『タヌキがゆく』狸穴ジャーナル

阿倍野 はまるでヨーロッパの街並み?のような アクセス 先進エリア!《タウンレビュー》

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前書き(要約)アクセスの変遷から見た阿倍野区の歴史探訪

令和元年時点で日本一のノッポビル「あべのハルカス」があり、阿倍野区にあるのに「天王寺駅前」を名乗る阪堺電気軌道の起点電停があり、「料理界の東大」を標榜する辻調、などおしゃれで先進性に満ちた街!それが阿倍野区です。

旧4大区に縄張りを割譲させられ、一時は住吉区に併合され、まるで「ポーランド」のような迫害?を受けながらも、大阪の発展を信じ、地域エゴを捨て率先して「住みよい街大阪」を目指してきた「旧天王寺村・阿倍野村」の住人ヒストリア。

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。

※本ファンタジーについて

本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...

筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。

後述する各団体とは直接関連はありません。

また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。

本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。  

★プロローグ 人口5万人を超える府下有数の規模を持っていた天王寺村!が始祖

進取の気鋭に富む、このエリアの住人は早くから鉄道の将来性を信じて、初代大阪鉄道、大阪馬車鉄道(現阪堺電車の始祖)などの事業と取り組み、阿倍野区の発展に寄与しました。

初代大阪鉄道の線路より南側の地域が、村役場を天王寺村大字阿部野字南坂田(現在の大阪市阿倍野区晴明通、大阪市立晴明丘小学校敷地)に置く東成郡(第2次)天王寺村となり、

人口5万人を超える当時の大阪府下でも有数の規模を持った天王寺村?(大字天王寺、大字阿倍野村)が起源でした。

江戸時代に四天王寺の門前町および四天王寺七宮を鎮守とする北・上之宮・小儀・久保・土塔・河堀・堀越の7集落をあわせて天王寺村が発足。村内は(入り組み支配で)幕府領と四天王寺領に分かれていた。南方の阿倍王子神社周辺に位置する阿部野の集落は大坂の陣の影響で一旦無人化してしまったが、...1618年に天王寺村の新家とされ、1663年には阿部野村として分離された。...幕末期には1万人近い人口を擁する大村となっていた。《Wikipediaより引用》

維新後も大阪市(旧4大区)「市営モンロー主義」と戦い続け...

1897年4月1日、大阪市(旧4大区)の第一次縄張り拡大による「市営モンロー主義」(※1)政策以前に数々の鉄道事業に協力し、大阪市発展の礎を築いた!

1889年(明治22年)5月14日:大阪鉄道(現JR大和路線) 湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開業し天王寺駅開業

1895年5月大阪鉄道 天王寺駅 ⇔玉造駅間(2M28C≒3.78km)が開業(現JR環状線の東側一部)同年10月17日:玉造駅 ⇔ 梅田駅間(4M29C≒7.02km)が延伸開業(後の城東線・現JR環状線東側)にも協力し、市営モンロー主義一派(※1)とは異なり大阪の発展に絶大なる貢献をしてきた!

※1、当サイト内関連記事 大阪三郷・旧四大区に端を発する「市営モンロー主義者」達の謀略とは?

日本初の鉄筋コンクリート高架鉄道への協力

1929年(昭和4年)7月18日に当時京阪系列であった阪和電気鉄道が阪和天王寺駅 ⇔和泉府中駅間(13.0M≒20.92 km)を開業しましが、このうち阪和天王寺⇔美章園停留場(1931年6月開業までは信号所)間が日本初の鉄筋コンクリートによる高架鉄道として開通しました。

敗戦後の1943年の阿倍野区誕生以後も...

市街地改造・道路拡張にも積極的に協力

阿倍野橋周辺の阿部野区内の国道25号バイパス拡幅整備に積極的に貢献し、桑津4丁目交差点⇔浜津橋南交差点間の国道25号バイパス拡幅整備に全面協力し大阪市立大医学部付属病院⇔大阪狭山線交差点の拡幅整備に早い時期から住人が(立ち退き)協力しています。

そして市街地改造事業と並行して進められた来た2018年にあべのハルカス前阿倍野筋の拡幅整備事業にも全面協力し大部分が供用開始されて、まるでヨーロッパのような街並みになりました!

♥トラムと車が仲良くスイスイ

殆ど通過同然で区民には直接メリットの少ない阪神高速松原線建設などにも協力

1970年に開通して以来18年間も区内を通り抜けだけしてきた「阪神高速松原線」がやっと1986年に「文の里出口」を開業したが入口の無い「区民乗り入れ拒否?」で直接メリットの少ないの「区内通り抜け」にも快く協力!

その他の一般準幹線整備への(立ち退き)あびこ筋近鉄南大阪線、JR線連続高架バイパスへの(立ち退き)協力。

その他にも難行(南港)通り、松虫通り、の各幅整備などなど、区内だけではない大阪市内全域の広域アクセス改善にかかかわる道路建設にも絶大なる(立ち退き)協力をしてきている。

★第1節 数々の鉄道事業の市内侵攻!を側面から支援した歴史

第1項 大阪初の馬車鉄道の開通を支援

1900年(明治33年)9月20日 大阪馬車鉄道が天王寺南詰(現在の天王寺駅前交差点付近) - 八弘社(現在の阿倍野) - 阿倍野(現在の東天下茶屋)間1.05マイル(1.7 km)を開業(※1)。

同年10月26日:南海鉄道「天王寺支線」開業 天下茶屋駅 - 天王寺駅間2.4km(単線)

同年11月29日  大阪馬車鉄道「天下茶屋 - 上住吉(現在の神ノ木)」間延伸開業。

大阪馬車鉄道「天王寺南詰 - 天王寺(現在の大阪市天王寺区四天王寺前交差点にあった駅」延伸開業。

1901年(明治34年)10月5日:南海鉄道 天王寺支線開通により南海線 住吉駅 ー 関西鉄道大阪駅間で直通運転を開始。

※参1、後述する阿倍野区の始祖、天王寺村の村役場が現・大阪市立晴明丘小学校所在地(阿倍野区晴明通)にあったためにこの辺りが天王寺村の中心街であり元天王寺村の繁華街であった関西(かんせい)鉄道天王寺駅と、村役場周辺の市街地(東天下茶屋)を結ぶアクセス路線として有志で設立された。

更に、住宅地として人口が急増している村役場周辺(天下茶屋)と天王寺を結ぶ競合路線として南海天王寺支線(汽車列車)が開業し、旅客争奪合戦を繰り広げていた!

1903年9月12日 -「 市営モンロー主義・大義名分化」の旗頭として大阪市内の大阪市営電気鉄道築港線(花園橋 ⇔築港桟橋 間約5km)が開業。

以後鉄道事業者が4大区が仕切る縄張り内への侵入を阻止し続けられた!

1914年 (大正3年)4月26日に今池 ⇔ 平野間5.9kmの阪堺電気軌道(初代)平野支線の開業に協力し、大阪南部の公共鉄道網整備に協力

日本初の高速電気鉄道「2代目大阪鉄道」の天王寺開業に協力

1923年4月13日:大阪鉄道(現近鉄)大阪天王寺駅(現在の大阪阿部野橋駅)⇔布忍駅間が開業し、大阪天王寺駅 ⇔ 道明寺駅間が1500V電化(※1)で全戦開通。

※1、日本初の直流1500Ⅴ電化"鉄道"、当時全国の郊外電車は路面電車とおなじ軌道法か軽便法に依る直流600V電化の Interurban (高速電気軌道)が一般的でした。

参) 当サイト内関連記事 旧 国鉄 時代の 省線 電化 の流れと日本定番 直流1500v電化方式 はこちら。

1925年の村消滅の後も大阪府・住吉区とともに鉄道事業を支援

1925年、(旧4大区の主導する)大阪市の第二次縄張り戦争で、4大区(南区・東区)から独立した天王寺区と新しくできた住吉区に再度割譲され天王寺村(阿部野村)が消滅した!

★第2項 大東亜戦争中の1934年に阿倍野区が生まれる!

1943年 、戦時決戦体制強化の名目で長年続いた4大区(東・西・南・北区)の自治権が無くなり大阪市と完全統合! 同時に旧天王寺村(阿倍野村)が住吉区から田辺町・住吉村・長居村を引き連れ分離独立し阿倍野区が誕生して敗戦後の復興に繋がった。

敗戦後も新生・阿倍野区として戦後復興に立ち向かう!

「進取の気鋭」で我孫子筋拡幅復興と地下鉄御堂筋線の延長に対して区民が(立ち退きなどで)協力、さらには阪和線高架事業にも協力

1951年(昭和26年)12月20日:天王寺駅 ⇔昭和町駅間 (1.8 km) が開業。
1952年(昭和27年)10月5日:昭和町駅⇔西田辺駅間 (1.3 km) が開業。

1960年(昭和35年)7月1日:西田辺駅 ⇔ 我孫子駅間 (2.5 km)が開業 。

何れの区間も、我孫子筋とともに掘割工法で開削・完成させ、後に蓋をかぶせて「地下軌道」とした大掛かりな復興事業にも積極的に住人(立ち退き)協力!

更に阪神高速松原線と同時着工の1980年(昭和55年)11月27日谷町筋線の天王寺駅⇔八尾南駅間 (10.5 km)の延伸開業にも住人(立ち退き)協力

阪和線 美章園駅 ⇔杉本町駅間の高架事業2004年10月完成の上がり線から2006年5月の下り線開通にかけての連続立体交差化にも住人(立ち退き)協力。

おまけに、計画倒れとなった、阪神高速&複々線化用地に係る立ち退きにも住人協力!

第2節 阿倍野区のある大阪府・大阪市の歴史

阿倍野区のある大阪府・大阪市とは

大阪府

推計人口、大阪市8,819,416人/2018年4月1日

旧・摂津国の一部・河内国・和泉国からなる府。

かつては、都道府県で東京都に次ぐ第2の人口だったが、2006年5月1日に神奈川県が大阪府の人口を上回ったため、現在は第3位である。

大阪市

旧摂津国と旧河内国にまたがるエリアで、大阪市の府庁所在地

推計人口、2,716,989人/2018年4月1日。

阿倍野区

旧摂津国東成郡に属していた天王寺村と阿倍野村が始祖

推計人口、110,322人/ 2019年7月1日。

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令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。

古代から近世を通じ、大阪平野を形作ってきたのは、淀川(神崎川・大川)水系、旧大和川(石川)水系、猪名川水系、武庫川水系であった。

特に淀川・大和川水系は「河内湖」(内海)に注ぎ、河内湖がほぼ消滅してからも長らく河内は湿地帯であった。

有名な、古市、百舌鳥古墳群は、河内湖周辺の先に堆積した比較的標高の高い堆積平野に作られている。

奈良時代においてはこれらの水系が旧大川(上町大地北端・現大阪城北側天満)の辺りに集中し、流域はたびたび洪水に見舞われるとともに、「肥沃な平野」を形作っていった。

つまり、これら旧河川を境に、上町大地周辺と淀川以北・以西を摂津国、上町大地の東側を流れる下除川(現下除川・現今川)以東を「河内国」、上町台地以南の下除川以西の地域を「泉国」と律令体制で定めた。

これら3国が元となり現在の大阪府が形造られている。(摂津国の猪名川以西は現・兵庫県域)

阿倍野区のある元摂津国のこれまで

淀川(大川本流)以北の六甲山系と伊丹台地に挟まれた三田から流れる武庫川、伊丹台地、と千里丘陵に挟まれた能勢郡から流れる猪名川、淀川分流の神崎川、の各河川流域の比較的早く形成された平野部と古くは難波宮が置かれた上町台地とその周辺部で構成されている。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

阿倍野区では、四天王寺の寺社領と幕府領(天領)が入り乱れていた!

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日)( 旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め大阪府(旧摂津国)も幾多の行政変遷にさらされた。

大阪府の成り立ち

1868年(慶応4年)旧暦1月22日大坂鎮台設置。

1868年同年旧暦1月27日大坂鎮台を大坂裁判所と改称。

1868年同年、旧暦4月大坂裁判所に町地(天領)を除く周辺部を管轄する司農局設置。

同年旧暦5月2日大阪府を置き大阪市街地を管轄させる。

大阪府発足当時の管轄地域は、摂津国東成郡61村、西成郡132村(中心部大阪3郷をのぞくほぼ現大阪市域)、住吉郡37村、河内国交野郡1村(加納藩預地)であった。

同年旧暦6月8日大阪府司農局が南北に分割。

同年旧暦6月22日 堺県設置。

明治維新後のなにわ

1869年 - 大阪城下(天領)大坂三郷を再編し、大阪市街地が東大組、南大組、西大組、北大組の4大組に分割される。

同年10月25日(旧暦9月21日) 東成郡・西成郡が大阪府の管轄となる

1871年8月29日(旧暦7月14日)廃藩置県布告。

1871年12月31日(旧暦11月20日) - 第1次府県統合により、猪名川以東の島下郡・豊島郡・能勢郡・西成郡・東成郡・住吉郡および島上郡の大部分(山崎村を除く)が大阪府、猪名川以西の5郡が兵庫県の管轄となる。

第3節 大阪府と鉄道の夜明け

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1874年(明治7年)5月11日:現東海道線大阪駅 - 神戸駅間(20M27C56L≒32.74 km)が旅客線として開業(三ノ宮駅 - 神戸駅間複線)。大阪駅・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・三ノ宮駅(現在の元町駅付近)・神戸駅が開業。西成郡曽根崎村に大阪駅が開業。周辺はわずかの民家があるだけで荒地と梅田墓地が広がっていた。

淀川の水運から鉄道利用に、京阪間の物流の変化

1877年(明治10年)2月6日:京都駅 - 大宮通仮停車場間(40C11L≒0.81 km)が延伸開業。大宮通仮停車場が廃止、京都駅が開業。神戸駅 - 京都駅間全通

離合集散の歴史

1881年(明治14年)2月7日 堺県を大阪府に編入合併。

※1704年10月大和川付け替え完成以来のこの辺の事情が「21世紀まで尾を引く」大阪府・大阪市と堺市の確執につながっている?。

1885年 (明治18年)6月17日~7月上旬の淀川洪水で大被害が出る。被害は納谷川以南にまで拡大し大和川付け替えで無くなったはずの「河内湖が出現」し始め最大で4ⅿも浸水した!大阪市内は上町台地以外はすべて浸水した。

1887年旧暦11月4日 奈良県を分離再設置し現在の府域が完成。

※つまり堺県を統合して大阪府としていた時は「奈良県も」含まれていた、この時の「遺恨」で奈良県は大阪府が提唱した関西広域連合に最後まで加盟しなかったわけです。

1875年 - 大区小区制施行により、4大組が第1大区、第2大区、第3大区、第4大区の自治権をもつ4大区となる。

1879年 - 郡区町村編制法施行により、4大区が東区、南区、西区、北区(旧)と名称が改められる。

1889年.4月1日 町村制が施行され東成郡阿部野村を編入して初代天王寺村成立、天王寺・阿部野の「2大字(おおあざ)」が誕生。

1897年4月1日、大阪市(旧4大区)の第一次縄張り拡張がおこなわれ、大阪鉄道(現在の関西本線・大阪環状線)の線路より北側の天王寺村が大阪市(4大区の南区)に割譲併合された。

初代大阪鉄道の線路より東側に飛び地状の地域ができたため、その地域は東成郡鶴橋村(現生野区)に編入されている。

(天王寺周辺の)本集落が大阪市(南区)へ割譲されたため、人口は一時激減したが、その後宅地化が進んで空隙に回復し1920年代には人口5万人を超える巨大な村?となっっていた。(現在の基準で言うと4万人以上の住む立派な独立した市!)

大阪市営電気鉄道の末路

大阪市電廃止論議は1960年(昭和35年)10月6日 - 大阪市北部地域を中心に10時間にわたる交通マヒが発生したことで一気に加速したとされていますが...

当時地民党?の議員団が貧弱な道路網を棚に上げ、完成していた("うまみ"が無くなって?)世界屈指のトラム網「市電・トロリーバス網」を「目の敵」にし、自己の(土建業)利益誘導のために、莫大な投資が必要な地下鉄網建設に目を付け活発な推進運動を展開した結果です。

1964年9月24日:市営地下鉄新大阪駅 - 梅田駅間 (3.5 km) が開業。

同年10月1日- 東海道新幹線が開通し、新大阪駅が開業

1969年3月31日;今里車庫⇔戎橋(難波) ⇔玉船橋と阪急東口(梅田) ⇔ 都島車庫 ⇔守口間が廃止によりこの日をもって大阪市電が全廃!されたわけです。

道路拡張整備に投資しておけば延命できた世界有数の公共交通トラム網が灰燼に帰してしまいまた!

1970年日本万国博覧会が千里丘で開催される!

2016年12月3日 阪堺電車 都市計画道近鉄前交差点ー阿倍野交差点間・阿倍野筋上町線 天王寺駅前 - 阿倍野間の軌道を新線に変更。

2018年 - 大阪市の交通現業部門が株式非公開で民営化され、地下鉄事業は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)、バス事業は大阪シティバスに引き継がれました。

★エピローグ 旧4大区とは違う、進取の気鋭に満ちたオシャレな街『阿倍野区』

道路整備(拡幅)さえ行えばトラムが有用な都市交通手段であることは、2016年に 都市計画道阿倍野筋の近鉄前交差点ー阿倍野交差点間650mが拡幅され、同区間を走る大阪唯一のチンチン電車阪堺電気軌道・上町線が中央部に移設され交通渋滞が激減したことで改めて証明されました!

参※)当サイト内関連記事 地下鉄 を建設してもエリア内交通状況の 改善にはつながらない! はこちら。

今にして思えば...

御堂筋建設と同時に日本初の公営地下鉄、地下鉄御堂筋線建設を行わず!に、中央部にチンチン電車を走らせておけば...

そしてそのごの敗戦後に、「失業対策事業として地下鉄延伸事業」など行わずに、"焼け野原"の区画整理事業を進めて、道路拡幅事業を推進しておけば...

1960年代の都市機能麻痺も起こらずに、チンチン電車は走り続けて、市営"交痛"事業の赤字増産も防げて、暮らしやすい大阪市になっていたのではないでしょうか...

更には今里筋のように、大阪シティーバスにしわ寄せが行くことも無かった訳です。(※91)

参※91)当サイト内関連記事 井高野 今里 矢田 を結ぶ 被差別路線! 今里筋線 延伸計画では沿線の名誉回復・発展には繋がらない! はこちら。

堺市では

既に戦後復興期の1957年には紀州街道(大道筋)「綾ノ町⇔御陵前交差点間」約2.6㎞が幅40mの防災道路となり、路面電車の中央への移設が完了して交通事情が一変したことで、「交通渋滞の原因は貧弱な道路事情」にあり路面電車のせいではないことが裏付けられていました!

しかし当時の大阪市の与党地元民党議員団は「立ち退き問題で票を失う」道路拡幅整備事業を避け、地元土建業者の献金・選挙協力にもつながる「地下鉄建設推進」に猛進!したわけです。

2018年の現在に至ってもいまだ反省の兆しも見えず、無謀ともいえる今里筋線延伸、千日前線延伸などの「不要不急線」増産に血道をあげている!わけで全く市民を「こけにしている」としか...

ヨーロッパの街並み?阿倍野はアクセス先進エリア!

前途したように、阿倍野区は進取の気鋭にみちた独自のアイデンティティを育んできた区です。

なので、自民党市議団の横槍にも屈せずに、道路整備に全力を尽くしてこれたのでしょう。

渋滞の中を走行する堺トラムの事前映像

トラムも車もスイスイの事後映像

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《大阪都市圏広域交通 への"Road"とは》関連記事のご案内 

※以下の♥タイトルをクリックすると、特集記事全てにジャンプ!できます。

後書き《LRT と Omnibus で築く21世紀の地方都市》シリーズについて

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世界のMetropolis・地方都市ではナチュラルバイアフリーTramに脚光が...

※路面あり、地下あり、高架あり! ハーグの HTM RandstadRail の例

世界のMetropolis(大都市・地方都市)では都市圏交通システムの"trend"は、地下鉄やモノレール、新都市交通、等のMetroに拘らずに...

エコロジー・エコノミー・ユニバーサルデザイン(バリアフリー)・コンビニエンス(利便性)の4拍子がそろったUltra-low floorのTram Carの走る"LRT"(Light Rail Transit)路面交通が見直されています。

更に♥軌道レス交通システム・バストラムも普及!

更に"軌道"に拘らずに一般公道(専用レーン)を走る超低床バストラムを用いた"都市型BRT(Bus rapid transit)基幹バスとomnibus(乗り合いバス)システムで構築されたOmnibus Town も着実に増えています

21世紀を都市圏赤字ローカル線が生き抜く為に...

急成長している"バイアフリー関連の鉄道施設産業!"すが...

"橋上駅舎・エレベーター・エスカレーター・ホームドア"等と言った大掛かりな"道具立て"は、生活路線であるMetropolisのローカル線や、地方都市のInterurban(都市圏近郊電車)では資金面で設備不可能!です。

小規模な公共交通事業者や地方都市の公営鉄道について、"利用者"であり出資者(納税者)でもある一般市民の立場に立って、コストパフォーマンス(費用 対 効果 )などの総合的な検討を加えた上で、(現在計画中の路線も含めて)交通事業者が(分相応な背伸びしない)"身の丈に合った都市交通システム"としての路面交通の優位性を考察してみました。

狸穴総合研究所 地域交通問題研究室 出自多留狸

※脚注 ♥関連団体 問い合わせ先 リンク集

関連団体リンクテーブル 

 

公開:2019年9月21日
更新:2022年9月13日

投稿者:デジタヌ

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