タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が日本各地から消えた理由とは?

モータリゼーションが起こったのは名神高速道路建設に始まる道路整備の技術革新が...

学校では教えてくれない現代鉄道史(交通史)を、廃線跡を国土地理院公開航空写真データに下ずいて正確に再現したLine(路線)で示して、廃止された訳を解明したドキュメンタリーコラムです。

森林鉄道・軽便鉄道・路面電車衰退の理由は、一般的には、鳩山内閣当時の1954年12月から1972年11月の第2次田中角栄内閣当時にかけて訪れた戦後復興・高度成長期に訪れた「急速なモータリゼーション化の波に飲み込まれた」としてかたづけられていることが多いようですが...

しかし、そう簡単に片づけられることではなさそうなので、このコラムをまとめてみました。

《鉄道事業再建には...》シリーズ 第6回

一般的には「モータリゼーションの激流が、全国各地から軽便鉄道・森林鉄道・路面電車や"地方ローカル線"などの『鉄道事業を押し流して衰退させた』...

とされていますが、実はモータリゼーションの発展は直接原因ではありません!

「全国高速道路網整備」がきっかけで、米国から取り入れた「道路建設技術革新」による「一般道の舗装」の2次的な波及効果(被害?)とも言えなくはないわけです...

さらに一部運輸族によって推進されている全国整備新幹線網が同じ運命を辿らないためにも...

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《鉄道事業再建には...》シリーズの総合目次

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プロローグ 21世紀の広域交通網は発想の大転換が必要では!

明治維新後に訪れた文明開化の象徴"鉄道"が全ての陸上交通を担う鉄道万能論の時代はとっくに終わっています!

第1回 21世紀の 持続可能 な 鉄道事業 とは? ー 交通事業者編 ー

再玉高額鉄道、盗用高額鉄道、金沢崖っぷちライン?などの高額交通効カン?を容認する私たち国民の姿勢を改めないと...

第2回 21世紀の 持続可能 な 鉄道事業 とは? ー 都市圏広域交通事業体の必要性!ー

大阪市が拘る"市営モンロー主義"は業界との癒着を生み不要不急地下鉄路線を蔓延させてしてしまいましたが、千葉市にみられるような"自由放任主義"も無秩序な交通体系を生み都市機能麻痺状態を...

第3回 痴呆都市? にならない為の 地下鉄 新都市交通 計画について考える

地方都市で計画されている利用者無視の「新都市交通・地下鉄新線」計画は誰のため...?輸送密度8000人/日以下の地方都市のローカル公共交通の「生きる鉄路」を模索してみました。

第4回 21世紀の 持続可能 な 鉄道事業 とは? ー regional line 編 ー

日本国内の殆どのregional lineは赤字路線となっています!広大なサービスエリアを持つJR各社は鉄道事業では収益が得られず!色んな模索をしているわけですが.

第5回 Rural line 地方ローカル線 を"意地"するには...

幾つになっても、大人になれない「鉄オタ」と運輸族は"汽車ポッポ"と"新幹線"神話にしがみ付いて離れようとはしないようですが...鉄道だけが、陸上交通手段ではありません!

第7回 コロラド州から学ぶ JR北海道 鉄道網の近未来のあり方とは...

「人は歴史から多くのことを学んだ」と言われていますが「railway mania(鉄道狂!)は同じ失敗を繰り返している!」といえるのではないでしょうか。

第8回 鉄道 は陸上旅客輸送の1手段にしか過ぎない! regional line の役割とは?

年を取るとだんだん断捨離が出来なくなり、年に一度も使わないようなものまで『いつか使う日が来るから...』と後生大事に取っておくきらいがあるようで...

第9回 JR北海道 を救う鉄路は 運輸族 と手を切る以外には...

一度原点に立ち返り、JR北海道温存に拘らず!JR東日本の子会社化、札幌市交通局の3セク広域交通事業団化も含めて、北海道全体の鉄道網を見直す時期ではないでしょうか!

第10回 臨海鉄道 や 専用線 が全国の港湾都市から消えて行った訳は...

時代遅れと思われている臨港線を懐古趣味で眺めるのではなく、生活路線として見直すべき時期ではないでしょうか!痴呆都市?の交通政策そのものが時代遅れ"なだけです!

第11回 何れ鹿島線・成田線が廃線となり! 茨城県立カシマサッカースタジアム は廃墟になるかも?

燃料輸送が途絶えた鹿嶋臨港線にとって頼みの綱のコンテナ輸送も無くなればJR東日本は鹿島線・成田線沿線自治体に廃線協議を申し入れるでしょう!鹿島線が廃線になれば、茨城カシマスタジアムでのサッカー開催が...

第12回 近江鉄道存続問題に見る滋賀県の無為無策に近い赤字補填補助金の実態とは...

滋賀県が打ち出した、沿線自治体からの補助金拠出施策では、近江鉄道の未来は廃線しか...近江鉄道を経営破綻・廃線の危機から守るには、積極策の推進しかないだろう!

第13回 九州 の Rural 鐡道事業を 廃線 の危機から守るには思い切った制度改革が...

地元では当たり前?"乗り鉄"の間では悪評たなびくJR九州の「ローカル線の乗り心地」は、どうすれば改善できるでしょうか?安全運行確保の上でも重要なこの問題は、事業者間の"territory"に...

エピローグ  独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備機構(旧・鉄建公団)が組織改編できれば地方の 鉄道事業者 にも未来への希望が...

国と地方自治体、民鉄協会加盟主要私鉄、JR各社が出資者となって㈱日本鉄道サービス(JNRS)を設立して第3種鉄道事業者に移行して、新たに車両リースも行えるように定款を変えてはいかがでしょうか?

Annex1  宅配便事業者とのアライアンスが、鉄道事業再建の鉄路に!

現在、猛威を振るうコロナ災害、で鉄道事業者が存亡の危機に立たされていますが、宅配便事業者とのアライアンスで貨客混載事業を復活できれば鉄道事業を再建出来るかも!

プロローグ 文明開化と共に始まった日本の鐡道輸送

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文明開花の象徴として鉄道が日本各地に敷設されたことは皆様よくご承知の通りです。

ではなぜ、鉄道だったのかはあまり顧みられていないようです。

輸送手段の整備であれば、江戸時代からの「街道」整備でもよかったはずですが...。

第1項 トランスポーター交通機関の果たす役割とは?

inter-nation 国際間運輸

inter-city 大都市間交通

Inter-urban  都市圏旅客

freight transportation(cargo-service) 貨物輸送 

の4つの needs に答えることでしょう!

第2項 現代社会の代表的トランスポーターは

また現代文明社会における代表的トランスポーターとしては。

航空機は 

inter-nationと、inter-city の航空貨物を含む運輸全般を担い。

自動車輸送(バス・トラック)は

自動車輸送(バス・トラック)は貨物輸送(logistics)とcommuter-service(地域旅客サービス)という風になるでしょうが...

船舶運輸

更に水運・海運は、原料、鉄鋼製品、石油化学製品・原料などの重厚長大産業には欠かせない輸送手段で、外航では国際間の貨物輸送のメインとなり、瀬戸内運河?に代表される内航では、重量物の大量輸送手段として欠かせない存在となっています!

鉄道は
  • ●inter-city の旅客扱いを専門とする新幹線(高速鉄道)と、都市間貨物輸送を担うmaine line(幹線)。
  • ●regional line いわゆる日本語の地方ローカル線、準幹線
  • ●都市圏交通を担うLRT(Light rail transit )公共交通。

※鉄道の分類にはいろいろな分類がありますが、まとめると上記のような括りとなるでしょう。

日本では幹線と支線(ローカル線)という括りにされている鉄道路線ですが...

アメリカでは、日本で言う地方交通線はregional line と呼ばれ、local line(域内交通)は都市圏交通も含む地域交通という立ち位置で使われていて、しかも日本のようにlocal lineという表現はあまり用いれないようです。(国家そのものがstateいわばローカルエリアの集まりなので...)

日本で言うところの地方ローカル線はrural lineと言うことになりますが...

観光地などの"保存鉄道"を除き生活路線として存続している旅客鉄道rural lineは"消滅"しているのが実情です。

米国は東西に2分された国家?

日本ではとかく北海道のregional lineの衰退が取りざたされますが、広大な国土の米国は「北海道の拡大版」のような国家で、ロッキー山脈、シェラネバダ山脈が、東海岸と西海岸に国土を分断!しており、更に"大海原"に例えられる大草原やネバダ砂漠が横たわっています!

セントローレンス川(運河)とエリー湖を使った東部の一部地域や、ミシシッピー河を使った南部の一部地域以外では、水運による大量貨物輸送が行え無いために、国土を横断する運河代わりの鉄道で"陸蒸気"が大量の貨物輸送を行っているわけです!

別の面からみると、オレゴン州・ネバダ州や・テキサス州のように北海道のような「"過疎地"が多数集まった国家」とも言え、州内の旅客・生活路線としてのrural line(地方旅客ローカル線)は衰退して、「各州を跨いだInterstate canal(州間運河)代わりの鉄道"陸蒸気"が生き残った」ともいえるわけです

本来 公共交通機関と訳すべきLRT(Light rail transit )は

アメリカで一世を風靡していたInterurban(都市圏高速電気軌道)網が、日本の大手私鉄:郊外電車、に最も近い存在なのですが...

インターアーバンが駆逐!されたアメリカでは、主に都市圏近郊区間の市街地をサービスエリアとしているので、日本で流行っている?LRTという表現よりは、路面電車・トロリーバスなども含めた架空線給電路面交通(Surface )Trolley Lineとして一括りにされてTramway、Streetcar、などと表現される場合もあり、シカゴのLなどのような" 高架線も含む"都市交通はフランス語由来のmetroと言う括りで、Subway(地下鉄)とは区別されているようです。

更に、ドイツ語圏に敬意を表して路面電車はStraßenbahn、地下鉄はU-Bahnと表現される場合もあります!

米国では貨物引き込み線の旅客転用が多い

更に米国のLRTの特徴は、嘗てのインターアーバンの再来・復活では無く!、アメリカ全土で広く行われている、street running(※01)貨物線(引き込み線・専用線)をSurface Lineとして"旅客転用"した路線が多い!ことです。

なので必ずしもトラムカー(チンチン電車)が走る路線とは限らず、ニューヨークのように、ディーゼルハイブリッドカーが走る非電化併用軌道路線も多く存在しています!

参※01)当サイト内関連記事 日本の大手私鉄は" street running "ではじまった! はこちら。

第1項 広大な国土をもつアメリカでは100年以上も昔のの19世紀末の金融恐慌の引き金にも...

例えば日本における北海道開拓における鉄道の栄枯盛衰は...

広大な国土を持つアメリカにおける西部開拓史"大陸横断鉄道"と鉄道網の変遷リフレイン・ミニ版だったのかもしれません!

更に行き過ぎた過剰投資は、19世紀末の1893年にニューヨークのウォール街に端を発した世界大恐慌の一因ともなっていました!

隣国C国が高速鉄道網の"付け"で経済破綻しかけている100年以上も昔の教訓です

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第1節 嘗ては手軽な輸送手段だった?"鉄道"

※当サイトで用いた廃線ルートは、全て国土地理院の公開航空写真データに基づいています。

但し数m程度の誤差があることはご了承願います。

(※以下 直接リンクは事業者公式Website、Wikipedia該当項にリンクしてあります。)

天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」としての鐡道

当時物流を支える陸上輸送手段と言えば「大八車」や、「背負子(しょいこ)」すなわち人力がメインでした。

河川を利用して川船を用いた水運も盛んでしたが、日本は南北に背骨が貫いた細長い島国です。

当然一部の地域の平野部を除き河川は海にそそぐ「列島横断」に限られていて、列島を貫き大量の物資輸送を行うには北回りや南回り廻船の海路を利用する以外には"路"(みち)はありませんでした!

天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」が求められていたわけです。

嘗ては手軽な輸送手段だった「鉄道敷設?」

道路網が発達していなかった当時お手軽な大量輸送手段だった「鉄道敷設?」

大量の物流を担うには、それに見合う施設・設備が必要です。

大八車や背負子に頼る当時の陸運では、いくら道路整備(精々石畳舗装程度ですが)に邁進しても、所詮たかが知れていました。

そこで、当時の貧弱な道路事情とトランスポーターに代わり、比較的簡単に敷設できて大量輸送が可能な「鐡道」が注目されて"お上主導の官鉄"、民間有志・起業家による私鉄建設を問わず、急速に全国鉄道網の整備が行われたわけです。

イカダなどによる材木の搬出が行える適当な河川の少ない北海道での森林開発や、炭鉱開発に、更には多エリアからの物資の"移入"を人手による陸運に頼らざるを得なかった本州内陸地などに鉄道網が広がっていき地域経済の活性化に貢献してきたわけです。

富国強兵政策の明治期には最適の兵力輸送手段でもあった

つまり「一般人のアクセス手段」より「物流」が主体であった富国強兵時代の明治期においては、鉄道敷設はお手軽に大量の兵力を輸送する最適手段だったわけです。(※軍隊の兵は兵力の一部で"人"とは思われていなかった?)

鐡道時代が長く続く

官鉄・私鉄の旺盛な路線拡張でほゞ全国に主要幹線が完成したこの時期、地方交通においても幹線の主要ハブ駅からエリア内へのアクセス手段として敷設が容易な軽便鉄道が持てはやされ、日本各地でご当地鐡道が敷設されていきました。

中でも福島県の旧日本鉄道(東北本線)敷設当初案で、現在阿武隈急行として現在に蘇った沿線における「大日本軌道」(現福島交通)が構築した「日本初のトラム網」や、同じく北陸石川県で広域トラム網?を構築していた北陸鉄道 、北海道東部で発達?した殖民軌道などが、戦前の貧弱な道路輸送に代わって地域の産業振興に果たした役割は大きいといえます!

ゴールドラッシュで沸いたアメリカでは

広大な国土を持つアメリカでは、インターシティーは鉄道で、そして各州のローカルエリアが道路交通といった住み分けが、開拓時代(馬車時代)から定番となっていましたが...

大陸横断鉄道の一部でもあったColorado Midland鉄道と、1873年から建設を始めれて19世紀末には全通したDenver South park and Pacific Railroadが共に、1910年代には頼りにしていた炭鉱が枯渇して、第1次大戦後には再投資されましたが、もう一つの柱大陸横断鉄道がデンバー経由となり、頼みの貨物輸送がほとんどなくなり、観光客も整備されだした道路網を使ったマイカー利用に移って行き、ビジネスとして成立しなくなり1918年8月にColorado Midland鉄道は廃止されました!

渓谷沿いの鉄道は、その後も"郵便配達"や"レールバス"等で何とか苦境を乗り越えようとしましたが、

さらに第2次大戦後には無くなった"金鉱"の後釜に製粉工場が建設されましたが、もはや鉄道を維持できるほどの輸送密度は確保できませんでした。

そして平和が戻った1949年にDenver South park and Pacific Railroadは最後の旅客営業を終えて、ミッドランド駅(コロラドスプリングス)は廃止されました!

つまりアメリカでは日本より半世紀以上も前に、開拓鉄道の末路は示されていたわけですが...

北海道では...

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第2節 道路整備の進展と鉄道事業の衰退

第1項 道路建設の technological innovation が道路網という"導水路"を進歩させてモータリゼーションの激流が...

技術革新(technological innovation )とは、

発明を軸に企業家が新しい商品の生産、企業経営の新しい発展方向を打ち出すことによって社会的に展開されると説いた。《ジャポニカより引用》

米国のフォード自動車もそうですが、自動車という発明品を量産化というイノベーションが爆発的に普及させたのではなく!

「公共道路網」という"導水路"の整備があって初めて"モータリゼーションの激流"が導かれたわけです!

第2項 運行コスト面で自動車輸送にかなわない!

「鉄道(軌道)事業は、軌道の維持管理・設備更新費を自前で行わなければならない」大きなハンディを抱えています!

逆に言うとこれらのtransportation route(車両走路)の維持管理・設備更新が、道路管理者(組・自治体)任せで一切不要の"自動車輸送"に大きな優位性があることになります。

つまり自動車運輸事業では、車両の維持管理・設備更新だけで済むわけです!

なので、殆ど変わらない運賃体系(積載量1ton X km、or 1人 Xkm)だとしても...

鉄道はトラック輸送や路線バス事業に対抗できない訳です。

なので"乗り合いバス"(路線バス事業)は、定員に遥か満たない空気輸送に近い状態で運行していても、何とか採算ベースに乗るわけです!

第3項 鉄道の武器は陸蒸気(大量輸送!)

但し鉄道には、バス・トラックではかなわない「輸送力!という大きな武器」があります!

都市圏交通の場合はこれらの利害得失を考慮したうえで最適のトランスポーターを選択する必要があるわけです!(※21)

参※21)当サイト内関連記事 鉄道 は陸上旅客輸送の1手段にしか過ぎない! Rural Line の役割とは? はこちら。

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第3節 「敗戦」後に訪れたローカル鉄道の「廃線」期!

例えば北海道で最後に残った殖民軌道浜中町営軌道の廃止は1972年3月!です。

つまり名神高速道路(1963年着工1965年完成)が出来た1960年代中期でも北海道ではまだ殖民軌道が延長されていたわけです。

軽便鉄道は高度成長と共に訪れた「モータリゼーションの激流」に押し流されたとして片付けられていますが、決してそうではないことを物語っています。

事実北海道の多くの殖民軌道を除き、日本各地にあった「軽便鉄道、森林鉄道、路面電車」の殆どは廃止の前日まで、住人の地域交通を担っていました。!

第1項 森林鉄道の衰退

森林鉄道については、モータリゼーションの津波というよりは、林業自体の衰退が1番の要因です!

高度成長期、の住宅建設ラッシュと時を同じくして、安い海外製の原材が大量に輸入されるようになり、各地の林業(材木出荷量)は急速に縮小し、もはや森林鉄道による出荷集積地までの大量輸送も必要なくなってしまいました!

、林業衰退で減った出荷量位ならばトラック輸送で十分にまかなえるようになり、お上の営林事業縮小とともに消えていった!と解釈すべきでしょう。

逆に、道路環境整備を待たずに規模(路線)縮小が先行して森林鉄道軌道跡地が道路整備に転用された例も全国各地にあります!

各地の森林鉄道の衰退期

1963年(昭和38年)武利意森林鉄道(むりいしんりんてつどう)廃止

※関連記事森林鉄道《鉄道人気スポット ナビ》まるせっぷいこいの森はこちら)

1964年(昭和39年):3月30日魚梁瀬森林鉄道全線廃止となる。(※関連記事魚梁瀬森林鉄道 《 鉄道 人気 スポット ナビ 》魚梁瀬丸山公園はこちら。)

1976年(昭和51年) 鯎川森林鉄道(最後の木曾森林鉄道支線)廃止(※関連記事王滝森林鉄道復元軌道 《 鉄道 人気スポット ナビ 》松原スポーツ公園はこちら。)

第2項 発電ダム建設の為に敷設された鉄道

  • ●1934年完成の山口貯水池(貯水ダム)建設の為に敷設された東京都・水道局軽便鉄道

工事にあたり、村山貯水池の資材運搬と導水管(羽村村山線)工事の際に敷設し廃線となった羽村-横田間の軽便鉄道の線路再敷設と横田-山口貯水池堰堤間の延伸工事を1928年に行い、1929年から砂利運搬に利用した。廃線跡の一部は武蔵村山市は野山北公園自転車道として、羽村市は神明緑地として整備された。《Wikipediaより引用》

東京都の水瓶、村山貯水池(多摩湖)山口貯水池(狭山湖)は3つのダムからなる大規模な貯水池なので、軽便鉄道以外にも、当時貨物輸送も行っていた西武鉄道が西武多摩湖線、狭山線、狭山通り支線(廃線)、更には八高線(奥多摩工業セメント工場)からも専用線が伸びていたようです。青梅線、五日市線、八高線沿線のこの一帯には石灰石鉱山が多く、大規模なダムを建設するのに都合が良かったのでしょう。

また当時はコンクリートの骨材に川砂利を使用するのが一般的っで有名な西武安比奈線、をはじめ,

青梅線にも、小生が暮らしていた河辺、小作辺りに採掘場が数か所、京王線!の中河原あたり、更に南武線(※31)はもともと多摩川沿いの川舎利採掘場からの川砂利出荷路線として誕生しています!

前途したように、1960年代中期になるまで、舗装と言えばコンクリート舗装が一般的で、飛行場も、海外も含めて戦前戦中の軍用未舗装飛行場!かコンクリート舗装が一般的でした。(32)

なので、このエリアには、古くは所沢飛行場に始まり、横田基地、入間基地、立川飛行場、厚木飛行場、調布飛行場、元府中飛行場、そして羽田空港、と飛行場も多いわけです!

  • ●小河内ダム建設のための都営鉄道(東京都水道局小河内線)(※33)
  • ●黒部渓谷鉄道
  • ●井川ダム建設のための大井川鉄道井川線
  • ●北陸鉄道・金谷線・白山下駅以遠の末端部
  • ●九頭竜ダム建設のための越美北線

などなど

戦後高度成長期に数多くできた発電用ダムの建設には、セメントや骨材(砂利・砂)が必要になり、戦後間もない時期は、地方鉄道(ローカル線)も建設現場まで工事用仮設路線を延伸して、その輸送に当たっていました。

つまり、ガソリンで走る6トン積のボンネットトラックと,舗装もされていない建設道路では、とても大量の資材を運ぶことが出来なかったわけです!

参※32)当サイト内関連記事 南武線 と川崎市が 羽田空港アクセス線 開業で大ブレイクできるか? はこちら。

参※32)当サイトシリーズ記事 世界初の旧ブルックランズ (Brooklands )飛行場サーキットはこちら。

参※33)21世紀に入った頃、小生は東京都民!として青梅市(青梅村?)に住んでいました。

当時、度々避暑を兼ねて、小河内貯水池(小河内ダム)へ出かけていました。(勿論マイカーで...)

当時都営鉄道跡は、ほぼ完全な姿!で残されており、地図上にもはっきりと記載されていました!

そして2007年頃までは、Zenrin電子地図などにも記載されていて、廃ルートを辿ることが出来ましたが...

近年、すべて削除されて、国土地理院データバンクで復元することもできなくなりました!

なので、残念ですが、本稿では再現ルートは記載できませんでした!

但し遺構が残っている部分のみ汽車マークを記しました!

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第4節 実は一般道の舗装率と深い関係がある「モータリゼーションの激流!」

爆発的な「モータリゼーションの激流!」は実は一般道の整備と深い関係にあります!

第1項 日本もそうですがアメリカの地方鉄道は道路整備と共に...

"鉄道全能神"を崇拝する?懐古趣味の老人たちは"痴呆鉄道"を必死で擁護していますが...

広大な国土を持つアメリカでは、1913年に全米リンカーンハイウェー協会が設立されて、嘗ての西部開拓時の馬車ルートを改良した、リンカーンハイウェーが全通したわけですが、ハイウェーとは名ばかりの"ダートトラック"で、1950年代の日本同様に晴天時には砂塵が舞い、降雨時には泥道と化して、とても実用には向かないような代物でしたが...

それでも、1908年に登場していたフォード・モデルTの"価格破壊"で馬車に代わって一般大衆のパーソナルトランスポーターとなると、リンカーンハイウェーを使って、長距離家族"冒険旅行"に挑戦する人たち?が増えていったわけです!

※フォード・モデルT登場当時は、舗装と言えば都会でも"レンガ舗装"が当たり前の時代でした!

1909年に完成した有名なIndianapolis Motor Speedway(※41)がレンガ舗装で今もスタートラインとして一部(90cm巾)が残されているのはこのためです!

但し、1907年6月17日にオープンした世界初の常設クローズドサーキット 旧ブルックランズ (Brooklands )サーキット(※42)は全コースコンクリート舗装でした!

参※41)当サイト内関連記事 Indianapolis Motor Speedway はこちら。

参※42)当サイト内関連記事 旧ブルックランズ (Brooklands )サーキット はこちら。

第2項 アメリカで始まった道路建設のtechnological innovation(技術革新)が..

technological innovation

発明を軸に企業家が新しい商品の生産、企業経営の新しい発展方向を打ち出すことによって社会的に展開されると説いた。《コトバンクより引用》

米国全州道路交通運輸行政官協会

機械化が進んでいた米国では、アスファルトフィニッシャ(1938年特許確定)が登場する第2次大戦以前から、ブルドーザー(1923年登場)やグレーダー(1920年登場)が普及しており、コンクリート完全舗装道路が全米に広がっていきました!

1925年に米国全州道路交通運輸行政官協会(American Association of State Highway and Transportation Officials、以下AASHTO)が誕生して、1926年に有名なアメリカ最初の国道ルート66が完成してアメリカの舗装国道の歴史が始まったわけです。

しかし各州が独自に行う事業で大規模な土木工事(自動車専用道)は少なく、現在・日本の一般国道程度の代物でした。

アメリカで本格的な高速道路網が整備されだしたのは

アイゼンハワーがヨーロッパ戦線に従軍していた際にドイツのアウトバーン網にいたく感動して、1956年度版の連邦道路整備補助案で州間高速道路の整備が決まり整備されだしたインターステーツ(州間高速道路)からだといわれています!

つまりアメリカでも1964年開通の名神高速道路と10年程度の開きしかありません!が...

第2項 日本におけるモータリゼーションの激流は

日本における、モータリゼーションの激流は、一般的には、マイカーブームで「急激なモータリゼーションの洪水!」が発生して「地方のローカル鉄道網が衰退した?」とされていますが事実はそうではありません!

舗装道路の普及により、大型化したトラックやバスが、幹線道路を我が物顔に暴走?(※45)するようになり、大都市近郊から徐々にモータリゼーションの"洪水"が広がっていったわけです。

参※45)2021年6月現在約7万人が暮らす田舎町!の大阪府柏原市でさえ、小生が中学2年当時の1964年の段階では、国道以外は幹線道(府道)ですら未舗装!で、いたるところ"ラフロード"だらけで、「我がもの顔」で暴走していたのは小生も含めたガキどもの"チャリ暴"ぐらいでした!近くにあった国道170号(旧道)は既に立派な"全面コンクリート舗装路"でしたが、ところどころに信号があるだけで走行する車両もほとんどなく、柏原市からPLランド(プール)迄、仲間と連れ立ってよく自転車で泳ぎに出かけていました!その時に中央ラインをスラロームごっこしてよく遊んだものです!

つまりそれくらい通行量が少なかったわけです。

参※当サイト内関連記事 懐かしいレトロシティー柏原!? はこちら。

第1目  高度成長期でもまだまだ日本のモータリゼーションは黎明期だった!

敗戦後の高度成長期でもまだまだ日本のモータリゼーションの聡明期は続いており、小生の幼い時期の記憶でも、1950年代の「ダットサン1000(ブルーバードの前身)」のTVコマーシャルは長閑(のどか)な郊外ドライブ風景...等ではなくて「豪州ラリー」で荒れた荒野を力走する姿でした!

つまり、高速性能などという以前に「当時の酷道」における高い走派性・耐久性が必要とされていた時代でした。

第2目 1964年以前は道路整備も人力主体!

1964年以前の日本は、舗装がどうのこうのという以前に、未舗装の一般道の凸凹を馴らす補修作業ですら大変な時代でした!

ツルハシ・スコップ・もっこを使用した人力が道路整備の主役?でした!

なので雨上がりの凸凹道でのスタック(※43)やパンクで路上に留まっているトラックも当たり前の時代でした!

正に、当時大ヒットした流行歌の歌詞『田舎のバスはおんぼろ車凸凹道をガタゴト走る...』の通りの状況が田舎だけではなく全国至るところで繰り広げられていたわけで、乗り合いバスはとても実用的な公共交通機関とは言い難い状況でした!

※43) 小生が小学校の頃(1950年代後半)でも我が村?は未舗装であり、近くの幹線道路(国道)もやっとコンクリート舗装に...

もちろん集落の中や国道に繋がる準幹線道(府道)も含めすべて完全未舗装!のダート・ロード!?が数km以上も続き、雨上がりや晴天が続いた後は道路は凸凹だらけ!

パンクでもないのにあちこちの「公道」のど真ん中で「スタック!」する車両が続出する有様で、村の万屋(よろづや)に、週一度位しか来ない500kg積のバタバタ(オート3輪)が村はずれでスタックするたびに、村人総出?で押す光景をしょっちゅう目にしたものでした!(勿論小生も手伝いました)

第3項 1963年の名神高速道路建設に始まった全国高速道路網建設の流れが...

そんな最中に、ご存じの通り日本初の本格的自動車専用道路「名神高速道路」は1963年 から1965年にかけて建設されて開通しました。

つまり1964年の東京オリンピック開催時期になって初めて「高速周回路(※41)」を使った連続高速耐久性試験の様子などがTVコマーシャルに登場するようになり、マイカーへのあこがれも高まっていきました。

名神高速道路建設用大型建設機材の輸入が日本の道路建設の転機!になりました。

高速道路網建設に必要な大型土木機械、特に大型自走式の「モーターグレーダー」や「アスファルトフィニッシャー」の輸入・国産化により、各地の道路舗装率が急激に向上したためです。(※42)

※41、バンク伝説シリーズ記事はこちら。

※42) グラフでみる道路建設業 はこちら

第1目 モーターグレーダーの普及が道路整備を一変させた!

土石採掘、アスファルトプラントを除くと、一般的な築堤(盛り土)タイプの道路建設では、以下のような大型建設機械が用いられています。

小型のブルドーザーやロードローラーは日本でも戦前から用いられていました。(中学校でグランド整備に用いられる手で引っ張る例のヤツの大型版)大型ブルドーザー(※43)、グレーダー、アスファルトフィニッシャーは名神高速道路建設時に、米国から大量に輸入された建設機械が原型となりリバースエンジニアリングされて国産化されたものが殆どです。

参※43)超大型ブルドーザー、25ton超大型ダンプ(工事道路専用)は佐久間ダム建設時(1953年着工1956年竣工))に米国から輸入された"中古機"が初めてとされていますが、一般道は走行できないので、名神高速道路建設時には一部の区間でしか使用できませんでした。

また1964年の第一期開通部分(吹田⇔栗東間)は、従来通りのコンクリート舗装が大部分を占めていますが、それに続く第2期、更に続く東名高速道路建設ではアスファルトフィニッシャーが大活躍しだします!

1)土石搬送 

大型ダンプトラック

※1960年当時でも道路建設は、工事用の軽便軌道を敷いて「トロッコ」を土工2人が手押しして、土砂を建設用地に運んで伸ばしていくのが普通でした!(※実際に小生が幼少の頃、近くで建設されていた府道12号堺大和高田線はこの方法で建設されていました!)

2)均し1

ブルドーザー

3)法面成形

バックホー

4)均し2

モーターグレーダー は敗戦後米軍が持ち込んだブルに牽引されるグレーダーが、自走式のモーターグレーダーへと進化したもので、これの登場で、全国の道路網の整備が進んだといっても過言ではないでしょう!

前途したように、これの登場以前は、全て人力による作業でした!

ブルドーザーとグレーダーの登場で、大規模舗装も可能となり、進駐軍に接収された各地の飛行場の滑走路もコンクリート舗装(※44)されて、その後の空輸の繫栄に繋がるわけです。

参※44)当サイト内関連記事 千歳空港は2か所にあった!陽炎のように終わった連山飛行場! はこちら。

5)転圧1

ロードローラー は戦前の1929年にガソリンエンジン使用の6tonタイプが国産化されて、使用されていました。

舗装は最後の仕上げ「道路面の厚いお化粧?」

舗装は、道路建設の最後の段階であり、いわば「道路の厚いお化粧?」です。

全国に高速道路網の建設が始まったとはいえ、そうそう年中出番のある機械でもありませんでした!

つまり高速道路建設で全国各地にアスファルトプラントと共に出現した舗装会社の作業所(事業所)の普段の「凌ぎ」に当時の建設省の各地方建設事務所、地方公共団体(県道・市道管理者)などに猛烈なプロモーション活動が展開されて瞬く間に全国の幹線・準幹線・主要都市の市街地が舗装整備されたわけです。

さらに自走式のアスファルトフィニッシャーが導入され大都市近郊の周辺都市にまで「簡易舗装」が普及しだして...

1)アスファルト舗装

アスファルトフィニッシャー

2)転圧2

タイヤローラー

当初は"転圧"されない"簡易舗装"が一般的でしたが、その後やや遅れて現在一般的なタイヤローラーが登場して、全国に高規格アスファルト舗装幹線道路網が整備されて行きました!

そしてそれと共に鉄道網が...

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第5節 並走する一般道路の舗装が進み自主的にバス転換・廃業したLRT達

以下は、並走する一般道の舗装が進み、鉄道事業の"旨み"が無くなり、メンテナンス経費の不利だけが浮き彫りになってきて、鉄道を廃業して路線バス事業に専念した例です。

本項については詳しくは当サイト内関連記事 LRTにも通じる『 都市型 BRT 』は『 日本型 BRT 』のようなローカル線廃止の方便ではない! をご参照願います。

第1項 バス路線転換に先鞭をつけた三重交通・神都線

前途したようにモータリゼーションの幕開けどころか、"津波"の予兆すらなく、ボンネットバスがノンビリ走っていた1961年に早々と、自主廃線!してバス事業に鞍替えしたのが三重交通神都線です。

正月のお伊勢さん詣での"特需輸送"が終わった、1961年1月20日に無事役目を終えて、三重交通神都線は天に召された!

参※)当サイト内関連記事 三重交通 神都線 と お伊勢さんの思い出 はこちら。

第2項 石川・福井方式でバス転換した北陸3県のライトレール網

北陸3県では各線でLRTと呼ぶにふさわしい鉄道網が整備されていました!

北陸3県に共通しているのは、加賀温泉郷をサービスエリアとしていた北陸鉄道(旧温泉電気軌道)を除き旅客軌道ではなく、殖産鉄道だった点です!

その為に、多くの路線貨物輸送を失った段階で、廃止され、旅客輸送も神都線同様にバス路線転換されました!

石川・福井方式バス路線転換とは...

福井県と石川県では今で言うところの「BRT」の"路"へは"侵入"しませんでした!

つまり、走路施設の維持管理・設備更新費用が事業者負担となる"バス専用私道"を走る日本型BRT(※51)を採用しないで、廃止後の廃線跡地を一般車両も走行できる"公共道路"に改修して、バス路線転換を果たしたわけです!

参※51)当サイト内関連記事 福井・石川方式バス転換法とは はこちら。

北陸屈指のライトレール網 北陸鉄道

1916年10月29日に前身となる 金沢電気軌道株式会社が設立されて、3年後の1919年に金沢電気軌道の市内線チンチン電車が開業しました!

1943年の戦時統合で(旧)北陸鉄道・能登鉄道・温泉電気軌道・金名鉄道・金石電気鉄道・湯涌自動車・七尾交通の7社が合併して、現在の北陸鉄道が設立されました。

終戦直前の1945年7月20日には小松電気鉄道とも合併して、さらに終戦後の1945年10月1日には浅野川電気軌道も合併し北陸金沢を中心に一大ライトレール網を構築していました。

金沢市が空襲を受けなかったことが返って災いして?他の大都市のように戦後復興事業で道路拡幅はされませんでしたが、戦後に撮影された航空測量写真では、高度成長期の観光開発に絡み金沢市内・周辺温泉地など北陸鉄道沿線沿いの幹線道路がどんどん整備されていった様子がうかがえます!

つまりモータリゼーションの津波に押し流されて...というより、保線費用(軌道設備維持管理・更新費)が嵩む軌道事業を、三重交通同様に「自主的に廃止!」して、1967年(昭和42年)2月11日 に 金沢市内線が全面廃止となったようです。

しかし皮肉なことに"路線の要"を失ったことで、市内からの乗り継ぎの便が悪くなり、石川総線も次々と路線縮小せざるを得なくなったわけです!

加賀温泉郷を繋いでいた旧・温泉電気軌道ラインは

西部の湯治場?加賀3湯(山代・山中・片山津)を繋ぐ観光旅客ライン網では...

当時の国鉄が新たな加賀温泉駅を特急停車駅にして駅前バスターミナルの整備をしたことや、幹線国道8号線の整備と共に、大型バスによる団体バスツアーが一般化して、個人観光客相手の旅客鉄道事業も、路線バスで十分に対応できることとなり、加賀温泉郷の路線網のバス転換・廃止に至ったわけです。

同じ国鉄本線に依存した支線・盲腸路線網でも、福島交通のような軌道事業ではなく、単独の立派な「鉄道」として建設していたことが裏目に出たわけです!

更に、資本参加してくれている富山地方鉄道とは異なり、石川総線とは接続されていない"孤立路線網"であった為に、地元民の"通勤通学路線"としても機能できずに、当時は不便だった「国鉄の客車列車」にさえ太刀打ちできなくて、整備された道路網でバス路線転換する方向に向かったのでしょう!

参※)当サイト内関連記事 金沢市 が再び盟主となって、北陸3県を力強く牽引するには... はこちら。

福井方式でバス路線転換を計った福井県

福井鉄道

福井鉄道は日本で初のカールスルーエ型LRT網(※52)を築いた"インターアーバン"ですが...

同時に沿線にレンゴーなどの紙製品の工場の出荷路線(専用線)的な役割も担っていたので、鉄道貨物を失った時点で南越線は廃止されたわけですが、前途したように、跡地は道路に転用されてバス路線転換されて沿線住人の利便性は確保されました!

参※52)当サイト内関連記事 トラムトレイン方式(カールスルーエタイプ)とは? はこちら。

京福電鉄

1914年4月10日 勝山 ⇔大野口間が延伸開業し、大野市が福井市と結ばれました!更に1918年9月1日 大野口 ⇔大野三番(後の京福大野)間が延伸開業して全線が開通しました!

京福電鉄は、旅客(観光)主体の旅客鉄道と思われがちですが...

電気機関車を所有していたように、実は貨物営業も営む立派な産業鉄道でした!

沿線の、地場産業の紡織・紙製品、九頭竜川の建築骨材(川砂利・川砂)採掘業などからの貨車輸送を行っていました。

つまり越美北線が開業する以前から越前大野の地場産業・旅客を支えていたわけです!

そして越美北線が1960年に開業と同時に貨物営業を始めたので、沿線の貨物需要が無くなった!わけです。

その越美北線も1982年11月15日に全線の貨物営業が廃止されました。

1974年に廃止されるまで大野市の大事なアクセス手段として越前本線がその役割をはたしていました。

残念なのは、芦原温泉駅で路線が分断されていたことで、もしも分断されてなかったら?

坂井市の丸岡城本丸!と芦原温泉、三国港を結ぶ重要路線!として生き残れたかもしれません?

北陸本線と越美北線の影響

越美北線は1960年12月15日に南福井駅⇔勝原駅間 (43.1km) が開業した路線です!

つまり京福電鉄越前本線のほうが歴史が古いわけです!

さらに

1973年5月31日まで蒸気機関車!による客車列車運行で、京福電鉄越前本線のほうが利便性は格段に高かった!わけです。

北陸本線

北陸本線北陸線 敦賀駅 ⇔福井駅間(38M40C≒61.96 km)が開業したのは1896年(明治29年)
7月15日の事で、この時に武生駅・鯖江駅・大土呂駅・福井駅が開業しました。

遅かった電化

今庄駅 - 福井駅間が交流電化されて福井迄電化したのは1962年(昭和37年)3月21日のことで、勿論それまでは、武生⇔福井間は汽車に引かれた客車列車がノンビリ走っていたわけです。

つまり、福井鉄道、京福電鉄共に圧倒的に便利が良かったわけです!

今尚富山都市圏交通を担っている富山地方鉄道

富山地方鉄道(※53)も、石川鉄道同様に戦時統合で、広大な富山都市圏鉄道網を構築していたわけですが...

石川鉄道と違い、富山駅と北部の観光地宇奈月温泉・立山とが自社線で直接つながっていた点でしょう!

石川鉄道とは逆に、旧国鉄が宇奈月温泉まで特急電車を直通させていたほどです!

但し、1980年代でも、北陸本線、富山⇔黒部間は客車列車による運行で、便利なインターアーバン地鉄は沿線住人の津禁通学の便利な足となって活躍をつづけられたわけです!

但し、JRになって旧型寝台特急電車を魔改造した交直両用電車が運行されるようになり、次第に優位性が薄らぎ...県道13号の整備と共に、出資者の関電と共に地鉄が観光開発した、黒部峡谷観光も、観光バスを使ったツアー観光に移り...一般の個人観光客が減少して...

参※53)当サイト内関連記事 あいの風とやま鉄道 と 富山地方鉄道 のアライアンスが富山都市圏の明るい未来への"鉄路"となる! はこちら。

LRT軌道事業の縮小は専用軌道線(鉄道線)が大部分を占めていたことが...

トラム運行をしていた区間も北陸鉄道線同様に、立派な専用軌道(&鉄道線)で敷設されていました!

このことが逆に災いした様で...

国鉄の客車列車に比べて便利だった専用軌道線射水線も

富山新港の開削により、新湊で繋がっていた加越野線(万葉線)との連絡が途絶えて、渡船連絡となって終い、高岡⇔富山間のトラムカーによる直通運行が終了して、更には北陸線の電化により、国鉄も電車運行を開始して、利便性が増したために乗客が流れて...

石川・福井両県とは異なりBRT転換したことが...

専用軌道を舗装して専用道としたために補修費用は地鉄負担となって終い、並行する県道が整備されたために、専用走路の維持管理費(運行経費)が必要ない路線バスに転換して、2012年(平成24年)3月31日 限りで富山新港⇔呉羽橋間の専用軌道線は完全消滅したわけです!

貨物輸送主体で工場引き込み線的性格が強かった笹津線

また同じように自主的にバス転換した笹津線は、途中駅も少なく神通川の対岸を大きく迂回している、高山本線より便利な路線でしたが...

不二越線同様に国鉄貨物を沿線の工場に運ぶための、引き込み線的性格が強かったので、立派な鉄道は沿線の村々からは離れた位置に敷設されていて、沿線の村々が今ほど都市化していなかったこともあり旅客需要は殆どありませんでした。

頼みの綱の貨物輸送そのものが、短軸貨車によるバルク積から、完全舗装された国道41号線を走るトラック輸送に切り替わり、国鉄貨物の廃止に伴い、役目を終えて廃止されたわけです。

跡地は、多くの部分が県道318号として再利用?されています!

第3項 積極的にバス路線転換を図ってきた、中京の覇者!名鉄

同じような事例では、2016年限りで廃止された名鉄岡崎市内線バス専用道(私道)の例があります。

名鉄岐阜市内線と近隣トラム網

大日本軌道に遅れること約1年後の1911年に美濃電気軌道(現名鉄電車の前身)によって岐阜市内線が開業して、その後長良軽便鉄道を買収するなどして周辺都市にまで広がり、忠節線、揖斐線、美濃町線、田神線、高富線などの大規模な高域トラム網を構築していましたが、末端支線部分からじょじょに路線を縮小して行って、ついに2005年に市内線も廃止されて95年に渡る長い歴史を終えました。

このトラム網の場合も富山地秘奥鉄道・石川鉄道同様に、市外は殆ど専用軌道と軽便鉄道区間!で一部区間では急行運転なども実施されて、速達性は平行バス路線と比べても差ほどの遜色はありませんでしたが...

前途した北陸のインターアーバン網同様に、並行した幹線道路が次々に舗装整備されて、最早鉄道事業の"旨み"が無くなったわけです!

市内の(併用軌道部分を含む)幹線道路の整備が進まずに、沿線利用者以外の市民・県民からは疎まれ邪魔者扱いされて他の大都市とほぼ同様のパターンで廃止に追い込まれました。

しかし廃止後は皮肉なことにマイカーがあふれて渋滞が多発するようにもなりました!

参※)当サイト内関連記事 岐阜市内線 路面電車 の 廃止 は 失敗 ではなく 新時代の生みの苦しみにすぎなかった! はこちら。

第4項 静岡県の"軽便鉄道"

第1目 静岡鉄道 駿遠線

静岡鉄道 駿遠線は、私鉄による東海道線?目指し静岡県有数の規模を誇った軌間762㎜のナローゲージの軽便鉄道です。

大井川を木製橋!(ビデオ10:16~)で渡河していたことが仇となり...

架橋から30年余を経た大井川橋梁...費用面に阻まれて架け替えは不可能だった...1968年に大井川以南(袋井まで)を一気に廃止、残るはわずか6.3kmとなった。...大井川以南区間(地頭方・御前崎)からの長距離利用者の運賃で支えられている面が大きかったこと、そして路線規模が極小となったことで存在意義は失われ、遂に1970年(昭和45年)7月31日を限りとして終焉を迎えた。《Wikipediaより引用

と言われていますが、この辺りがWikipedia(作者)が非難される要因の一つで、乗り合いバス事業も営む静鉄が、三重交通・神都線同様に、自主的に廃止しただけです!

この路線は、最後に残った区間も西大寺鉄道同様に通勤利用客が多かったことでも有名です!

また静鉄は、静岡市名・旧清水市内で併用軌道線(チンチン電車)も運行していましたが、鉄道路線は勿論、増路に沿って走る区間も、「専用軌道」が多かった路線でもありました。

つまり渋滞の影響はあまり受けなかったのです!

第2目 遠州鉄道 奥山線

遠州鉄道奥山線は、旧河川に造られた新浜松駅になる前の 遠鉄浜松駅⇔ 奥山駅 間25.7kを結んでいた全線単線非電化の軌間762㎜のナローゲージ"鉄道線"でした。

1935開業の国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)が開通するはるか以前の1914年!に"

浜松軽便鉄道"として開業した路線で、1923年(大正12年)4月15日:気賀 ⇔奥山間7.7kmが延伸開業して全通しています!

敗戦後の1947年5月1日に遠州鉄道に吸収合併されましたが、その後

1963年5月1日まず気賀口 ⇔奥山間7.7kmが廃止されて、翌年1964年11月1日に残る遠鉄浜松 ⇔気賀口間18.0kmも廃止されて。全線廃止となりました。

ビデオ(13:07~)をご覧になればお分かり通り、廃止時点では、並行する自社バス路線も一部未舗装道路を走行していて、ほこりっぱくて『田舎のバスはおんぼろ車でこぼこ道をガタゴト走る...』の歌通りの状態でしたが...福井・石川両県同様に、その後廃線跡の多くは一般道路に整備されて、遠鉄バスが走るバス路線になっています。

第3目 西大寺鉄道

猫駅長で有名な和歌山電鉄の親会社両備バスグループが、運営していた鉄道路線が西大寺鉄道です!

1911年12月29日 観音(後の西大寺市)⇔ 長岡(後の財田;東岡山)間の一部区間から営業を開始して、旧西大寺市(現岡山市東区)の中心地元祖!西大寺駅から、山陽本線東岡山駅を経由して、観光名所後楽園とを結んでいました!

全線11.4㎞と規模の小さな非電化軽便鉄道でしたが、軌間914㎜!という全国的にも珍しい軽便鉄道でした。

更に、21世紀の最先端を行く「サイクル列車」を運行していて地元住人から重宝がられていました!更に放水色として普段は通水していない百閒川(旭川放水路)の渡河には橋を架けずに、河川敷きを横断していました、いわば沈降路線です!(このアイデア精神が子孫の猫電車にも脈々と受け継がれているのでしょう!)

1962年9月1日 に国鉄赤穂線伊部⇔東岡山間が開通して、9月7日に廃止されました!

が、廃止年まで黒字経営を続けていました!

両備グループ 代表 小嶋光信さんについて

ただの事業家なら、和歌山鉄道・貴志川線など引き受けません!

慶應義塾大学経済学部を卒業された小嶋光信さんは1968年に三井銀行に入行されて、

1973年から両備運輸の再建に係り、1999年には両備バス社長に就任されて、2004年には岡山大学理事に招かれ、2006年に海電気鉄道が運営を断念した貴志川線(※53)の経営を引き継いでに和歌山電鐵を設立されて社長に就任された偉人!です。その内渋沢栄一翁同様に1万円札を飾られることでしょう!...

義父が両備グループに係っていたので、両備グループの再建に加わられたのですが...

1955年10月1日に両備バスが西大寺鉄道株式会社を合併

1960年に両備バス出身の社長が岡山電気御軌道に招かれ事実上の事業統合を計った両備グループでしたが...

2000年には社内カンパニー(独立採算)を打ち出し、

2007年からは現両備ホールディングス体制となっています。

しかしこの世に生まれるのが遅く!入社する以前の1962年に基幹事業の「鉄道事業を失っていたことが悔やまれて...」ならなかった?

それが、和歌山鉄道を引き受ける決断に繋がったのではないでしょうか?

旧国鉄赤穂線開業で並行軽便線!として道を譲った西大寺鉄道

参※53)当サイト内関連記事 和歌山線 を LRT 化して和歌山都市圏の活性化と ぶらくり丁 の再興を... はこちら。

第5項 交通渋滞に巻き込まれない!"大都市圏の専用軌道・鉄道路線"は廃止ではなく育てるべき!

つまり地方観光都市の伊勢市を除き、これら専用軌道網を有していた地方大都市圏では、市街地近郊の路線網を廃止することはなかったわけです!

これは一部の「鉄道崇拝欲ボケ老人(鉄道建設推進運輸族)」(※54)たちが、搔き立ててプロモーションしているような!時代錯誤のノスタルジー・懐古趣味から言っているのではありません!

21世紀の都市圏交通(※55)にこそ、専用軌道・鉄道を走るインターアーバン(都市圏高速軌道)網構築が求められているのです!

♥San Diego Trolly line

参※54)当サイト内関連記事 与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム とは... はこちら。

参※55)当サイト内関連記事 21世紀の 都市圏交通 のあるべき姿とは! はこちら。

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第6節  地方広域ライトレール網(併用軌道)の衰退

前途した道路整備に伴って陸運全体が「トラック・バス・乗用車」にスライドして「逆モーダルシフト?現象」が起こり、鉄道事業は時代に取り残されてしまいました。

第1項 On Timeが何よりの現代社会では

「on time(即時性)」が何より重要となった現代社会になって鉄道は敗退しました!

サービス全盛の現代社会においては「即時性;スピード輸送」が重要視される中、前途の様に「当面の陸運確保」の為に仮設?されたようなローカル鉄道線では、輸送力は確保できても利便性が悪く利用者からも見放され次々と終焉を迎えたわけです。

もはや全国規模の広域アクセスと地方規模のエリア内アクセスは別次元の代物になったといえます。

今や物流の99%はトラック運輸が担い、鉄道貨物輸送の占める割合は極端に低くなっています!

鐡道貨物は、大都市間の大量コンテナ輸送と、首都圏などのトランスポーター集中エリアでの定時性確保のための近中距離輸送に限られているといっても過言ではない状況です。

第2項 1910年開業の大日本軌道(現福島交通)トラム網の場合

福島県北部で現伊達市エリアの交通を一手に引き受けていた1910年開業の大日本軌道(現福島交通)の「日本初のトラム網!」

1976年に廃止された板東線は1910年に軌間760mmの軽便鉄道として開業して16年後の1926年には1067mmの狭軌に改軌されて合わせて直流600v電化されたことにより実に半世紀以上にわたって伊達エリアの旅客・物流の主役でした。

このトラム網は併用軌道上!を走行していたチンチン電車ですが、貨物輸送も行っていました!

廃止まで地域の脚として重宝がられていた路線網でしたが、1961年に併走する東北本線が電化されて運行本数が増えると徐々に通勤客が東北本線にながれていって、併用軌道を走る路面電車であったことが災いして、道路整備(舗装化)で増えたバス、トラック、乗用車の渋滞に巻き込まれて、定時運行が"意地"できなくなり、大都市のチンチン電車と同じ運命をたどりました!

※関連記事 福島県 伊達市 《 タウンヒストリア 》 日本における 広域トラム 発祥の地はこちら

身の程を弁えた堅実な地方都市では今も

つまり地方都市では、大都市とは違い、商用車が道から溢れるほどには多くなく、チンチン電車が今も市民の足となってい活躍できているわけです。

東北のどこいぞやらの"痴呆大都市?"では身の程もわきまえずに、子々孫々に至るまで払いきれないような借金(市債)を背負いこんで迄、"思いっきり背伸び"をして分不相応なミニ地下鉄!(※61)を建設して手を焼いていますが...

質実剛健、質素倹約を旨とする薩摩っ子は、セオリー通り"道路拡幅整備"で身の丈に応じたチンチン電車(トラムカー)を見事生き返らせて、21世紀の都市計画を実践しています!

♥日本一整備された軌道を軽快にトラムカーが駆け抜ける、まるでヨーロッパの街並みのような!鹿児島市

参※61)当サイト内関連記事 リニア地下鉄 はリニアに"金食い虫"で厄介者のお荷物"公共交通効カン!" はこちら。

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

第7節 大都市の市街地から併用軌道「チンチン電車」が抹殺!されたわけは...

大都市市街地からのチンチン電車の敗退理由は前途したいずれの理由とも異なる事情によるものです。

道路交通網の整備がモータゼーションの津波を発生させて「地方交通路線」を押し流した事実とは逆に、大都市市街地では「舗装路の充実」が...

リアス式海岸での「津波増高効果」の様に「モータリゼーションの津波被害」を拡大させたといえます!

ビデオでも明らかなように、利用者からはありがたがられた「庶民の足」であり重宝がられていたチンチン電車でしたが、急激に増加した「自動車の津波」を受け止めるだけの防波堤(道路)整備が後手に回っていました。

大阪市、名古屋市、福岡市などの地方大都市では、その場凌ぎの苦肉の策で「一般車両軌道敷内通行」を特認してしまった為に、「トラム」最大のメリット「定時運行」が崩れ、利用者離れにつながり、最後は邪魔者扱いされながら軌道敷から追い出されたわけです!

大阪市営電気鉄道 1969年3月31日全廃。

西鉄福岡市内線 1979年2月11日廃止 。

その後、大阪、福岡の2大都市では、1970年代当時に比べて都市計画道が飛躍的に整備(新設)されました。

特に大阪大正区などでは周辺の木津川(運河)に数カ所の橋梁(※71)が新設され、周辺の陸地部?と島内(中洲・埋め立て地)を結ぶ道路網が完備され、チンチン電車廃止当時とは交通事情が一変しています。

更に、大阪市中心部においても、国道1号線(キタ新地通り)中央大通り、長堀通、千日前通り、新なにわ筋、なにわ筋、谷町筋の拡幅整備・新設などにより、廃止当時とは一変し交通事情は飛躍的に好転しています!

大阪市(※72)を含む全国の中核都市ではもう一度トラムに目を向けるべきでしょう!(※73)

参※71)当サイト関連記事 大阪市 に残る 渡船 への アクセスはこちら。

参※72)当サイト関連記事 ブリュッセル方式 トラムカー地下鉄乗り入れなら 大阪メトロ 長堀鶴見緑地線 の延伸も楽々実現!はこちら。

※73)、関連記事『トラム 建設は お得 で "ナチュラル バリアフリー!"』はこちら。

不幸にも終戦時灰塵にきしていた広島では

不幸にも敗戦時灰塵にきしていた広島では、都心部で重点的に道路整備が行われて、広~い都市計画道路整備のおかげでチンチン電車・広電がその後のモータリゼーションの津波被害にも屈せずに生き延びることができました!

更に、「砂(州)上の楼閣」広島市では、極端に地盤が悪く、しかも排水路も多く「旧来」のオープンカット工法で地下鉄道を掘削するのは難しく、長らく地下鉄は実現しなかったのも幸運だったのでしょう!

一方同じように戦火にあいながらも、旧態依然の町割りに固執した岐阜市内からは「路面電車が追い出されて」しまい、周辺バイパスが完備するまで日常的な慢性交通渋滞を引き起こしていました!

さらには、軟弱地盤に無理やり地下鉄を掘った福岡市では同時に「墓穴も掘ってしまった」ようです?

さらには、JR九州が過去のトラウマ?で、福岡市内!の香椎線の明け渡し?を拒み、福岡市営地下鉄の貝塚駅以北の西鉄貝塚線線、JR香椎線西戸崎駅(福岡市内)延伸乗り入れの夢も、消え失せてしまいました。(※74)

参※74)当サイト関連記事 福岡市営 地下鉄 箱崎線 と 西鉄貝塚線 相互直通運転の夢は断たれた!はこちら。

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エピローグ ブームと"強迫観念"に流されやすい日本人?...

地下鉄建設は高コストで東京・ニューヨーク・ロンドンの例を挙げなくても「土一升金一升」の「メトロポリタン」でしか有効な手段とは言いにくくなっています!

"帝都"東京以外の(大阪を含む)地方の中核都市では無理をしてまで高コストな地下鉄建設に拘る必要はなく「同じ公共投資額(道路特定財源=ガソリン税)」なら道路拡幅に回した方が「市域全体のアクセス改善」につながると考えられます。(※90)

渋滞の中を走行する堺トラムの事前映像

トラムも車もスイスイの事後映像

地元に票田・支援団体を構える「痴呆議会疑員?」の先生方は「立ち退き問題」が生じる「道路拡幅整備事業」を嫌い、政治資金調達先の地元土建業者と屈託して「地下鉄・新都市交通建設推進派」に回る!ようですが...

パリ、ベルリンなどの大都市を含む「西欧の先進国!」の中核都市では、中心部を除き「トラム」が当たり前になってきている昨今、今だに「地下鉄建設に猛進しているのは」後進国・発展途上国の日本やアジアにある"痴呆都市"だけです!

質実剛健・質素倹約を本文とする薩摩では...

昔から西欧の先端技術の導入に熱心な鹿児島市では、日本国内の他の痴呆都市のように、流行や強迫観念に流されることなく、都市交通の"本質を見極めた都市計画で、まるでヨーロッパのような街並みを形成しています!

♥日本一整備された軌道を軽快にトラムカーが駆け抜ける、まるでヨーロッパの街並みのような!鹿児島市

参照欄

※90)、軌道施設のいらない『 トラム型トランスポーター 』登場!はこちら

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後書き 《鉄道事業を再建するには...》シリーズについて

"温故知新"と言う格言があります。

「人は歴史から多くのことを学んだ」と言われていますが、「railway mania(鉄道狂!)は同じ失敗を繰り返している!」といえるのではないでしょうか!

旧建設省派の運輸族は、"鉄拳公団"解体後、羽振りが悪くなり、政治献金・票田確保の為に、"こうそく(拘束?)passenger traffic(旅客輸送)である"整備新幹線建設推進プロジェクト"に躍起になっています!

彼ら運輸族(とその"親派")にとっては都合が悪いので、"蔑視!"されているmining-railway(鉱山鉄道)や森林鉄道、軽便鉄道、などのexploitation railway(開拓鉄道)ですが、臨海鉄道も含めてこれらのcargo transportation(貨物輸送)に基軸を置いた殖産鉄道は、

日本の鉄道発達史においては"欠かすことのできない存在"であることは動かせない"史実"です。

そんな殖産鉄道にスポットをあてて、21世紀を行く抜く鉄道の"鉄道の存在意義"を改めて考え直してみました。

狸穴総研 地域交通問題研究室 出自多留狸

最新関連記事 

今どきの鉄道傾!Youtuberタレント、シナリオライター、 コラムニストとは?... のご案内

2021年4月7日更新版・公開

要約

鉄道傾Youtuber と称している"Web動画専門タレント"達は、Webコンテンツ 製作・配信零細プロダクションが、クライアントから依頼のあった"ガセねた"をもとに膨らませたコンテンツに出演して、生活費を稼ぎだしているフリーターが殆どで...

クライアント(依頼主)は...利権(政治献金・選挙協力)に躍起の運輸族...不動産への一般人の投棄熱を煽り一儲けを...地元の怪しげな"地上げ屋"不動産屋の魏妖怪(ギョウカイ)が殆ど...

続きはこちらから...

 

公開:2019年7月23日
更新:2021年9月16日

投稿者:デジタヌ

過疎地 の 交通弱者 を救うには 運輸 行政 の更なる" 規制緩和 "が 必要!TOPバス専用道を走る『 日本型 BRT 』ではいずれ廃線の(走)路 を歩むことに...


 

 



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