狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

大阪市・中央区《Community Historia》ミナミは "旧4大区一派 "と "維新の会" の思惑通りに潰されはしない!

前書き(要約) 都市は"生もの" community であり一部の資産階級の思うようには...

あの計画経済・全体主義・独裁国家 のRed China でさえ...

上海のNew Towm(新市街地計画)や各地のabandoned town(city)などの、「為政者の絵空事」に終わった「都市計画事業」が沢山あり...

また嘗てのナチスドイツの黒海沿岸巨大リゾートも"有名な蛮行"の一つですが、近年の日本でも、六甲アイランド(※00)など枚挙にいとまがありません!

参※00)当サイト内関連記事 六甲アイランド シティー はいずれ隣国の abandoned city と同じ運命を?... はこちら。

都市は生き物 市営モンロー主義者 旧4大区一派 の思惑通りに事は進めない! の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくは各国語版Wikipediaへ直接リンクされています。

※本ファンタジーについて

本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...

筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。

後述する各団体とは直接関連はありません。

また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。

本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。 

プロローグミナミは東西に広がりだしている!

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なにわの"お臍 ミナミ "と中央区の歩み...大阪における南北戦争?の歴史

街並みは大きく変わっても、肝心のインフラ整備が追い付いていない「絵に描いた"岩おこし"」状態で"いただけない"大阪・梅田新都心計画!

巨大ハブステーション構想が実現?できたとしても宮原車庫が居座っている限りは、単なる巨大乗換駅にすぎなく、(20世紀の高度成長期の頃から)変わりようのない新大阪駅周辺!

御堂筋廃道計画が実現しても、目抜き通りが千日前通りに移る!だけでミナミは益々発展するでしょう!

令和の御代になった今、難波新地の交通インフラが充実して大阪の中心として"大躍進"できるチャンスをつかんだのではないでしょうか!

人を呼び込む鉄道は全て集結して、終日インバウンド観光客でごった返し、あとは難波新地に必要なものは"銭"!(民間投資)だけ!

地図をご覧いただければお分かりの様に、今やミナミの繁華街は南北が南海難波駅から船場センタービルにまで及び、東西は御堂筋(心斎橋筋)千日前通り(道頓堀)の交差点「大阪難波」を中心に、東西南北に商業エリアが広がってきています。

また2000年頃から大阪市開発公社の手によって日本橋 - 浮庭橋間の両岸に設けられた約2kmの遊歩道とんぼりリバーウォーク が整備されて、2012年(平成24年)4月から大阪市から南海電気鉄道に管理と各種イベントなどの運営が委託されています。

茶色のラインがウッドデッキ

今のミナミに必要なのは民間デベロッパーの投資意欲だけ!

前途したように、今ミナミに必要なのは、「銭」だけです!

大阪市・都市計画室が描くような大規模な都市再開発区画整理事業も必要ありません!

JRと私鉄各社が渋谷駅周辺のように地道に、しかし前向きに根気強く不動産投資を行い再開発を行えば、世界に誇れる街並みになるでしょう!

現在は町はずれ?の桜川エリアは南海さんと・阪神サンで、そして大阪メトロ日本橋周辺を近鉄さんと阪急さんが再開発すれば、ミナミ全体が"一大商業ゾーン"となることは間違いありません!

しかし気になる不動産業者のイメージダウンプロパガンダ!の動きも...

最近、ミナミ界隈の人気に水を灌ぐような、埋田開発デベロッパーの手先と思わしき「零細独立プロダクション」が制作した「中傷プロパガンダコンテンツ」がYoutube に目立つようになってきました...

やはり「みおつくしの鐘」を鳴らし続けて、市政を牛耳っているのは未だに旧町衆・旧4大区出身者で固められた「市営モンロー主義者」(※32)の大阪市患部職員たちなのかもしれません...

参※32)当サイト関連記事 旧大阪3郷・大阪四大区 に端を発する"市営モンロー主義一派"とは...はこちら。

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第1節 道頓堀・難波新地界隈『ミナミ』とは.

平成になって間もない1989年(平成元年)2月13日に、それまでの東区と南区が合併し誕生して誕生したのが中央区です。

「なにわの期待の星」我が大阪ミナミ・難波新地には、空き地?も含めて全て!そろっています。

第1項 大坂唯一の繁華街だった道頓堀が旧難波村!まで拡大

1653年以来、頓堀五座、浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座が芝居興行を打ち、大江戸浅草六丁目一帯と並び関西歌舞伎・演芸すなわち「娯楽の中心・盛り場」であり続けてきました。

「千日前通り」は大正・昭和期にはチンチン電車が行き交い、大阪歌舞伎座、大劇(大阪劇場)などの巨大劇場が集結した、大阪を代表する唯一の「大繁華街」でした。

第2項 21世紀のミナミ・難波新地は、大阪の交通の要所に成長!

このゾーンには、南海、近鉄、阪神、堺筋線(阪急)、JR西日本、大阪メトロといった(京阪電車以外の)"大阪の私鉄?"が全て乗り入れています!

人の流れを生む鉄道が集結しており、マンハッタン島のグランドセントラルステーション周辺にも引けを取らない通勤至便ゾーンになっています!

第1目 大阪の6大私鉄すべてが集結する"巨大ハブ"難波・ミナミゾーン!

現状でもインバウンド観光客に絶大な人気のミナミ界隈は、南海&JRの2本のラインで"直接関空"と、JRライン、近鉄奈良線で観光地奈良と、そして阪神電車で神戸方面と、なにわ筋線開業で御堂筋線と合わせて「新大阪とも2本のラインで!

そして、阪急電車(堺筋線)茨木・千里方面へ、といった具合に「乗り換えなし」ですべての方面と繋がっています!

更になにわ筋線が開業すると、姫路・京都というインバウンド客に絶大な人気のある観光地とも直結出来ます」!

阪急阪神ホールディングスがミナミの繁栄を補償してくれている!

更に「絶対に損はしない阪急商法」(※11)で知られる阪急阪神ホールディングス傘下の阪神電車が、2032年の"なにわ筋線開業"に狙いを定めて"なんば線"の「淀川橋梁」架け替え事業を行っています!

本線で行われている高架連続立体交差化事業とは異なり、都市計画事業ではない?(河川改修事業として一部補助金が出ている?)ので、自社持ち出しで行っている改良事業です!

勝算が無ければ、親会社の決済が下りないはずです!

つまり、阪急阪神ホールディングスがミナミの繁栄を補償してくれているのと同じです!

参※11)当サイト関連記事 『絶対に損はしない 阪急 商法』...日本の私鉄におけるフィロソフィー抗争?の歴史はこちら。

第3項 なにわ筋線は北(キタ)軍が南(ミナミ)軍にくれた"塩"?

さらに「なにわ筋線」建設は北軍が「敵(南軍)に塩を与える」結果となりました!

つまり前途したように関空方面・新大阪方面・奈良方面すべての方面がダブルトラック(2路線)になるわけです!

更になにわ筋線が開業すると、姫路・京都というインバウンド客に絶大な人気のある観光地とも直結出来ます(※31)!

現状でも武漢ウィルス流行の前はインバウンド観光客であふれていたミナミです。

武漢ウィルスの攻撃が収まれば「中国人観光客」は大挙して戻ってきます!

参※31)当サイト関連記事 2025年 大阪万博 開催に合わせて北方貨物線 を 旅客転換 できれば...はこちら

関空から姫路へは

姫路方面へは、現在山陽新幹線利用を促すために「はるか」ちゃんは走っていませんが...

意外とシミッタレなインバウンド観光客の大半(※13)は、大阪駅で関空快速⇔新快速を乗り継いで、"憧れの姫路"に向かっています!

参※13)7日以内の短期滞在者、7日以上の長期滞在者はジャパンレールパスを使っていますが、ひかりは使えても"のぞみ"はありません!なのでジャパンレールパスが使える「はるかちゃん」のほうが喜ばれるわけです!

並行路線阪神電車・山陽電車では

北陸新幹線が大阪まで延伸される2038年以降には「大人の事情」で乗り鉄・鉄オタ大好きの新快速は最高運転速度130㎞/h→110㎞/hにスピードダウンされて、並行する私鉄にもチャンスが生まれます!(※31)

2038年頃にリニア中央新幹線奈良中央駅が開業すると近鉄が「観光拠点」を前面に打ち出して、奈良⇔なんば⇔三宮⇔姫路間に臨時団体列車「貸し切り特急」を、クラブツーリズムのツアー列車として、毎週末に定期運行することも考えられます!現在は、(地下鉄扱いの)神戸高速鉄道にはアーバンライナータイプの非貫通車両が侵入できませんが、置き換えが進んでいる「特急用車両」を改装すれば、準定期運行も可能(※32)です、更にツアー扱いの臨時団体列車であれば、国交省への特急扱い申請も不要です!

近鉄・阪神・山陽電車が共同運行を開始すれば、JRも対抗上、関空⇔JR難波⇔大阪・梅田総合駅(地下ホーム)⇔新大阪⇔三宮⇔姫路間に関空特急はるかを投入せざるを得ないでしょう...

阪神さんの義兄弟阪急電車さんも、京都⇔阪急大阪梅田⇔三宮姫路間に京都トレイン雅洛を投入したいでしょうが、こちらは8両固定編成なので、そのままでは山陽電車線には乗り入れ出来ません!

更に阪急大阪梅田折り返しではさすがに転線が難しく、十三スイッチバックでは需要が無いでしょう!

都島新線で(※33)京都⇔茶屋町⇔三宮⇔姫路がスイッチバックなしに繋がって6両編成雅洛が誕生すれば運行できるかもしれませんが...

(前途したように、"石橋"を通過している!阪急さんは、儲からない事業には投資しない!ので、大阪市が都市計画事業にしてくれない限りは実現困難な状況でもあります...)

つまりミナミだけが確実にすべての方向にダブルトラックで繋がるわけです!

参※31)当サイト関連記事 2037年近未来の京阪神の鉄道網を占う"新快速は無くなる!" はこちら。

参※32)当サイト関連記事 2038年リニア中央新幹線開業で 近鉄 全線 標準軌 になるかも?はこちら。

参※33)当サイト関連記事 《 阪急・神鉄 Watch》" 阪急茶屋町線 "建設で京阪神間の一体運用を....はこちら。

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第2節 大阪のお臍「ミナミ」の歩んだ路

第1項 旧大阪4大区と鉄道各社との攻防の歴史

ある意味、旧町衆勢力と新興勢力"興行主"との勢力争いの歴史だったともいえるでしょう。

豊臣政権崩壊後から江戸時代を通じて綿々と続いた「大坂三郷」の町衆による利権自治?...明治維新後も長年大阪市(役所)を牛耳ってきた「市営モンロー主義」シンジケートが推し進めた大阪ミナミ・道頓堀界隈の町割り(縄張り)の拡大とそれに対抗しながら必死に4大組の縄張りに挑んだ田舎者成り上がり集団が起業した「私鉄」の攻防の歴史ともいえるでしょう!

戦後、「TV」の普及で急速に「娯楽主流」の座から引きずり下ろされた「観劇」が低迷し、初代「千日前・大阪歌舞伎座」「大阪劇場(大劇)」がなくなり、この地区に集中していた「中座・角座」や「数多くの映画館」も廃れ変わって「ショッピング中心の飲食・商業地区」に変化させられた訳である。

昭和年間戦前・戦後には「大阪歌舞伎座(千日前・大阪楽天地)」「大阪劇場(大劇)」と「4000人収容規模」の巨大劇場が集中し、大阪の盛り場といえば「南」でした。

第1目 嘗て「堺筋が大阪の目抜き通り」だった時代

和歌山へ至る紀州街道の一部区間にあたり、江戸時代の「物資の集積地船場」から堺へ出る道であったことから堺筋と呼ばれ定着した。

当時から人通りが多く、南北方向のメインストリートであったが。

1884年に関西経済界の重鎮、藤田伝三郎・松本重太郎・田中市兵衛・外山脩造らによって大阪堺間鉄道として初代「阪堺鉄道」(現南海電鉄)が設立された。

1885年 初代「阪堺鉄道」難波 - 大和川間に軽便鉄道として開業。

1889年5月14日 「大阪鉄道」湊町(現JR難波) - 柏原駅間開業

1908年 堺筋に続く南北幹線として四つ橋筋が梅田 - 難波間を結ぶ最初の南北幹線として先に竣工した。同年、堺筋の日本橋3交差点 - 恵美須交差点間が拡幅され、大阪市電「南北線」も走り出した 。

1912年(明治45年)に北浜1交差点 - 日本橋3交差点間が12間(約21.8m)に拡幅され、大阪市電堺筋線が敷設され前年1911年12月1日に開業していた恵比須交差点の阪堺電気軌道恵美須町駅 と繋がり、大阪の南北交通の目抜き通りと成り、重要な枠割りを果たしていた。

しかし旧難波橋に、市電を通すことに対して反対運動が起こったため。

1915年に堺筋に新・難波橋(現在の橋)が架けられ、天神橋1交差点 - 北浜1交差点間には大阪市電天神橋西筋線が敷設され以前の難波橋筋の役割が加わった堺筋は人通りが倍増し更なる発展を遂げた。

1917年(大正6年)には三越が高麗橋2丁目(現・高麗橋1丁目)に出店し

1921年(大正10年)備後町2丁目に白木屋が開店しこの頃堺筋は繁栄を極め、1922年(大正11年)には長堀橋筋1丁目(現・島之内1丁目)には高島屋も開店し,

1925年(大正14年)には日本橋筋3丁目(現・日本橋3丁目)に松坂屋が店を構えるなど、堺筋は大正時代に絶頂期をむかえていた!

第2項 「ミナミ」と「キタ」両歓楽街を結んだ大阪最初のレジャー街路「御堂筋」の誕生 

計画当初は実現不可能と思われた御堂筋拡幅整備事業!

1919年(大正8年)に第6代大阪市長であった池上四郎が、梅田 - 難波間の梅田新道・淀屋橋筋・御堂筋を第一次都市計画事業の都市計画街路第1号線として、延長4 km、幅員44 m(24間)へ拡幅する事業計画を発表した。

当時誰も幅員44 mもある「お化け道路?御堂筋」が実現するとは思わず...、その後も、堺筋の繁栄は続くかのように思われた。

御堂筋が南北交通の主役の座へ

第7代大阪市長に就任した都市計画学者・關一(せきはじめ)は1919年発表の「御堂筋計画」を前市長の池上から引き継ぎ、具体化に乗り出した!

1926年、都市計画により、地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,375万円をかけて24間幅へ拡幅する工事が開始された!

1933年(昭和8年)5月20日には大阪市初の市営地下鉄1号御堂筋線線 の「 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) 」が開業じ「市電並みの17m級の単行電車」が走り出した。

1935年10月6日には梅田駅本駅が開業。10月30日には心斎橋駅 - 難波駅間 (0.9 km) が延伸開業し2両連結運転が開始された。

1937年(昭和12年)5月11日 「面玄関に躍進した大阪駅」と大繁華街「難波」を結ぶ新目抜き通り「御堂筋」が竣工した。

大江橋と淀屋橋は現在の橋に架け替えられ、新橋(長堀川)と道頓堀橋(道頓堀川)が初めて架橋され淀屋橋以南の街路はイチョウ並木で飾られ、軌道(チンチン電車)を追い出した※一直線の目抜き通り御堂筋が完成した。

商業施設はいち早く、一般企業の多くも堺筋から御堂筋へ移転し、メインストリートとしての地位も御堂筋へ移り現在に至っている。

※このことが、その後21世紀「令和の御代」の今日に至る禍根を残してしまった!

その後四半世紀を経過した1960年代になっても御堂筋以外には「40m幅以上の防災道路」が整備されづ、戦後復旧で場当たり的な交通行政を繰り返してきた大阪市街地の道路行政の貧困が「名神高速道路」開通とともに一般道の舗装化!が進みそれに触発されるかのように爆発的に増えた一般車両が引き寄せた「モータリゼーションの津波」(※321)にトラムが押し流されてしまった!

この時(御堂筋建設時)にチンチン電車を残しておけば、チンチン電車が交通渋滞を引き起こすのではなく、貧弱な立ち遅れた道路網が諸悪の根源であることに気づく人達も多かったはずである!

参※321)当サイト関連記事 大都市市街地からのチンチン電車の敗退理由はこちら。

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第3節 インフラ整備から眺めたミナミ(大阪市中央区)の生い立ちと歩み

第1項 大阪府の概要

推計人口、大阪市8,819,416人/2018年4月1日

旧・摂津国の一部・河内国・和泉国からなる府。

かつては、都道府県で東京都に次ぐ第2の人口だったが、2006年5月1日に神奈川県が大阪府の人口を上回ったため、現在の人口は第3位である。

大阪市の概要

旧摂津国と旧河内国にまたがるエリアで、大阪市の府庁所在地
推計人口、2,716,989人/2018年4月1日。

大阪市中央区の概要

大阪府の府庁所在地。1989年(平成元年)2月13日に、当時の旧4大区から続く東区と南区が合併し誕生した。

推計人口、99,858人 /2019年6月1日

旧南区難波新地の概要

難波村のうち最も早く市街化されて大坂三郷へ組み込まれたのが、概ね現在の中央区難波にあたる難波新地(なんばしんち)である。大阪史上最大級の大火となった1724年(享保9年)の享保の大火の後に、天満橋南詰の本堺町・京橋一丁目・京橋北詰の相生西町と相生東町の一部が火除地となったため、その移転先として道頓堀の南西に元堺町・元京橋町・元相生町の3町が置かれた。<Wikipediaより引用>

明治後期(難波村の大阪市編入)
1897年(明治30年)には難波村も大阪市南区へ編入された。1900年(明治33年)の大字改編により、大字難波に以下の16町が成立し、難波を冠する町名は難波新地の6町を含め22町となった...<Wikipediaより引用>

なんばー(新大阪)-品川 2時間39分/¥14,930- /大阪メトロー新幹線/553.4km

南海難波駅ー関西国際空港 37分/¥1,430-/南海電車 特急ラピート/42.8㎞

令制国(律令国)の時代

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。

古代から近世を通じ、大阪平野を形作ってきたのは、淀川(神崎川・大川)水系、旧大和川(石川)水系、猪名川水系、武庫川水系であった。

特に淀川・大和川水系は「河内湖」(内海)に注ぎ、河内湖がほぼ消滅してからも長らく河内は湿地帯であった。

有名な、古市、百舌鳥古墳群は、河内湖周辺の先に堆積した比較的標高の高い堆積平野に作られている。

奈良時代においてはこれらの水系が旧大川(上町大地北端・現大阪城北側天満)の辺りに集中し、流域はたびたび洪水に見舞われるとともに、「肥沃な平野」を形作っていった。

つまり、これら旧河川を境に、上町大地周辺と淀川以北・以西を摂津国、上町大地の東側を流れる下除川(現下除川・現今川)以東を「河内国」、上町台地以南の下除川以西の地域を「泉国」と律令体制で定めた。

これら3国が元となり現在の大阪府が形造られている。(摂津国の猪名川以西は現・兵庫県域)

摂津国

淀川(大川本流)以北の六甲山系と伊丹台地に挟まれた三田から流れる武庫川、伊丹台地、と千里丘陵に挟まれた能勢郡から流れる猪名川、淀川分流の神崎川、の各河川流域の比較的早く形成された平野部と古くは難波宮が置かれた上町台地とその周辺部で構成されている。

★第2項  明治維新後の現中央区の域内関連鐡道敷設事業から眺めた「市営モンロー主義」を唱える秘密結社?暗躍の歴史

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日)( 旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め大阪府(旧摂津国)も幾多の行政変遷にさらされた。

1868年(慶応4年)旧暦1月22日大坂鎮台設置。

1868年同年旧暦6月22日 堺県設置。

1869年 - 大阪城下(天領)大坂三郷を再編し、大阪市街地が東大組、南大組、西大組、北大組の4大組に分割される

1870年2月27日 堺県石川郡・錦部郡の一部を五條県に編入。

1871年8月29日(旧暦7月14日)廃藩置県。

1872年 現中央区難波が出来上がる

1872年(明治5年)に坂町が南坂町に、難波新地一丁目が南坂裏町に改称され、翌年には南坂裏町が南坂町に編入され、現在の千日前1丁目に組み込まれて行くことになったが、一方で1872年(明治5年)に元堺町・元京橋町・元相生町の3町が難波新地に編入され、難波新地一番町~四番町に再編。翌年には難波村のうち市街化が見られた区域も難波新地に編入され、難波新地一番町~六番町に再編。この明治初期に拡大された難波新地の範囲が概ね現在の中央区難波の範囲となっている。<Wikipediaより引用>

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示。

1874年(明治7年)5月11日:現東海道線大阪駅 - 神戸駅間(20M27C56L≒32.74 km)が旅客線として開業(三ノ宮駅 - 神戸駅間複線)。大阪駅・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・三ノ宮駅(現在の元町駅付近)・神戸駅が開業。西成郡曽根崎村に大阪駅が開業。当時の大阪駅周辺はわずかの民家があるだけで荒地と梅田墓地が広がっていた。

1875年(明治8年) - 大区小区制施行により、南大組が第2大区、東大組が第1大区となる

1877年(明治10年)2月6日:京都駅 - 大宮通仮停車場間(40C11L≒0.81 km)が延伸開業。大宮通仮停車場が廃止、京都駅が開業。神戸駅 - 京都駅間全通

京阪間の物流が淀川の水運から鉄道利用に変化する。

1879年 - 郡区町村編制法施行により、4大組が東区、南区、西区、北区(旧)の4大区(法人区:地方自治組織)となり南区役所を南炭屋町に設置。第1大区が東区となり区役所を備後町2丁目に設置。

1879年(明治12年)の郡区町村編制法により難波新地は大阪府南区に含まれ、1889年(明治22年)の市制施行によって、大阪市南区へ移行。また同年の町村制施行によって、難波村は西成郡西側町・材木置場町・西高津村字髭剃を取り込み、難波村大字難波・西側・材木置場・西高津となった。<Wikipediaより引用>

1880年(明治13年) - 区役所を東清水町に移転。

1881年(明治14年)2月7日 -堺県を大阪府に編入合併により新大阪府の管轄となりほぼ現在の大阪府県域が完成した。※1704年10月大和川付け替え完成以来のこの辺の事情が「21世紀まで尾を引く」大阪府・大阪市と堺市の確執につながっている?。

1884年(明治17年) - 南区役所を鰻谷中之町に移転。

1885年 (明治18年)6月17日~7月上旬の淀川洪水で大被害が出る。被害は納谷川以南にまで拡大し大和川付け替えで無くなったはずの「河内湖」の亡霊?が現れ最大で4ⅿも浸水した!大阪市内では上町台地以外はすべて浸水した。

同年12月29日:阪堺鉄道(現南海) 難波駅 - 大和川駅間が軌間838mmの軽便鉄道として一部単線で開業。

1887年旧暦11月4日 奈良県を分離再設置し現在の大阪府が完成
  • 同年西成郡藻刈町・野上町・霧島町・菜摘町・千里町・入江町・穂波町・洲先町・栄町・七瀬町が合併して、西成郡西浜町となる

1888年(明治21年)5月15日:阪堺鉄道 大和川駅 - 堺駅(吾妻橋)間が延伸開業。大和川駅廃止

1889年(明治22年)4月1日 西成郡西浜町単独で町村制施行。

  • 同年(明治22年)5月14日:大阪鉄道(現JR大和路線) 湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開し天王寺駅開業
  • 同年 7月1日:東海道本線・新橋駅 - 神戸駅間が全通。
  • 同年 - 市制施行により、大阪市の行政区へ移行。明治政府が定めた市制特例により市長は置かず、大阪府知事が名目上の市長職を兼任した。(実務は地方自治組織であった4大区の長が取り仕切っていた!)

1889年(明治22年)の市制施行によって、(難波新地は)大阪市南区へ移行。また同年の町村制施行によって、難波村は西成郡西側町・材木置場町・西高津村字髭剃を取り込み、難波村大字難波・西側・材木置場・西高津となった。<Wikipediaより引用>

※つまり、現南海電鉄の始祖である初代「阪堺鉄道」が生まれた1885年当時は難波駅周辺は「大阪市」には含まれておらず「市営モンロー主義」の元凶の元である町衆の自治組織「大阪4大区」には含まれていなかった!

そこで後に南区に取り込まれた道頓堀川南べりの難波新地で興行を行っていた新興勢力である興行主達が株主・発起人となって、中央政府・大阪府と直接話を付けて自分たちの通勤手段!として軌間762㎜の軽便鉄道「初代阪堺鉄道」を設立した訳である。

このことが、現在に至る大阪府と南海電鉄の強い絆(※1)と同時に大阪市交通局(大阪メトロの親玉)と南海電車の根深い確執につながっている!

更には、初代大阪鉄道(現JR大和路線)が難波に侵攻できた理由でもある。

つまり「市営モンロー主義」とは、大阪市営電気鉄道による市内軌道網建設以前から「旧大阪三郷」から面々とつ受け継がれた?「大阪町衆・大商人」の大阪版フリーメーソン集団の「既得権益防衛・利権闘争」の「旗印」!と言い換えることもできる!

1891年(明治24年) - 区役所を長堀橋筋1丁目に移転。

この後1897年の大阪市第1次市域拡張により大阪市域が広がるまでの間どさくさに紛れて?市営モンロー主義に阻まれることなく初代大阪鉄道(現JR大和路線)も現市域中心部(大阪環状線内側)に侵攻!できたわけである。

1892年(明治25年)2月2日:大阪鉄道・亀瀬仮停車場 - 稲葉山仮停車場間(64C≒1.29km)が延伸開業し、湊町駅(現JR難波駅) - 奈良駅間が全通。稲葉山仮停車場・亀瀬仮停車場が廃止。

1895年5月22日浪速鉄道(後の関西(かんせい)鉄道)片町駅(現都島区) - 四条畷駅間開業

  • 同年5月28日:大阪鉄道 天王寺駅 - 玉造駅間(2M28C≒3.78km)が開業(現JR環状線の東側一部)。
  • 同年10月17日:関西鉄道・玉造駅 - 梅田駅間(4M29C≒7.02km)が延伸開業(後の城東線・現環JR状線東側)が開通。
1897年(明治30年) - 大阪市第1次市域拡張により、西成郡西浜町・難波村の全域と木津村・今宮村・東成郡天王寺村・生野村の大阪鉄道(現在の関西本線・大阪環状線)以北・以西を南区へ編入!

1897年12月15日:阪堺鉄道(現南海電鉄) 難波駅 - 堺駅間が1067mm軌間に改軌。住吉駅 - 堺駅間複線化。難波駅 - 尾崎駅間で直通運転開始。

※つまりこの年まで南海難波駅は旧大阪4大区(東区・南区・西区・北区)を基にした正調?大阪市域には属さず「大阪府下」の西成郡に属していた!

これが南海電車と初代大阪鉄道(現JR大和路線)が市内侵攻!を果たせた真の理由である!

1898年(明治31年)10月1日:阪堺鉄道が南海鉄道に事業を譲渡。

  • 同年10月22日:南海鉄道尾崎駅 - 和歌山北口駅間が開業。
  • 同年11月18日:関西鉄道加茂駅 - 新木津駅間が延伸開業し、網島方面への路線(のちの片町線)に接続。名古屋駅 - 網島駅間が全通し、直通急行列車が運転開始。
  • 同年淀川の洪水対策として新淀川放水路(全長 約7km,川幅約 800m)着工,
20世紀が始まる

1900年(明治33年)6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に路線を譲渡(湊町駅(現:JR難波駅) - 名古屋駅)が完成し急行列車運転開始、しかし所要時間はこの時若干伸びた。その後、1902年(明治35年)には再び所要時間を短縮し、5時間弱の運転とした。急行列車には1904年(明治37年)より食堂車も連結されるようになった。

  • 同年9月3日:高野鉄道(現南海高野線)頓堀駅(現・汐見橋駅) - 大小路駅間(現堺東)開業。
  • 同年9月20日 大阪馬車鉄道が天王寺南詰(現在の天王寺駅前交差点付近) - 八弘社(現在の阿倍野) - 阿倍野(現在の東天下茶屋)間1.05マイル(1.7 km)を開業。旅客運賃を天王寺南詰 - 八弘社間および八弘社 - 阿倍野間をそれぞれ1区間とし、1区2銭、2区3銭(開業後しばらくは半額)とする。旅客営業時間を午前6時から午後8時までとする。
  • 同年1900年10月26日:南海鉄道天王寺支線 天下茶屋駅 - 天王寺駅間2.4km(単線)開業。
  • 11月29日 天下茶屋 - 上住吉(現在の神ノ木)間延伸開業。(この間に)天王寺南詰 - 天王寺(現在の大阪市天王寺区四天王寺前交差点にあった駅)間延伸開業。

1901年(明治34年)8月新淀川開削完成に先立って東海道本線上淀川橋梁開通

  • 同年10月5日:南海天王寺支線開通により南海線 住吉駅 ー 関西鉄道大阪駅間で直通運転を開始。

1902年(明治35年)2月上淀川橋梁に次いで下淀川橋梁完成。

※つまり、東海道線の2つの橋梁は新淀川建設中の「川が流れていない間」に建設された!

1903年(明治36年)3月21日:当時の南海鉄道紀ノ川橋梁が開通し紀ノ川駅 - 和歌山市駅間開通により難波駅 - 和歌山市駅間で全線開通!

  • 同年9月12日 日本初の市営電車が部分開業し「市営モンロー主義」の旗印である大義名分・錦の御旗を掲げて大阪市営電気鉄道が走り出した!

1907年10月1日 - 関西鉄道・国有化。城東線(現大阪環状線東側)が発足、同時に南海鐡道が実施していた汽車列車による大阪駅直通乗り入れが廃止となる!(以後19年の乗換駅「新今宮駅」開業まで天王寺駅が南海・国鉄の乗り換えハブターミナルとして.賑わう!)

1908年(明治41年)1月31日浪速電車軌道株式会社(旧大阪馬車鉄道・現阪堺電気軌道)天王寺 - 下住吉間の馬車鉄道による旅客営業を廃止し、路線の1067mmから1435mmへの改軌および電化・複線化工事に着手。
1909年(明治42年)3月 浪速電車軌道株式会電動客車20両を新造。

  • 同年(1909年)新淀川完成。
  • 同年 -南 区役所を竹屋町に移転。

1911年(明治44年)12月1日 阪堺電気軌道・恵美須町 - 市之町(現在の大小路)間開業

1912年大正の御代となる

1912年(大正元年)10月10日:南海・汐見橋駅 - 長野駅(現在の河内長野駅)間が600V電化

1913年11月15日 - 国鉄桜ノ宮 - 放出間廃止に伴い旧関西鉄道綱島駅廃止。

1925年(大正14年) - 旧西成郡域を浪速区へ、旧東成郡域を天王寺区へ分区。
1943年(昭和18年) - 戦時中に浪速区より「なんさん通り」以北を、天王寺区より「千日前通以北・上町筋以西」を南区に編入し、湊町を浪速区へ移譲し同時に「4大区(自治体)」は廃止大阪市に完全統合される。

1989年(平成元年)2月13日 - 東区と統合され、中央区となる。

同年(1913年) - 中央公会堂が竣工。

1914年10月21日:高野登山鉄道(旧高野鉄道)・長野駅 - 三日市町駅間が開業。長野駅以降は当初から600v電化。

1915年(大正4年)3月11日:大阪高野鉄道(旧高野登山鉄道)紀見トンネル(通称「紀見峠トンネル」、現在の天見駅 - 紀見峠駅間上り線)開通。三日市町駅 - 橋本駅間開業により汐見橋駅 - 橋本駅間が全通

  • 同年6月21日 南海電鉄、(初代)阪堺電気軌道を合併。阪堺線、大浜線、平野線とする。

1922年(大正11年)9月6日:南海鉄道が大阪高野鉄道を合併。高野線になる

1923年(大正12年)4月13日:大阪鉄道(現近鉄)大阪天王寺駅(現在の大阪阿部野橋駅) - 布忍駅間が開業し大阪天王寺駅 - 道明寺駅間が国内初の1500V電化で開通(河内長野まで繋がる)

1925年 西成郡の残余10町10村および東成郡の残余7町17村全てを編入、西成区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区を設置、旧市域に天王寺区、浪速区、港区、此花区、を設置同時に此花区、港区がに北区(自治区)から分離新設して13区となる。

  • 同年2月1日:阿部野駅を岸ノ里駅(現在の岸里玉出駅)に改称。
  • 同年3月15日:岸ノ里駅に南海本線との東連絡線開設。難波駅乗り入れ開始。

1926年昭和の御代となる

1929年(昭和4年)2月21日:高野山電気鉄道の神谷駅 - 極楽橋駅間が開業し全通。

1929年(昭和4年)7月18日:阪和電気鉄道により阪和天王寺駅 - 和泉府中駅間(13.0M≒20.92 km)全線複線1500v電化で完成、支線 鳳駅 - 阪和浜寺駅間(1.0M≒1.61 km)も開業。

  • 同年10月10日:高野山電気鉄道・西村駅 - 北野田駅間が複線化。
  • 同年11月1日:高野線全列車難波駅より発着開始。汐見橋駅 - 岸ノ里駅が事実上支線化。汐見橋発着列車は住吉東駅(出入庫列車は堺東駅)発着になる。

1929年 - 世界初のターミナル百貨店、阪急百貨店が梅田駅に開業。

1930年(昭和5年)6月16日:阪和鐡道(後の阪和電気鉄道→南海鐡道→国鉄→JR西日本が京阪電鉄系列として誕生し) 和泉府中駅 - 阪和東和歌山駅間 (40.3 km) が複線電化で延伸開業し全通。

  • 同年1月1日:我孫子観音前仮停留場(現在の我孫子町駅)が開業。
  • 同年4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(本線 13.0M→20.9 km、支線 1.0M→1.6 km)。
  • 同年久米田駅・土生郷駅(現在の東岸和田駅)・和泉橋本停留場・熊取駅・日根野停留場・長滝駅・新家停留場・信達駅(現在の和泉砂川駅)・山中渓駅・紀伊駅・六十谷停留場・阪和東和歌山駅(現在の和歌山駅)が開業

1931年 - 大阪城天守閣記念館が鉄筋コンクリート造りで誕生。
1933年(昭和8年)2月16日:国鉄城東線の1500V電化に伴い、南海本線→天王寺支線天王寺駅行き乗り入れ直通運転を増発。

1933年5月20日 - 日本初の公営地下鉄・大阪市営地下鉄(梅田-心斎橋間、)開通。

1935年(昭和10年)10月30日:大阪市営地下心斎橋駅 - 難波駅間 (0.9 km) が開業。

1938年(昭和13年)4月21日:大阪市営地下難波駅 - 天王寺駅間 (3.4 km) が延伸開業。天王寺―梅田(大阪)間に第2ルート完成

1940年(昭和15年)12月1日:阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、南海鐡道・山手線となる

1943年 。戦時決戦体制整備のため、4大区(自治区)が半強制的に解散され、同時に北区の一部区域を福島区・大淀区・都島区にそれぞれ分離。大阪市に統合 22区となる。

1944年(昭和19年)5月1日:南海鐡道山手線が国有化され阪和線となる。

1945年 - 大阪大空襲。

1945年8月15日 敗戦!

1953年 - 大阪市営トロリーバスが軌道法(※2)にもとづいた無軌条電車として開業。

1956年 - 大阪市・政令指定都市に移行。

1961年4月25日 国鉄大阪環状線全通

1963年(昭和38年)4月16日:京阪電鉄(淀屋橋駅 - 天満橋駅間)地下線延伸開業。

1964年(昭和39年)9月24日:市営地下鉄新大阪駅 - 梅田駅間 (3.5 km) が開業。

  • 同年10月1日- 東海道新幹線が開通し、新大阪駅が開業

1969年(昭和44年)3月31日限りで大阪市電が「市営モンロー主義」を唱える「利権団体の陰謀」により65年半の歴史を終えた!

1970年3月15日 日本万国博覧会開催される(→9月13日迄6か月、183日間)

  • 同日 上本町(現大阪上本町)ー近鉄難波(現大阪難波)間近鉄難波線開業。
  • 同年6月15日に大阪市営トロリーバスが"無軌条電車"なるがゆえに"無情"にも17年の短い生涯を終えた(※2)。

1989年平成の御代となる

1994年9月4日関西国際空港24時間空港として開港!

1995年 -1月17日、阪神・淡路大震災。大阪市内では震度4を記録し火災や停電などの被害を受けた。特に兵庫県尼崎市に隣接する西淀川区では家屋全半壊などの被害もあった。

1997年 3月8日 関西高速鉄道によりJR東西線 京橋ー尼崎駅間開通。

21世紀到来

2007年8月2日 関空二期工事(限定供用部分)291 ha完了し、総面積約660 haで4,000 mのB滑走路とその平行誘導路、第一期空港島との間の南側連絡誘導路などを備えた日本最大の国際ハブ空港となった!

2008年10月19日京阪中之島線天満橋ー中之島間開業

2009年(平成21年)3月20日 阪神電気鉄道の西大阪線 西九条ー大阪難波駅間延伸開業、近鉄・阪神相互乗り入れ開始。

2018年 - 大阪市交通局が民営化され、地下鉄事業は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)、バス事業は大阪シティバスに引き継がれた。

20xx年 1鉄チャンとしてはリニア中央新幹線 大阪中央(なんば)駅開業!...となったらいいんだけどな?

参考 大阪市営電気鉄道を大阪市営「地下高速軌道網」に「突然変異」させた「モータリゼーションの津波」(※3)を引き起こした2つの高速道路網「半身拘束道路公団」と「迷信拘束道路」の主な出来事

1962年5月1日 : 阪神高速道路公団が発足。

1963年(昭和38年)7月16日 : 日本初の高速国道の建設区間となった、名神高速道路栗東IC - 尼崎IC間が開通。

1964年6月28日 : 1号環状線(土佐堀 - 湊町)が南行き一方通行で開通(現在とは逆向き)。

1965年(昭和40年)7月1日 : 小牧IC - 一宮IC開通により、全線開通。

1967年3月10日 : 1号環状線全線が開通。
1970年3月8日 : 13号東大阪線(西横堀 - 法円坂)が開通。
1970年3月13日 : 14号松原線(環状線 - 阿倍野)、15号堺線(湊町 - 堺)、17号西大阪線全線が開通。
1995年1月17日 : 阪神・淡路大震災により3号神戸線・5号湾岸線などが被災。神戸線は大規模に崩壊し、不通に。
2005年10月1日 : 民営化され、阪神高速道路株式会社が発足。道路などの施設は日本高速道路保有・債務返済機構の保有となる。

  • 同日 :日本道路公団の民営化に伴い中日本高速道路・西日本高速道路が道路管理者になる。
大阪メトロ中央線の生い立ち

1961年(昭和36年)12月11日:4号線 大阪港駅 - 弁天町駅間 (3.1 km) が開業。この区間は大阪市交通局で初めての高架鉄道で、車両はクレーンによって直接高架に搬入された。単行(1両編成)運転。式典のテープカットで使用された鋏は弁天町駅で保存されている。
1964年(昭和39年)10月31日:弁天町駅 - 本町駅(仮)間 (3.7 km) が開業。阿波座駅 - 本町駅(仮)間は単線運転。2両編成運転開始。
1967年(昭和42年)9月30日:谷町四丁目駅 - 森ノ宮駅間 (1.3 km) が開業。ATC・列車集中制御装置 (CTC) 採用。2両編成運転。立ち退きが遅れたため本町駅 - 谷町四丁目駅間は未開通であり、4号線は東部と西部で分かれて運転していた。
1968年(昭和43年)7月29日:森ノ宮駅 - 深江橋駅間 (2.3 km) が開業。
1969年(昭和44年)7月1日:本町駅本駅完成 (+0.2 km) 。本町駅部分は、旧来の船場地区の立ち退き後、船場センタービルおよび中央大通・阪神高速道路・地下鉄中央線本町駅を同時に建設するという大事業であった

  • 同年12月6日:愛称が中央線に決まる。本町駅 - 谷町四丁目駅間 (1.7 km) が開業、これにより大阪港駅 - 深江橋駅間が貫通全線開通した。
大阪メトロ地下鉄谷町筋線の生い立ち

1967年(昭和42年)3月24日:2号線 東梅田駅 - 谷町四丁目駅間 (3.5 km) が開業。ATC・列車集中制御装置 (CTC) 採用。2両編成運転。

1968年(昭和43年)12月17日:谷町四丁目駅 - 天王寺駅間 (3.8 km) が開業。4両編成運転開始。天王寺検車場が開設。
1969年(昭和44年)12月6日:愛称が谷町線に決まる。
1970年(昭和45年)4月8日:大阪市大淀区(現・北区)の谷町線延伸工事現場でガス爆発事故が発生し大阪メトロ建設史上に残る大惨事となる。
1974年(昭和49年)5月29日:都島駅 - 東梅田駅間 (3.1 km) が開業。
1977年(昭和52年)4月6日:守口駅 - 都島駅間 (5.4 km)延伸 開業。
1980年(昭和55年)11月27日:天王寺駅 - 八尾南駅間 (10.5 km)延伸 開業。。
1983年(昭和58年)2月8日:車庫への入出庫線を営業線化し、大日駅 - 守口駅間 (1.8 km) が延伸開業により全通。
2018年(平成30年)4月1日:大阪市営地下鉄の民営化により、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の路線となる。

参照欄

※1、当サイト内関連記事 泉北高速鉄道建設のいきさつ《 コラム2017 》 何故乗り入れ相手が市営地下鉄ではなかったのか? はこちら。

※2、軌道法に基ずく「軌道特許」に関するWikipediaの解説はこちら。

※3、交通アクセスの変遷《コラム令和元年》日本各地から森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が消えた理由 はこちら。

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エピローグ 21世紀後半はミナミが再び隆盛を極める!

地図をご覧いただければ一目瞭然!

難波からは南海線、近鉄線、阪神線、御堂筋線(北大阪急行)そして千日前通り沿いの日本橋からは堺筋線(阪急線)、同じく西側桜橋(汐見橋)からも南海線、そしてJR難波(旧湊町)からは大和路線が、更に、今の状況では、紫色のリニア中央新幹線(※0)もやってくる可能性が浮上してくるでしょう!

ミナミ新地・難波周辺は再び大阪の「おヘソ」として..大阪のマンハッタンに大躍進するでしょう!

参※0)当サイト関連記事 ダークホース・リニア中央新幹線『JR難波駅』延伸終着案はこちら。

第1項 大阪における南北戦争の終わり?が元々は「お寺」と「墓地」しか無かった、川向うの摂津の国に在った田舎「埋田(うめだ)」あたりでは

現在旧国鉄梅田貨物駅の再開発が行われていますが、北新地の躍進もこれでお終いでしょう?

現在水面下?で更に資金を投棄して、日本最高・アジアでも屈指の超高層ビル建設などの計画もあるようですが...

都市は生き物、為政者の思惑通りに事は進まない!

都市は生き物です!事は為政者の絵に書いた思惑通りには進みません!

帝都東京への一極州集中化と少子高齢化の現状を考えた場合、これらのビッグプロジェクトが果たしてうまくいくか...

現在供給過剰気味で、空き室の目立つ大阪駅前第1ビルやらの駅前ビル群や、旧中央郵便局当たりのビル群、そして旧大阪鉄道管理局・梅田貨物駅再開発地区のビル群も中途半端なアクセスでは今後どうなるか...

東西交通を、正しくJR東西線、JR東海道線、そして南北交通を御堂筋線1本に頼る現状では、なにわ筋線が開業出来ても中途半端なハブステーションとなって終いそうです?

これらの再開発事業はUR(独立行政法人都市再生機構)の全面協力?で「大阪市も出資する」開発公社などの第3セクター(特定目的開発会社)が行っているいわば大阪市の「直轄事業」です。

  • 大阪市都市開発局;大阪駅前第一ビルから第4ビル
  • (大阪)駅北地区開発特定目的会社;グランフロント
  • うめきた開発特定目的会社;うめだ北駅(旧梅田貨物駅跡地開発)
  • 西梅田地区開発協議会;ハービス大阪

第2項 大阪・梅田新都心計画に取って代わられた!新大阪駅前周辺再開発事業も...

国鉄分割民営化で大阪駅裏口?の駅前市街地再開発事業"グランフロント"が軌道に乗った今、

強固な防壁となった、JR西日本・京都線(東海道線)、北方貨物線、そして宮原電車庫が"包囲網"を敷いているJR東海・新大阪駅。

駅周辺再開発市街地改造も行わないで、与党整備新幹線CPPT(※02)が新大阪駅巨大ハブステーション(乗換駅)構想(※01)を強行しても、駅がリニューアルするだけで、駅周辺は20世紀のまま!...

参※01)当サイト関連記事 全く呆れた経済観念欠如の新大阪駅"巨大ハブ・ターミナル化"計画!

参※02)当サイト関連記事 与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム とは...はこちら。

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

《御堂筋80周年記念事業の Scheme (たくらみ!) 》関連特集記事のご案内 

※以下の♥タイトルをクリックするとシリーズ記事全てにジャンプ!できます。

後書き《 都市計画とは...》シリーズについて

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

嘗て、高度成長期に一世を風靡した近隣都市と連携したメガロシティー(都市圏)構想がすっかり影を潜めて?

昨今は、地方の中核都市ではコンパクトシティーがトレンドとなり、

職住一致環境の構築で『災害時の帰宅困難者』問題や、

過剰なインフラ整備への公共投資を軽減する方向に向かっていますが...

コミュニティーを構成する個人は十人十色で、為政者の思い描くような方向には、都合よく向かってくれないのも実情です!

"統治"に重点を置いた都市計画(道路計画・町割り計画)では、時々刻々と変化する社会情勢(経済活動)に迅速に対応できなく、

特に、今後も一極集中が進むであろう首都圏では"柔軟な展開"が図れるような、"フレキシビリティ"が必要でしょう!

首都圏では

首都圏では、旧河川に下ずいた複雑に入り組んだ行政割りを、見直す時期にもなってきているのではないでしょうか?

特に今後も発展(一極集中)を続ける首都圏では、各行政当局がローカルエゴを捨てて、"首都圏州"構想を前進させたほうが、首都圏全体のインフラ整備・一元化が円滑に行えて、日本の将来の為になるかもしれません!

首都圏以外の"地方都市"では

地方の中核都市(大都市)郊外の衛星都市(ベッドタウン)では、少子高齢化と中核都市にある都市への住人回帰(転出者)による、"過疎化"

にどう対処するか?

更に、嘗て高度成長期を支えてきた"重厚長大産業"と共に栄えてきた、地方の産業都市にとっては、安価な発展途上国製品に押された生産量減少、とリストラによる就労者減少の影響、による財源(税収)減少に伴う都市衰退にどう対処するか...

各市町村がバラバラに都市計画を策定するのではなく、周辺都市との合併も視野に入れた、高域活性化策(広域都市計画)が求められているのではないでしょうか。

鉄道神話と箱物行政に別れを告げて、インフラ(道路)整備に重点を

安直な箱物行政の時代は過去の幻影となっています!

もう一度国家の基盤は"物流・道路行政"にあることを思い起こして、大局的な見地が必要となってきているのではないでしょうか?

狸穴総研 政経調査室 出自多留狸

※脚注 ♥関連団体 問い合わせ先 リンク集

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公開:2019年7月29日
更新:2023年5月27日

投稿者:デジタヌ

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