タヌキがゆく(狸穴総合研究所)

南海 汐見橋線 は なにわ筋線 が通らなくても 廃線 にはならない!輝かしい未来を信じて活き続ける...

なにわ筋線 が開通しても 汐見橋線 は決して廃止 にはならない!"0"㎞ポストを持つ南海 高野線のれっきとした始発駅!大阪市内第2のターミナル高野線始発駅汐見橋駅はいわば南海将来の布石!

赤字路線を維持(意地)し、おいそれとは 廃線 にしない 南海電車 の自負・と誇りについて過去の歴史的背景や状況証拠?からつづった一文。そう簡単には「汐見橋本線!」の鉄道事業者免許を手放さない強い決意!とは...

プロローグ 当初計画案では汐見橋駅が「なにわ筋線」南海乗り入れ起点駅だった!

汐見橋駅は、2017年5月23日に大阪府・大阪市・JR西日本・南海電鉄・阪急電鉄から発表のあった「なにわ筋線」の南海起点駅になる予定だった駅です。

高野線の始発が難波駅に移り御用済み?となった汐見橋支線の路線免許を半世紀以上にも渡り守り営業し続けているのは、このエリアの住人に対するボランティア活動?でもなければ、当てにならない(信じられない)市当局の「なにわ筋線」建設計画のためでもありません!

それが証拠に令和元年の合同記者会見後も、つまり南海本線・新今宮駅分岐案が示されてからも「当線の廃線発表」はされていません!

かつて1970年大阪万博の際に、天神橋筋6丁目までの阪急・南海相互乗り入れ案を「技術的問題」を口実に大阪市から反故(ほご)にされたいきさつがあり、そう簡単には「鵜呑みに出来る話ではない」し、南海電鉄乗入れ部分は「勝手に建設しろ!」では、簡単に「ハイそうですか」と1つ返事はできない訳です!

南海が難波に侵入できた「難解」な答えは

南海が開業した当時、難波はまだ西成郡難波村だった!

JR以外の旧民鉄では南海電鉄のみが中心部「ミナミ」に侵攻出来て、阪神・阪急・京阪・近鉄の各社が「市営モンロー主義」(※4)を表明する旧4大組のエリア乗り入れが拒まれた理由はこれです!

1897年以降大阪市第1次市域拡張により大阪市を名乗った4大区の「縄張り」が広がり、これ以降は各鉄道は市域中心部(概ね現大阪環状線内側)に侵攻!できなくなりました!

その後1903年 日本で最初の公営軌道「大阪市電」が 「市営モンロー主義」の旗印を掲げて花園橋(現在の九条新道交叉点)と 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)間5.1kmの築港線で走り出しました。

これを期に大阪市は「市営モンロー主義」を口実に一世紀以上にわたり「大阪城本丸開門」を拒み続け、現在の大阪駅・梅田駅周辺への「私鉄ターミナル一極集中」を引き起こしてしまったともいえます。

※参4、当サイト内関連記事 大阪三郷・旧四大区に端を発する「市営モンロー主義者」達の陰謀とは?

第1節 盲腸線?通称『南海汐見橋線』とは? 

第1項「超赤字路線」ですれ違い列車すらないのに、必要もない「複線」を"意地"?している訳は

南海が「超赤字路線」で、しかも列車交換も必要ないのに「複線」の維持管理を行っているのは南海だけに「難解」?ですが...

通称南海汐見橋線・汐見橋駅は

「現存する在阪の唯一最古の私鉄・南海電気鉄道」の起源の一つである大阪高野鉄道が20世紀とともに大阪市内乗り入れを果たした記念すべき「出城」 なのです!

通称南海汐見橋線は南海鉄道の誇りであり南海電車の大阪市内第2の拠点!

岸ノ里駅で東西に分断されている南海高野線の始発駅汐見橋駅は1日の平均乗降客数575人(2016年)の"都会の秘境駅?"ですが...

断じて汐見橋線は「鉄オタも含めた一般人」が考えているように「なにわ筋線」(※1)の布石としてのみ存在(既成事実)しているような「ただのお荷物路線・駅」などではありません!

※1、当サイト内関連記事 タイムカプセルから現代に蘇った観光路線 なにわ筋線 に勝算はあるのか? はこちら。

1985年6月16日岸ノ里駅構内で路線分断して以来は...

1925年(大正14年)3月15日の岸里駅東連絡線(短絡線)開設以来 難波駅乗り入れを開始して、1929年には高野線全列車が難波駅始発となり、さらに1985年6月16日岸ノ里駅構内で南北に路線分断さてれて実質盲腸線となりましたが、現在でも汐見橋駅は"0kmポスト" を持つれっきとした『南海高野線の始発駅』です!

すれ違列車は来なくても「立派な複線!」

上下線とも時間当たり2本運行で、同じ車両が行き来している「すれ違い列車なし!」の都会にある超ローカル線!

営業キロ;4.6㎞ 途中駅;3駅、所要時間;約9分

5時55分/岸里玉出駅発(6時10分/汐見橋駅発)の始発から終電22時代まで21時代(21:30発)を除き汐見橋発毎時10分&40分発で運行されています!

第2項 「市営モンロー主義」以前からあった現存する大阪唯一の私鉄!

在阪私鉄各社の市内中心部乗り入れを阻んできた「市営モンロー主義」以前からあった近畿唯一の私鉄!

大阪市の中心部から鉄道事業を締め出す「市営モンロー主義」(※2)の旗揚げは1903年日本初の公営電気鉄道として「大阪市営電気鉄道」が開業した時点とされているわけですが...?

当時、住吉区・阿倍野区(1943年旧・住吉区より分立)などは存在せず1897年 の第1次市域拡張(周辺侵略?)で人道頓堀川以南の難波新地が南区に侵略?されるまでは、大阪府・住吉郡・難波村でした!

つまり、当時の大阪市は旧大川(堂島川)・木津川・道頓堀・東横堀川の内側の限られたエリアで、それ以外は大阪府の郡部・市外!で、当時の4大区(東・南・西・北区)(※3)は「たとえ省線(官営の鉄道)といえども"侵入させじ」と阻止していたわけです!

南海鉄道が通過する現大阪市・住吉区は1925年になり大阪市の第二次市域拡張に伴って天王寺区、浪速区、港区、此花区、新市域に西成区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区が設置されて大阪市が13区となった時に「東成郡全域が大阪市に編入」された時に誕生した旧住吉郡全域(平野郷町、喜連村、北百済村、南百済村、田辺町、依羅村、墨江村、住吉村、安立町、敷津村、長居村)と旧東成郡"天王寺村"のエリアで誕生した区です。

つまり南海電鉄3路線(本線(及び天王寺支線)・高野線・上町軌道線)は「大阪市議会の市営モンロー主義宣言」以前から開業していた近畿で現存する唯一の私鉄事業者ということになります!

※参2、当サイト内関連記事 大阪市が拘り続けている『市営モンロー主義』とは?

※参3 1879年以来続く各々独立した自治体4大区の寄り合い所帯?として1889年に誕生した大阪市は1898年まで長らく"市制特例"で市長は置かず、大阪府知事が便宜上の市長職務を兼任していました。

一方1881年(明治14年)誕生当時から安立町に「住吉郡役場」を置いていた「住吉郡」が1896年(明治29年)には東成郡に統合され、この時点で住吉郡も消滅しています。 

1897年 には4大区による第1次市域拡張(侵略)が行われ面積:55.67 km2、人口:約75万人となりました。

1898年になって 市制特例が廃止され、大阪市役所が府庁舎から独立して今の位置に移りました。

しかしその後、4大区の横暴ぶりはエスカレートする一方で...1925年 の第2次市域拡張(侵略?)で初めて旧4大区(東区・西区・南区・北区)以外の天王寺区、浪速区、港区、此花区、西成区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区が設置されてようやく13区・人口約211万人の大阪市となりました。

市議会も各区からほぼ均等に選出するようになり4大区の独走はやや抑えられました?が1925年以降も「本家大阪市」として市役所・市議会で絶大な影響力を行使していました!

また戦時中の1943年になるまで大阪府・大阪市・配下の自治区(自治体)としての4大区は残り大阪府・大阪市とは一線を画した「モンロー主義の砦」として既得権益を行使していました。

敗戦後の1947年になってやっと大阪市長が「公選制」となり第11代 近藤博夫 市長が初代公選大阪市長となりました?(大阪市長は長らく、ほぼ4大区出身者で固められている大阪市議会議員が仲間内の市議から選出していました!)

第3項 その後の同社鉄道事業に絡む"重要なキーワード"大阪府との強い絆!

社史のなかにも挙げられている「大阪府(1868年旧暦5月2日誕生)との強い絆」は創業時から現在に至るまで変わらない!

言い換えれば、起点;難波駅のある1889年誕生の大阪市旧・南区(現中央区・浪速区)、そして通過する大阪市・住吉区(1925年誕生)などは相手にしておらず?終始一貫して大阪府との「協調体制」路線を敷いてきたわけです!

現存する我が国初の民間鐡道・南海鐡道(現・南海電気鉄道)の生い立ち 

...明治15年(1882年)大阪-堺間鉄道会社の設立を見るに至って、ここに純然たる民間事業として日本最初の私設鉄道が生れたのである。...

...大阪市南区難波新地(※1)を起点として、天下茶屋・住吉を経て堺に至る延長11km余の狭軌(838mm)鉄道敷設を計画した。...

...明治17年(1884年)2月4日付を以て当局に願書を提出した。 同年(1884年)6月16日設立許可の指令を得て、資本金25万円、...株式2,500株...会社は創立されたのである。
 同年(1884年)11月社名を阪堺鉄道会社と改定した。...

土地買収についても大阪府庁に依頼して便宜を得、工事施行に当っては当時関西屈指の事業家たる藤田組に委託した。 ...、明治18年(1885年)2月起工、同年12月には難波-大和川北岸間の竣工を見た。

 同月14日、臨時株主総会を開いて定款の改正を行い、...ここに会社の基礎は確立した。
明治18年(1885年)12月26日開業免許を受け、...翌々日即ち29日より難波-大和川間の運輸営業を開始した...

<開通五拾年南海電鉄発達史 昭和10年刊 大正期鉄道史資料第Ⅱ期第10巻の復刻版より引用>

※注1)1897年(明治30年)大阪市第1次市域拡張以前の当時はまだ道頓堀以南は(旧4大区)南区(現中央区)ではなく、西成郡西浜町&難波村でした!詳しくは 当サイト 大阪市中央区ヒストリアをご参照ください

第2節 南海電鉄の持つ大阪市に対する根深い不信感! 

江戸時代から続く町衆の自治組織「大阪3郷」(※4)から続く大阪市の南海電車迫害?の歴史!

※4、当サイト内関連記事 大阪三郷・旧四大区に端を発する「市営モンロー主義者」達の陰謀とは?

第1項 南海に対する大阪市の仕打ち?その1 旧・南海鉄道・上町連絡線を旧南区から締め出す!

『南海鉄道・上町連絡線(現阪堺電気軌道上町線)を大阪市内南区(現天王寺区)から追い出す!』

略年表2の通り1912年(明治45年)1月12日 上町連絡線から大阪市電への乗り入れ契約を解除させられ、同年2月13日 上町連絡線の直通運転が廃止となり、「上町線」と改称しました。

1921年12月24日当時天王寺駅前にあった!上町線・天王寺 - 公園東門間を大阪市(旧4大区の南区現天王寺区(※5))へ割譲され、さらに大阪府道「尼崎・平野線」の道路建設を口実に、天王寺駅前停留場を0.1km(営業キロ)南側の当時・西成郡天王寺村であった現在地(あべのハルカス前)へ追い出されました!

※4)なんのことはない当時「市営モンロー主義」域内であった当時の南区(現天王寺区)から大阪府下であった住吉郡(新)天王寺村へ「目障りな上町線」を追い出した!訳です。

現阪阿倍野区の近鉄阿部野橋駅前に堺電気軌道上町線の「天王寺駅前?」停留所があるのはこのためです!

※参5)当サイト天王寺区ヒストリアはこちら

第2項 大阪市の仕打ち?その2 『天王寺支線免許召し上げ?!』

略年表2、を見る限りは「盲腸線(天王寺支線)切り捨て」が南海電鉄の都合で行われた」...ように思われるかもしれませんが事実はそうではありません!

1962年、都市交通審議会(※6)の大阪部会から「大阪市高速鉄道第1号線の輸送限界に対処する方策について」...が出され、...最混雑区間のピーク混雑度が300%(※7)に達する...1号線(御堂筋線)の混雑緩和策として、...平行して3号線(四つ橋線)の梅田付近への延長と、天神橋 - 天下茶屋間の新線建設を緊急に行うよう提言され、大阪市でもこれらの路線を盛り込んだ計画が決定された。《Wikipediaより引用》

「大阪市でもこれらの路線を盛り込んだ計画が決定された」という風に記述されていますが...、最初から大阪市が「でっち上げた素案」を審議会が検討したに過ぎません!

さらに

1962年に大阪市営地下鉄第6号線が天神橋筋六丁目 - 天下茶屋間で計画された当初、南海電鉄と乗り入れるか、阪急と乗り入れるかが協議されたが、吹田市で万国博覧会が開催されることが決まったため、阪急と直通することになった。両社の軌間(阪急は 1435 mm、南海は 1067 mm。...(と)架線電圧も阪急は 1500 V、南海は1973年まで 600 V と異なっていた)などが異なることから、...三線軌条ないしは四線軌条を採用して、両者の電車を直通させる案も出たが...<Wikipediaより引用>

と続いていますが、大阪市(交通局&市議団)は、最初から当時は実現不可能な「堺筋線乗り入れ案を餌にして?南海天王寺支線廃止」を迫り、実質大阪駅(都心部)乗り入れを不可能にさせた!に過ぎません。

またこの相互乗り入れ案は、開通期限(1970年の日本国博覧会開幕前)に間に合わすための着工限度ぎりぎりの状況まで話し合いがつかず、焦った主催者大阪府が「都市交通審議会」に異例(権限外)の仲裁を要請し、南海側が折れて阪急・市営地下鉄2社間の相互乗り入れ方式で仮決着がつき、動物園前駅 ⇔天下茶屋駅間 の延長問題を棚上げにしてとりあえず天神橋筋六丁目駅 ⇔ 動物園前駅間が着工されて1969年(昭和44年)12月6日に この区間のみ開業した経緯もあります。

このおかげで地下鉄御堂筋線中百舌鳥駅延伸計画も宙に浮くことになったわけです!(※関連記事はこちら

※6「都市交通審議会」とは「鉄道事業者から出された計画案」の実現性を検討・精査し、答申(審議結果)を提言(報告)するだけの機関で「指導力も拘束力」も持たないただの「外部機関」です!

※7、戦前から通勤電車の想定満員(許容人員)は155%が鉄道車両の設計基準として広く用いられており、300%はもう殺人的!の範疇に入ります!

第3項 開業後12年間!も棚上げされていた南海・天下茶屋駅延伸

動物園前開業後12年も棚上げ状態だった市営地下鉄・堺筋線、動物園前駅 ⇔ 天下茶屋駅間 (1.5 km) 延伸問題は...

1972年1月10日:南海・天下茶屋駅 - 今池町駅間1.2kmの鉄道免許を市営地下鉄に譲渡する交換条件!として、天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業にかかわる都市計画(大阪市の資金援助)が決定して、

「南海電鉄1社の都合判断?」と言うことにして天王寺支線 (天下茶屋駅 ⇔ 天王寺駅間2.4km)を廃止する方針がマスコミにニュースリリースされました...。

1970年動物園前開業から14年以上!も過ぎて着想後22年も経過した1984年11月18日に動物園前駅 ⇔天下茶屋駅間 (1.5 km) が南海の持っていた「鉄道免許を譲り受けた形」でやっと着工されて、同時に天下茶屋駅 ⇔今池町駅間1.2kmの天王寺支線は廃止されました!

さらに10年近くの難工事の末に動物園前駅 ⇔天下茶屋駅間 (1.5 km) の区間が1993年(平成5年)3月4日になって計画以来実に31年も経過して全線開業したわけです。

1984年11月18日の堺筋線・延伸工事着工時には...

別項の略年表の通り、南海本線・高野線全線は1973年10月10日にはそれまでの直流600Vから1500Vに昇圧工事を済ませて、1984年11月18日の堺筋線・延伸工事着工時には阪急・市営地下鉄連合と架線電圧は同じになっていました。

万博が終わってから四半世紀24年も経過していた着工時には、当初計画通り「天神橋筋6丁目」までの「地下鉄区間のみの相互乗り入れ」なら技術的ハードルもさほど高くなく、この区間の工期(8年半)から考えても、営業に差し支えなく夜間工事だけで動物園前⇔天神橋筋6丁目間は相互乗り入れ対応改造工事が行えたはずです!(※8)

※参8、駅間を3線軌条として、駅構内プラットホーム部分のみ4線軌条とすれば、車両限界・建築限界共に十分クリアー出来ていた!

さらに線路幅(軌間)の違いだけではなく両社のATCの違いも、両者対応が十二分に可能な時代になっていました!

第4項 すんなりと「なにわ筋線」計画にも乗り切れるわけが...

これだけ大阪市から「迫害?」され続けていれば、はいそうですかと言ってすんなりと「なにわ筋線」(※9)計画に乗り切れるわけがありません!

旧・帝都高速度交通営団、現・東京メトロの路線拡大の経緯を眺めれば、旧大阪市交通局・大阪市営地下鉄路線網拡張の歴史は「市営モンロー主義」を「錦の御旗」にして「在阪私鉄」の大阪市中心部(旧4大区)乗り入れ連絡鉄道の建設を阻んできた歴史といえます!

鉄道事業主体(運営)が民営化され「大阪メトロ」となっても、相変わらず新線建設事業主体が「大阪市交通局」では、「なにわ筋線」建設計画(※10)に「ハイそうですか」とそう簡単には乗り切れないわけです。

※9、当サイト内関連記事 なにわ筋線 は本当に必要か?その3 "地底鉄道"って本気なの?...それとも核シェルター? はこちら。

(※10)なにわ筋線についてはJR東西線の事業主体、関西高速鉄道(株)が第3種鉄道事業者となっています。

エピローグ 『天王寺支線の二の舞』はもうこりごり!

たとえ、『大阪市の都市計画に組み込まれる事業で、建設費の大半を「道路特定財源=ガソリン税」で拠出するので、南海さんの自己資金調達はあまり心配ありません...』と甘い誘いをかけられたとしても、またぞろ交換条件で『ただし汐見橋支線?は天王寺支線同様に廃線にしてください!』などという交換条件が付いていたのでは、そうおいそれとは誘いに乗れないわけです!

というわけで、たとえ「なにわ筋線」南海連絡線が現行計画通り(2019年2月末現在)に、新今宮と今宮駅の間から分岐して新・難波駅地下ホームを経由してJRとの共同使用区間に乗り入れたとしても、「大阪市の獅子身中の虫」南海電鉄の「出城」汐見橋駅と汐見橋本線は、廃線にはならないでしょう!

第1項 都心部「乗り入れ前分岐」の優位性

帝都・東京で行われている「都心部乗り入れ前の分岐」の優位性から考えても、

「高野線」汐見橋本線!は南海にとっては切り札的路線であり、単なる捨て石の「ローカル支線」ではないのです!

阪神難波線開業で、以前からあった"いじわる"「地下鉄千日前線」桜川駅よりもずっと近いすぐ目の前に阪神・桜川駅が開業した今、さらに2037年頃にはリニア中央新幹線(※11)もやってくるし?もう少し辛抱強く我慢すれば「繁華街ミナミ」はこの辺りまできっと伸びてきます!

そうなれば、今は「マンション」などが立ち並ぶ千日前通りのこの辺りも、「四つ橋筋」同様にオフィス街に生まれ変わり、通勤客や昼間の「買い物客」も増え、1900年の大阪高野鉄道「道頓堀駅」開業当時以上の賑わいを見せるのは間違いありません!

※11、当サイト内関連記事 中央リニア新幹線は名古屋駅→奈良駅→"大阪・難波"終着ルート

で... はこちら。

第2項 但し狡猾な「地下鉄建設推進シンジケート」一派は...

鉄チャンが心配する?汐見橋線の"鉄道免許召し上げ、廃線問題の可能性については全くゼロと言う訳ではありません!

令和元年現在 1960年当時の岸里玉出以北の連続高架事業の時と同様に、大阪市南部で唯一残された"踏切路線"南海高野線の連続立体交差事業(都市計画)と交換条件に汐見橋本線廃止を迫られている可能性はあるにはあります。

弱り目に祟り目状態だった当時

前途した天王寺線廃線時に大阪市の言い分通り堺筋線乗り入れを諦めさせられた上に天王寺支線の免許まで召し上げられた背景には、"餌"として岸里玉出⇔新今宮間の連続立体交差都市計画事業をちらつかせ、更に当時大阪市と犬猿の仲であった大阪府が、目前に迫った万博輸送サブアクセス堺筋線建設問題の決着を焦り、代償としての救済策・泉北高速鉄道乗り入れ(※12)を確約したからでしょうが...。

ホンとのところは1960年代当時の南海は不運(事故)が重なり、マスコミが煽って!南海に対する「世間」の風当たりも強く、金(自己資金)もなく弱気になっていたのでしょう?...

天下茶屋周辺の連続立体交差事業も、困るのは大阪市...。

焦らなくても最後は向こう(大阪市)が歩み寄ってきて折れたはず!

どうせ乗り入れできない(標準軌の)堺筋線など、どうでもよかったから"意地"でも天王寺支線を「休止路線」で"維持"していれば...。

なにわ筋線計画も、もう少しマシな代物になっていたことでしょう。

※12、本サイト関連記事 泉北高速鉄道建設のいきさつ《 コラム2017 》 何故乗り入れ相手が市営地下鉄ではなかったのか? はこちら。

おまけ 「なにわ筋線計画」についてのデジタヌの妄想、独り言

南海の目論見はもしかしたら...

現状残念ながら、南海沿線、本線・高野線(泉北高速線)共に少子高齢化の影響を受けて通勤・通学需要は縮小傾向にあります。

しかし、「関空効果」は今だに続いており沿線開発が好調な「南海本線」の旅客需要は横ばいもしくは微増はするかも...?

「それを見越して」大和川以北の一部区間はすでに複々線化されています!

しかし、南海本線・高野線が合流する岸里玉出以北は、これ以上増線不可能な状態で「岸里・玉出⇔難波」間の輸送力向上には限度があります!

そこで今後本線の需要如何によっては「汐見橋支線」の本線再利用も考えられるわけです!

難波⇔大正間の大阪市電が廃止された1964年~1970年以前は「陸の孤島」状況でしたが、1970年の千日前線開通 2009年(平成21年)3月20日の阪神なんば線開業以来、桜川周辺はアクセス至便エリアになってます!。

令和元年現在このエリアへの「商・工業」進出はさほど活発ではありませんが、将来的には期待できるエリアです。

ハッキリしているのは

一つ インバウンド需要はプラスになっても「屋台骨を背負うほどの存在にはならない!」

南海さんにとっては、少子高齢化で先行き不安(利用者減)でしょうが...インバウンド需要はプラスになっても「屋台骨を背負うほどの存在にはならない」こと。

一つ 南海沿線住人にとっては「なにわ筋線」はさほど役に立たない!

JR西日本にとっては重要な路線(※91)となっても南海本線沿線市町村の住人・南海利用者にとっても南海にとっても、「現行なにわ筋線計画案」ではさほど役に立たないという点!

あてにならない「インバウンド客には利用価値」があっても南海沿線の普段の利用客(通勤・通学客)の利便が向上しないのであれば...

参※91)当サイト関連記事 なにわ筋線 開業で おおさか東線 に再び脚光が?はこちら。

一つ 南海が辞退しても、沿線市町村からは一切非難は出ない?!

南海が「なにわ筋線計画」を辞退しても、沿線市町村からは一切非難は出ない?...

逆にこのまま計画を進めても有難がられもしない!

元より沿線住人は冷めきっている!文句が出るとすれば、建設推進派シンジケート一派と、邪魔になっても金にならない一部の「鉄オタ」だけ!

一つ 南海はどう転んでも「阪和間旅客輸送」の覇者!

どうせ現行「なにわ筋線」計画は、インバウンド客目当ての観光路線?

なにわ筋線に乗り遅れても阪急大阪梅田駅同様に「なんば駅」の地盤沈下は無い!し、沿線市町村の住人すべてが「阪和線」沿線にお引越しでもしない限りは「阪和間」の覇者で有り続けられる!

一つ 地下60m!15階建てビル相当の地底ホーム!

地下6階(60m!地上換算15階建て相当)のホームから態々地上に出て迄、なんばCIty、なんばパークスに立ち寄る人(観光客)は少なくなり、南海グループとしては減収になりかねない。

さらに最大のテナント「高島屋大阪店」が撤退することにでもなれば...。

一つ ほんとに必要とされる路線で有れば「彼らから頭を下げてくる!」

『今乗らないと"後の祭り"になっても2度と協力はしませんよ!...』

などという建設推進派シンジケートの脅しに乗る必要は無い!

ほんとに必要とされる路線で有れば「彼らから頭を下げてくる!」

一つ 桜川周辺は必ず「ビジネス街」になる!

汐見橋本線を休止路線扱いにしてでも「持ちこたえれば」、四つ橋線沿線がそうであったように桜川周辺は必ず「ビジネス街」になる!

一つ 独断ではなく沿線利用者の意見を

役員会・大株主の意見だけではなく、大事なお得意様・利用客である「沿線自治体」の"利用者の声"をもう一度確認(公聴会)する必要があるのでは?

一つ 事業免許は届け出だけで...

事業免許は届け出だけで無かった事(廃止)にできる!

などなど...。

参考資料 南海略年表

略年表 1)「市営モンロー主義」旗揚げまで

※は 南海以外の鉄道事業者

参※1874年5月11日 - 大阪 - 神戸駅間の鉄道開通と同時に大阪駅開業。

1885年(明治18年)12月29日に現・南海本線 難波駅 - 大和川駅間が軌間838mmの軽便鉄道として初代・阪堺鉄道開業。

参※1889年(明治22年)5月14日開業の初代大阪鉄道(後の関西鉄道→国鉄関西本線→現JR大和路線)  湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開通し天王寺駅を開業した。

参※1895年(明治28年)5月28日:大阪鉄道 により天王寺駅 - 玉造駅間 (2M28C≒3.78km) が開業。桃山駅・玉造駅が開業し同年10月17日:玉造駅 - 梅田駅間 (4M29C≒7.02km) も延伸開業。京橋駅・天満駅・梅田駅がそれぞれ開業し。天王寺ー大阪間がつながる!

1895年8月25日 南海鉄道設立

1897年 阪堺鉄道  難波駅 - 堺駅間を1067mm軌間に改軌。住吉駅 - 堺駅間を複線化。難波駅 - 尾崎駅間で阪堺鉄道と直通運転開始。

1898年1月30日 当時の大阪高野鉄道により大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間が開業し同年4月2日には狭山駅 - 長野駅(現在の河内長野駅)間も延伸開業。

同年10月1日  阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡。(晴れて全線南海鉄道となる!)

1900年9月3日 大阪高野鉄道・道頓堀駅(どうとんぼりえき、現在の汐見橋駅) - 大小路駅間が開業し大阪市内乗り入れが実現し。

同年(明治33年)6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に合併し併せて梅田駅を官営鉄道の大阪駅に統合する。(大阪ー天王寺駅連絡線完成!)

9月20日  大阪馬車鉄道(現阪堺電気軌道)が1067mmの軌道線(路面線)として天王寺南詰(天王寺駅前交差点付近) - 八弘社(現在の阿倍野駅) - 阿倍野(現在の東天下茶屋駅)間1.05マイル(1.7 km)を開業。

同年10月26日 南海鉄道 天下茶屋ー天王寺駅間2.4kmの天王寺支線を単線で開業。

1901年10月5日:南海本線 住吉駅 ー天下茶屋駅ー 天王寺駅(関西鉄道)ー大阪駅(関西鉄道)間で乗り入れ直通運転開始!

1902年までに 大阪馬車鉄鉄道 天王寺南詰 - 天王寺3(現在の大阪市天王寺区四天王寺前交差点にあった駅)間延伸開業。

略年表 その2 ;1903年市営モンロー主義旗揚げ以後の大阪市と南海鉄道

1906年 鉄道国有化法が公布されそれまで天王寺から先の大阪駅まで乗り入れていた関西(かんせい)鉄道が国有化された!

これに伴って、1901年以来実施されていた「関西鉄道乗り入れ、大阪駅直通運転」は終止符を打ち!南海本線沿線の大阪駅へのアクセスは天王寺駅乗り換えとなった!

1907年11月 大阪市と軌道および車両の共用契約を締結した。

1907年(明治40年)3月29日 大阪馬車鉄道から大阪電車鉄道株式会社に社名変更し、資本金を50万円に増額。

同年7月 南海本線一部区間(難波ー浜寺間) 直流600V電化完成

同年10月29日 大阪電車鉄道株式会社から浪速電車軌道株式会社に再度の変更。同年11月 大阪市と軌道および車両の共用契約を締結。

同年11月11日 南海鐡道 天下茶屋駅 - 天王寺駅間も電化、電車併用運転を開始。

1909年(明治42年)12月24日 浪速電気軌道株式会社が南海鉄道株式会社に吸収合併される。

1910年(明治43年)9月 大阪市との軌道共用契約に基づき上町連絡線用電動客車(チンチン電車)30両を新造。
上町連絡線・ 天王寺 ー住吉神社前(現在の住吉)間の改軌および電化・複線化工事が完成。

同年10月1日 1435㎜に改軌し電化した南海鉄道・上町連絡線が天王寺(西門前)ー住吉神社前間で電車の運転を開始。

1911年(明治44年)1月29日 大阪市との軌道共用契約に基づき、上町連絡線の大阪市電上本町線(1968年12月18日廃止) 天王寺西門前 - 上本町二丁目間および大阪市電玉造線(1961年11月1日廃止) 上本町二丁目 - 谷町六丁目間への直通運転を開始。
同年8月20日 上町連絡線の大阪市電への乗り入れ区間を延長し、大阪市電・谷町線(1944年6月1日廃止) 谷町六丁目 - 天満橋南詰までの直通運転を開始。

同年11月21日 南海鐡道 南海本線 全線直流600v電化完成!

1912年(明治45年)1月12日 大阪市電全線の運賃均一制の実施のため、上町連絡線から大阪市電への乗り入れ契約を解除

同年2月13日 上町連絡線の大阪市電上本町線 天王寺西門前 - 上本町二丁目間、大阪市電玉造線 上本町二丁目 - 谷町六丁目間、大阪市電谷町線 谷町六丁目 - 天満橋南詰間への直通運転を廃止。上町連絡線が大阪市電と連結する役目を終え、「上町線」と改称した。

※つまり体よく追い出された!

1921年(大正10年)12月24日 上町線 天王寺 - 公園東門間を大阪市へ(仕方なく)譲渡。

同年:尼崎・平野線の道路建設を口実に、天王寺駅前停留場を0.1km(営業キロ)南側の当時・西成郡の現在地へ移設。

1922年 9月6日  南海鉄道が大阪高野鉄道、高野大師鉄道(未開業)を合併し南海鉄道・高野線となる

1925年(大正14年)3月28日橋本ー高野間を結ぶ「 高野山電気鉄道」設立。

1931年(昭和6年)8月20日:天王寺支線;天下茶屋駅 - 天王寺駅間を複線化。

1933年(昭和8年)2月16日:国鉄・城東線の電化に伴い、南海本線→南海天王寺駅直通電車を増発。(※3)

※参同年5月20日:大阪市営地下鉄・1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業

※1935年(昭和10年)10月30日には難波ー梅田間に大阪市営地下鉄1号線(現御堂筋線)が開通し、1938年(昭和13年)4月21日には難波駅 - 天王寺駅間 が延伸開業し、南海・難波から南海・天王寺から大阪駅へはすでに地下鉄ルートが開業していたが、地下鉄開業当時の運賃は天王寺乗り換え省線・城東線経由大阪駅ルートに比べかなり高額!であった。

1944年(昭和19年)6月1日 戦時統合により関西急行鉄道と南海鉄道、が合併、近畿日本鉄道となる。

略年表その3 戦後の南海

1947年(昭和22年)3月15日 高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更。

1947年(昭和22年)6月1日 近畿日本鉄道が、旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道へ分離譲渡し現・南海電気鉄道の路線が確立。

※参、

1961年(昭和36年)4月25日:国鉄・西九条駅 - 大正駅 - 天王寺駅間 (7.4km) が開業。

城東線 (10.7km)、西成線 (大阪駅 - 西九条駅間 (3.7km))、野田駅 - 大阪市場駅間 (1.3km) を合わせて大阪環状線が誕生したがこの時点では西九条駅で外回り・内回りそれぞれ折り返しの「のノ字」運行であった。

1964年(昭和39年)3月22日:西九条駅が高架化。大阪駅 - 福島駅間の複線化により全線複線化が完成し、環状運転開始。国鉄・新今宮駅が開業。

1966年(昭和41年)12月1日:南海本線の今宮戎駅 - 萩ノ茶屋駅間に、新今宮駅が開業し国鉄・環状線との乗換駅になる。これ以降天王寺支線の乗客が激減した。

※国鉄大阪環状線が開業し国鉄・南海「新今宮駅」が乗換駅として開業してからは、天王寺駅乗り換え内回り(旧城東線)利用で大阪駅に行くより新今宮駅乗り換え「外回り」の大阪環状線利用のほうが「大阪駅」には至便で、南海沿線住人はこちらを乗換駅として利用するようになった!

1969年(昭和44年)12月6日:当時大阪市営地下鉄堺筋線、天神橋筋六丁目駅 - 動物園前駅間 (7.0 km) が開業した。

1972年1月10日:天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業、および都市計画が決定。
この間、南海電気鉄道が天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業に関連し、天王寺支線 天下茶屋駅 - 天王寺駅間2.4kmの廃止の方針を発表する。

1973年(昭和48年)10月10日:南海本線・高野線全線 600Vから1500Vに架線電圧昇圧。

1977年(昭和52年):天王寺支線貨物営業廃止。(※この時点まで貨物列車が走っていた!)
1984年(昭和59年)11月18日:天下茶屋駅 - 今池町駅間1.2kmが(地下鉄工事のために)廃止。

今池町駅 - 天王寺駅間が単線化。南海天王寺駅が今池町駅寄りに100m移転し、路線距離が0.1km短縮。

今池町駅と南海線(高野線)萩ノ茶屋駅間が徒歩連絡となる。
1993年(平成5年)3月4日: 市営地下鉄・堺筋線、動物園前駅 - 天下茶屋駅間 (1.5 km) が開業し全通。

1993年(平成5年)3月31日:南海天王寺支線さよなら電車を運行。
4月1日:南海天王寺支線 今池町駅 - 天王寺駅間1.2km廃止に伴い、全線廃止。

 

公開:2019年2月24日
更新:2020年1月 9日

投稿者:デジタヌ

このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP南海 さん なにわ筋線 乗入れ計画は一時凍結して 汐見橋線 を LRT化してグランフロントまで伸ばしてみては...?


 

 



▲南海 電車研究班へ戻る

 

ページ先頭に戻る