狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

西部開拓時代に入り大拡充された運河網!《 北米の水路と往還 第3回 》

★第3回 西部開拓時代に入り大きく変化した Canal

第1節 1803年フランス領ルイジアナ買収以前の建国時の水運

★第1項 ポトマック川に沿った立派な Chesapeake & Ohio Canal と、布石となる Patowmack Canal

第1目  Patowmack Canal

Potomac Canalとも呼ばれるこの運河は、Potomac Company が建設して運行していました。

アメリカ独立戦争中の 1785年に建設が開始されて、速立戦争が停戦となった1795年に最初の区間 Little Falls Canal が完成して、Great Falls Canal、Seneca Falls Canal、Shenandoah or Paynes Falls Canal、House Falls Canal、の5つの主要区間が完成して、1802年に全区間が完成して、運行が開始されました。

これらは、急流部分を、Lock(閘門)の無い ditch と Canal でバイパスするものでした。

第2目 Seneca Falls Canal、Great Falls Canal、House Fallsの3区間は ditch?

3区間は高低差がかなりあるにもかかわらず、Lock(閘門)の無い ditch に近いものでした。

第2項 当時の運河は期間運行!?

年間を通じて、運行できる期間が1・2カ月!しかなく、利用期間中も船頭泣かせの急流部分では、難破が多く、惨憺たる結果に終わり Potomac Company が負債を抱えて事業破綻して1828年に運行を取りやめ Chesapeake & Ohio Canal に(運航権)跡を譲りました。

★第2節 1803年フランス領ルイジアナ買収後の西部開拓時代

18世紀に始まったイギリスの産業革命の波はアメリカにも押し寄せ、19世紀には新たな動力蒸気機関が普及始めていました。

当時は既にイギリスで蒸気機関が発明されて外洋航路は蒸気船の時代になっていました。

更に1811年にはアメリカ最初の外輪船(蒸気船)がミシシッピー川・オハイオ川に跨ってに登場して、更に1826年には当時最新鋭の汽車がBaltimore and Ohio Railroad、B&O)によって開業していました!

但し当初は、エアーブレーキが開発されてなく、重量物(貨物)輸送には不向きでもありました。

★第1項 economyを実現したエリー運河!

アメリカで最初の運河は、Erie Canal(エリー運河)で、建設は1817年7月4日に着工して1825年10月26日に開業しました。

ニューヨーク州のハドソン川沿いの町 Albany とエリー湖に面するBuffaloの間を結ぶ全長363マイル(約581 km)の運河で当時世界で2番目の長さを誇っていました。

ニューヨークとバッファローの間の輸送には、それまで1トンあたり100ドルの費用と20日の時間を要していたが、エリー運河とハドソン川を経由することにより1トンあたり5ドルの費用と6日の時間で済むようになりました。

前途したErie Canal(エリー運河)の開削により、ニューヨークとバッファローの間の物流は

それまで当時の金額で、100ドル/日Xと20日だった、つまり$20,000/tonだったのが、1トンあたり$5ドル/日X6日=$30/日と、

トータルで約700分の1までコストダウンになった訳です!

その後鉄道の発達で...

1831年9月24日アメリカ最初の鉄道の一つ Albany and Schenectady Railroad(後のニューヨークセントラル鉄道)が Albany と Schenectady 間を開業、エリー運河のこの間のpassenger traffic(旅客輸送)を奪って!しまいました。

しかし、当初は連動ブレーキも無く!とても石炭など(重量物)の cargo transportation(貨物輸送)を担えるような代物ではなく、passenger traffic(旅客輸送)が精一杯でした。

しかし、その後、鉄道技術は急速に発展して19世紀半ばには連動エアーブレーキ(蒸気ブレーキ)が開発されて、出力も向上(大型化)して、重量物運搬にも使用できるようになり、Erie Canal 沿いに延伸されていくにつれ、長距離貨物輸送の需要も無くなりました。

第2項 Pennsylvania Canal

Pennsylvania Canal system は鉄道 Allegheny Portage Railroad,Columbia-Philadelphia Railroad などの鉄道と Illinois and Michigan Canal などの数多くの Canal を結んだ複合システムとして、エリー湖とデラウェア川沿いにある Philadelphia,Bristol,Easton などを結ぶペンシルバニア州の複合 transfer system として1826年に建設が開始されて、1840年に全面開業してそれまで馬車で23日!かかっていたフィラデルフィアとピッツバーグ間が路程約644㎞4日!と大幅に短縮されました!

しかし1852年12月、にフィラデルフィアとピッツバーグの間で汽車が運行を開始して、所要時間が4日から13時間!に短縮されたことにより、Pennsylvania Canal systemは廃止されました。

ちょうどこの時期に、エアーブレーキ(蒸気ブレーキ)が発明されて、鉄道でも大量貨物輸送が可能となり Canal system 事態が必要なくなったのです!

ルート中の Allegheny Portage Railroad は Cresson と Hollidaysburg の間にある Allegheny Mountain Range (アレゲニー山脈)を Cable railway(日本語インクライン)で結び当時の米国7不思議に数えられた有名なシステムです。

第3項 Chesapeake and Ohio Canal

B&O(Baltimore and Ohio Railroad)との間で起こった、"利権"をめぐる法廷闘争で名を馳せたChesapeake & Ohio Canalは、
ワシントンDCとCumberlandを結ぶ全長184.5マイル(296.9 km)の74か所Lockを備えて標高差184mを走破する運河です。

アレゲーニー山脈からの石炭を輸送する目的で、既に鉄道が普及し始めていた1828年に着工されて、1830年には1850年に最後の区間約80㎞が延伸されて完成しました。

前項のPatowmack Canalの経路を一部利用しましたが、長さ24.5m全幅4.42、の蒸気船の航行に対応した立派な運河となりましたが...

元々は首都ワシントンDCと発展著しかったピッツバーグを結ぶ壮大なtransfer line(輸送路)として計画され、前途した同時期に建設されたPennsylvania Canalに接続する計画で、トンネルの一部も着工されていました。

しかし既に鉄道の時代に入っており、ウェストバージニア州側にあるリトルフォールズ運河の敷地を買い取ったB&Oが、1842年にすでにカンバーランドに到達しており、カンバーランド以遠の延伸は実現しませんでした。

※教訓1)この事実を、日本の整備新幹線建設推進派も肝に銘じるべきではないでしょうか?

つまり、一部先行着工していても、時代にそぐわない不要不急インフラは必要ない!と言うことです。

第4項 Illinois and Michigan Canal

1836年に着工して1848年竣工に竣工しました。

完成後の1853年にイリノイ川沿いにシカゴ、ロックアイランド、パシフィック鉄道が開通して、以後はpassenger traffic(旅客輸送)停止して、cargo transportation(貨物輸送)のみの営業となりました!

運河は最終的に幅60フィート(18 m)、深さ6フィート(1.8 m)になり、運河に沿ってはしけを曳航するためにラバを利用できるように、各端に沿って曳舟道が建設されました。ラバがはしけを運ぶことができる長さに対応する間隔で間隔をあけられた運河の経路に沿って町が計画されました。ミシガン湖とイリノイ川の間の140フィート(43 m)の高さの違いをカバーするために、17の水門と4つの水路がありました。...1882年に最盛期を迎え、1933年まで使用され続けました...《Wikipediaより引用》

もう一つの移民ルート "セントローレンス運河"

大西洋とシカゴ(5大湖)を結ぶ現在のセントローレンス運河が開通したのは20世紀後半の1959年になってからのことですが、19世紀の1862年頃にはセントローレンス河にもたくさんの運河が開削されて全長約57 mX全幅約13.6 mX喫水約2.7 m船を通すことが出来るようになっていました。

つまり、シカゴも、ヨーロッパ移民の玄関口になっていたわけです!

そして南北戦争後、リンカーン大統領が国の復興を掛て1862年に制定されたPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)を制定して、1869年5月10日にPromontory Summitで"国策企業ユニオン・パシフィック鉄道と線トラスパシフィック鉄道が握手をして、Omahaとゴールドラッシュの拠点Sacramento間が繋がり大陸横断鉄道による、西部開拓の新たな時代が始まったわけです。

カリフォルニア州側でもWestern Pacific Railroad(Central Pacific Railroadに吸収)が開業する以前から、太平洋側の海の玄関口Oakland(San Francisico)とSacramento間は大河サクラメント川を航行する、外輪船で結ばれていました。

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公開:2021年9月23日
更新:2025年9月12日

投稿者:デジタヌ

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