タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

2037年 御堂筋 は地図上から消えてなくなる!

大阪の表玄関・梅田界隈と大歓楽街ミナミを結ぶ"目抜き通り"御堂筋の命運は...

『ヤッパリ大阪を支えてんのはキタ(大阪駅周辺)とミナミ(難波駅周辺)チャイマッカ?、両方に繋がってんと、大阪の目抜き通りとは言えまへんで!』

『...それも昔話になるねんな?...』

《 都市計画とは?シリーズ》第10回

市営モンロー主義 の系譜 その3 

本項はファンタジー仕立てですが、決して妄想・夢物語などではありません!

貴方のすぐそばで実際に起こっている"ドキュメンタリー"!です...

但し市民が一丸となって阻止して、御堂筋沿道を経済特区にして"ベンチャービジネスの拠点"に出来れば...

『 御堂筋完成80周年記念事業推進委員会 』は御堂筋を廃道にする80執念に燃えた特攻部隊!

『御堂筋完成80周年記念事業推進委員会』とは、大阪・梅田都心化事業の最後の「詰めの一手」"御堂筋廃道計画"を遂行する特殊任務を帯びた"特攻部隊"なのです。

彼ら旧4大区(大阪3郷)の町衆の居城「大阪市本庁舎」から派遣された特攻隊は、旧住吉郡難波村の新興勢力を、その砦"ミナミ新地"諸共壊滅させて、名実ともに「大阪梅田新都心」を絶対的な存在にするために「その名とは裏腹に」完成80周年に当たる年に御堂筋を地図上から抹消しようとしているのです!

※竹中工務店?がスポンサーとなって制作されたプロパガンダコンテンツ!

※本編は事実・事例(時系列)状況証拠!に下ずいてはいますがあくまでも筆者の描いたファンタジーです?

以下の各団体と直接関連はありません?本件に関しての各団体へのお問い合わせはほどほどにされたほうが...

彼らにとっては答えたくない事柄を多く含んでいます!ので、お茶を濁すだけで、「明確な答えは戻ってこない」でしょう!

つまりクレーマー爺さんの暇つぶしにもならないでしょう!

ただしお役人は、意外と純情で世間ずれしていな人達で..."プレッシャーに弱い!"ので「ついうっかり...」 (⌒▽⌒)V

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関連団体一覧

《 都市計画 とは?シリーズ》の総合目次

※以下のタイトルをクリックするとシリーズ記事全てにワープできます!

プロローグ 都市計画とは何なのか...領民(市民)と領主(為政者)の感覚のずれでは?

日本における都市計画とは、「年貢取り立て」のための農地利用計画の歴史!年貢取り立ての検地図つまり『縄張り図』の縄張り範囲を書き記した『高札』のような代物です。

第1回 レガシー・モールを取り巻く厳しい状況 

シリーズを開始するにあたり『レガシー・モール』と言う造語を創作してみました。いわゆる、駅前にある『駅前商店街』や『アーケード街』のことです。

第2回 駒川商店街 に見るレガシー・モールの現状と今後の問題点 

10の0商店会から成っている大阪を代表する商店街の一つでもあります。

第3回 門真市《タウンレビュー》古川橋 再開発 と 門真プラザ 再開発 についての考察 

現在の国道1号(府道13号)は、ものの見事に市域を"躱して"いますが...1906年(明治39年)8月当時は、京阪電車の走っている沿線が旧"東海道"そのものでした!

第4回  あべのハルカス はアベノルネサンスの起爆剤になったのか?.

我が「河内の星アベノハルカス」を北・南とならぶ大阪のメジャータイトルにするには?...何でもあるはずの「プチ・アミューズメントエリア」?

第5回 『日本の都市(道路)計画』は中央集権が招いた"喜劇"?の産物!

日本における都市計画とは、「年貢取り立て」のための農地利用計画の歴史!年貢取り立ての検地図つまり『縄張り図』の縄張り範囲を書き記した『高札』のような代物です。

第6回 全国の 中核都市 は コンパクトシティー を目指している!

21世紀の地方の県庁所在地・政令指定都市・中核都市は、富山市同様にコンパクトシティーを狙っています!

第7回 大阪・梅田総合駅の実現が 北陸新幹線大阪延伸の成否の鍵を握っている!

2032年完成予定で"なにわ筋線"が着工された今、「大阪梅田・新都心」が現実のものとなってきています!JR西日本も乗り気が無い新大阪駅周辺市街地改造計画等より...

第8回 なにわのお臍 " ミナミ "と中央区の歩み...大阪における南北戦争?の歴史

交通インフラが整備されてきた令和の御代の今、正に難波新地に大躍進できるチャンスが到来したのではないでしょうか!

第9回  2032年 なにわ筋線 開業で 御堂筋 は" 廃道 "に!オフィス街は大阪・梅田新都心に移り 御堂筋 沿いは都心の"ビニールハウス街!"に

「関西経団連・大阪市都市計画局・民間デベロッパーが期待をかける?なにわ筋線」の開通で大阪・梅田界隈は新都心になり、梅田新道、都島通が新たなる目抜き通りに...

第11回 吹田市《タウンヒストリア》大阪市が目指すコンパクトシティー構想から落っこちた町?

吹田市が「のぞみ」を賭ける「新大阪駅巨大ハブステーション」計画も大阪市都市開発局では検討もされておらず...明るい「ひかり」は差し込まなくて、新横浜駅周辺のように「田んぼの中の新都心」は生まれないであろう

第12回 周囲から隔絶された巨大要塞!新大阪駅 を 巨大乗換駅! に"魔改造"しても...

駅(前市街地)改造計画は都市計画!...なので当該自治体である"大阪市"(都市計画局)が主導権を握っており、大阪市にその気がなければ、絵に描いた餅です!

第13回 未来都市 堺市 の扉を開くには!準幹線道路 の 拡幅整備 とバストラム BRT 網が...

記念すべき今世紀最初の市長となられた2代前の木原敬介市長が「21世紀の堺市の発展のためには、東西公共交通の整備が最重要」として堺市内トラム線の建設を掲げられましたが...

Annex1 大阪の 人権問題 の水種?江戸幕府と浪速商人が企てた 大和川付け替え 普請とは...

江戸時代中期に開削された「 大和川"放水路"」ですが... 大和川付替え普請は本当に必要だったのでしょうか?

Top Index

★プロローグ 北区(旧4大区)の野望"大阪・梅田新都心"計画とは...

大阪市都市開発局主導で始まった大阪駅前ビル

expo70大阪万博の年に「大阪駅前ビル第一ビル」が大阪市都市開発局(現都市計画局)の主導で1981年に第4ビルが完成して、「大阪駅前ビル」事業はいちおうの終結を見て、戦後の闇市として出来た大阪駅前の「魔窟」一掃計画は成功しました。

西梅田地区開発計画

西梅田地区開発計画(西梅田土地区画整理事業)も大阪市開発局の主導のもとに1985年に「西梅田地区開発協議会」なるシンジケートが結成されて...

「ふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業」?として進められて1996年度 に土地区画整理事業が完了しました。

旧阪神本社は

1995年に 都市計画道路西梅田線が供用開始されて1997年に 土地区画整理事業が完成して2004年に旧阪神本社ビル跡地に「ハービスENT」が完成して、阪神電車の旧地上線跡地にホテル群などが次々とオープンしました。

旧大阪中央郵便局跡地は

1939年に梅田貨物駅から続く貨物支線と共に開設された旧中央郵便局跡地と同じく、堂島掘割水路(運河)で繋がっていた梅田貨物駅分所と貯木場施設跡の広大な"遊休地"は、その後一部分を劇団四季が仮設シアターの「大阪キャッツ劇場」として1985年3月 ⇔1986年4月まで借地していたが、その後は再度遊休地に!

一方旧大阪中央郵便局跡地は2017年になって吉本興業が「よしもと西梅田劇場」として2018年8月25日までの一年間の期限付きで仮設劇場を開場したがその後も引き続き借地契約が更新されつづけて現在に至っている...

2018年に地権者の日本郵政が大阪中央郵便局跡地の再開発に向けて、大阪市と協議を再開した。

2019年12月、日本郵便・JR西日本グループ・JTBの4社に依るオフィス・商業施設・ホテル・劇場を備えた地上39階(188m)・地下3階のビル建設を2024年春開業を目指して計画中であることを発表した。

大阪駅北地区の再開発事業

「グランフロント」事業

1987年の国鉄解体民営化で国鉄清算事業団の手に渡った大阪駅北地区(旧大阪鉄道管理局・梅田貨物駅)の再開発事業は2004年に「大阪駅北地区街づくり推進協議会」?なる組織を設立して同年中に関西経団連が主導して「うめきたまちづくり推進機構」が発足して、

2009年に大阪市都市計画局の隠れ蓑「駅北地区開発特定目的会社株式会社KMO」が設立されて2012年には完成後の運営に当たる「一般社団法人グランフロント大阪TMO」が設立されて、第一期工事としての「グランフロント」事業が2013年4月26日に完成しました

うめきた駅周辺整備事業

続いて「うめきた開発特定目的会社」が設立されて旧梅田貨物駅跡地の再開発事業が(2020年現在)進められています。

★第1節 大阪梅田新都心計画と御堂筋

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(※以下 直接リンクは事業者公式Website、Wikipedia該当項にリンクしてあります。)

第1項 大阪梅田新都心表玄関 キタ界隈

元は低湿地帯にあった「埋田」?と呼ばれていた茶屋町・中津周辺まで拡がった大阪の右顔?「北新地」。

(※本サイト内関連記事 大阪市・北区《 タウンヒストリア 》キタ新地・梅田界隈のアクセスの変遷から見た歴史探訪 はこちら。

江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田(うめだ)」と呼ばれていた。

1764年、曾根崎新地から北へ伸びて梅田墓地(現大深町・梅田貨物駅)へ至る「梅田道」が開かれたが、周辺は田畑ばかりの「ドタ」と呼ばれる寂れた土地だった。

時代は移り変わり大阪の「勝手口=裏口」として発展しだす

1874年(明治7年)、旧淀川(大川・堂島川・安治川)の川向こう町はずれにあった曽根崎村に 大阪駅が誕生し大阪-⇔神戸駅間の官営鉄道が仮開業した。

東海道線全通で「勝手口から表玄関」に変貌!

1897年 やっと「梅田」の所在地曾根崎村が北野村と共に大阪市北区へ編入された。

  • 同年 大阪市制施行に伴い、北区は大阪市の行政区(4大自治区)へ移行したが依然として「川向う」の街はずれでした。

1900年の大字改編により、旧 曾根崎村の西部に梅田町・東梅田町・西梅田町・北梅田町の4町名が誕生しました。

第2項 大阪のお臍「ミナミ界隈」

(※本サイト内関連記事 大阪市・南区《 タウンヒストリア 》

大正・昭和を通じて嘗ては「千日前通り」にはチンチン電車が行き交い、大阪を代表する唯一の「大繁華街」であり、1653年以来、頓堀五座、浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座が芝居興行を打ち、大江戸浅草六丁目一帯と並び関西歌舞伎・演芸すなわち「娯楽の中心」盛り場であり続けてきた。

昭和年間の戦前・戦後には「大阪歌舞伎座(千日前・大阪楽天地)」「大阪劇場(大劇)」と「4000人収容規模」の巨大劇場が集中し、大阪の盛り場といえば「南」だった

戦後、「TV」の普及で急速に「娯楽」の主役の座から引きずり下ろされた「観劇・映画・演劇」が低迷して初代「千日前・大阪歌舞伎座」「大阪劇場(大劇)」がなくなり、この地区に集中していた「中座・角座」や「数多くの映画館」も廃れて、変わって一大「飲食街・商業施設地区」に変貌した。

第1目 ミナミは西?に広がりだしている!

地図をご覧いただければお分かりの様に、御堂筋(心斎橋筋)千日前通り(道頓堀)の南北筋・東西通りの交差点「大阪難波を中心に、南北東西に商業エリアが広がっています。

また2000年頃から大阪市開発公社の手によって日本橋 - 浮庭橋間の両岸に設けられた約2kmの遊歩道とんぼりリバーウォーク が整備されて、2012年(平成24年)4月から大阪市から南海電気鉄道に管理と各種イベントなどの運営が委託されています。

現在はJR難波駅前にある「なんばハッチ」と対岸を結ぶ歩道橋浮庭橋で終わっていますが...

"汐見橋"までは西へ残り僅か800m!

この区間にウッドデッキが延長されて道頓堀川両岸が再整備されれば...

両岸には商業施設・飲食店が進出して、千日前通りにも四ツ橋筋同様に「ビジネスビル」が立ち並ぶようになるでしょう!

※参5、当サイト関連記事 南海 汐見橋線 は輝かしい未来に向かって活き続ける!はこちら。

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★第1節 御堂筋廃道計画とは

第1項 今の大阪経済では市内のオフィスビルは供給過剰!

過ぎてしまったことを悔やんでも仕方ありませんが...

関西の経済基盤がここまで凋落して、富まで東京に掻っ攫われたのは、バブル経済崩壊と共に露呈した「不良債権処理問題」に端を発した、1996年からの(第2次橋本内閣がとった)「金融制度改革」!いわゆる金融ビッグバンによる都市銀行の合併で、元関西系金融機関の本店が東京都に移転してしまった!のが原因でしょう。

在阪の大手都市銀行本店や大手証券会社本店が、統廃合で次々と大阪から姿を消して"帝都東京"に移転したために、大阪ゆかりの有力企業の本社も次々と東京に移転して「大阪市の財政基盤(税収)」をガタガタにしてしまった訳です!

第2項 大阪市を困窮に陥れたのは自民党政府

そして、あれほど栄華を極めた本町御堂筋界隈のオフィスビルに"空き室"が目立つようになり今日の"惨状"を招いたわけです!

地下鉄建設推進派の旗頭自民党大阪市議団の"親方"自民党(政府)の失策で、大阪市をはじめとした"地方都市"は軒並み"財政基盤(税収)"を失いました!

第3項 マッチポンプ?独立行政法人都市再生機構

1992年2月のバブル景気崩壊と共に露呈した不良債権問題処理のための"金融ビッグバン"と"有力企業の統合再編成"で、富(財源)を帝都・東京に掻っ攫われた今の大阪市には、巨大プロジェクトを独自で行う財政基盤は無くなりました!

21世紀に入ってからは、2004年7月に誕生したUR(独立行政法人都市再生機構)の全面協力?を仰いで大阪梅田都心化計画が引き続き推進されてきたわけですが...

大阪市都市計画局(市営モンロー主義の本丸※01)が企てて始めた"埋田"再開発事業は、少子高齢化と「富と権力」の東京一極集中がもたらした今日の大阪経済衰退!を想定していなかった無謀な計画であったといえるでしょう!

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★第2節 キタとミナミを結ぶ南北 目抜き通り の変遷

第1項 "堺筋"が大阪の目抜き通りだった大正時代

和歌山へ至る紀州街道の一部区間にあたり、江戸時代の「物資の集積地船場」から堺へ出る道であったことから堺筋と呼ばれ定着しました。

当時から人通りが多く、南北方向のメインストリートであしたが。

1876年4月18日 奈良県を堺県に編入合併。

1884年に関西経済界の重鎮、藤田伝三郎・松本重太郎・田中市兵衛・外山脩造らによって大阪堺間鉄道として阪堺鉄道が設立され、1885年に難波 ⇔大和川(後に廃止)間を開業。

鉄道事業者「市内乗り入れ拒否・市営モンロー主義」産声を上げる

1903年 「市営モンロー主義」の旗頭、錦の御旗として日本で最初の公営軌道「大阪市電」が 花園橋(現在の九条新道交叉点) - 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)5.1kmの築港線が華々しく開業。

これを期に、大義名分を確立させた当時の大阪4大区を核にした大阪市が一世紀以上にわたり、「大阪城開門」を拒み続け、現在の「大阪駅・梅田駅」集中を引き起こしてしまったわけです。

1908年 堺筋に続く南北幹線として四つ橋筋が梅田 - 難波間を結ぶ最初の南北幹線として先に竣工した。同年、堺筋の日本橋3交差点 - 恵美須交差点間が拡幅され、大阪市電「南北線」が走り出した。

1912年(明治45年)に北浜1交差点 - 日本橋3交差点間が12間(約21.8m)に拡幅され、大阪市電堺筋線が敷設され前年1911年12月1日に開業していた恵比須交差点の阪堺電気軌道恵美須町駅 と繋がり、大阪の南北交通の目抜き通りと成り、重要な枠割りを果たしていました。

しかし旧難波橋に、市電を通すことに対して反対運動が起こったため。

1915年に堺筋に新・難波橋(現在の橋)が架けられ、天神橋1交差点 ⇔北浜1交差点間には大阪市電天神橋西筋線が敷設され以前の難波橋筋の役割が加わった堺筋は人通りが倍増し更なる発展を遂げた。

1917年(大正6年)には三越が高麗橋2丁目(現・高麗橋1丁目)に移転、

1919年(大正8年)に第6代池上四郎大阪市長が、梅田⇔ 難波間の梅田新道・淀屋橋筋・御堂筋を第一次都市計画事業の都市計画街路第1号線として、延長4 km、幅員44 m(24間)へ拡幅する事業計画を発表しましたが...その後も、堺筋の繁栄は続きました。

1921年(大正10年)備後町2丁目に白木屋(百貨店)が開店、

1922年(大正11年)には長堀橋筋1丁目(現・島之内1丁目)に高島屋が、

1925年(大正14年)には日本橋筋3丁目(現・日本橋3丁目)松坂屋が店を構えるなど、堺筋は大正時代に繁栄を極めていました。

第2項 両歓楽街を結んだ大阪の背骨「御堂筋」 が南北交通の主役の座へ!

1919年計画発表当時は実現不可能と思われていた御堂筋拡幅事業。

当時幅員44 mのお化け道路?御堂筋が実現するとは誰も思ってもいなかった!

第7代大阪市長に就任した都市計画学者・關一は1919年発表の「御堂筋計画」を池上から引き継ぎ、

1926年、都市計画により、地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,375万円をかけて24間幅へ拡幅する工事が開始された。

1927年に大江橋北詰交差点以北の拡幅工事は早々と竣工。大江橋以北の街路樹はプラタナスで、淀屋橋交差点以北には大阪市電の軌道も残された。

1929年用地買収に手間取っていた淀屋橋交差点以南もようやく着工。

1933年5月20日:大阪市初の市営地下鉄1号御堂筋線線の「 梅田駅(仮) ⇔心斎橋駅間 (3.1 km) 」が開業じ「市電並みの17m級の単行電車」が走り出した。

1935年10月6日には梅田駅本駅が開業。10月30日には心斎橋駅 ⇔難波駅間 (0.9 km) が延伸開業し2両連結運転が開始された。

1937年(昭和12年)5月11日 「面玄関に躍進した大阪駅」と大繁華街「難波」を結ぶ新目抜き通り「御堂筋」が竣工した

大江橋と淀屋橋は現在の橋に架け替えられ、御堂筋にある長堀川(新橋)と道頓堀川(道頓堀橋)に初めて橋が架かり、淀屋橋以南には大阪で初めてチンチン電車が走らない、イチョウ並木で飾られた一直線の目抜き通り御堂筋が完成した。

商業施設はいち早く、一般企業の多くも堺筋から御堂筋へ移転し、メインストリートとしての地位も堺筋から御堂筋へ移り現在に至っている。

思えばこの時に、チンチン電車も通しておけば、トラムカーが都市交通の悪役にもならず!御堂筋廃道計画などは...

♥廃道にしなくても色んな使い道があるのに...御堂筋を走るトラムカーのイメージ!

第3項 "大儀"として欠かせない交通渋滞をきっかけに地下鉄建設推進に...

1960年(昭和35年)10月6日 - 大阪市北部地域を中心に10時間にわたる交通マヒが発生してチャンス到来とばかりに地下鉄建設推進シンジケート一派(※1)がマスコミを巻き込んでチンチン電車元凶説をプロパガンダして市民感情を煽った結果、市民の間からも市電廃止論が浮上しました。

1966年3月29日 の大阪市議会で市営モンロー主義を唱える地下鉄建設推進一派が満場一致で廃止を決議!

1969年3月31日 - この日限りで市電全線廃止問なりました!

根拠となるのは1964年当時市電が廃止されて、更にその後に道幅43mもある御堂筋が前代未聞空前絶後!の暴挙「一方通行」となった経緯です。

第4項 Expo`70大阪万博が御堂筋廃道計画の発端に?

1970年には御堂筋を一方通行に!

1970年に御堂筋を一方通行にしたのも「市営モンロー主義」を唱える大阪市議会の輩でした!

彼らは、高度成長期に押し寄せた「モータリゼーションの大波」にうまく乗り、脆弱な道路網を棚に上げてチンチン電車元凶論をプロパガンダして、「当時庶民の足として」大活躍していたチンチン電車を廃止して「がっぽり儲かる地下鉄建設」に民意を向けるために、道路網整備を遅らせて「チンチン電車」を追っ払いました!

結果迷惑をこうむったのは通勤通学の足として「チンチン電車に頼っていた」一般市民でした!

(※)詳しくは参当サイト関連記事プロローグ 大阪メトロが『崇高な理想と使命感』に燃えていた頃 料金改定の歴史をご参照ください

※1961年12月11日...4号線(現中央線)開業
4号線(中央線) 全区間 15円 1号線(御堂筋線)・3号線(四つ橋線線)全区間 20円

市電は全区間1回13円!据え置きで1962年4月に15円、1966年になって20円に

参※1)当サイト関連記事 旧大阪3郷・大阪四大区 に端を発する"市営モンロー主義一派"とは...はこちら。

第5項 卑劣な手口で市電を全廃に追い込んだ後にようやく道路整備に着手!した市営モンロー主義者一派!

青色のラインが1964年以降新設・拡幅された道路です。

赤色のラインは1964年以降も手を付けなかった?街路です。

つまりえんじ色の御堂筋はもともと40m幅の防災道路だった。

市電を全廃に追い込んだ後にようやく中央大通り、長堀通り、千日前通り、梅田伸道の拡幅整備に着手して、なにわ筋、新なにわ筋、谷町筋を建設して、市内の渋滞緩和に手を付けました。

  • ●中央大通り;1962年事業開始1970年完工
  • ●谷町筋 1958年本格事業開始、1970年全線40mに拡幅完成。
  • ●なにわ筋 40m幅拡幅事業1962年頃着工 1970年頃西成区長橋交差点迄完成。
  • ●新なにわ筋 40m幅拡幅事業1962年頃着工 1970年頃阪神野田駅前迄完成。
  • ●梅田新道(国道1号線拡幅事業)40m幅拡幅事業1964年頃着手 1979年頃大阪駅前第3ビル竣工と共に完成
  • ●長堀通り 1962年頃長堀埋め立てによる40m幅拡幅事業1着工 1970年頃完工
  • ●千日前通り 1968年頃、近鉄なんば線、大阪メトロ千日前線着工、阪神高速15号酒井線高津湊町間着工と同時に着工1972年阪神高速道完成と共に竣工。
  • ●国道165号(旧25号)バイパス天王寺駅⇔新今宮間40m拡幅完成2020年

これ等新たに建設された道は電車道として整備された四ツ橋筋、堺筋、松屋町筋、上町筋の20m幅電車道よりは格段に広いわけです!

青色のラインすなわち北側から梅田新道、中央大通り、長堀通り、千日前通り、国道新165号線(25号線バイパス)は、全て35m~40m以上の防災道路として1970年の大阪万博開催時にはほとんどの路が完成していましたからこの頃には、市内中心部の車の流れは飛躍的に良くなったていたわけです!

この結果市内中心部は以前に比べて見違えるように通行車両の流れが良くなりました!

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★第3節 浪速の誇り御堂筋は旧4大区一派の謀略で2037年その長い歴史に...

旧4大区出身者が占める「大阪市都市開発局」の主導で組織化された、「御堂筋完成80周年記念事業推進委員会」と名乗るシンジケート一派が、大阪市の顔として1937年5月11日以来、100年近く全世界に知れ渡っていた御堂筋を地図上から消しさると!...

沿道のオフィス街や商業施設は次々と閉鎖されて、廃墟が建ち並ぶゴーストタウンエリアとなるでしょう。

往時の賑わいを知っている市民の多くも冥土へ旅立ち?日本国内初の20間道路だった御堂筋は歴史から完全に消し去られてしまう!ことに... ア~ア w(¬u¬)w

第1項 2037年には大都市のど真ん中に、ビニールハウス都市型農園街が出現する?

つまり、市営モンロー主義者(大阪市都市計画局)一派が企んでいるような「都市型高層コンドミニアム」を「1億円」前後の高額で購入したり、月に数百万円もの家賃を支払って賃貸コンドミニアムに入居する人たちが何万人もいるのでしょうか?...答えはノーに決まっています!

だから、2020年から始まっている側道撤去工事の様子を見ながら、2025年expo大阪の状況を見据えて2037年(なにわ筋線開業後5年後の北陸新幹線・リニア中央新幹線の大阪到着?)を目途に全区間"廃道"にするという陰謀が企てられたわけですが...

廃道が実現すると、高級コンドミニアム街どころか、テナントが去った貸しオフィス廃墟が建ち並び、更地にした後の税金対策で「耕作地」に転換して買い手を待つ「都会の農地」Area(空き地)になってしまうでしょう!

また、御堂筋から企業が無くなれば、宗右衛門町当たりのミナミ新地の飲食店街は周辺の大事な顧客「サラリーマン」が消えてしまい、岐阜の柳瀬同様に寂れてしまうでしょう!

第2項 1970年大阪万博に合わせた市内4大幹線の一方通行実施!は何だったのか?

その間1970年大阪万博の年に渋滞緩和を錦の御旗に掲げて前途した御堂筋、四ツ橋筋、堺筋、松屋町筋の一方通行を市民に押し付けました!

西から

  • 四ツ橋筋 北行
  • 御堂筋 南行
  • 堺筋 北行
  • 松屋町筋 南行

の一方通行が実施されました!

さらに、当時日本の経済界を支えていた関西経団連、関西同友会、大阪商工会議所をバックに"よとう(夜盗?)自民党大阪市議団は、地上交通の渋滞を盾にとって地下鉄建設を猛進!させました。

しかし上記4大主要幹線(主要幹線は20m幅のまま!)を除く市内の南北幹線・東西幹線が次々と拡幅(新設)整備されて、1975年以降は市内中心部では渋滞は見られなくなりました。(※これは当時生意気にもマイカー通勤で市内を抜けていた小生の実感)

そして令和の御代になった今、市内中心部では新たに地下鉄建設を行う大義は無くなっています!

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★第4節 御堂筋を"未道筋"にしても野党・自民党市議団が望む地下鉄建設"妄想"は実現できない!

御堂筋を「未道筋」に改悪して!市内交通を再び麻痺させて松屋町」筋、上町筋に地下鉄を掘り進む謀略を企てているのでしょう!が...

そこで、御堂筋緑化計画推進大阪緑の会?などという訳の分からない怪しい団体を立ち上げて、"御堂筋を未道筋"に変えて、再び都心部を交通渋滞に導いて、地下鉄のまだ通っていない「松屋町筋」「上町筋」に地下鉄を建設しようと画策しているのでしょう。

第1項 21世紀令和2年の現在結果は明らかに

チンチン電車が渋滞の元凶ではなく、狭い道に問題があったことは明白な事実として結果に表れています。

X渋滞の中を走行する堺トラムの事前映像

♥トラムも車もスイスイの事後映像

2019年のあべのハルカス前阿倍野筋(谷町筋延長部分)の渋滞解消の例を挙げるまでも無く...

道路拡幅整備を行わずに("無理やり"地下鉄を通した谷町線の頭上を通る)国道一号線では未だ日常的に渋滞が発生して旭区・都島区の住人を苦しめ!ています!

その先に続く今里筋でも、日常的に交通渋滞が発生しています。(2010年当時現役で働いていた時の実感なので間違いありません!)

更に長堀鶴見緑地線が通る府道8号今福⇔大東線もしかり。

自民党・公明党の"やとう(夜盗?)議員達で組織する"地下鉄建設推進シンジケート"が喧伝するように地下鉄建設で地上交通の渋滞が解消された区間は一つもありません!(※01)

たまたま、道路拡幅工事と、地下鉄開通が同時期に完了した区間だけです!

参※01)当サイト関連記事 地下鉄建設推進シンジケート一派によって「 仕組まれた交通渋滞!」とは?はこちら。

第2項 現状、野党が望む新規地下鉄路線計画は全て凍結・無期延期!

彼ら自民党・公明党市議団の「地下鉄建設推進シンジケート一派」の野望は"実現できない"でしょう!

何故なら、前途したように「大阪市の財政基盤(税収)」が脆弱化して!自力では「地下鉄建設など到底不可能な状態!」となっているからです!。

なので、1992年2月のバブル景気"消泡"後は2000年3月に着工された今里筋線を最後に「新たな都市交通路線建設」は都市再開発同様に全て"民喝!"の入った第3セクターの事業となっています!

2020年の"大阪都構想"住民投票で"やとう(夜盗?)自民党市議団"が守ることになった"市営モンロー主義"の巣窟大阪市本庁の体制は堅持されたわけですが...皮肉にも彼らの守った大阪市都市計画局、大阪市都市交通局では、独自事業の新規地下鉄路線計画は全て無期延期となっています!

大阪市交通局直営事業の変遷

大阪メトロ 長堀鶴見緑地線
  • ●1990年花博に合わせて 長堀鶴見緑地線一部開業。
  • ●1996年12月 長堀鶴見緑地線心斎橋延伸
  • ●1997年心斎橋⇔大正、鶴見緑地⇔門真南館延伸開業で"全線開業"。
大阪メトロ今里筋線
  • ●2000年3月着工 2006年12月"全線"

民喝!3セク事業

  • ●1974年7月10日設立 株式会社大阪港トランスポートシステム(大阪メトロ中央線大阪港以西)
  • ● 1988年5月25日設立 関西高速鉄道株式会社(JR東西線、なにわ筋線)
  • ●1996年11月21日設立 大阪外環状鉄道株式会社(おおさか東線)
  • ●2001年7月10日設立 中ノ島高速鉄道(京阪中之島線)
  • ● 2001年7月10日設立 西大阪高速鉄道株式会社(阪神なんば線)

参当サイト関連記事 市営モンロー主義者の居城"大阪市役所本庁舎"

第3項 どうしても土建業界に貢献したい?のなら...

意地を張らずに「大阪メトロ」をリファイナンス(再投資・再融資)して"民喝!"で完全民営化して嘗ての営団地下鉄のような第3セクター「真・大阪メトロ」(※99)に組織改編して完全に独立した組織に改革しないと未来永劫共に"やとう市議団"が望むような「新規路線」は建設できないでしょう!

参※99)当サイト関連記事 休眠待機・充電中?の大阪メトロが再び活気あふれるメトロに覚醒するには...はこちら。

エピローグ 御堂筋界隈をベンチャービジネスの集結する「一大経済特区」に!

未来学者の故堺屋太一さんの「大阪・梅田新都心構想」だけが「なにわの復権」への途ではありません!

大坂に活気を取り戻すには、御堂筋を封鎖して「大企業?」を大阪・梅田新都心に強制移住!させるのではなくて...

一方通行の「片肺」状態の御堂筋を大手術で両方向通行の健康体に回復させて、

御堂筋沿道を日本中のベンチャービジネスの集結する「経済特区」に生まれ変わらすことのほうが、「デリバティブ取引」に生まれ変わった(株)大阪取引所とも整合性がある成長戦略ではないでしょうか!

富(企業本社)を根こそぎ東京に掻っ攫裸われて主要メンバーがいなくなり、弱り目に祟り目?の関西経団連・関西同友会・大阪商工会議所に、余力?が残っている内に、「民喝(民活)」を喚起して「なにわの復権」を図るべきではないのでしょうか...

第1項 expo'70年大阪万博以来" 御堂筋は片肺摘出 "で機能不全に!

御堂筋完成以来、実に82年(令和元年現在)が経過しているにもかかわらず...

大阪を南北に貫くサブ幹線、四ツ橋筋、堺筋、松屋町筋は、チンチン電車の走っていた戦前・昭和初期のまま拡幅もされずに放置されていて!

メインストリート御堂筋はexpo'70年大阪万博以来「片肺状態!一方通行規制」の呪縛から解放されていない!状況です。

両外側にある、谷町筋、なにわ筋、新なにわ筋が40m級の防災道路に拡幅整備されて、阪神高速市内環状線が大阪中心市街地の南北交通を側面から援護しているので、このエリア(中央区・西区・北区)の交痛?事情はチンチン電車が廃止された1969年当時とは比較にならないほどに改善されています!

第2項 expo2025大阪関西万博を機に片肺状態の御堂筋を健康体!の「両方向通行」に...

2037年までに淀屋橋 ⇔難波間の御堂筋約3キロメートルを一般車両の通行できない"未道筋"!にするなど、とんでも無い陰謀です!

今こそ御堂筋パレードの復活を

「大坂維新の会」は自己矛盾に気づいて無い?

行政改革、『聖域のない財政削減』を訴えて、数多くの文化事業を撲滅!したにもかかわらず、

経済波及効果と嘯いてexpo2025大阪関西万博を誘致する???...

緊縮財政だけでは、市民のやる気も"萎える"だけでは...

お祭り「御堂筋パレードの復活」で意気消沈している"なにわ"にやる気を呼び戻すべきでしょう!

毎年続く御堂筋パレードの経済波及効果は、「短期決戦のexpo2025大阪関西万博」を凌駕できる「持続可能な景気刺激策!」ではないでしょうか?

大事なのは「富(働き場所)」を根こそぎ帝都・東京に掻っ攫われて「意気消沈している浪速っ子」に夢と希望を与えることではないでしょうか?

『御堂筋完成80周年記念事業推進委員会』はイカレテイル!

『御堂筋完成80周年記念事業推進委員会』が取り組むべき事業は、地元商工会と協力し合って、難波から大阪駅に向かって「進撃」するフレッシュ・御堂筋パレード復活でしょう。

今の『御堂筋完成80周年記念事業推進委員会』が企てている『未道筋!緑化公園(完全歩道化)計画』は完全にイカレテイル!としか言いようがありません!

こんなバカげた「シンジケート」は"市民の力"ですぐさま解散させるべきです!

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後書き《 都市計画とは...》シリーズについて

嘗て、高度成長期に一世を風靡した近隣都市と連携したメガロシティー(都市圏)構想がすっかり影を潜めて?

昨今は、地方の中核都市ではコンパクトシティーがトレンドとなり、

職住一致環境の構築で『災害時の帰宅困難者』問題や、

過剰なインフラ整備への公共投資を軽減する方向に向かっていますが...

コミュニティーを構成する個人は十人十色で、為政者の思い描くような方向には、都合よく向かってくれないのも実情です!

"統治"に重点を置いた都市計画(道路計画・町割り計画)では、時々刻々と変化する社会情勢(経済活動)に迅速に対応できなく、

特に、今後も一極集中が進むであろう首都圏では"柔軟な展開"が図れるような、"フレキシビリティ"が必要でしょう!

首都圏では

首都圏では、旧河川に下ずいた複雑に入り組んだ行政割りを、見直す時期にもなってきているのではないでしょうか?

特に今後も発展(一極集中)を続ける首都圏では、各行政当局がローカルエゴを捨てて、"首都圏州"構想を前進させたほうが、首都圏全体のインフラ整備・一元化が円滑に行えて、日本の将来の為になるかもしれません!

首都圏以外の"地方都市"では

地方の中核都市(大都市)郊外の衛星都市(ベッドタウン)では、少子高齢化と中核都市にある都市への住人回帰(転出者)による、"過疎化"

にどう対処するか?

更に、嘗て高度成長期を支えてきた"重厚長大産業"と共に栄えてきた、地方の産業都市にとっては、安価な発展途上国製品に押された生産量減少、とリストラによる就労者減少の影響、による財源(税収)減少に伴う都市衰退にどう対処するか...

各市町村がバラバラに都市計画を策定するのではなく、周辺都市との合併も視野に入れた、高域活性化策(広域都市計画)が求められているのではないでしょうか。

鉄道神話と箱物行政に別れを告げて、インフラ(道路)整備に重点を

安直な箱物行政の時代は過去の幻影となっています!

もう一度国家の基盤は"物流・道路行政"にあることを思い起こして、大局的な見地が必要となってきているのではないでしょうか?

狸穴総研 政経調査室 出自多留狸

 

公開:2018年7月 9日
更新:2021年7月 8日

投稿者:デジタヌ

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