちら

第2項 過去に 大阪・梅田延伸を計画して申請までしていた!

1956年10月の当時の運輸省の諮問機関「都市交通審議会」(※10)に現在の大阪メトロ四つ橋線とほぼ同じルートの案を提示していた!

1957年5月20日 今宮戎付近⇔梅田間の路線(西横堀川線)を申請!

四日後の「都市交通審議会」で審議対象となったがこの時は未裁定。

その後大阪市交通局が急遽 大国町⇔西梅田間の地下鉄3号線(現在の四つ橋線)延長計画を策定して翌年の審議会で審議対象に!

1958年3月の「都市交通審議会」では建設主体が明記されないまま両社の計画は一本化の方向で進めるように答申(提案)。

1962年3月 大阪市交通局の"ごり押し"で地下鉄3号線を延長を支持する「答申」が公表。

同年9月、南海は西横堀川線の路線免許申請を取り下げてしまう!

参※10)当サイト関連記事 インフラ整備の大義名分?『 審議会 』と『答申』 なる代物の有効性は?はこちら。

第3項 狡猾な「市営モンロー主義」一派は...

鉄チャンが心配する?汐見橋線の"鉄道免許召し上げ!"、廃線問題可能性については全くゼロと言う訳ではありません!

後述するように令和元年現在 1960年当時の岸里玉出以北の連続高架事業の時と同様に、大阪市南部で唯一残された"踏切路線"南海荒野?線の連続立体交差事業(都市計画)と交換条件に汐見橋本線廃止を迫られている可能性はあるにはあります。

弱り目に祟り目状態だった1960年当時の南海電鉄

前途した天王寺線廃線時に大阪市の言い分通り堺筋線乗り入れを諦めさせられた上に、天王寺支線の免許まで召し上げられた背景には...

"餌"として岸里玉出⇔新今宮間の連続立体交差都市計画事業をちらつかせて、更に当時大阪市と犬猿の仲であった大阪府が、目前に迫った万博輸送サブアクセス堺筋線建設問題の決着を焦って、代償としての救済策・泉北高速鉄道乗り入れ(※12)を確約したからでしょうが...。

本当のところは1960年代当時の南海は不運(事故)が重なり、さらにマスコミが煽った為に、南海に対する「世間」の風当たりも強く、金(自己資金)も集まらなくて弱気になっていたのでしょう?...

天下茶屋周辺の連続立体交差事業も、困るのは大阪市で、焦らなくても最後は向こう(大阪市)が歩み寄ってきて折れたはず!でした。

どうせ乗り入れできない(標準軌の)堺筋線など"どうでもよかった"から"意地"でも天王寺支線を「休止路線」で"維持"していれば、なにわ筋線計画も、もう少しマシな代物になっていたことでしょう!

※12、本サイト関連記事 泉北高速鉄道建設のいきさつ《 コラム2017 》 何故乗り入れ相手が市営地下鉄ではなかったのか? はこちら。

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第4節 大阪市に対する南海電鉄の持つ根深い不信感!

第1項 『天王寺支線の二の舞』はもうこりごり!

略年表2、をご覧になられる限りは「盲腸線(天王寺支線)切り捨て」が南海電鉄の都合で行われた」...ように思われるかもしれませんが史実はそうではありません!

1962年、都市交通審議会の大阪部会(※22)から「大阪市高速鉄道第1号線の輸送限界に対処する方策について」...が出され、...最混雑区間のピーク混雑度が300%(※23)に達する...1号線(御堂筋線)の混雑緩和策として、...平行して3号線(四つ橋線)の梅田付近への延長と、天神橋 - 天下茶屋間の新線建設を緊急に行うよう提言され、大阪市でもこれらの路線を盛り込んだ計画が決定された。《Wikipediaより引用》

「大阪市でもこれらの路線を盛り込んだ計画が決定された」という風に記述されていますが...、最初から大阪市が「でっち上げた素案」を審議会が検討したに過ぎません!

※22「都市交通審議会」とは「鉄道事業者から出された計画案」の実現性を検討・精査し、答申(審議結果)を提言(報告)するだけの機関で「指導力も拘束力」も持たないただの「外部機関」です!

※23、戦前から通勤電車の設計基準として想定満員(許容人員)は定員の155%が広く用いられており、現在は帝都東京でしか見られなくなった300%は殺人的混雑の範疇に入ります!

さらに

1962年に大阪市営地下鉄第6号線が天神橋筋六丁目 - 天下茶屋間で計画された当初、南海電鉄と乗り入れるか、阪急と乗り入れるかが協議されたが、吹田市で万国博覧会が開催されることが決まったため、阪急と直通することになった。両社の軌間(阪急は 1435 mm、南海は 1067 mm。...(と)架線電圧も阪急は 1500 V、南海は1973年まで 600 V と異なっていた)などが異なることから、...三線軌条ないしは四線軌条を採用して、両者の電車を直通させる案も出たが...<Wikipediaより引用>

と続いていますが、大阪市(交通局&自民党市議団)は、当時は最初から実現不可能と判っていた「堺筋線乗り入れ案」を餌にして?南海天王寺支線廃止を迫り、さらに「計画倒れ」に終わりかけていた「なにわ筋線」妄想?を"撒き餌"に実質大阪駅(都心部)乗り入れを不可能にさせた!に過ぎません。

expo'70大阪万博開幕までに間に合わすため

またこの相互乗り入れ案は、開通期限(1970年の日本国博覧会開幕前)に間に合わすための着工限度ぎりぎりの状況まで話し合いがつかない状態でした。

そこで焦った主催者大阪府が「都市交通審議会」に異例(権限外)の仲裁を要請して、南海が折れて動物園前駅 ⇔天下茶屋駅間 の延長問題を棚上げにした状態で、阪急・市営地下鉄2者間の相互乗り入れ方式で仮決着がついて、とりあえず天神橋筋六丁目駅 ⇔ 動物園前駅間を着工して1969年(昭和44年)12月6日に この区間のみが開業した経緯があります。

このドタバタ喜劇!のせいで地下鉄御堂筋線中百舌鳥駅延伸計画(※24)も宙に浮くことになったわけです!(※関連記事はこちら

参※24)当サイト関連記事 泉北高速鉄道は、何故大阪メトロ御堂筋線と繋がらないで、南海高野線と繋がっているのか? はこちら。

第2項 開業後14年間!も"網棚"に置き去りにされた堺筋線の南海・天下茶屋駅延伸事業

動物園前開業後12年も棚上げ状態だった市営地下鉄・堺筋線、動物園前駅 ⇔ 天下茶屋駅間 (1.5 km) 延伸問題は...

「南海電鉄1社の都合判断?」と言うことにして天王寺支線 (天下茶屋駅 ⇔ 天王寺駅間2.4km)を廃止する方針が1972年1月1マスコミにニュースリリースされましたが...

事実は天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業にかかわる都市計画(大阪市の資金援助)と交換条件に大阪市交通局が1972年1月10日に南海・天下茶屋駅 ⇔ 今池町駅間1.2kmの鉄道免許を召し上げたにすぎません!

この間、現在の主要乗換駅"新今宮駅"が誕生したのは...

城東線と西成線とを関西本線貨物支線延伸で結んだ大阪環状線が生まれたのが1961年4月。

旧国鉄時代にJR新今宮駅が誕生したのが西回りの西九条駅が高架化で環状運転ができるようになった1964年3月、南海新今宮駅が開業したのは1966年12月になってから!

1982年大阪市が「なにわ筋線」計画を公表して!

1984年11月18日に動物園前開業した1970年のから14年以上!も過ぎて動物園前駅 ⇔天下茶屋駅間 (1.5 km) が「南海の鉄道免許を譲り受けた形」で、着想後22年も経過してやっと着工されたわけですが...

そして11月27日には"市民に親しまれてきた日常の下駄?路線"天下茶屋駅 ⇔今池町駅間1.2kmの天王寺支線は廃止されました!

さらに10年近くの難工事の末にやっと1993年(平成5年)3月4日になって、計画以来実に31年も経過してから堺筋線が全線開業して南海天王寺支線は全線廃止となり歴史を閉じました!

誘いに乗らずに天王寺支線を"意地"していれば、もっと早い時期に大阪駅まで...

この間に「撒き餌」であった「なにわ筋線」計画は"うやむや"となり!

実質大阪駅(都心部)乗り入れを不可能にさせた!に過ぎません。

1987年4月に発足していたJR西日本(旧国鉄天王寺鉄総管理局)とは旧知の間柄(親戚?)でもあり、天王寺駅構内配線を変更すれば1907年11月以来途絶えていたJR大阪環状線(旧城東線)への乗り入れも、十分可能だったでしょう!

事実1994年6月開業の関西空港線の"りんくうタウン駅⇔関西空港駅"間6.9km(新関西国際空港が第3種鉄道事業者)ではJR西日本と仲良く線路を共用しています。(営業は別扱い)

なので、JR西日本も車両のやりくりも楽になるし「輸送密度」の低い大阪環状線!への片乗り入れにも応じてくれたでしょう!(2020年現在大阪環状線は赤字路線です!)

1984年11月18日の堺筋線・延伸工事着工時には...

略年表2の通り、1973年10月10日には南海本線・高野線全線はそれまでの直流600Vから1500Vに昇圧工事を済ませており、1984年11月18日の堺筋線・延伸工事着工時には阪急・市営地下鉄連合と架線電圧は同じになっていました。

万博が終わってから四半世紀24年も経過していた着工時には、当初計画通り「天神橋筋6丁目」までの「地下鉄区間のみの相互乗り入れ」なら技術的ハードルもさほど高くなく、この区間の工期(8年半)から考えても、営業運転に差し支えのない夜間工事だけで動物園前⇔天神橋筋6丁目間は相互乗り入れ対応改修工事が行えたはずです!(※8)

※参8、前途したように当初計画案の通り駅間を3線軌条として、駅構内プラットホーム部分のみ4線軌条とすれば、車両限界建築限界共に十分クリア出来ていました!、さらに阪急電車は、南海電車に比べて小型なので、ホーム部分も3線軌条でOKだったかも...

また線路幅(軌間)の違いだけではなく両社のATSの違いも問題視されましたが、当時は既に両者対応が十二分に可能な時代になっていました!

スイスルツェルン近郊線での実例

SBB(軌間1435mm)とツェントラル鉄道(軌間1000mm)の相互乗り入れ区間の様子、

右側の対抗線に注目!、地下新線(3選軌条区間)が駅手前で4線軌条となり、ホームとの間隔を一定にしています!

第3項 すんなりと「なにわ筋線」計画にも乗り切れるわけが..

これだけ大阪市(本庁舎モンロー主義者一派)から「虚仮(こけ)」にされ続けていれば、『はいそうですか』と言ってすんなりと「なにわ筋線」(※33)計画に乗り切れるわけがありません!

旧・帝都高速度交通営団(東京メトロ)路線拡大の経緯と比べれば、旧大阪市交通局・大阪市営地下鉄路線網拡張の歴史は「市営モンロー主義」を「錦の御旗」にして、「在阪私鉄」の大阪市中心部(旧4大区)への乗り入れ、連絡鉄道の建設を阻んできた歴史といえます!

鉄道事業主体(運営)が民営化され「大阪メトロ」となっても、相変わらず裏で糸を引くのが「大阪市都市交通局」では、「なにわ筋線」建設計画(※34)に「ハイそうですか」とそう簡単には乗り切れないわけです。

※33、当サイト内関連記事 2032年 なにわ筋線 開業で オフィス街は大阪・梅田新都心に移り 御堂筋 は" 廃道 "に!本町辺りの沿道は都心の"ビニールハウス街!"に... はこちら。

(※34)なにわ筋線についてはJR東西線の事業主体、関西高速鉄道(株)が第3種鉄道事業者となっています。

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エピローグ 汐見橋支線を複線のまま残しておく真の理由は

とここまでは鉄学(哲学;レール・ソロフィー)にあふれた鉄オタデジタヌの"妄想・ドリームファンタジー!"でしたが...

実際には、甘っちょろい"ロマンティシズムだけでは民営鉄道事業は成立しません!

★第1項 たとえ御堂筋が廃道になろうとも..

北区中之島にある大阪市本庁舎で、「みおつくしの鐘」を慣らし続けている「元大阪4大区」の権化・化身「大阪市都市開発局」が中心となって推し進めている「大阪・梅田新都心」事業成功の為に、

「御堂筋完成80周年記念事業推進委員会?」(※02)というシンジケートの暗躍で、名前とは裏腹に進めている「御堂筋廃道計画!」が成功しても千日前通りは残ります!

前途したように、ミナミは千日前通りに沿って東西に広がってきています!

参※02)当サイト関連記事 『 御堂筋完成80周年記念事業推進委員会 』は80執念を記念して御堂筋を廃道にするための特攻部隊!はこちら。

千日前通りがメインストリートに

つまり見捨てられた廃墟オフィス群の連なる御堂筋から「活気のある千日前通り」にメインストリートが移るだけで、ミナミは発展し続けるでしょう!

おまけに「なにわ筋線」のおかげで、東西南北の鉄路は全てダブルトラックとなり、関空・新大阪・奈良・神戸(姫路)がダイレクトに繋がって、大阪一の交通の要衝となって大発展を遂げるはずです!

"都市は生き物"です、為政者の思うように物事は進みません!

仕組まれた新都心「キタ」とは違い「庶民の活力」で発展してきたミナミは南海と共に発展し続けるでしょう!

第2項 私鉄経営理念に気づくのが遅かった?南海電車

小林一三師匠が広めた"民鉄経営哲学"『絶対に損はしない阪急商法』(※91)では、「鉄道事業は利益を引き込むポンプ」でしかありません!

つまり真の狙い(儲け口)は、デベロッパー事業(不動産開発)です!

前途したように、ミナミは東西に広がっており、桜川(汐見橋)周辺はそう遠くない近未来には必ず商業ゾーンになります!

参※91)当サイト関連記事 『絶対に損はしない 阪急 商法』...日本の私鉄におけるフィロソフィー抗争?の歴史はこちら。

第3項 南海の目論見は...

現状残念ながら南海・本線・高野線(泉北高速線)両沿線共に少子高齢化の影響を受けて通勤・通学需要は縮小傾向にあります。

しかし、「関空効果」は今だに続いており沿線開発が好調な「南海本線」の旅客需要は今後横ばいもしくは微増するかも?...

「それを見越して」大和川以北の一部区間はすでに複々線化されています!

しかし、南海本線・高野線が合流する岸里玉出以北は、これ以上増線が不可能な状態で「岸里・玉出⇔難波」間の輸送力増強には限度があります!

そこで今後"南海本線"の需要如何によっては「汐見橋支線」の"南海本線復帰再利用"も考えられるわけです!

第1目 大阪での公営交通と民営鉄道の壮絶な戦い!の歴史は...

前途した南海鉄道への嫌がらせも含めて、大坂では本来は"公益重視"であるはずの「市営交通事業」が旧4大区の元商人たちの既得権益の温床となって、「民営鉄道」事業者との間で、住人そっちのけの激しい"利権抗争劇"(※92)を繰り広げてきたわけです!

参※92)当サイト関連記事 大阪市における" 市営モンロー主義 "の起源と変遷はこちら。

その1)南海グループは沿線に未活用?の広大な不動産を所有している

汐見橋支線沿線には現在商業施設に貸与中の「旧汐見橋駅構内貨物線ヤード」(※93)を含め、広大な敷地(空き地)を南海グループで保有しています。

つまり、阪神なんば線開業のおかげで、汐見橋駅(桜川)周辺の交通アクセスが良くなった今!

買い手が付かないで処分もできずに困っていた遊休地!が俄然お宝・埋蔵金に代わってきたわけです!

参※93)現在運輸業者の宅配センターや「カー用品量販店」は、いずれも借地契約と上物リース契約で営業している施設です。

つまり時期が到来すれば、「南海不動産」がオフィスビルを建設して、「商業施設のテナント事業」を開始できる駅前の一等地なわけです。

その2)新線建設(輸送力増強)には手厚い国庫補助が得られない!

輸送力増強のための増線・新線建設は、利益誘導路線と見做されて、手厚い国庫補助対象(都市計画事業)としては認められません!

分かりやすく言うと、単線を複線に復活する事業は都市計画事業の対象外!となります。

だから、いま単線化すると、将来市内第2ターミナルとして汐見橋周辺の再開発事業を行う時に、必須となる"連続立体交差化事業"の際に"複線復活が出来なくなる"わけです!

なので、JR西日本も、京都市内の奈良線複線化事業(※95)を頑張って行っているわけです!

世間知らずのお気楽な「鉄オタ」の若い衆たちでは理解できない?かもしれませんが、

2021年現在 南海電車と堺市が国庫補助の下に行っている、総事業費423億円の諏訪ノ森駅⇔浜寺公園駅区間2.9㎞、の南海本線連続立体交差事業では、南海電鉄負担額はたったの8%!(33.8億円)で済んでいます!

つまり『大人をなめてはいけません!』という教訓話です...

参※95)実際に本四連絡線(宇野線)の岡山⇔大元間は、この問題でボトルネックとなっています!

更に最近では、2021年3月に完成した東武アーバンパークラインの、清水公園⇔愛宕⇔野田市⇔梅郷間 4.3kmが複線化用地取得済なのに、都市計画事業として単線で高架化されてしまいました!

現在積極的に設備増強されている東武鉄アーバンパークラインでは、今回高架化された前後区間(春日部⇔清水公園、梅郷⇔運河間)については、今世紀前半には複線化されるでしょうが...

今回連続立体交差化された区間4.3㎞は、ボトルネックとなって残ってしまうでしょう!

当サイト内関連記事 JR西日本 が京都市内の 奈良線複線化 に熱心な訳は... はこちら。

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《なにわ筋線 のscheme(たくらみ) 》関連記事のご案内 

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後書き《 都市計画とは...》シリーズについて

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嘗て、高度成長期に一世を風靡した近隣都市と連携したメガロシティー(都市圏)構想がすっかり影を潜めて?

昨今は、地方の中核都市ではコンパクトシティーがトレンドとなり、

職住一致環境の構築で『災害時の帰宅困難者』問題や、

過剰なインフラ整備への公共投資を軽減する方向に向かっていますが...

コミュニティーを構成する個人は十人十色で、為政者の思い描くような方向には、都合よく向かってくれないのも実情です!

"統治"に重点を置いた都市計画(道路計画・町割り計画)では、時々刻々と変化する社会情勢(経済活動)に迅速に対応できなく、

特に、今後も一極集中が進むであろう首都圏では"柔軟な展開"が図れるような、"フレキシビリティ"が必要でしょう!

首都圏では

首都圏では、旧河川に下ずいた複雑に入り組んだ行政割りを、見直す時期にもなってきているのではないでしょうか?

特に今後も発展(一極集中)を続ける首都圏では、各行政当局がローカルエゴを捨てて、"首都圏州"構想を前進させたほうが、首都圏全体のインフラ整備・一元化が円滑に行えて、日本の将来の為になるかもしれません!

首都圏以外の"地方都市"では

地方の中核都市(大都市)郊外の衛星都市(ベッドタウン)では、少子高齢化と中核都市にある都市への住人回帰(転出者)による、"過疎化"

にどう対処するか?

更に、嘗て高度成長期を支えてきた"重厚長大産業"と共に栄えてきた、地方の産業都市にとっては、安価な発展途上国製品に押された生産量減少、とリストラによる就労者減少の影響、による財源(税収)減少に伴う都市衰退にどう対処するか...

各市町村がバラバラに都市計画を策定するのではなく、周辺都市との合併も視野に入れた、高域活性化策(広域都市計画)が求められているのではないでしょうか。

鉄道神話と箱物行政に別れを告げて、インフラ(道路)整備に重点を

安直な箱物行政の時代は過去の幻影となっています!

もう一度国家の基盤は"物流・道路行政"にあることを思い起こして、大局的な見地が必要となってきているのではないでしょうか?

狸穴総研 政経調査室 出自多留狸

※脚注 関連団体 ♥問い合わせ先 リンク集

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関連団体リンクテーブル 

年表に示しましたように、起源となる初代・阪堺鉄道は、新興勢力の地元プロモーターいわゆる「興行主」つまり少々"怪しげな人たち"が出資しあって興した会社です。

この伝統は、今も引き継がれているようで?、お堅いはずの鉄道会社にしてはかなり怪しげな会社を傘下に持っています。

今回このコラムの起筆に当たって小生が、電鉄本社広報に天王寺支線について一部不明な点を問い合わせたところ、『当社の社史に関する質問に関しては一切お答えできません!』と断られました!...

今でも個人株主にXXX関係者がかなりいらっしゃるのかもしれません?

 

公開:2019年2月24日
更新:2022年7月 5日

投稿者:デジタヌ

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