日本の大手私鉄はトラム・路面電車が走る"LRT "ではじまった!
前書き(要約) " チンチン電車 !"が走るインターアーバンで起業した日本の私鉄!
LRTブーム?以前から郊外路線と市内軌道線の直通(street running)は存在していた!
近年にわかに注目を集めだしたLRTですが...
日本の主要都市近郊の私鉄の多くは軌道法・軽便鉄道法によるチンチン電車と馬車鉄道!から発展しており、
私鉄の殆どは、黎明期から「市内の併用軌道と郊外の"専用軌道"」を行き来するのが"主流"でした!
関東では、東武鉄道、西武鉄道、小田急、相鉄 と新京成以外の私鉄が、大阪では、南海鐡道、初代大阪鉄道(現近鉄南大阪線)を除いた"主だった私鉄はすべて「併用軌道と専用軌道」を走るInterurban(都市圏高速電気軌道)として"出発"しています。
嘗て市街地の併用軌道・直通(street running)は当たり前に行われていた
鉄道線の市街併用軌道線乗り入れ(street running)も当たり前に行われていました。
※リンクについて
(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。
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また東京では殆どの電鉄が「1911年以前は私鉄であった都電」との相互乗り入れ、もしくは乗り入れを予定(見込んで)して都電と同じ馬車鉄道軌間1372mmの偏軌で開業している。
※以下会社創業順
1882年に開業した東京馬車鉄道(軌間1372mmの偏軌)が開業
1903年から1904年にかけて路線を電化して東京電車鉄道となる。
1909年 その後開業した東京市街鉄道(1900年創業)、東京電気鉄道(1900年開業)と合併。して東京鉄道となる。
1911年 東京市電に事業譲渡!
1943年 東京都電となる
1897年(明治30年)に総武鉄道佐倉駅を起点として開業した成田鉄道(初代)を起源としている。
1909年(明治42年)6月30日 - 京成電気軌道創立。
1912年(大正元年)11月3日 - 押上 - 市川(仮)間、曲金(現・京成高砂) - 柴又間開業。
1921年(大正10年)7月17日 -千葉線 船橋 - 千葉間開業。軌間1372mm(現京王。旧東京都電規格)で全通。
1928年(昭和3年)3月 全線の架線電圧を600Vから1200Vに昇圧。(津田沼 - 成田花咲町間は開業当初から1200V)
※この時点まで一部東京都電に乗り入れていた!
1945年(昭和20年)2月20日 - 全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
1959年(昭和34年)10月9日 - 12月1日 全線を11区間に分けて軌間を1372mm(現京王。旧東京都電規格)から1435mm(標準軌)に改軌。
1899年に旧東海道川崎宿に近い六郷橋から川崎大師まで1435mmの標準軌で開通した大師電気鉄道を起源とする。
1904年(明治37年)3月1日 - 全線を標準軌から都電軌間(偏軌1372㎜)に改軌。
※前途の、路線を電化した東京電車鉄道(後の都電)に乗り入れをもくろんで改軌した!
1930年(昭和5年)2月5日 - 高輪駅 - 横浜駅間開通。
同年4月1日 黄金町駅⇔浦賀駅間と金沢八景駅⇔湘南逗子駅間の 湘南電気鉄道が標準軌 (1435mm) で開業。
1931年12月26日 - 日ノ出町駅まで延伸された湘南電気鉄道と横須賀⇔横浜間直通運転開始
1933年4月1日 - 高輪駅を廃止して品川駅へ乗り入れ全線を標準軌に改軌。品川駅⇔浦賀駅間直通運転開始。
※この時点で1911年以来東京市電となっていた市内への直通乗り入れを断念し、郊外電車に転身。
1941年11月1日 - 京浜電気鉄道と湘南電気鉄道・湘南半島自動車が合併し京急誕生
1945年1月7日 大師線、桜本駅まで開通。
敗戦後の1952年(昭和27年)1月1日 大師線のうち塩浜駅⇔ 桜本駅間を川崎市交通部(現・川崎市交通局)に譲渡。
つまり川崎市電と相互乗り入れを行っていた。
1913年(大正2年)4月15日 - 軌道法に基づく京王電気軌道が、笹塚駅⇔調布駅間を開業(12.2km、都電規格軌間1,372mm偏軌)
1922年 玉南電気鉄道が設立される。
1925年3月24日 - 地方鉄道法に基づく玉南電気鉄道が府中駅⇔ 東八王子駅間を開業(軌間1,067mm)。
1926年12月1日 - 京王電気軌道が玉南電気鉄道を合併する
1927年(昭和2年)6月1日 - 玉南電気鉄道が敷設した区間を1,372mm軌間に改軌し、軌道法適用とする。
10月28日 - 新宿ビルディング(旧・本社ビル)が完成。新宿追分駅を新宿3丁目から駅ビル1階へ移転する。
12月17日 - 下仙川駅(現・仙川駅⇔調布駅間を、甲州街道北側から南側の現在線に付け替え。
1928年5月22日 - 新宿駅⇔ 東八王子駅(現・京王八王子駅)間の直通運転を開始
1945年7月24日 - 京王新宿駅を現在地(新宿区西新宿)に移転。省線新宿駅前駅、新町駅、西参道駅、幡代駅を廃止。
※つまりこの年までstreet running をしていた!
同年10月1日 - 京王線全線が地方鉄道法に基づく鉄道となる。
1963年(昭和38年)4月1日 新宿地下駅運用開始。
同年8月4日 架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧。
1923年(大正12年)3月11日 目黒蒲田電鉄目黒線 目黒 - 丸子(現在の沼部)間開通。
同年11月1日 目蒲線 目黒 - 蒲田間全線開通。
1926年(大正15年)2月14日 (旧)東京横浜電鉄、丸子多摩川 - 神奈川間開通。目蒲線と相互乗り入れし、目黒 - 神奈川間直通運転開始。
1927年(昭和2年)7月15日 玉川電気鉄道(玉電)溝ノ口線として二子玉川 - 溝ノ口間1372mmの偏軌で開業
※すでに東京市電の時代ではあったが、渋谷駅での市内乗り入れをもくろんでいた。
1943年(昭和18年)7月1日 陸軍の要請により同区間を大井町線に編入させ、軌間を都電仕様の偏軌1372mmから1067mmに改軌!して市電との乗り入れ廃止。
敗戦後の1945年(昭和20年)10月1日 二子玉川 ⇔溝ノ口間を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に転換。
1963年(昭和38年)10月11日 大井町線を田園都市線と名称変更。
1966年(昭和41年)1月20日 溝ノ口駅を溝の口駅に改称。
4月1日 溝の口 - 長津田間開業、二子玉川園 ⇔二子新地前間専用橋が開通
※それまでは二子橋上の単線併用軌道上を鉄道車両が走っていた!
1969年(昭和44年)5月10日 玉川線(渋谷 ⇔二子玉川園間)と砧線(二子玉川園⇔砧本村間)の併用軌道線廃止。
※つまり1969年まで、ペコちゃん電車が走っていた。
1977年(昭和52年)4月7日 新玉川線(田園都市線)渋谷 ⇔ 二子玉川園間が開通。
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阪神のチンチン電車というと長年親しまれた阪神国道線を思い起こされる方も多いであろうが、阪神国道線は、本線開業22年後の1927年になってからであり、阪神本線のほうがチンチン電車としての歴史は長い?、当初は三宮駅で神戸市電とも繋がっていた!
1905年(明治38年)4月12日 本線 神戸(三宮) - 大阪(出入橋)間が標準機1435㎜直流600vで開業。
御影付近や神戸市街に併用軌道(路面電車)区間があった。
1927年(昭和2年)7月1日、西野田 - 神戸東口間で阪神国道電軌株式会社 開業。
1928年(昭和3年)4月1日 阪神国道電軌を合併し、国道線とする。
1967年11月に、阪神本線 架線電圧を直流600Vから直流1,500Vへの昇圧を実施。
1975年(昭和50年)5月6日 国道線・甲子園線・北大阪線全線廃止(当時の路線総延長41.0km)。
1977年(昭和52年)12月27日 全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道にとなる。
事実京阪電車は1963年4月16日 天満橋駅ー淀屋橋間が地下線(※7)で延伸開業してからも長らく軌道法に下ずくチンチン電車で有り続け1978年3月10日になってやっと淀屋橋駅 - 東福寺駅間を軌道法に基づく軌道から当時の地方鉄道法(現鉄道事業法)に基づく「鉄道事業者」に変更したことは、テッチャンの間では有名である。
※詳しくは当サイト関連記事 頑張れ「 お 京阪 」!...近畿の数多くの鉄道建設に関わり「理想を追求し続けてきた京阪魂!」をご覧ください。
1903年(明治36年)11月9日渋沢栄一、佐分利一嗣成ら関東の実業家、ならびに岡崎邦輔、村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が合流し、畿内電気鉄道株式会社を創立。
1910年4月15日:現在の京阪本線、大阪・天満橋 - 京都・五条間46.57kmが開業。天満橋 - 五条間を1時間40分で結ぶ。
※この時点で殆どの区間が京阪国道(旧東海道)と並走もしくは併用軌道(路面電車)として開業した。
1934年(昭和9年)4月2日:三条駅・三条大橋駅経由の京阪本線・京津線へのて直通運転が開始される。
1940年 2月頃京阪線京津線の「びわこ号」による直通運転が停止される
敗戦後の1948年 2月1日:三条大橋 - 浜大津間急行列車の運転を再開。三条大橋 - 石山坂本線石山寺間直通運転も開始。
1963年4月16日:淀屋橋駅 - 天満橋駅間が地下線(※7)で延伸開業
1969年(昭和44年)11月6日:三条駅構内の京阪本線と京津線の連絡線路を撤去し直通列車完全廃止!
1987年(昭和62年)5月24日:京阪本線の東福寺 - 三条間が地下化(総工費580億円)立体交差完成!。
※7)、京阪天満橋ー淀屋橋間は当時の大阪市交通局市営地下鉄線以外では数少ない「高速地下軌道線」で有った。
1910年(明治43年)3月10日:箕面有馬電気軌道が梅田駅(現在の大阪梅田駅) - 宝塚駅間を開業。
途中豊中駅付近で併用軌道を走行していた。
1969年(昭和44年)8月24日:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1978年3月10日:全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
1910年(明治43年)3月15日 兵庫電気軌道が兵庫 ⇔須磨間を開業。
1923年(大正12年)8月19日 神戸姫路電気鉄道が明石⇔ 姫路間を開業。
1923年8月19日 神戸姫路電気鉄道が明石⇔ 姫路間を開業。
1927年1月1日 宇治川電気(株)が兵庫電気軌道を合併。
同年4月1日 宇治川電気(株)が神戸姫路電気鉄道を合併。
1928年(昭和3年)8月26日 兵庫 ⇔姫路間の直通運転を開始。
1933年(昭和8年)6月6日 宇治川電気(株)の電鉄部が分離独立し山陽電気鉄道(株)設立。
1968年(昭和43年)4月7日 神戸高速鉄道を経て阪急電鉄・阪神電気鉄道と相互直通運転開始。
同時に西代 ⇔兵庫間の併用軌道区間は廃止。
つまり1968年まで西代 ⇔兵庫間でstreet running を行っていた。
1914年(大正3年)4月30日:大阪電気軌道により上本町駅⇔ 奈良駅(高天町の仮駅)間が開業。
同年7月8日:終点を高天町から東向中町の奈良駅まで延伸。奈良駅前駅開業。(旧油阪駅)
この時に油阪⇔近鉄奈良駅間が併用軌道として開業している。
1942年(昭和17年)10月1日:全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
※この時以来、"併用軌道"区間は"日本一長い踏切"!として特認されました。
1964年7月23日:生駒トンネルが新トンネルに切り替えられ、上本町駅 ⇔近畿日本生駒駅間で大型車両運転開始。
1969年(昭和44年)9月21日:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
同年12月9日:street running区間(油阪駅 ⇔近畿日本奈良駅間)地下化新大宮駅開業。日本一長い踏切み切り?廃止。
つまり、この時まで15m小型車両4両連結全長60mの鉄道車両がstreet runningしていた。
1980年(昭和55年)3月17日:大和西大寺駅 - 近鉄難波駅間で快速急行の一部と特急1本で関西私鉄初!の10両編成運転を開始。(帝都江戸に遅れる事...)
※創成が幼少の頃、父がしょっちゅう奈良公園に連れて行ってくれましたが、当時関西本線は非電化で汽車列車の時代でした!
なので、態々上六迄行き近鉄奈良線の特急(現快速急行)で奈良公園に行っていました。
父は株主優待パスを持っていたので、布施⇔上六を"重複乗車"しても違法ではありませんでした!(勿論未就学の小生は無料!)
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参※当サイトシリーズ記事 ヨーロッパの都市で普及した3種類の異なった LRT システム、チューリッヒ方式(市内併用軌道用トラム車両の近郊鐡道路線への乗り入れ方式)とは? はこちら。
1906年(明治39年)6月11日 小倉軌道合名会社が北方線(香春口 - 城野間)を馬車鉄道として開業。
1908年12月17日 九州電気軌道(西日本鉄道の前身)設立
1911年6月5日 北九州本線一部区間(東本町 ⇔大蔵川間)直流600v電化開業
1914年(大正3年)11月26日 (門司⇔折尾間29.4㎞)全線開通し途中・国鉄鹿児島本線と並走する専用軌道区間を多く持つ北九州本線が全通し路面電車が郊外路線専用軌道区間を走り出した!
1985年10月20日 に門司⇔砂津間11.6㎞が廃線。
1992年10月25日には本線部分ともいえる併用軌道区間(砂津 ←(小倉駅前)→黒崎駅前間12.7km)も廃止された。
2000年11月26日 に残る専用軌道区間・黒崎駅前⇔折尾間5.1㎞も一部区間の折尾⇔熊西間0.5kmを系列の筑豊電気鉄道線に明け渡し、全線廃止となった!
専用軌道区間では高速3連接車両による高速運転(60㎞/h)も行われていた。
※、小生が行商(セールス)をしていた若かりし頃、ちょうど廃止1年前(1991年10月)に出張で小倉に赴いた際に、一仕事終えた夕刻のフリータイムに小倉駅前→黒崎駅前間を乗車しています。
正にこのビデオのような光景が広がっていました。
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1898年に名古屋電気鉄道(1922年9月27日郊外線を初代名古屋鉄道に譲り解散)が日本で2番目の路面電車として笹島⇔県庁前間の路面電車を開業。
1901年 押切町駅まで1910年には枇杷島駅まで延伸し以後「押切駅」をターミナルとして郊外鉄道網を構築していった。
1911年2月11日 美濃電気軌道が(旧東海道線岐阜駅)駅前⇔今小町間(後の長良川線)と美濃町線、神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)⇔上有知(後の美濃町)間を開業。
1913年12月25日 - 長良軽便鉄道が長良(長良村) ⇔高富(岩野田村)間後の高富線を狭軌(.軌間1067㎜)の軽便鉄道法で開業。
1914年3月29日 岐北軽便鉄道が高富線同様に初代忠節 ⇔北方町(後の美濃北方)間の軽便鉄道敷設を木造電車!で開業。
同年6月2日:美濃電気軌道が笠松線(現名古屋本線)笠松口駅(初代) ⇔広江駅(後に廃止)間を複線!で開業(専用軌道線として)。その後鉄材不足により単線化!
同年12月26日 - 美濃電気軌道笠松線(現在の名鉄名古屋本線)の新岐阜駅・新岐阜停留場ー初代笠松間が市内線延伸区間として開業。
1915年11月20日 - 4代目長良橋(鉄橋)完成。美濃電気軌道の長良橋 - 長良北町間が開通。長良軽便鉄道市内直通運転開始。
1919年4月27日 養老鉄道(旧近鉄・現養老鉄道)桑名 - 養老間、池野 - 揖斐間が開業し全通
1920年11月1日:現JR高山線 岐阜駅 - 各務ケ原駅間(8.2M≒13.2km)が開業。長森駅・那加駅・各務原駅が開業。
1921年7月1日 に名古屋電気鉄道が郊外5路線 54.9kmを旧・名古屋鉄道(旧美濃電)に譲渡し、市内線は名古屋市交通局に明け渡して解散した。
※しかし旧名古屋鉄道は1941年の名古屋新線開通まで、犬山線系統の大型「路面電車!」を名古屋市内の「柳橋」まで乗り入れさせていた!
同年11月10日 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併
同年11月12日:各務ケ原駅 - 美濃太田駅間(8.8M≒14.16km)が延伸開業。
1923年(大正12年)10月5日 - 鉄道省(国鉄)越美南線(現長良川鉄道) 美濃太田 - 美濃町間(11.0M≒17.7km)が開業。美濃関駅(現在の関駅)、美濃町駅(現在の美濃市駅)開業。
1924年(大正13年)3月20日:高山線下麻生駅 - 上麻生駅間(3.4M≒5.47km)が延伸開業。上麻生駅が開業。
1924年(大正13年)4月21日 美濃電気軌道が鏡島線・千手堂 ⇔鏡島間を地方鉄道法で開業。
1926年(大正15年)1月21日 - 各務原鉄道(美濃電気軌道の子会社)により安良田駅 - 補給部駅前(現・三柿野駅)間が開業。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。
1935年(昭和10年)3月28日 - 各務原鉄道が名岐鉄道(同年8月1日名古屋鉄道に改称)に合併
同年4月29日 : 名鉄・木曽川橋梁の完成により名岐線の新一宮(現・名鉄一宮) - 笠松間が開通し、押切町 - 新岐阜(現・名鉄岐阜)間が全通。同区間を34分で結ぶ。
同年8月1日に 名古屋(押切駅)岐阜間に路線網を築いた美濃電(名岐鉄道・旧名古屋鉄道)と神宮前をターミナルに三河に鉄道網を築いた愛知電気鉄道が合併して(新)名古屋鉄道株式会社となった。
1941年(昭和16年)8月12日 : 新名古屋地下トンネルが竣工し東枇杷島駅(移設) ⇔ 新名古屋(現、名鉄名古屋)駅間の名古屋本線が開業。
※この時期まで、名古屋本線は美濃町線同様に岐阜市内線の延長区間で有り大型の"路面電車"が走行し犬山線系統の大型の路面電車が押切駅⇔柳橋駅間の市内併用軌道をstreet runningしていた!
1944年9月1日に 旧名岐鉄道系の路線(西部線)更に東に延伸し旧愛知電気鉄道系の路線(東部線)のターミナル(終点)神宮前から旧・金山駅まで延伸する形で握手をした?
.※..が美濃電側が路面電車から発展した直流600v電化であったために、直通運転は出来ず終戦を迎えるまで当駅での連絡となっていた。
1948年(昭和23年)5月12日:名岐線の架線電圧を1500Vに昇圧、東西路線の直通運転が開始された。
1950年6月10日 鏡島線千手堂 - 森屋間が道路拡幅工事のため休止。
1954年(昭和29年)12月21日 名鉄・揖斐線忠節 - 近ノ島間が経路変更 忠節駅(3代目)で岐阜市内線と接続。
1960年4月22日 名鉄・高富線・全線廃止!。(開業後47年、市内線乗り入れ後45年!)
同年:岐阜市内の国道21号線の混雑緩和の為に岐大バイパス事業着手。
1964年10月1日 東海道新幹線開業、岐阜羽島駅新設開業。
同年10月4日 名鉄・鏡島線・千手堂 ⇔西鏡島間全線廃止バスに転換。
1965年(昭和40年)3月:岐大バイパス 岐阜地区着工 穂積大橋(長良川)が完成
1967年4月 名鉄岐阜工場市ノ坪に移転、市内線入出場ルートとして田神線が開通。
同年12月:国道国道21号線岐大バイパス全線開通(大垣地区供用)
1982年3月 各務原線構内改修(ホーム延伸)により構内連絡線廃止。
1984年10月6日 - 樽見鉄道(谷汲口)開業。
同年12月11日 - 名鉄羽島線延伸開業、岐阜羽島駅開業。
1986年(昭和61年)11月1日 - 岐阜駅周辺高架連続立体交差化工事着手。
※この時、岐阜市・JR・名鉄でどのような話になったのか?名古屋本線の交差部分は単線のまま!
1987年4月1日 国鉄分割民営化JR東海発足。
1996年2月26日 - 東海道本線の上り線・高山本線岐阜駅周辺の全面高架連続立体交差化完成。
2003年(平成15年)3月21日に鵜飼い大橋(どちらも長良川)開通。全13.6キロメートル国道21号・156号と合わせて岐阜市中心部の外郭を環状に結ぶ道路が完成。
2005年4月1日 名鉄忠節線・岐阜駅前 - 忠節間3.7kmが廃止され岐阜市内線及び旧揖斐線、美濃町線全廃、が94年の歴史にピリオドを打ちライトレール網消滅!
※そのほかの地方鉄道、ヨーロッパ各地で LRT が復興した背景第1節嘗ては日本でもLRT・トラムがもてはやされていた をご参照ください。
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後書き《 都市交通 Watch》シリーズについて
都市交通の救世主?として日本全国の大都市で崇めたてられてきた"地下鉄建設"ですが...
"土一升金一升"のメガロポリス以外では、高額な建設費に見合う投資効果、すなわ都市全体の交通インフラ改善にはつながらないことが証明されてきています!
都市交通網の"今後のあるべき姿"を考えるために、各地の地下鉄網を考察してみました。
狸穴総研 都市交通研究室 出自多留狸
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参)当サイト内関連記事 海外版Youtube 鉄道動画 と 各国語版ウィキペディアの勧め はこちら。
参)当サイト内関連記事 海外鉄道・ 空港関連 ご当地Wikipedia リンク集 はこちら。
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特に歴史・イデオロギーに関するイエローフラッグは、ボランティア?で"管理人"としてウィキペディア事務局に関与している平和ボケした理想主義者、有識者?達が日"教祖"の偏向教育(大衆洗脳)方針に沿うように"注意喚起?"されており、ハッキリ言って"糞"フラッグです!
むしろ"糞"フラッグが立っているcontent(内容)のほうがfairness(公正)な立場の内容と言えなくもありません!
交通施策に関するcontentは運輸族のプロパガンダの温床に
但し、交通関係は、スポンサー(与党運輸族)の意向を強く反映しているので、イエローフラッグが警鐘(fairness)を鳴らしている場合もありますが...
更に、地名に関しては、Google地図検索を容易にするために、言語表記を基本に、(カナ表記)についてもGoogle 地図で使用されている「カナ使い」を使用しています。
又、引用句に関しては《XX語版》を明確にしています。
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- ●クネクネ文字?は 使用各国版 ويكيبيديا
- ●中国語表記は Both China版 維基百科
にそれぞれ直接リンクしてあります。
※但しハングル表記 韓国語版 위키피디아 は著しく信憑性が無く!殆どが日本語版以下(50歩100歩?)の fake content なので無視!しました。(Red China版 維基百科のほうがはるかに信頼性があります!)
当サイト内関連記事 日本語ウィキペディアが 鉄道(傾?)Youtuberから"こけ"にされる訳は... はこちら。
公開:2019年8月18日
更新:2022年8月21日
投稿者:デジタヌ
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