狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

1803年フランス領ルイジアナ買収以降の西武開拓に大きな働きをしたミシシッピー川と支流《 北米の水路と往還 第2回 》

第2回 1803年フランス領ルイジアナ買収以降の District of Louisiana 開拓に大きな働きをしたミシシッピー川の沢山の支流

USA政府のterritoryとなった District of Louisiana の大草原開拓では、ミシシッピー川の支流が大きな働きをしました。

★第1項  ミシシッピー川支流のミズーリ川水系

交通の要衝セントルイスでミシシッピー川と分岐(合流)した支流のミズーリ川水系は、アメリカにしては珍しく、東西に流れる大河川で、セントルイス以南のミシシッピー川ほどの水量はありませんが、

ロッキー山系・シェラネバダ山系から集められた雪解け水は、小舟で上流(西部)に向かう pioneeres の調査・冒険には適した流れでした。

更にミズーリ川をさかのぼるとイエローストーン川と

ブフォード(Buford) で、有名な Yellowstone River と分岐(合流)しています。

イエローストーン川をさらに奥に遡ると、ロッキー山脈から流れ出した多くの河川を集めたて出来た"自然湖 Yellowstone Lake "に辿り付くわけです、

支流カンザス川は

さらにミズーリ川は西部(大平原)開拓の前哨基地カンザスシティーで、分岐して支流カンザス川と合流します。

支流カンザス川をさかのぼると

支流カンザス川をさかのぼると、Manhhatan という小さな地方都市の先にあるさらに小さな Junction City というそのものずばりの田舎町の手前で、リパブリカン川という支流と分かれて(合流して)スモーキーヒル川という水系になります。

このスモーキーヒル川はそのまま西に向かい、途中、数多くの川と分かれ(合流)しながらデンバーまであと一歩の丘陵地帯スモーキーヒルで行き止まりに(源流)なります。

ミスーリ川支流プラット川

Missouri River は北へ進路をとって、大陸横断鉄道の東の起点となった★Omaha, Nebraska の南方で更に支流★Platte River と分岐します。

North Platteで更に分岐してサウスプラット川に

地図をご覧いただければお分かりのように、ロッキー山系の山麓 Front Range に至る★ South Platte River の西部開拓に果たした役割は計り知れないものがありました。

西部開拓史と言えば、一般的には映画などでお馴染みのtrail(幌馬車道)を旅する Wagon train(幌馬車隊)で Pioneer(開拓者)が奥地に分け入り、次に中核となるfort(砦)が出来て、trailを使った"駅馬車"が走り出し、その次に鉄道が敷かれ、さらに道路網が整備されていったように思われがちですが...

explorer(探検家)が先鞭をつけた西部開拓史

実際には西部劇に登場する以前に、explorer(探検家)たちが、河川を遡って上流部に足を踏み入れ、川沿いに適当な平地を見つけて、そこを拠点に開拓がはじまった!と考えるのが自然でしょう。

第2項 Front Range 開拓の拠点となった Denver

Front Range 開拓の拠点となった Denver までの道のりは、サウスプラット川に沿って開拓されてきたもので、この河川の果たした役割は計り知れないものがあったと推察できます、勿論 trail が出来るまでは、小舟カヌーによる通行だったわけですが...

第1項 急流部分は ditch で迂回して

水量の豊富なミシシッピー河などの大河では急流部分は前途した ditch で逃げる形で、可成りの上流部まで、近距離のローカル水運が盛んにおこなわれていました。

第2項 High Line Canal

Denver 近郊に開削された High Line Canal(East branch High Line Canal)と branch line(支流)は殖産と言うよりは Coal を運ぶライフラインとして開削されたようで、運河に沿って住宅が建設されています。

つまり冬季の厳冬時の、暖房用の石炭の配達路だったのでしょう。

つまり"都市計画"?としてデベロッパーが「宅地開発のキャッチフレーズ」として開削したのでしょう、そして面白いのは、多くの区間で double track 複線 parallel stream だったことです。

"馬船"が双方向でべつべつのディッチを運行していた訳です!

更に町に近づくにつれて、Gulch(峡谷・渓流・)と呼ばれる切通に branch line(支線)を設けて、細やかな配達網を作っています!

つまりトレイルとは、轍のことなので、必ずしも開拓者の幌馬車ルートやその後の駅馬車ルートを示すものでも無く、人工水路 Canal や ditch を航行する小舟(馬船)を引く馬の轍でもあるわけです。

比較的暖かい日本では、想像がつかないでしょうが、「アメリカ中西部の冬季は想像を絶する厳冬」で、六甲おろしならぬロッキー下ろし?の直撃するデンバーでは、石炭暖房は不可欠でした!

つまり East branch High Line Canal との中継ポイントには大規模な Coal Yard(石炭集積場)が設けられていて、積み替えを行っていたようです。

なので、その後インターシティーとして鉄道が敷設される時も"馬喰"たちからの反対も無く、親方(地元有力者)も鉄道建設に出資したのでしょう!

日本で言えば、大和川放水路(※41)開削の際に、平野川(ditch)を整備して、河内木綿、年貢米、などの輸送で一儲けした連中が、初代大阪鉄道の建設に出資したのと同じでしょう!

と言うより、明治初期のほうが、起業家たちは「"海外事情"をよく勉強していた」と言うことになります。

参※41)当サイト関連記事 『人権問題・差別問題 の"水種?"になった"大和川付け替え?"は 必要だったのか?...』 はこちら。

西部開拓初期に開削された山中の運河

西部開拓初期に栄えた運河も見逃せない存在、流れの急な個所にはバイパス路として運河が開削されて、小舟が米俵?を運んでいた。(勿論これは冗談で、暖房用の石炭・などの搬送に使われていた模様で、グランドキャニオンで有名な Colorado River の支流Green River のその又支流の Price River 沿いの Spring Glen (ユタ州)というロッキー山中の田舎町には約10㎞にも及ぶグレン運河が開削されています。

道路の舗装整備と共に、配達業務はトラック輸送に代わり現在は琵琶湖疎水のように用水路として使用されています。

続きはこちら

※ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

※ここをクリックすると"要約"付き Category Top menu table に戻れます!

 

公開:2021年9月23日
更新:2025年9月12日

投稿者:デジタヌ

建国(独立)後は各州間テリトリーの境界として《 北米の水路と往還 第2回 》TOP西部開拓時代に入り大拡充された運河網!《 北米の水路と往還 第3回 》


 

 



▲交通発達史へ戻る

 

ページ先頭に戻る