狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

大阪市・北区《 タウンヒストリア 》アクセスの変遷から眺めたキタ・大阪梅田界隈

前書き(要約)キタ新地・梅田界隈のアクセスの変遷から見た歴史探訪

明治元年に旧摂津国から大阪府に編入された大阪の表玄関右顔「梅田界隈」は江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれていた、1764年、曾根崎新地から北へ伸びて梅田墓地(現大深町・梅田貨物駅)へ至る「梅田道」が開かれたが、周辺は田畑ばかりの「ドタ」と呼ばれる寂れた土地でした。

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プロローグ 大阪市の人口の約 1/20 に当たる13万人が暮らしている北区

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大阪市庁舎所在地

推計人口;133,702人/2019年1月1日

品川ー新大阪ー梅田(大阪駅)2時間42分/549.3Km/¥14,680/新幹線-地下鉄

発足時の旧北区は江戸時代からの市街地だった地域で、蔵屋敷が並ぶ中之島、米取引の中心になるなど商家の多い堂島、青物市場が淀川沿いに並部、商業エリアと、大阪天満宮や寺町があるなど閑静な文化地区でもあった天満などからなり明治以降に併合された、西成郡の曾根崎村・北野村、と茶屋町は菜の花畑を見るための茶屋が立ち並び、特に現大阪駅のある梅田村周辺は大阪の街はずれにある荒地と寺と梅田墓地のある寒村でした。

本節 大阪市中央公会堂のある大阪市・北区とこれ迄の歩み

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北区のある大阪市とは

大阪府

推計人口;8,823,885人/2019年1月1日

東京都(13,843,403人/2018年10月1日)神奈川県(9,179,835人/2018年10月1日)に次ぎ堂々第3位!に輝く自治体?

旧・摂津国の一部・河内国・和泉国からなる府。都道府県中全国で2番目に面積が狭い。

古代から近世を通じ、大阪平野を形作ってきたのは、淀川(神崎川・大川)水系、旧大和川(石川)水系、猪名川水系、武庫川水系であった。

特に淀川・大和川水系は「河内湖」(内海)に注ぎ、河内湖がほぼ消滅してからも長らく河内は湿地帯であった。

有名な、古市、百舌鳥古墳群は、河内湖周辺の先に堆積した比較的標高の高い堆積平野に作られている。

奈良時代においてはこれらの水系が旧大川(上町大地北端・現大阪城北側天満)の辺りに集中し、流域はたびたび洪水に見舞われるとともに、「肥沃な平野」を形作っていった。

つまり、これら旧河川を境に、上町大地周辺と淀川以北・以西を摂津国、上町大地の東側を流れる下除川(現下除川・現今川)以東を「河内国」、上町台地以南の下除川以西の地域を「泉国」と律令体制で定めた。

これら3国が元となり現在の大阪府が形造られている。(摂津国の猪名川以西は現・兵庫県域)

大阪市

大阪府庁所在地

推計人口、2,727,255人/2019年1月1日

推計人口、2,716,989人/2018年4月1日。

旧令制国摂津国・西成郡、住吉郡、東成郡、住吉郡に当たる。大阪府の府庁所在地。

令制国(律令国)


645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。

大阪市の属していた摂津国


現大阪府域;島上郡、島下郡、豊島郡、能勢郡、西成郡、東成郡、住吉郡

現兵庫県域;川辺郡、有馬郡、武庫郡、菟原郡、八部郡、
の12郡で成り立っていた。

淀川(大川本流)以北の六甲山系と伊丹台地に挟まれた三田から流れる武庫川、伊丹台地、と千里丘陵に挟まれた能勢郡から流れる猪名川、淀川分流の神崎川、の各河川流域の比較的早く形成された平野部と古くは難波宮が置かれた上町台地とその周辺部で構成されている。

北区の属していた摂津国・西成郡

大阪湾の中央に南北に突き出した上町台地の西部(大阪湾沿い)を「難波小郡」(なにわのこごおり)と称したことが「日本書紀」の記述に残っており、天然の防波堤(上町大地)に面して外港として栄えた東側(2000戸以上の大郡)より外海に面した西側のほうが圧倒的に小さな150戸程度の寒村地帯であった。

713年(和銅6年)に郡・郷の名称が公式に定められ、「上町台地の西側に新たに生まれた集落」という意味で西生郡と称するようになった。

室町時代、摂津国のうち神崎川以南の西生・東生・住吉の3郡は「欠郡」(かけのこおり)と総称され、分郡守護が置かれた。

その後石山本願寺・大坂城などが上町台地の突端に置かれるようになって周囲に町が発達した。

特に豊臣秀吉は上町台地西側に新しい都市、大坂の町割を行い全国から商人を集めた!

大坂の夏の陣でこの地を接収した江戸幕府も引き続き大坂の整備と特権を認めて天下の台所と呼ばれるまでの商工業都市となった。

一方、淀川や大和川が流してくる土砂は上町台地のはるか西の沖合いまで、いくつもの支流と小島を作って海を埋め尽くすようになった。次第にこれらの新しい島も新田開発が進められるようになった。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策で天領(幕府領)、田安徳川家所領、旗本所領、下総古河藩飛び地、古河藩飛び地、公家領、寺社領などが入り乱れていた。

このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年7月14日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革で、その後の離合も含め大阪府(旧摂津国)も幾多の行政変遷にさらされた。

北区の主だった出来事

1868年(慶応4年)旧暦1月22日大坂鎮台設置。

同年旧暦1月27日大坂鎮台を大坂裁判所と改称。

同年旧暦5月2日大阪府設置。を置き大阪市街地を管轄させる。

大阪府発足当時の管轄地域は、摂津国東成郡61村、西成郡132村(中心部大阪3郷をのぞくほぼ現大阪市域)、住吉郡37村、河内国交野郡1村(加納藩預地)であった。

同年旧暦6月8日大阪府司農局が南北に分割。

同年旧暦6月22日 堺県設置。

1869年(明治2年) - 大坂三郷再編により、北大組が発足。

1871年7月14日 廃藩置県布告

1873年(明治6年)1月1日(旧暦明治5年12月4日)新政府太陽暦使用を布告。

1874年(明治7年)5月11日:現東海道線大阪駅 - 神戸駅間(20M27C56L≒32.74 km)が旅客線として開業(三ノ宮駅 - 神戸駅間複線)。大阪駅・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・三ノ宮駅(現在の元町駅付近)・神戸駅が開業。西成郡曽根崎村に大阪駅が開業。周辺はわずかの民家があるだけで荒地と梅田墓地が広がっていた。

1875年(明治8年) - 大区小区制施行により、北大組が第4大区となる。

1876年(明治9年)7月26日:向日町駅 - 大阪駅間(22M56C57L≒36.54 km)が旅客線として延伸開業。向日町駅・高槻駅が開業。(つまり東海道線開通には新淀川淀川開鑿工事は未着工であった。)

1877年(明治10年)2月6日:京都駅 - 大宮通仮停車場間(40C11L≒0.81 km)が延伸開業。大宮通仮停車場が廃止、京都駅が開業。神戸駅 - 京都駅間全通

京阪間の物流が淀川の水運から鉄道利用に変化する。

1879年(明治12年) - 郡区町村編制法施行により、第4大区が北区(特別自治区)となる。

1881年(明治14年)2月7日 -堺県を大阪府に編入合併。

※1704年10月大和川付け替え完成以来のこの辺の事情が「21世紀まで尾を引く」大阪府・大阪市と堺市の確執につながっている?。

安易な河川付け替え工事の付けが...

1885年 (明治18年)6月17日~7月上旬の淀川洪水で大被害が出る。被害は納谷川以南にまで拡大し大和川付け替えで無くなったはずの「河内湖が出現」し始め最大で4ⅿも浸水した!大阪市内では上町台地以外はすべて浸水した。

1887年旧暦11月4日 奈良県を分離再設置し現在の府域が完成。

1889年(明治22年)7月1日:東海道本線・新橋駅 - 神戸駅間が全通。

同年 - 市制施行により、大阪市の行政区(特別自治区)へ移行。

1895年(明治28年)5月28日:大阪鉄道 天王寺駅 - 玉造駅間(2M28C≒3.78km)が開業(現JR環状線の東側一部)。
同年10月17日:玉造駅 - 梅田駅間(4M29C≒7.02km)が延伸開業し後の城東線・現JR環状線東側が全通。

1897年(明治30年) - 大阪市第一次市域拡張により、西成郡下福島村・上福島村・曾根崎村・北野村の全域と野田村・豊崎村・川崎村・東成郡鯰江村・野田村・都島村の一部を編入。
1889年 - 市内4大区をのぞく大阪府下4区を大阪市とし市制施行、市制特例により市長を置かず、大阪府知事が市長職務を行う。

1898年(明治31年)11月18日 関西鉄道・加茂 - 新木津間、寝屋川 - 網島間(現都島区東野田)開業により名古屋 - 網島間全通、同経路で急行列車の運行開始。

同年淀川の洪水対策として新淀川放水路(全長 約7km,川幅約 800m)着工,

1900年(明治33年)6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に路線を譲渡(湊町駅(現:JR難波駅) - 名古屋駅)が完成し昼間の急行列車が港町発となる。

同年10月26日:南海鉄道天王寺支線 天下茶屋駅 - 天王寺駅間2.4km(単線)開業。

1901年12月21日 - 関西鉄道・網島 - 桜ノ宮間開業。

1901年(明治34年)8月新淀川開削完成に先立って東海道本線上淀川橋梁開通

同年10月5日:南海天王寺支線開通により南海線 住吉駅 ー 関西鉄道大阪駅間で直通運転を開始。

1902年(明治35年)2月上淀川橋梁に次いで下淀川橋梁完成。

1903年 9月12日 日本初の市営電車(大阪市電)が部分開業。

1905年(明治38年)4月12日 阪神電気鉄道㈱神戸(三宮) - 大阪(出入橋)間が開業。

1907年10月1日 - 関西鉄道・国有化。城東線誕生。

1909年新淀川完成。

1910年(明治43年)3月10日箕面有馬電気軌道(現阪急)梅田 - 宝塚間、石橋 - 箕面間を開業

同年(明治43年)4月15日 京阪電気鉄道株式会社」大阪・天満橋 - 京都・五条(現在の清水五条)間が開業。

1913年11月15日 - 国鉄桜ノ宮 - 放出間廃止に伴い旧関西鉄道綱島駅廃止。同年大阪市中央公会堂開館

1925年(大正14年)10月15日 新京阪鉄道(現阪急京都線)天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅) - 淡路駅間が開業。

同年西成郡の残余10町10村および東成郡の残余7町17村全てを編入、西成区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区を設置、旧市域に天王寺区、浪速区、港区、此花区、して13区となる。同年 - 北安治川通・旧下福島村・上福島村・野田村(西成郡)域を此花区、安治川以南を港区として分離。

1927年(昭和2年)7月1日、旧阪神国道電軌㈱(後に阪神に吸収合併)西野田 - 神戸東口間で運行を開始。

1929年 - 世界初のターミナル百貨店、阪急百貨店が梅田駅に開業。

1931年 - 大阪城天守閣記念館が鉄筋コンクリート造りで誕生。

1933年(昭和8年)2月16日:城東線の電化に伴い、南海天王寺支線・大阪駅直通運転を増発。

1933年5月20日 - 日本初の公営地下鉄・大阪市営地下鉄(梅田-心斎橋間、)開通。

1935年(昭和10年)10月30日:大阪市営地下心斎橋駅 - 難波駅間 (0.9 km) が開業。

1938年(昭和13年)4月21日:大阪市営地下難波駅 - 天王寺駅間 (3.4 km) が延伸開業。天王寺―梅田(大阪)間に第2ルート完成

1943年(昭和18年) - 区の境界見直し。一部区域を福島区・大淀区・都島区にそれぞれ分離編入。

1943年 。戦時決戦体制整備のため、北区などの4大区(自治区)が半強制的に解散され、同時に北区の一部区域を福島区・大淀区・都島区にそれぞれ分離。大阪市が統合 22区となる。

1953年 - 大阪市営トロリーバスが(現北区都島区内で)開業。
1955年 - 北河内郡1町および中河内郡1町4村を編入、旧摂津国と旧河内国にまたがるほぼ現在の市域となる。
1956年 - 政令指定都市に移行。

1964年6月28日 : 阪神高速1号環状線(土佐堀 - 湊町)が南行き一方通行で開通(現在とは逆向き)

同年(昭和39年)9月24日:市営地下鉄新大阪駅 - 梅田駅間 (3.5 km) が開業。

同年10月1日- 東海道新幹線が開通し、新大阪駅が開業

1967年3月10日 : 阪神高速1号環状線全線が開通。

同年3月24日:現大阪メトロ谷町筋線 東梅田駅 - 谷町四丁目駅間 (3.5 km) が大阪市電14系統(守口ー阿部野橋駅)の置換線として開業、大阪府庁ー大阪駅が地下鉄で直結。

同年10月10日東京オリンピック開幕!

1968年5月1日 : 阪神高速12号守口線(渡辺橋分岐 - 森小路)が開通。

1969年3月31日 大阪市電14系統 (阪急東口(梅田) - 都島車庫 - 守口)を廃止・全廃 

1970年3月15日 - 9月13日(6ヵ月、183日間)大阪万博開催。

1970年6月15日 守口車庫前 - 森小路一丁目 - 今里 - 杭全町間、休止中の新深江 - 今里間廃止により市営無軌条電車(トロリーバス)全廃!

1989年(平成元年)2月13日 - 北区と大淀区の合区によって2代目北区誕生。

1997年 3月8日JR東西線 京橋ー尼崎駅間開通。

2008年10月19日京阪中之島線天満橋ー中之島間開業

2018年大阪市交通局が民営化され、地下鉄事業は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)、バス事業は大阪シティバスに引き継がれた。

エピローグ  大阪市電全廃で始まったキタと商人町衆・モンロー主義者たちの暴走!

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1969年大阪市電全廃 

1969年3月31日 阪急東口(梅田) ⇔都島車庫 ⇔ 守口間を走っていた大阪市電14系統が廃止されて、

この日をもって1903年 9月12日 日本初の市営電車・大阪市電の輝かしい歴史は終わりました。

翌1970年6月15日 には守口車庫前 ⇔森小路一丁目⇔今里 ⇔杭全町間を、

最後まで走り続けていた大阪市営の無軌条電車(トロリーバス)も(休止中だった新深江 ⇔今里間とともに)廃止されて、大阪市から trolley (※01)が消滅しました。

参※01-1)当サイト内関連記事 森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が日本各地から消えた理由とは? はこちら。

参※01-2)当サイト内関連記事 LRT は ユニバーサルデザイン を纏った エコロジー で エコノミー な"エコ満載"の トランスポーター! はこちら。

以後これら路面電車に代わり地下鉄建設が暴走しだした?

立ち退き問題で票田を失うことを避け道路整備(拡幅・新設)には消極的な地元民等議員団主導で巨費を費やして高速軌道(地下鉄)の建設に邁進し、膨大な借金(市債)を作り、2018年の今になっても高速地下軌道建設推進に血道をあげている...。

全くナンセンスこの上ない。(※関連記事はこちら。)

一部路線での天然ガスを燃料とするバス導入や全車両アイドリングストップ化などの試みもみられるが、その後の急速なモータリゼーションの発達で未整備幹線を走るバスは、邪魔で、煙を吐き散らす厄介者になってしまっているのが現状である。

コストがべらぼうに高くつく、天然ガスバスや、リチウムイオン電池充電式バス、などより、トロリーバスを残しておいたほうが、低公害、省エネ、のエコなトランスポーターになっていたと思う。

事実「米国」を含め、トラム(路面電車)とトロリーラインの併用は都市交通の常套手段の一つになってきていますが日本では...

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《市営モンロー主義と大阪メトロ》関連記事のご案内 

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後書き 《 地政学 と ロジスティクス 》について 

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当シリーズではLogistics(兵站)とGeopolitics(地政学)に関する"話題"を取り上げていますが...

同時に現状の"垢にまみれた人達"が推し進めている、初等・中等教育についても"問題を投げかけ"ているつもりです。

ポイント切り替えを誤った"狂育路線"が...

つまり、現行の大学入試を目指した「記憶力」に頼る"年表重視"の、歴史書・歴史教育では、「歴史的事実」が個別事柄として語られている場合が殆どです。

1番大事な「なぜそうなったのか?」と言う「相互間の因果関係・相関関係」が語られれいない場合が殆どで、「年号記憶」に終始しているわけです。

これでは、義務教育・高校教育を含めた一貫教育課程の「地理・歴史」が面白く無くて当然です!

更に初等数学・初等科学教育(理科)においても

与えられた課題解決には幾通りもの"論理過程"があり、更に条件付け次第では"いくつもの解"も存在!します。

特に現状の初等教育における"算数教育"では、日凶素患部が干渉した検定教科書?に記載された「1つの論理過程、一つの解」である模範解答を金科玉条のごとく押し付けて!います。

これでは日常の問題に即応した「臨機応変な思考力」身に着けることはできません!

明日を担う未成年層に、世界を知ることで日本の鉄道網の将来の姿を考える大人に育つように...

当シリーズでは、日本の鉄道網を中心に、日本国内事情だけではなく「人類皆兄弟!」が営む「地球規模での国家間の力関係(軍事力)、相互干渉(外交関係)」から考察して、21世紀の日本のLogistics、transportation(運輸)、Transport network のあるべき姿を探っています。

同時に未成年の「鉄オタ」や、某国のプロパガンダに乗せられた一部のお気楽な運輸族代議士が"ぶち上げた馬鹿げた整備新幹線建設推進プロジェクト妄想"に踊らされないで済むように、

「大きな視野・世界観」に下ずいて、鉄道事業を冷静に"俯瞰"出来る「常識を兼ね備えた、ビジョンのある"大人"に育つ」ことを願って寄稿しています。

勿論小生は右翼(金権慾?)ではありませんが...

赤(垢)にまみれた日凶素?の教職員や、それを先導(煽動)している研究者・大学教員・教育アナリスト?たちのような"頭空っぽの理想酒義?者"でもありません!

次世代を担ってくれるはずの"脳天気な若者たち"と、金権慾"にまみれた"お気楽な運輸族"の発言・政治活動と、その手先にされている「鉄道傾YouTuber」のコンテンツを眺めていて、日本の行く末を案じているだけです!

狸穴総研 代表 出自多留狸

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参)当サイト内関連記事 海外版Youtube 鉄道動画 と 各国語版ウィキペディアの勧め はこちら。

参)当サイト内関連記事 海外鉄道・ 空港関連 ご当地Wikipedia リンク集 はこちら。

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特に歴史・イデオロギーに関するイエローフラッグは、ボランティア?で"管理人"としてウィキペディア事務局に関与している平和ボケした理想主義者、有識者?達が日"教祖"の偏向教育(大衆洗脳)方針に沿うように"注意喚起?"されており、ハッキリ言って"糞"フラッグです!

むしろ"糞"フラッグが立っているcontent(内容)のほうがfairness(公正)な立場の内容と言えなくもありません!

交通施策に関するcontentは運輸族のプロパガンダの温床に

但し、交通関係は、スポンサー(与党運輸族)の意向を強く反映しているので、イエローフラッグが警鐘(fairness)を鳴らしている場合もありますが...

更に、地名に関しては、Google地図検索を容易にするために、言語表記を基本に、(カナ表記)についてもGoogle 地図で使用されている「カナ使い」を使用しています。

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当サイト内関連記事 日本語ウィキペディアが 鉄道(傾?)Youtuberから"こけ"にされる訳は... はこちら。

 

公開:2019年8月13日
更新:2022年7月 6日

投稿者:デジタヌ

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