タヌキがゆく(狸穴総合研究所)

大阪メトロ《地下鉄コラム2007》大阪市営地下鉄 『迷走の歴史ファンタジー』

※<本記事は2007年10月14日から23日にかけて旧サイトで初稿公開した連載コラムのお引っ越し記事です>

ーシリーズ「誰がために槌音は響く」2007-

by 狸穴総合研究所・都市交通研究室 大阪メトロ追跡調査班 しゅかん 出自多留狸(デジタヌ)

Prologue SF未来ファンタジー

22世紀の大阪市は見捨てられた「壮大な廃墟に...!?」

市内の「通りと言う通り」には、くまなく地下鉄が張り巡らされて、老巧化して使えなくなった地下トンネルは最初は運休・休止路線となり、そのうちにいつしか廃線となる。

そして市内至る所の地下には、使われなくなった「地下鉄の廃坑」が無惨な姿で横たわり、その傍らで「復活のための新たな地下鉄建設」が行われる...。

と言う何とも奇妙な それでいて「不気味な光景」が出現するであろう!

このまま放置すると、近未来の大阪市はSFの未来都市のような惨状となるであろう!

旧律令国「河内国」特有の地域エゴの固まりのようなローカルで閉鎖的な地下鉄網の建設拡大にストップかけるのは今しかない。

今決断しないと、大阪市は後世の子孫に利用されなくなった地下鉄の廃墟と、莫大な借財を残し崩壊し、挙げ句の果てに住人や企業からも見放され、彼らが脱出した後には使われなくなった地下の迷路網と、地上には使われなくった高層ビルが林立するゴーストタウンと成りはててしまうであろう!  

終わりのない地下鉄建設

大阪市営地下鉄事業は、都市計画道路の整備・改善工事と供に路線を延ばしてきた。

これには以下のような事情がある

大阪市の地下鉄は法規上、大阪港トランスポートシステムから移管された区間を除く全線が都市計画道路とセットで計画・建設されたという歴史的経緯から、日本の地下鉄では唯一、軌道法準拠の軌道として取り扱われている。路線名に用いられる「高速電気軌道」という呼称もこれによるものである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、東京メトロのような、鉄道事業法に基づく鉄道特許ではなく、

軌道法に基づく併用軌道特許

すなわちチンチン電車!として認可されているからである。

地下鉄工事は軌道の地下への移設による、都市計画道路の改善・改良工事の一環として行われてきたのである。

1903年に日本最初の公営路面電車としてスタートした大阪市電。

最盛期は118km弱と、市電では日本有数の路線となった(東京都電に次いで日本第2位)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この路線を引き継ぐ形で1933年(昭和8年)に關一市長(現在の市長關淳一の祖父)が当時の市議会の猛烈な反対を押し切って建設された御堂筋が完成し、同時に梅田ー心斎橋駅間約3kmに最初の大阪市営地下鉄が開業した。

そしてこれが日本の公営地下鉄の記念すべき第一号となった。

以来拡大を続け、平成18年に今里筋線が開通したことにより、市交通局直営区間だけでも、

伸びも伸びたり何と総延長129.9Km!遂に前身の市電の総延長118kmを超えてしまった!

大阪市交通局と地下鉄建設推進派の「地元民等市議団」はこれでも飽きたらず?さらなる拡張へ迷走を初めてしまった。!

第1章、 『市営モンロー主義』がもたらした近畿の顔・大阪市で起こっている"交通動脈拘束"とは?

市交通局は伝統的に以下に示す閉鎖主義を取ってきた。

大阪市は、市街地の交通を市が掌握する、市街交通市営主義(俗に言う市営モンロー主義)を当初から打ち出しており、基本的に市街地へ民営鉄道を入れさせなかった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

つまり、一部の例外を除いて、両端閉鎖の独自路線主義を貫き通してきた。 これが現在に至るも続く御堂筋線の混雑に代表される、悲劇(いや喜劇?)的事態を生んでしまった。

これに対して、東京メトロは前身の帝都高速度交通営団略して営団地下鉄が

帝都高速度交通営団法にもとづき、東京都区部およびその付近の"地下都市高速度交通事業"を目的として1941年7月4日設立。同年9月1日、太平洋戦争中の運輸統制のため、陸上交通事業調整法により現在の銀座線を運営していた東京地下鉄道及び東京高速鉄道を統合、路線を譲り受けた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

の通り、当初より、広域交通の円滑化を最大の目的としており。

統合した銀座・池袋両線を除き、全路線が両端開放型で既存鉄道との相互乗り入れによる首都圏の広域交通体系のトータル化と効率的な運用に寄与することを目指し現在に至っており、首都圏交通の円滑化・混雑緩和に大いに寄与してきた。

大阪市で起こっている交通動脈の血栓状態とは、言わずと知れた梅田駅(大阪駅)・難波駅・天王寺駅各ターミナルでの乗り換えに伴う慢性的滞留混雑のことである。

特に梅田の混雑は有名で、ホームからあふれる積み残し客対策のために、建設当初より将来の増線に備えて準備してあった、道床とホームまで飲み込んでホームを拡幅し何とか急場を凌いでいる有様。

毎日、多数の積み残された遅刻確定組の通勤客が発生している。

第2章 「ギョーカイ」と利権集団・市議団を潤す地下鉄建設!

"地元民党・市議団"が地下鉄を建設したがるわけ

ところがところがである、地元民党議員団が猛反発、「推薦を取り消すと脅迫?」これには正義の味方、関光仮面(せっこうかめんと読む)も思わず後ずさり、5年と言う具体的目標をとりさげてしまった!

通常、官営事業を民営化しようとすると、真っ先に労働組合から反発が起こり、それをバックにキョ~サン党、社民党、民主党当たりから反対運動が始まりそうに思うのだが、今回は郵政民営化の時と同じく"自元民党"が、それも市会議員団・全員一致で反対に回った!

なぜか?賢明な読者の方々はもうお気づきの通り 利権・権益がからむからである!

箱物や道路・下水道を新設したところで、総事業費はたかがしれている?

おまけに昨今、箱物には市民も辟易(へきえき)としており、なかなか賛同も得にくい。

ところが、上記全ての要素がふくまれる地下鉄建設は別格で「桁違いに膨大な費用」がかかる。

そして、入札とはいうものの、実態は訳の分からないジョイントベンチャーが落札し、「イッチョ噛みの地元の土建屋や設備業者」に確実に金は流れる。

さすがに直接ワイロを要求する市会議員は少ない?にせよ、選挙協力の約束は確実なものとなる。

また、「地域振興、地元の活性化に繋がる地下鉄を引っ張ってきます」は選挙公約として有権者にとっても、とても「アマ~イ誘い」(※1)になる。

斯くして、自元民党議員団の猛反対となったわけである。

地下鉄を建設すると巨額の資金がギョ~カイに流れ出す!

地下トンネル本体掘削工事、軌道敷設、電気設備、駅舎建設、主に駅建設に伴うオープンカット部分の現状復帰道路工事・整備費等など、関連工事費を含めると新線一線を建設するのに一線(千)億円以上の巨額の建設費を要する!

このことは何を意味するか...

地下鉄を建設すると巨額の資金がギョ~カイに流れ出す!

ということである。

資金とは、すなわち大阪市の自己資金=税金、市の借款(借金)=最後は税金,国の補助金=税金、

何れにしろ最後には確実にツケは市民にまわってくる。

勿論減価償却費という形で交通局自体も「何らかのかの金子」は支払っていると言うことは...、

利用者負担つまりは乗車料金に跳ね返ってきている。

しかし公共交通機関である以上無闇に高額な料金体系には出来ずに苦慮しているのが実情。

となると新線建設費を除いた施設・車両・などの保守管理費や電気代、人件費、消耗品購入費等の運行費などの歳出と運賃収入をメインとする歳入のバランス、今流行の言葉で言うとプライマリーバランスを取るのがヤットの状態

民間鉄道(私鉄)ならトーゼン原価償却しなければ成らない巨額な建設費の大半は、市営地下鉄では「巧妙な会計処理」で市の一般会計に振り替えられ表には現れない形に...。

しかし「ひしひしと市の財政を圧迫し借款・赤字は膨らむばかり!」。

すなわち結果、いずれは市民税として市民一人一人に重くのし掛かることになる!

長年助役として市政を内側から見てこられた現市長関淳一氏(2007年当時)は

財政再建・健全化をはかるには、市直営事業の見直しを行い無駄な歳出を抑えること以外にみちはなし!

と判断されて、真っ先に「地下鉄事業の放棄=民営化しか取る道は 有り得ない!」と確信されたのであろう。

そして来る市長戦の選挙公約として、5年後(2012年)をめどに地下鉄事業を民営化する案を発表された!

大阪市民は食い物にされている?

大阪市民は食い物にされている?

地下鉄利用者は大阪市民ばかりとは限らない、周辺都市の住人、観光客etc.。

前出の公共性の理由から、無闇に高い運賃設定は出来ず、莫大な建設費の償却のツケは、地下鉄の走っていない地区に住む日常利用する機会の少ない市民や在阪企業にまで回り、道路整備の遅れに伴う交通渋滞の慢性化、公共事業全体のサービス低下とサービスに見合わない税金として重くのし掛かる結果となる。

最近の一流企業の大阪からの流出はこの事に愛想を尽かされた結果かも?

さて、大阪市民は食い物にされているとは?

市の歳出の多くを占める人件費、つまりは役人の給与。

これを受け取る市役所の職員のうち、一体何パーセントが純然たる納税者=大阪市民なのか? これについては発表されていない。

かりに大阪市民であっても、優遇処置とかで民間なら何十万円もする様な賃貸アパート?に格安で入居していたり。

大阪市以外からの出稼ぎ者?はこれまた格安の共済住宅ローンで郊外の周辺都市に立派な"お屋敷"を構えていたりする職員が多いと聞く。

又、業者に至っては従業員は殆ど市外からの通勤者。

これをして食い物にされていると言えないのなら、何と表現すればいいのか?

第3章 近畿における広域交通ネットワークとは

もとより大阪地下鉄の歴史は古く、東京の銀座線開業に遅れること6年後の1933年に1号線・御堂筋線が梅田~心斎橋間の区間を開業したことに始まる。

オープンカット工法と第三軌条集電方式の足かせ?で作られた御堂筋線

建設当時の東京地下鉄道・銀座線もそうであったが、当時は建設技術も発達しておらず、オープンカット工法で道路を開削して建設された。

為に少しでも建設費を抑えるため、掘削断面積の小さい第三軌条集電方式となった。

思えばこれが今日の赤字体質の起源とも言える選択であった。

東京地下鉄道は後に営団地下鉄(現在の東京メトロ)に組み入れられ、

土木技術の進展で東京メトロはトロリー集電に!

その後高度成長期以降に建設された新線は相互乗り入れの利便性を追求して、集電方式がサードレール集電から鉄道各社が採用している架線方式に変更され現在に至っている。

対して大阪地下鉄はサードレールに執着し、現在に至っている!

唯一堺筋線のみ、阪急との相互乗り入れの目的で架線方式を採用しているのはご存知の通り。

但しこれも、当時千里丘で開催された、大阪万博のアクセスとして阪急千里線を利用したく、断腸の思い?で泣く泣く市交通局側が折れた?だけ。

諸悪の根源サードレール集電?

御堂筋線と四つ橋線は初期に建設された線でもあり致し方なかったにせよ、それ以降に建設された新線も第三軌条方式に拘り続けた為に、他の鉄道各社との相互乗り入れを拒絶した形となり、収支の悪さに拍車をかけてしまった。

やむなく?独自路線建設に突き進んできた大阪地下鉄。

千日前線に限らず民鉄各社と競合!している路線が多いのも特徴。

商都高速度交通営団?があったら

大阪にも「商都高速度交通営団」があったならば、谷町筋線は京阪と、千日前線は近鉄と、それぞれ相互乗り入れを前提に建設したはず。

しかるに現状は相互乗り入れどころか、連絡の悪さもピカイチ?

最新の今里筋線の北の終点・井高野駅などは近くを走る阪急の正雀駅には全くお構いなしの「都会の僻地」(※3)にあり連絡など念頭になし!利用者の利便など全く考えていないと言った様子。

交通施策の預言者・先導者「近畿地方交通審議会」?

近畿地方交通審議会は大阪の鉄道網全体のネットワークを考えているのか?(全く考えていません各社どうぞ御勝手に?)

これらが災いし世界でも有数の建設業者と役人、族議員のための赤字増産・ネットワークの仕組みを出現させてしまった!

市民は現状を良く理解したうえで地元民党議員団の甘い誘いにのり「目先の利便性」ばかり追うことに走ってはならない!

この際もう一度、大阪市の都市交通体系を見直し早急に大阪市交通局を解体し地下鉄部門を大阪都市交通システム(株)略してOCTSとして民営化する道を選ぶべきではないか!

今こそ市民の出血(税)にストップをかけるときである!

このまま利権集団の暴走を放置すると大阪市は「出血多量で滅亡」確実!

その為にも、関さんには頑張っていただきたい。

現在、進行している赤字確実新線建設計画は早急に全面白紙撤回すべし!

千日前線の大正駅以南への延伸計画や今里筋線の南進計画、ニュートラムの東進計画、等何れも、小生の唱える、ライトレール計画(※2)に変更するなどして、もうこれ以上業者と市職員に甘い汁を吸わせるだけの地下鉄建設を続けさせてはいけない。

第4章 利権集団のよりどころ近畿地方交通審議会の立場

提言はできても提案はできない!

交通審議会とは「提言はできても提案はできない」という何とも歯がゆい立場の「諮問機関」なのである!

もう少し詳しく説明すると、提示された議案(整備計画&調査資料)を精査、検討の上選択・採択しお上に答申(報告)する。

答申には審議会(職者)の見解としてまとめた近未来像(ビジョン)や交通事業者に対する「希望事項」は提言という形で申し添えることができる。

さらに言うなら、あくまでも近畿地方交通審議会のお仕事は、国交省(2001年誕生)策定の交通網整備計画の内容を検討、精査し、その「妥当性をお上に報告」するだけである。

つまり計画立案・起案にはなんら関与していない(出来ない)。(そうですよね?先生方)

ということは、

どんな愚案・糞案でもどれかを採択しなければならず、拒否や否決はできない!

答申を踏まえて地下鉄計画を見直していたら...

市当局がよりどころとする近畿地方交通審議会近畿地方交通審議会答申第8号とは。

近畿地方交通審議会は四つ橋筋線・谷町筋線・堺筋線が完成してもいっこうに改善されない御堂筋線の慢性化した混雑の原因は、既存の鉄道網から孤立無援の状態にある独立した地下鉄網計画その物にある事を見抜いていた。(専門家ならア・タ・リ・マ・エ!)

だが答申で「提言」できるのはそこまで。

交通政策(路線計画)の流れ

新規路線計画原案は当事者(鉄道事業者)が作る!(これって当たり前でショ!)

地方自治体→国交省、ないしは市議団(自民党)→国会議員連盟(自民党)→国交省の過程をへて作成されている。

全て当事者の具申・上申によってお上が立案している。

故に、当時計画が二転三転し迷走した地下鉄御堂筋線南進計画にしても、堺筋線南進計画にしても、16年間もの長きにわたり大阪府(道路事業)大阪市(高速軌道)、南海電鉄(高野線)、泉北高速鉄道の4者の足並みがそろわず、泉北ニュータウン住人に長年不便と「いらぬ出費(初乗り運賃の3重払い)」(※4)を強要する結果となった。

某サイトや交通局HPに記述されているように、「審議会答申に従ったため計画が二転三転した」のでは決してない!

審議会答申に記されている「提言」を真摯に受け止めて計画を練り直していれば、利用者や市民につけを回すことはなかったはずである。

第5章  大阪市営地下鉄が『崇高な理想と使命感』に燃えていた頃

東京地下鉄(株)に遅れること6年後の1933年、日本最初の公営地下鉄として産声を上げた大阪地下鉄。

それは建設計画の段階で、マスコミをも巻き込んだ市議会の猛烈な反対運動!にぶつかり難航していた。

当時の関一市長は大阪市の命運と自らの政治生命をかけ、市議共を敵に回しながらも英断で御堂筋と供に着工にこぎ着けた。

当然のことながら、開通当初の市民の反応は冷たかった!(※5)(開通当初だけでなくなにわ筋線計画決定一部着工している2019年現在でも依然として冷めている?)

シャンデリアや大理石をあしらい、意匠を凝らした豪華な駅を持つ短い路線。

物珍しさに惹かれて見物に訪れたお上りさん達を乗せた、たった一両の車両が遊園地のお猿の電車ヨロシク行ったり来たりしていた。

それでも壮明期の大阪地下鉄に携わった人たちは崇高な理想と使命感に燃えていた。

戦争真っ只中の1942年には乏しい資材のなかにもかかわらず、何とか天王寺まで開通させた。

そして終戦の年.1945年、激しい空襲にも耐え生き残った地下鉄は天王寺と大阪駅を結ぶ重要な幹線として戦後の復興期に庶民の足として大阪復興を力強く支えた。

その後も乏しい資材の中、大阪の戦後復興を象徴する事業として地下鉄建設はすすみ1950年には我孫子通りと供に我孫子まで開通した。

1964年東京オリンピック開催に合わせ、突貫工事で建設された東海道新幹線の開業に合わせ御堂筋線は新大阪まで延伸した。

中央大通りの整備に合わせる形で、地下鉄の前身大阪市電が最初に走った記念すべき本町ー大阪港(天保山)間も完成。

御堂筋線混雑緩和の大義のもと四つ橋筋線の大国町ー西梅田間も相次いで完成した。

癒着構造「打ち出の小槌」が完成するまで

打ち出の小槌とは勿論ギョーカイにとってのことである!

建設業者の間で密かに囁かれている言葉がある。 『先の受注見通しが立たなくなったら、大阪市交通局をつつけ!』

『大阪市議会は1966年3月、市電を全廃し高速鉄道(地下鉄)による新交通体系を確立する旨の決議を行い、市電は1969年(昭和44年)3月31日限りで65年半の歴史を終えた。』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高度成長期真っただ中のころ大阪市営地下鉄は「ギョーカイ」に強い発言力と影響力を持つようになっていた。

業界がこぞって、市当局のOB獲得に乗り出し、地下鉄工事の受注拡大ノの為、市当局との「太~い絆」作りに注力し始めた。

この頃は、地下鉄は道路整備と呼応する形で都市交通の要と言う位置づけを冠し、市民(すなわち、当初あれ程反対に回っていた地元民党市議団)の強力な後ろ盾の下に推進されていった。

事実、大阪市街地の成長を支えた。

しかし皮肉なことに、この間に地下鉄建設を食い物にする「利益誘導と癒着の構図」の誕生に一役買ってしまい、地下鉄事業は次第に目に見えた形で市の財政を圧迫しだしていた。

『1967年(昭和42年)1月1日 - 大阪市交通局が路面交通事業財政再建団体の指定を受ける。』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

と甚だ不名誉な事態を招いてしまった。

同時に前章で紹介した近畿地方交通審議会が描いた「幻の答申原案」とはかけ離れた、地元民党市議団に後押し(圧力)された交通局の手前勝手な「利用者無視の自己陶酔型地下鉄網」に変ぼうを遂げようとしていた。

1970年の大阪万国博覧会が癒着構造完成に一役

そして戦後発展の一つの象徴的・記念イベント「1970年大阪万博」を迎えることになった。

人々は高度成長に酔いしれており、誰もがバラ色の未来像に疑問を抱かなかった。

この頃、現在の利権構造(すなわち部外者が触れてはならない聖域!)が確立した。

ギョーカイは安定した発展(長期的な受注見通し)を求め、市当局者は安定した再就職口を求め、お互いの利害が一致した!

ここからは、市民そっちのけで業界繁栄のため、当局者の将来の生活安定のため、地元民等市議団の政治資金(献金)捻出、選挙協力団体確保のため、業界主導のもと?に必要もない地下鉄工事が際限なく進められることとなった。

地下鉄建設ファンタジー"打ち出の小槌はこうして振られる"

大阪市営地下鉄絡みの利益誘導と癒着の構図とは大まかコンナ所ではないか?

※以下はあくまでもファンタジー?で確固たる裏付けはありません!

1)建設業者が新線のプランをたてる。

2) 市民の代表?(地元民党市議団)に儲け話を持ち込む、

3)建設業界・地元市会議員団が大阪市交通局にねじ込む!

3) 大阪市(交通局)は仕方なく、「ギョーカイの作成した素案?」を尤もらしいい予測(希望)データで飾り立て、国交省(近畿地方交通審議会)にこの新線計画の是非のお伺いを立てる。

4)近畿地方交通審議会はこのプランに「その時々に応じた尤もらしい屁理屈?」を付け答申を作成し政府(国交省)に答申(真偽?報告)する。

4)お墨付きを得、晴れて大阪市に戻ったプランは、業者の協力?の下に詳細な実施計画に成長する。

5)実施計画案は市議会に予算案として提出され、市議会満場一致で、可決成立する!

この仕組みで採算度外視!、赤字大増産の地下鉄路線網がどんどん延びる!

更に受け加えるなら

1)建設業者は大阪市(建設局・交通局)のOBの天下り先。

2)計画を持ち込まれた市当局者は、定年後の再就職先の提案でもあり先例に従い謹んで、参考資料として「地下鉄路線計画素案」をいただく。

3) 「近畿地方交通審議会」ではまともに答申案を出せば『先生コンナ事書かれては困ります。』となるのが判っているから、クライアント(大阪市職員)の意向を十二分に汲んだ「提灯持ち答申案」をでっち上げる。

4)市に戻った答申案は、計画沿線住人へのアセスメントを行う前に「ギョーカイ団体主導で設計が完了している詳細な実施計画予算案」となり市議会に回される。

5) 市議会は実際の地下鉄建設を支える、下請け・孫請け・曾孫受けの在阪業者(これらは市職員の天下り先でもある。)に選挙協力をお願いせねばならない立場であり、「返せる当てもない巨額の借款に基づく地下鉄建設案」だと判っていながら満場一致で可決する.!

とま、コンナ仕組みではなかろうか。

お見事大当たり...かな?

『大阪市営地下鉄を民営化すれば、死人が出る!』?

嘗て、と言ってもほんの少し前ではあるが「前道路公団総裁」が苦し紛れにコンナ事をのたまった。

『道路公団を民営化すれば死人が出る!』

同じように地元民党議員団は

『大阪市営地下鉄を民営化すれば、死人が出る!』

とでも言いたいのか?!    

利権と権益にまみれた金権体質の地元民等市議団が民営化反対、地下鉄建設誘致に走るのは前途のような理由からであろう。

大阪市民はお人よし?

しかしそれを黙認どころか、拍手喝采、諸手を振って賛成 し後押しする大阪市民の気持ちが理解できない。

距離単価で計算すれば楽に新幹線を引っ張ってこれるほどの莫大な銭を借りてまで 自分たちのチョットした楽ちんが欲しいのか?

目先の楽ちんのために、子々孫々に払いきれないほどの借財を残すことになるのが見えないのか?

同じ銭を投じるなら、道を拡幅し中央部分にライトレールを通せば良いではないか。

すぐ隣の堺市のフェニックス通りに良い見本があるではないか!

※<本記事は10/23/2007に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

ーシリーズ「誰がために槌音は響く」2007

Epilogue "市営モンロー主義"の誕生と在阪私鉄のターミナルの関係

"市営モンロー主義"は前途の通り今を遡る116年前の1903年に日本最初の公営路面電車が花園橋(現在の九条新道交叉点)と 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)間5.1kmの間を「大阪市営電気鉄道」築港線として開業したことにより始まった!

1903年以前に市内(大阪みなみ)乗り入れを果たしていた民間私鉄は...

1885年(明治18年)12月29日に現・南海本線 難波駅 - 大和川駅間が軌間838mmの軽便鉄道として初代・阪堺鉄道開業。

1889年(明治22年)5月14日開業の初代大阪鉄道(後の関西鉄道→国鉄関西本線→現JR大和路線)

  湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開通し天王寺駅を開業した。

1895年(明治28年)8月25日 南海鉄道誕生

1897年 阪堺鉄道  難波駅 - 堺駅間が1067mm軌間に改軌。住吉駅 - 堺駅間が複線化。難波駅 - 尾崎駅間で相互直通運転開始。

1898年(明治31年)10月1日  阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡し全線南海本線となる

1900年9月3日に大阪高野鉄道(1898年開業)現・南海電鉄の道頓堀駅(現・汐見橋駅) - 大小路駅間が延伸開業し大阪市内乗り入れが実現した。

つまり現在、市営モンロー主義以前に市内中心部乗り入れを果たしていた在阪民鉄は「南海電気鉄道」のみである!

"市営モンロー主義"という在阪私鉄各社への嫌がらせの歴史!

京阪電車の場合、新京阪の計画が

京阪電車は1901年(明治34年)に渋沢栄一、成田鉄道社長佐分利一嗣らを中心とした関東の実業家、ならびに衆議院議員岡崎邦輔が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道(現国道1号)上に大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を私設鉄道法に基づく京阪鉄道として敷設することを計画したことに始まり、1902年(明治35年)京阪神地区の財界人が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道に沿って大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を軌道条例に基づく畿内電気鉄道として敷設することを計画し1906年(明治39年)8月25日に原敬内務大臣から大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許状、ならびに命令書が下付され8月30日に畿内電気鉄道株式会社起人総会が開催され、渋沢栄一が創立委員長に就任し、創立委員6名を選任し9月3日:畿内電気鉄道株式会社創立委員会が開催され、定款が決定されるとともに、社名を京阪電気とし、12月21日京阪電気鉄道株式会社が発足した。

すなわち市営モンロー主義が1903年に芽生える前に、計画されながら、会社創業が遅れ、ために設立後も起工までに1908年(明治41年)9月26日の大阪市電との調整で大阪市と市営電車軌道共用、ならびに市内乗入契約を締結させられたりの嫌がらせでの調整に手間取り1909年(明治42年)4月になってやっと大阪市北区東野田網島(現・都島区網島町)の車両工場、車庫の建設にこぎつけた。

1910年(明治43年)3月31日:大阪・天満橋 - 京都・五条(現・清水五条)間46.57kmの軌道敷設工事が竣工し。同年4月15日になって大阪・天満橋 - 京都・五条間46.57kmを1時間40分で結ぶ現在の京阪本線が開業できた!

その後、阪神・阪急戦争?の二の舞を避けるために、自社で淀川以北の未開地?に第2京阪線を敷設する計画を進めた。

1919年に新京阪現阪急京都線にあたる大阪府東成郡榎並町-京都府紀伊郡納所村間30.4kmと、その支線東成郡清水村-東成郡城北村間、東成郡城北村-西成郡豊崎町川崎間、京都府内の枝線4路線合計43.8kmを軌道法に基づく特許で収得することに成功した。

ただし既存大阪市内側起点天満橋とは別の場所にもう一か所起点駅を設けることが条件であった。

鉄道省城東線の高架化工事と跡地利用で梅田乗り入れを目指す

そのころ進んでいた城東線(現大阪環状線)の電化・高架化工事計画では既設線と平行して用地を取得し、そこに高架を建設するという工法が採られていたため、工事完成後は旧線用地が不要となる予定であった。

そこで、京阪は鉄道省に働きかけてその旧線用地の一部を570万円という安価で払い下げてもらい入手、野江から分岐して京阪本線と計画中の新京阪線を梅田へ乗り入れさせる路線計画を作成した。

しかし、当時市内交通の市営一元化(市営モンロー主義)にく基づく都市計画を進める大阪市(市議会)が「自治権の侵害」として横やりを入れ、地上線では都市計画の妨害になるなどの「言いがかり」をつけて猛反対した。

1920年に鉄道大臣が直接大阪市長への諮問を行い、翌年市長が鉄道省に京阪の市内部の路線を高架線か地下線にすることを条件に、一応の話し合いはついたかに見えた?

1923年9月1日発生した関東大震災の影響で京阪梅田延長の大前提である城東線の高架化工事に国の予算が割り当てられなくなり、城東線高架工事の着工時期の目途が立てられない状況となった。

新京阪の開業

その後、新京阪線は新設区間の建設工事と旧北大阪電鉄線区間の改良工事を経て1928年1月に天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅)-高槻町駅(現在の高槻市駅)間で、同年11月には高槻町駅-西院駅(仮)間で新京阪鉄道がやっと開業にこぎつけた!

手を広げすぎて経営が悪化した京阪に相次ぎ襲い掛かる不運

この時期阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)や奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)などにも多額の積極投資を行っていた京阪系列の経営は極端に悪化し1927年の下半期には当時の金額で6752万円、1929年の下半期には1億721万円というにも途方もない金額に達し、旅客収入で利息すらまかなえない状況となっていた!

昭和大恐慌がとどめを

1929年(昭和4年)10月にニューヨークのウォール街で始まった世界恐慌が1930年(昭和5年)には日本へも飛び火し1931年(昭和6年)にかけて"昭和大恐慌"が発生し、「自転車操業」であった京阪電車を襲いもはや新線建設などの余裕はなくなっていた京阪は1930年には野江駅からの延伸申請を取り下げ、戦前の1942年には関連免許が失効した!

鮭マス・タラ・は北海道だが

大阪市が意地悪?をしなければ、戦前1910年代に大阪梅田に南海(戦前中1901年から環状線経由で実施)、京阪梅田連絡線で京阪・近鉄(※5)が集合し、近畿5私鉄がすべて大阪駅に乗り入れ出来ていたことになる!

市営モンロー主義なかりせば!

もし大阪市が「大阪市営電気鉄道」誕生後も「市営モンロー主義」を取っていなかったら、大阪の交通事情は現在とは大きく違っていたであろう!

御堂筋線は開通年度からいっても致し方ないとして、

高度成長期以降に建設された、四つ橋線の大国町以北、谷町筋線、千日前線、中央線等は、最初から、私鉄各社と相互乗り入れを前提に、架線方式の集電方式をとっていたであろう!

これまでにも述べたが、谷町筋線は門真あたりで京阪と、千日前線は両端で近鉄、阪神と、四つ橋線は中津当たりで阪急の神戸、宝塚、京都のいずれかの線と相互乗り入れしていたであろう!

JR大和路線に関しては民営化のごたごたが、ソレより何より電化(1973年9月)が余りにも遅すぎた為、大阪地下鉄のまともなパートナー(交渉相手)とはなり得なかったのは事実。(JRさんごめんなさい)。

いずれにせよ、それぞれの線で相互乗り入れが実現されていたならば、現状の様に黒字は御堂筋線と谷町線だけで、あとはみな赤字!等という不名誉いや不甲斐ない状態には至っていなかったのではないか?

在阪民鉄と相互乗り入れの出来る"解放された新線"の建設を願う

過去に起こったことは悔やんでも致し方ないとして、

もうこれ以上行き止まりで両端が閉鎖された地下鉄路線なんか要らない!

作るなら、既存の路線と重複した路線でもよいから在阪民鉄と相互乗り入れの出来る"解放された新線"の建設を願う。

懐の狭い考えで、市域だけの利己的な利益・利便追求に走ってほしくない。

民営化によって、(地元民党市議団の)地域エゴから解放され、

「創建当時の崇高な理想と使命感」

そして何よりも

「鉄道事業者としての誇り」

を取り戻して欲しい。

近畿圏全体の地域社会の活性化・発展に貢献出来る社会資産として、

近畿の中枢、大阪の都市交通の要として、

広域交通の一翼を担う都市交通網の構築を目指してほしい。

<本記事は10/07/2007'タヌキがゆく'に初稿公開した記事のお引っ越し記事です>

ーシリーズ「誰がために槌音は響く」2007-

参照欄

(※1)事実「アマ~イ誘い」に乗ってほんの一握りの沿線利用者(1日平均利用客約6,5000人/2017年実績)のために全市民の血税(2,718億円!)で「地下鉄今里筋線」(※関連記事はこちら)が建設された!

1日平均利用者数;沿線住人=6,5000人がの大阪市の推計人口2,727,255人(2019年1月現在)に占める割合はたったの2%!

市民1人当たりの建設費負担額は実に¥99,660-

しかも毎年約53億円(2014年度)の巨額路線単独赤字を計上している!つまり市民1人当たりの年間負担¥1,943-/人!

この路線を利用しない(必要としない)大多数の市民の負担でこの「都市内ローカル線」が運行されている訳である!

(※2)大阪都市交通システム 久宝寺-杉本町 間 ライトレール構想はこちら大正通りにトラムが蘇ったら便利になりますよ!はこちら

(※3)もともと無軌条電車;トロリーバスの終点で車両基地があったためらしい?

(※4)泉北ニュータウン住人が大阪メトロ・本町駅にある通勤先に通うには...初乗り運賃3重払いが必要!

泉北高速鉄道→難解電車?→大阪メトロ(2019年現在)。旧大阪市交通局市営地下鉄が延伸乗り入れしていたら、乗り換えなしの初乗運賃1回だけで済んだ!

(※5)開通当初だけでなくなにわ筋線計画決定一部着工している2019年現在でも依然として冷めている?(※関連記事はこちら。)

(※6)1920年当時近畿日本鉄道(近鉄)の前身となる大阪電気軌道(大軌)が、奈良線額田駅から蒲生信号所までの路線を建設し、京阪線に乗り入れ桜ノ宮や天満橋へ向かう四条畷線計画を立てていた。

※7 1903年以前から開業していたのは1889年5月14日開業の大阪鉄道のちの関西鉄道→国鉄関西線(現JR大和路線)と2社(発足当初は3社)だけで、あとの在阪私鉄はいずれも、1903年より後つまり「市営モンロー主義」が出来てからであり、それゆえすべて市内中心部(大阪みなみ)への乗り入れはことごとく阻まれていた!

 

公開:2007年10月14日
更新:2019年2月25日

投稿者:デジタヌ

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