狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Essay『 民主主義と自由主義は別次元!』ー第3回ー

★第2節 敗戦後の新生日本国も権威主義に満ちた封建国家...

敗戦後の戦後処理を行った?大日本帝国の"内閣"最大の過ちは、

占領軍に貰った左書き看板「"日本国憲法"」ではなく、縦書き・右書きの

法憲国帝本日大

時代から受け継がれた多くの法体系!

特に恣意的独裁を旨とする公務員法や 戦前から続く法体系!を踏襲したことでしょう。

つまり、那の倭国(邪馬台国)以来2千年!に渡り、武士道?等に分化しながら

為政者に都合よく美化!して発達した、日本独自の美学?忠誠心!隷属意識!は、

"学"があれば有るほどに、強く洗脳されて、一部の the exploited classes(特権緩急・搾取階級)に悪用されてきたわけです。

第1項 敗戦後の♥Democracy に下づく日本国憲法は絵に描いた餅!?

第1項 大東亜戦争終結と日本の主権回復国際社会復帰

  • ●1945年7月26日 対日戦線連合国(UN)がポツダム宣言公表(降伏要求プレスリリース)
  • 1945年8月15日 大日本帝国・元首(天皇)ポツダム宣言受諾(敗戦)宣言
  • ●同年8月28日 進駐軍を受け入れGHQの占領・支配下となる。
  • ●同年9月2日 大日本帝国が降伏文書へ調印し、正式に終戦!
  • ●1947年5月3日 日本国憲法施行
  • ●1948年7月1日 国家公務員法施行
  • ●1949年6月1日 国家行政組織法施行
  • ●1951年2月13日 地方公務員法施行
  • ●1951年9月8日 サンンフランシスコ講和条約調印;戦勝国が占領を解き自治!回復(発効 1952年4月28日)
  • ♥1956年12月12日 UN加盟が認められ、主権国家!として国際社会?復帰

1945年8月15日にNHKを通じてポツダム宣言受諾・敗戦宣言を全世界に発信して武装解除を行い、

同年8月28日進駐軍(GHQ)を受け入れて、その占領・支配下となった訳です。

そして9月2日に東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で無条件降伏文書への調印が行われ、♥正式に終戦となった!のですが...(※10)

参※10)この1945年8月15日→9月2日の空白の18日間に、火事場泥棒!CCCP(現新露西亜帝国?)が日ソ不可侵条約を一方的に廃棄して樺太侵攻(8月11日→8月25日)を行い、日本領土の樺太南部、と北方4島択捉島国後島色丹島歯舞群島)を不法占拠!したわけです。

第2目 悪魔悪戯が日本の戦後復興を

つまり不幸にも1950年6月25日 勃発した朝鮮戦争で、日本国には朝鮮特需が訪れ、戦後復興を成しえたわけで。

それがサンフランシスコ講和条約(1951年9月8日)に結び付き、日本国政府の主権回復が成しえたわけです。

そしてautonomyが回復したもはやUSAに反抗心が芽生える背景(不況)どころか、友好ムードが生まれたので創元社から出版(1952年8月)されたわけです。

主権回復出来たのは1956年12月12日のUN加盟から

実際に国際社会に主権回復が認められたのは1956年12月12日 UN加盟承認からです。

第2項 憲法学者???は思想家!法制度・司法学者ではない!

日本の法学者?は法制度"史"研究者"で、ideologyを創作している"輩"思想家に近く、

所謂文系の"文学者"で、

『物事の真理を追究する理学・哲学に通じる"法律学者"はいない!』

といっても差し支えないでしょう。

第1目 為政者・独裁者を守るための憲法学者???

更に「新たにリニューアル制定された法令」においても憲法学者???なる「看板書体・研究専門家」を祭り上げて「権力者に都合の良い解釈!(口実)」を与えて、憲法を骨抜きにしているわけです!

つまり大東亜戦争敗戦後の democracy 日本国???においても、

liberalとconservativeの左右両派連ん(つるん)!Popular sovereignty(主権在民)の concept に下ずくDemocracy民主主義否定し続けているわけです。

第1目 看板を付け替えリニューアルオープンした老舗料亭"日乃本?!"の独裁料理長・総理大臣

そして敗戦後の占領軍(GHQ)支配下で、明治以来の古びた「大日本帝国家憲法」という縦書きの看板を"急ごしらえ"の「日本国憲法」という「横書き看板」に"挿げ替えたのが老舗料亭"日乃本"といえるでしょう。

しかし、我が日乃本は、看板(憲法)を横書きに"掛けかえ"てリニューアルオープン!しただけの「品書き(law)が変わっていない老舗日本料亭」と変わらない!訳です。

多くの法令は、明治憲法「大日本帝国憲法」に則って制定された、「権力者の恣意的"独裁"を許す法令」を認めた、「非民主的」な法令のままなのです。

特に特別職、つまり各大臣とそのブレーンの権限については、「占領軍支配下」という当時の時代背景もあり、戦前の悪習(慣例)広範囲にわたる「恣意的独裁」が容認されているわけです。

例えば公共交通機関"鉄道"に関しても多くの"抜け路"が残された
敗戦後に制定された法令も

更に多くの公益事業に関する法律、例えば1949年6月1日に日本国有鉄道法とともにリニューアルオープン?した国

鉄以外にも、多くの"抜け路"(戦前の法令適用事業)が残されたわけです。

そして、その後の稀代の悪法全幹法(全国新幹線鉄道整備法)に繋がる、悪法日本鉄道建設公団法では国家公務員法、国家行政組織法、の虚(不備)を突き、旧・建設大臣(現国交省)の恣意的独裁という憲法違反!を許したのです。

今に続く整備新幹線ルートの暴挙

更に「JNRと鉄拳公団のセットを前提」とした悪法・幹法(※11)には、「具体的建設ルートは明確にされていない!(出来ない)」にもかかわらず、名が先震撼線(西九州新幹線)、北陸新幹線"大阪単独凱旋ルート(既存東海道新幹線並行ルート!)"を強行しようとしているわけです。

参※11)当サイト関連記事 よとう整備新幹線建設推進派の拠り所「全幹法」は憲法違反の立法! はこちら。

第2目 旧運輸省一派(文官)はアンフェアー!

"名が先震撼線"を恣意的にフル規格新幹線に化けさせて強硬部分開業(※12)でunfinished line(未成線)にしてしまった!のも、旧建設省(キャリア官僚)の恣意的独裁の悪習!が受け継がれた結果です。

参※12)当サイト関連記事 西九州新幹線・佐賀平野・中央突破作戦!は嘗てのインパール作戦同様に失敗に終わる! はこちら。

 

公開:2023年6月 3日
更新:2024年3月13日

投稿者:デジタヌ

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