狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

オレゴン・トレイルが果たした大きな役割《 北米の水路と往還 第5回 》

★第5回 Oregon Trailが果たした大きな役割

★Oregon Trail が果たした役割は大きいものがありました!

前節 Oregon Trailのmaine routeは...

第1目 ホボほぼ河川に沿って

現在Oregon Trailのmaine routeとされている 現Interstate 80 and Interstate 84の経路では、

当初は川沿いの平地部(平原)を、川から離れないように進み、よく使われる経路に自然にTrail(轍)が出現して、よく使われる野営地が宿場町になりました。

0-1-1 wagon trail に駅馬車が走り出す...

その後、ほぼほぼ Wagon Trail 上に駅馬車が走るようになり、Wagon Trail に沿った形で鉄道が敷設されて鉄道輸送の時代となりました。

0-1-2 lincholn high-way は 嘗ての tail その者

そして automobile が出現して、old wagon Trail がほぼそのままの形で Lincoln Highway に指定されて、その後、Federal Aid Highway Act of 1956 の成立でLincoln Highway を置き換える形で、、Interstate Highway System(Dwight D. Eisenhower National System of Interstate and Defense Highways)として Interstate 80 and Interstate 84 が建設されています。

第2目 開拓時代の trail は rough road だった

アメリカ開拓時代のwagonやstagecoach(駅馬車)が行き交うtrailは整備された roadではなく「けもの道」に近い rough road(でこぼこ道)でした。

雨が降ると「ぬかるみ」お天気には土埃が舞う rough road だったわけです。

0-2-1 wagon は貨物専用!

この trail を行き交う Conestoga wagon は、鉄道車両同様の踏面ブレーキはあっても、leaf spring さえついていない suspension system の無い所謂 rigid axle で、おまけに空気タイヤが発明されるずっと以前なので wheel(車輪)は鉄輪で締め上げた木製スポークホイール。

なので、Pioneer 達はお馬さんと一緒に、西部の大草原の trail を trekking したわけです。

0-2-3 flat boat は快適な transpoter だった!

つまり後年,ditch(溝、用水路)や canal が開削されると水路を航行する flatboat は、ラフロードを走る、Stagecoach(駅馬車)や wagon(荷馬車!)よりはるかに快適な transportation だったわけです。

★第1節 Oregon Trail

Oregon Treaty(1846年6月15日調印)以降、1869年の First Transcontinental Railroad の開業まで、Oregon Trail が、西部の新天地に向かう Pioneer(開拓者)達の wagon 隊の通る重要な Traffic route となったわけです。

第1項 米墨戦争の停戦とカリフォルニアのゴールドラッシュ

1846年→1848年に渡って、身の程知らずの新興勢力・穆組の組長 Santa Anna が territory(所場)に関して"イチャモン・難癖"を付けて、米組に Frontier(縄張り)抗争"を仕掛けて、"出入り"(Mexican-American War)となりましたが...

組織力に勝る"米組が、新興勢力の穆組を蹴散らし、"手打ち"(Treaty of Guadalupe Hidalgo;グアダルーペイダルゴ条約)となりました。

第1目 都合よすぎる?ゴールドラッシュ

1848年にカリフォルニアがAmerican territoryとなると同時に、"都合よく?サクラメント川上流で金が発見され"ゴールドラッシュが訪れ

カリフォルニアを目指すPioneer(開拓者)達が幌馬車隊を組んで、大挙してロッキー越えに挑戦しだしたわけです!

第2項 カンザスシティが全ての起点に...

第1目 サウスプラット川沿いにシャイアンを通過するメインルート

地図を拡大するとお分かりのように、西部開拓の前哨基地カンザスシティー、

ミシシッピー川支流ミズーリ川とそのまた支流カンザス川の合流点カンザスシティーには、

多くの wagon trail(幌馬車道)も集まっており、Oregon Trail のメインルートとされる現 Interstate 80(Old Lincoln Highway)ルートは更にミズーリ川←プラット川←サウスプラット川←ロッジポール川と遡りシャイアンに至るルートで、

後年の First Transcontinental Railroad に繋がるルートでもありまし

第2目 シャイアン以西はミドルクロー川に沿って...

シャイアンからは、ミドルクロー川沿いに遡り、有名な Abraham Lincoln Memorial Monument があるS herman Summit(シャーマン峠)を抜けけて、TVドラマララミーー牧場で有名な Laramie に至り、今度はララミー川沿いのコースから離れて、渓流沿いに下りWalcott(ウェルコット)でノースプラット川沿いの別ルートと合流して、山道を西に向かったのでしょう。

第3項 現行の UP railroad

通説では、現在の Interstate 80(Old Lincoln Highway)が最も利用された風に記述されていますが、このルートは途中険しい山岳部があり、トンネルを掘って通すような現在の路ではなく、当初は自然にできた川沿いの平地を利用したTrail(轍)だったので、80号沿いと言うよりも、「現行の UP (※★)の経路に沿う」と言うよりズバリ現線路上にあったと考えられます。

参※★)当サイト関連記事 "アメリカの一級鉄道"とクラス分け... はこちら。

第1目 James Town 以西はグリーン川沿いに

James Town 以西にはグリーン川沿いに Trail が残っており、Fontenelle などの camp site (野営地・宿場町?)も多く残っています。

第2節 カンザス川とその支流を遡る Wagon trail も

更にカンザスシティから、カンザス川とその支流位を遡るルート(現 Interstate 70 ・旧40号)ルートもあり、途中には camp site から発展した?宿場町もたくさん残っています。

更に、後年このルートで 法の適用を受けて Kansas Pacific Railway(現UP)が建設されており、このデンバー経由ルートで、シャイアンをめざす幌馬車隊も相当あったと思われます。

第1項 スネーク川沿いの急流に挑む強者も...

又太平洋にそそぐコロンビア川もコロラド川同様に急流でしたが、支流のスネーク川(ソルトレークに注ぐ川とは別!)上流部は米松の森林地帯でもあり、現在American Falls Damの人造湖(ダム湖)となっているPocatelloでワゴンを売り払い、材木を購入して筏を組み、スネーク川を下る強者の Pioneer(開拓者)もいたそうです。

途中には激流もありましたが、熟練のガイドが案内したのでしょう。

更にコロンビア川本流河口部に近いポートランドでは、開拓民による旺盛な木材需要があったので、成功すれば旅費の節約にもなったのでしょう!

第3節 ケアミーを通過する Wagon trail が最も...

更に、Green River で、ソルトレイクを目指すルートと分けれて、グリーンリバーを遡りKemmerer(ケミアー)から西に進路を取り分水嶺を超える現30号ルートは、

その後 The Pacific Railroad Act of 1862 に下ずき(Kansas Pacific Railway)現UPが敷設されて、更に40号が整備され、現在の インターステート80号建設に繋がっています!

ケアミーは休息をとる camping site(野営地)であり、木材集積地でもありました!

勿論専門のツアーガイドは必要でしたが、こうしてケアミーで、幌馬車を売却して、材木を購入し、筏を組んで川下りに挑戦する人たちも多かったわけです!

参※★)Oregon Trailはツアーガイド?によりいろんなルートがありましたが、このルートだけではありませんが、「現在ではこのルートがメインルートだったろう」とっされています。

続きはこちら

※ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

※ここをクリックすると"要約"付き Category Top menu table に戻れます!

 

公開:2021年9月23日
更新:2025年9月12日

投稿者:デジタヌ

河川とワゴン・トレイルの関係《 北米の水路と往還 第4回 》TOPルイジアナ買収!以降《 北米の水路と往還 第6回 》


 

 



▲交通発達史へ戻る

 

ページ先頭に戻る