日本定番直流1500V電化とインターアーバン・民鉄の歴史は近畿で始まった!
前書き(要約) 旧 国鉄 時代の 省線 電化 の流れと日本定番 直流1500v電化 方式の流れについて...
日本におけるインターアーバンの歴史は近畿で始まったといってもよいでしょう!
大阪の5大私鉄が、国内に持ち込んだ Interurban (高速電気軌道事業)コンセプトは、それまでの 電車=チンチン電車=路面電車のイメージを一掃するものでした!
そして、大都市圏のライフスタイルを大変革させました。
日本での インターアーバン(郊外電車) の歴史は近畿 で始まった! の目次
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1895年(明治28年)に行われた第4回内国勧業博覧会(4月1日→7月31日)の会場アクセス手段として、同年2月1日 に伏見線 七条停車場(七条停車場・踏切南) ⇔下油掛(後の京橋)間に1067mmの狭軌路線として営業開始したのが日本初のチンチン電車でした。
そしてその後京都市電へと引き継がれ、1978年10月1日 の全線廃止まで、京都市電は京都市民に無くてはならない存在として親しまれ続けました。
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国鉄電化の流れは、日本初の京都のチンチン電車と同じ直流600Vから始まり、高圧給電の実用化過渡期の直流1200vの実証実験採用をへて、直流1500V電化方式が確立されて、日本における電化の定番技術として全国に普及していきました。
step1 初期のチンチン電車と同じ直流600V電化
旧国鉄の近郊線の電化は、当初東京近郊路線(現京浜東北線、中央線(1904年から中野⇔飯田町)などで路面電車と同じ直流600Vで開始されました。
step1 過渡期の高圧実証試験 直流1200v電化
1200V電化は1927年に中央線で試された電化方式で、高圧化による利害得失、変電所設備、車載機器などの技術開発・汎用製品化の実証試験が目的だったと考えられます。
step1 定番 直流1500v電化方式の確立
その後の1928年以降に電化された区間では在来線電化の標準となる直流1500V電化で全国に電化区間が広がっていきました。
※1928年以前は、車両・部品の共通化の為に、直流600Vで、電化工事が継続されていました!
近畿地区での電化は1934年からと遅れていたので、当初から直流1500Vでの電化が進んだと考えられます。
※1929年7月18日 開業の阪和線は当初は京阪電車の子会社阪和電気鉄道だったので、当初から当時の最新技術直流1500v電化が採用されたわけです!
第1項 旧国鉄路線別 直流電化 年表
中央線(電車線)
- ●1904年中野⇔飯田橋間⇔御茶ノ水 600V電化
- ●1908年 御茶ノ水⇔昌平橋駅 駅間電化
- ●1912年 昌平橋⇔万世橋 間電化
- ●1919年 中野駅 ⇔吉祥寺駅間 電化。
- ●1922年11月 :吉祥寺駅 ⇔国分寺駅間が電化。
- ●1927年 東京駅⇔国分寺間 1200Vに昇圧
- ●1929年:東京駅⇔国分寺駅間 直流1,500 Vに昇圧
東北本線
- ●1909年12月 上野 ⇔田端間⇔日暮里間が直流600V電化
- ●1919年3月:中央本線の一部として東京⇔神田間開業。直流600V電化
- ●1925年11月神田 ⇔上野間直流電化
- ●1928年2月:田端⇔ 赤羽間 直流電化 直流1,500 V電化(および在来区間の昇圧化)
山手線
- ●1909年12月 山手線 田端駅 ⇔池袋駅間、赤羽駅 ⇔品川駅間電化。上野駅⇔新宿駅 ⇔ 品川駅 -⇔烏森駅、赤羽駅 ⇔池袋駅間に電車運転開始。直流600V電化
東海道線(京浜東北線・旧熱海線)
- ●1909年12月:浜松町駅 - 烏森駅間の電車線(0.7M≒1.13 km)が開業。浜松町駅 - 品川駅間が複々線化(電車線敷設)直流600V電化
- ●1910年6月:烏森駅 - 有楽町駅間の電車線 (0.7M) が延伸開業。有楽町駅が開業。9月15日:有楽町駅 - 呉服橋駅間の電車線 (0.7M) が延伸開業。呉服橋駅(東京駅の仮駅)が開業。
- ●1914年12月 東京駅から高島町駅(のちに廃止)まで東海道本線の電車線が京浜線として運行を開始。
- ●1925年12月:横浜駅 ⇔国府津駅間が電化。
- ●1926年2月:国府津駅 ⇔小田原駅間が電化。
- ●1928年2月:東北本線田端駅⇔赤羽駅間の電車線(複線)が完成。京浜線電車の運行区間を赤羽駅まで延伸 、旧熱海線 小田原駅 ⇔熱海駅間も直流1,500 V電化
- ●1934年7月:吹田駅 ⇔神戸駅間が直流1,500 V電化。塚本駅・立花駅・甲子園口駅・六甲道駅誕生
- ※1937年10月10日:京都駅 ⇔吹田駅間が電化。
- ●同年12月:丹那トンネルが完成し、熱海駅 ⇔沼津駅間 (21.6 km) が直流1,500 V電化電化複線開業。
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阪神電車は、いち早くインターアーバンに目を付けて、三宮駅⇔出入橋駅(大阪)に直流600v電化による高速電気軌道を敷設して『待たずに乗れる 阪神電車』 (※21)のキャッチフレーズで、当時汽車運行で日に数往復だった阪神間の旅客を搔っ攫いました。
軌道特許で敷設された、専用軌道!上を、チンチン電車がスピード違反(※22)の猛スピードで駆け抜けて省線から、阪神間の旅客需要を勝ち取りました。
参※21)当サイト関連記事 "待たずに乗れる 阪神電車 の再来には巨額投資が... はこちら。
参※22)軌道法では、併用軌道上も専用軌道上も最高速度40㎞/hと定められている。
- ●1905年阪神電気鉄道 三宮駅⇔出入橋駅(大阪)直流600v電化で開業。※1967年11月に1500Vへ昇圧
- ●1910年 京阪電気鉄道 天満橋 ⇔五条間を直流600v電化で開業。※1983年12月4日:京阪本線・宇治線・交野線の架線電圧1500Vに昇圧。京阪の昇圧が遅れたのは、当時直流600vの京都市電と平面交差する地点が多く存在して、1978年10月1日 の京都市電全廃まで、計画が立てられなかったのが原因とされてきます。
- ●1910年 箕面有馬電気軌道(現阪急) 梅田 ⇔宝塚間、箕面線石橋⇔ 箕面間を直流600v電化で開業。※1969年8月24日 1500 Vに昇圧されましたが、その前前年1967年10月8日に一足早く 神戸線が1500 Vに昇圧されています。
- ●1911年11月21日 南海鐡道 南海本線 全線直流600v電化完成!※1973年10月1500 V昇圧。
- ●1914年(大正3年)大阪電気軌道(現近鉄奈良線)上本町駅 ⇔奈良駅(高天町の仮駅)間が直流600v電化で開業。
- ●1921年4月に大阪電気軌道畝傍線として(大和西大寺⇔ 現近鉄郡山駅)部分開業。1923年3月21日:平端駅 ⇔ 橿原神宮前駅(現在の駅とは別)間を延伸開業して全線開業。
- ●1922年4月1日 天理軽便鉄道(1915年開業)を買収して平端駅⇔天理駅間を標準軌に改軌・電化して畝傍線と直通運行を開始した。
- ●1922年5月16日 信貴生駒電気鉄道(現生駒線) 王寺駅⇔山下駅(現在の信貴山下駅)間で部分開業
-
●1923年4月 2代目大阪鉄道(現近鉄南大阪線)大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋) ⇔道明寺駅間を国内初の直流1500v電化で開業。
- ●1924年10月:大阪電気軌道 国分線(現大阪線) 足代駅(現布施) ⇔八尾駅(現近鉄八尾駅)間を直流600vで開業
- ●1927年7月に当時の八木線布施駅 ⇔八木駅間が全通した時は大阪線も600vで開業しています。
- ●1928年11月奈良電気鉄道(現京都線)部分開業。
2代目大阪鉄道(現南大阪線)が1929年3月29日:古市駅⇔久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)間を延伸開業して大軌・吉野線と直通運転を行うようになりましたが...
1929年1月に大阪線が昇圧されるまでは、上本町⇔橿原神宮間に(現八木短絡線を経由して)定期便として直通電車が走りこちらのほうが大阪市内⇔橿原神宮間のメインルートとなっていました!
- ●紫ライン 1500V昇圧区間
- ♥ピンクライン渡り線
- ●1929年(昭和4年)1月:大阪電気軌道桜井線大軌八木駅(現在の大和八木駅) ⇔桜井駅間開業に合わせて、布施駅 ⇔大軌八木駅間を直流1500Vに昇圧。
1929年1月以降は、八木駅での乗り換えが必要となり、2代目大阪鉄道を資金援助(買収する)予定だったので、乗客の奪い合いはありませんでしたが...但し、戦前は、国家神道だったので、ことあるごとに、旧八木駅(八木西口駅⇔真菅間)の旧本線(短絡線)を用いて臨時急行も運行されていましたが、通期の直通運行は廃止されていました。
1929年から1956年までの大阪線電車は、布施⇔上本町間は、1500V車が速度制限の徐行運転!で乗り入れていました!八木西口⇔旧・橿原神宮前間についても同様のやり方で臨時急行が終戦まで乗り入れていました。
敗戦後
●1948年6月:大和鉄道(1918年開業)の新王寺駅 ⇔田原本駅間(現田原本線)が標準軌に改軌されて電化。
●1956年12月8日:上本町駅⇔布施駅間複々線化(奈良線600V電化と完全分離」)これにより大阪線は全線1500v区間となる。
1966年12月に正月のお伊勢参りを当て込んで、18m級狭幅の小型複電圧車18200系を用いて当初は2往復で運航開始された!
八木短絡線が開通する前だったので、八木西駅でスイッチバックを行い旧本線・短絡線を用いて八木駅を2度通る形態で直通運行が開始されましたが、翌年1967年2月20日 に 橿原線新ノ口⇔大阪線大和八木間に新・連絡線が完成(途中にデッドセクションを設けていた!)して、八木西駅でのスイッチバックは必要なくなりました!
(戦後・短絡線が出来るまでは旧本線・八木短絡線も使用されなくなり、特急も八木駅で乗り換え・乗り継ぎでした)
♥1969年9月21日標準軌全線が1500Vに昇圧。
参※23)当サイト関連記事 近鉄 は フリーゲージトレイン 実現を諦めて 南大阪線 長野線 吉野線が 改軌 されて全線標準軌になるかも...はこちら。
国内2番目は讃岐平野を走る琴電・琴平線で、1926年12月21日 - 栗林公園 ⇔滝宮間が直流1500v電化・標準軌(軌間1435㎜)で部分開業しています!
国内3例目は 1927年(昭和2年)4月16日 に武蔵水電(現西武鉄道)が 村山線の高田馬場(仮)駅 ⇔ 東村山駅間を、国内3例目となる直流1500V!電化で開業して、東村山駅 ⇔川越駅間も同時に直流1500V!電化して、本家中央線に次いで全線電化開通しました。
つまり1928年2月:東北京浜線の田端⇔ 赤羽間、東海道線旧熱海線 小田原駅 ⇔熱海駅間の 直流1,500 V電化(および在来区間昇圧化)より各私鉄の直流1500v電化のほうが早かったわけです、勿論国内電業メーカーの直流1500v電化用の地上設備・車上機器開発を後押しした、国鉄電化事業の功績も大きかったわけですが...
●1929年7月 阪和電気鉄道(現JR阪和線)阪和天王寺⇔和泉府中駅間全線複線直流1500v電化で開業!
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chapter Ⅰ 日本の大手私鉄は" street running "ではじまった!
日本の大都市近郊私鉄の多くは軌道法によるチンチン電車から発展しており大阪では南海鐡道、初代大阪鉄道(現近鉄南大阪線)を除いた主だった私鉄はすべて「専用軌道」走る高速電気軌道...
chapter Ⅱ 日本での インターアーバン(郊外電車) の歴史は近畿 で始まった!
大阪の5大私鉄が、国内に持ち込んだ Interurban (高速電気軌道事業)コンセプトは、それまでの 電車=チンチン電車=路面電車のイメージを一掃するものでした!
chapter Ⅲ 路面電車 が日本の 地方都市 の地図上から erase された訳は...
「道路行政の貧困」さゆえに日本各地の"痴呆都市"の地図上から路面電車はerase(消去)されましたが...
- ●副題 Tram 路面電車 の復興が21世紀の 地方都市圏 の 赤字 ローカル線 を救う(鉄)路に...
- ● 路面電車 が日本の 地方都市 の地図上から erase された訳は... のTop index
Appendix Ⅰ 岐阜市内線 路面電車 の 廃止 は 失敗 ではなかった!
嘗て東海エリア最大のライトレール網を構築していた"岐阜市!戦火にも耐えて敗戦後の1954年にヨーロッパ先進国に先立ち「郊外ライトレール」と「市内軌道線」との有機的結合を成し遂げ...
Appendix Ⅱ 日本における 広域 LRT 網 の故郷 信達軌道
嘗て、伊達市域には「ヨーロッパ型 LRT 網」が張り巡らされていた!1960年代後半まで地域住人の大切な足として、「域内アクセスの柱」的役割を果たしていた...
Appendix Ⅲ 三重交通 神都線 と お伊勢さんの思い出
神都線は『神授の気性?』に富んだ氏子たちの挑戦だった!天照大神が授けてくださった、有難い神道(神都)線の思い出話と...
※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!
鉄道黎明期において日本各地で幹線鉄道を敷設していったのは、民間資本による"民鉄"でした。
幹線の多くはその後お国に買収されて、官営鉄道になり国鉄を経て現在のJR各社となりました。
現在の大手私鉄の殆どはこの時運よく買収を逃れたましたが、第2次大戦中の戦時統合で合併を余儀なくされて、敗戦後に再度独立して現在に至っています。
また大手私鉄の大半が辿ったLRTや新都市交通、バス路線にもスポットをあてて、離合集散、新線建設・廃線を繰り返しながらも"波乱万丈の路"を走り続けてきた公共交通事業者の過去・現在に焦点を当ててみました。
狸穴総研 公共交通網調査室 出自多留狸
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更に、地名に関しては、Google地図検索を容易にするために、言語表記を基本に、(カナ表記)についてもGoogle 地図で使用されている「カナ使い」を使用しています。
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公開:2021年5月 2日
更新:2022年10月 5日
投稿者:デジタヌ
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