《 "省線"電化とインターアーバン 第3回 》
★第3回 日本の Interuruban は米国の♥電力会社直営を見倣った
★Video.1
第0項 ♥Interurban 発祥の"米国"では
米国では、(自動車目メーカーの圧力!により独占禁止法が強化・改悪される迄)
♥Interurban 黎明期にはシカゴ都市圏で大成功!した North Shore Electric Railroad を筆頭に 、各地で発電会社が"♥自前の電力"を用いて、Metropolis 近郊の♥直営 Interurban 事業を行っていました。
第1項 日本でも
明治期から始まった文明開化の象徴である電灯事業(電力会社)も、当初は供給過多!で、各電灯会社が、電気軌道事業や、Interurban (郊外電車)を直営したり、子会社として設立するのが一種のブームとなっていました。
第1目 日本初の電車鉄道!京都電気鉄道
- ♥1894年(明治27年) 2月1日♥民営! 京都電気鉄道㈱ 設立
- ♥1895年2月1日 東洞院塩小路下ル(京都駅近く)⇔伏見下油掛(京橋)間約6.4km開業!同時に水力発電事業を開始!
- ♥1899年5月18日 東九条"火力発電所"を開設、電灯(売電)事業も開始。
- ●1902年6月17日 京都市議会「電気鉄道事業、並びに"電灯事業"を♥京都市営事業化」が可決!
- ●1911年8月13日 ♥京都市営電気鉄道着工。
- ●1912年5月10日 北野線 (京都電気鉄道)下ノ森⇔ 北野間延伸開業で、北野線全線開業。
- ●1918年(大正7年)7月1日 軌道21.1km、車両136両を含む"電灯事業"を市に譲渡!京都電気鉄道㈱解散!
つまり、各自治体の市電事業も、(発電・配電)電灯事業を行い、自給自足!電気代"0"!で、運営されていたのですが...
後述する、戦前の政治圧力(電力管理法)で電灯事業(発電)と鉄道事業が分離されて、自家発電!が出来無くなり増した。
第2目 敗戦後は自家発電を行う鉱山会社の電鉄運営も復活したが...
他にも、廃業!した!くりはら田園鉄道も旧・栗原電鉄の親会社だった三菱マテリアル(細倉鉱山)が戦後自家発電を行っていた!ので(1950年9月21日→1995年3月29日)されたのです...
細倉鉱山が廃鉱と成ったので、3セク化される際に、非電化路線!に退化!してしまったのです。
第2項 各地の電灯会社♥直営_Interuruban 事業の変遷
第1目 北陸の♥Interurban 事業も
2-1-1 戦前の富山県電気局と富山県営鉄道
★Map1
- ●1920年2月16日 富山県議会が常願寺川水系の水力発電事業計画を承認!
- ♥同年5月4日 立山電気鉄道を設立、軌道敷設申請
- ♥1920年6月18日 電気局を開設。
- ●1921年3月9日 富山県営鉄道に改称(1943年1月1日まで富山県電気局に所属)
- ♥同年4月25日 富山県営鉄道(南富山⇔上滝駅間)汽車列車で開業。
- ♥1924年4月1日 発電事業を開始
- ♥1927年5月19日 南富山⇔千垣駅を全線直流600V電化!。
- ♥1937年6月20日 北陸初の♥直流1500V電化!完成
- ●1942年4月1日 発電所7カ所が国策会社日本発送電に接収!されて、発電事業から撤退。
- ●1943年1月1日 戦時統合!により、富山地方鉄道と成り、鉄道事業も終了!
- 敗戦後♥1948年4月28日 電力供給切迫!に応えて、県営発電事業再開を決議!
- ♥1955年6月12日 "県営"大長谷第一発電所で発電事業に復帰!
- ●1957年 富山県電気局を再設置!(1970年10月10日富山県企業局に改称)
現在の地鉄の始祖の一つと成った、富山県営鉄道(1921年3月9日に改称)は、元々常願寺川の電源開発が目的で、1920年5月4日に立山電気鉄道として設立され、1924年4月1日に富山県電気局が発電事業を開始!したことにより、1927年5月19日には当時の営業区間(南富山⇔千垣駅)を全線直流600V電化しました。
さらに1937年6月20日には、♥自前の電気で北陸初の♥直流1500V電化を成し遂げ、同年10月1日には粟巣野駅(あわすのえき)迄延伸開業!を果たしたのです。
1942年には、政府の圧力!(電力管理法)で、国策企業の日本発送電に、7ケ所全ての発電所を接収!されて、発電事業から手を引かされた!のですが、1943年1月1日の戦時統合で富山地方鉄道と成るまで、富山県営鉄道として存在!していたのです。
2-1-2 石川県でも
- ●1916年10月29日 金沢電気軌道株式会社設立
- ♥1941年8月1日 北陸合同電気(現北陸電力)の鉄道部門と成る
- ※1942年3月26日 戦時統合で北陸鉄道に統合鉄道部門廃止!
同じく、戦時統合で生まれた、北陸鉄道のInteruruban 網でしたが...
始祖の一つ、金沢電気軌道は一時現♥北陸電力の一部門として♥電気代"0"で営業していました。
2-1-3 福井・京都に跨った京福電鉄
京都と福井を結ぶ遠大なVision(夢想!)で開業した京福電鉄ですが...
元は、京都電灯(現・関西電力の始祖の一つ)が嵐電(嵐山線・叡山線)を♥直営し、子会社として鞍馬電気軌道・三国芦原電鉄を運営していたのが始まりです。
1-2-2-1 福井県でも
現在・えちぜん鉄道と成り commuter 路線として、地域住民に支持されている、旧京福電鉄も元は京都電灯の子会社の三国芦原電鉄(1924年11月10日設立)として、"♥格安電気代"でなりたっていたのです。
第2目 近畿では
日本の Interurban の草分けと成った近畿では、現在の大手6社(近鉄・京阪・南海・阪急・阪神・山陽) すべてが、発電事業と電灯事業(一般向け売電)を♥兼業!していました。
つまり、実質・電気代は"0"タダ!で営業していました。
なので、現在とは逆!に、省線(国営鉄道)に対して、"有利な運賃設定!"が行えたのです。
2-2-1 1942年戦時下の電力統制で
※1942年4月1日 電力統制(電力管理法)により、関西民鉄大手6社を含む、大阪市電・京都市電・神戸市電の各発電・売電事業(電灯事業)が、国策会社!関西配電(株)(現関西電力)に接収!されて自家発電(無料電力!)を失いました!。
※以下準不動
2-2-2 大阪電気軌道
♥1913年8月 放出火力発電所(1929年廃止)操業開始!一般向け売電(電灯事業)開始
♥1914年 4月30日:大阪電気軌道(現近鉄奈良線)上本町駅 ⇔ 奈良駅)間開業!
一般向け売電(電灯事業)収入は1940年上期(半年分)には178万円で、全社収入1190万円の15%に達していました。
前途した通り、1942年に自家発電は終了しました。
2-2-2-2 電灯事業拡大"路線""を辿った阪急!
- ♥1910年3月10日開業 箕面有馬電気軌道(現阪急)自社・三国発電所で開業、同時に一般売電(電灯事業)開始
- ♥1912年有馬電気 買収
- ♥1921年稲川水力発電㈱買収
- ♥1922年4月 今津発電所を西宮市に建設(同年8月今津発電㈱に分社化)
- ※1932年国策怪さ日本発送電㈱に今津発電㈱を譲渡
2-2-3 阪神電車
- ♥1905年4月 御影(第1発電所)、尼崎(第2発電所)の♥2カ所の火力発電所を建設・稼働!
- ●1905年4月12日三宮⇔出入り橋間で阪神電鉄本線開業
- ♥1908年10月5日 一般向け売電(電灯事業)開始
- ♥1921年6月 尼崎(東浜)新発電所第一期完成稼働開始、
- ♥1922年5月 尼崎市新発電所 第2期工事完成稼働開始
大正中期には♥阪神電車に占める売電事業収入は♥40%!に達していいました、
なので1924年(♥大正13年!)8月1日に東洋一の♥甲子園球場を完成出来たのです。
2-2-3-1 系列阪神デパートで色物家電の販売促進!
1920年から不況に突入し工業用の大口電力収入が"半減!"したために...
系列の阪神百貨店で色物家電!?(※21)の割賦販売!を手掛け、一般家庭向け電力需要拡大を倣ったりもしました。
参※21)色物家電!?といっても、当時は(上水道が完備して無かった(時代!)で、家庭用電動ポンプ!・電気ストーブ!・電熱器!ぐらいしか無く、一般庶民(低所得者層)にとってはまだまだ""高根の花"の家電製品!ばかりで、そう簡単には販売も伸びず!、さらに購買層と成った芦屋の高所得者街では、配電設備(送電線・柱上トランス・宅内外の配線更新)等思わぬ経費も掛かって...
結局は取らぬ狸の皮算用で...
2-2-3-2 電力管理法で
(1938年制定)電力管理法施行により。1939年4月1日に国策会社日本発送電㈱に、東浜発電所を"現物出資!"し、電車運行用電力は購入する羽目!に、さらに1942年4月1日には国策会社!「関西配電株式会社」の設立で、配電(電灯線)事業も廃業に追い込まれた!のです。
2-2-2 京阪電気鉄道
♥1910年4月15日に開業した京阪電鉄は同時に"♥毛馬発電所"で自家発電して、翌1911年から一般向け売電(電灯事業)を開始しました。
1919年には淀川右岸の安威川水力電気を買収。
また同年木曽川と矢作川の水力開発を行っていた木曾電気興業㈱と、共同出資で大阪送電株式会社を設立。
その後1921年に北陸の日本水力株式会社と、大阪送電㈱、木曽電気興業を合併して、大同電力に統合、一大電灯事業者となり増した。
更に、1922年に"電気鉄道事業"を持つ和歌山水力電気と合併!1926年には日高川水力電気も合併し子会社の阪和電気鉄道(現JR阪和線)の開業(1929年7月18日)に備えました。
1930年 和歌山地区の売電事業を三重合同電気に売却!して、自社の子会社だった新京阪鉄道を吸収合併しました。
1940年12月1日 阪和電気鉄道を南海鉄道に売却!して和歌山県から完全撤退!しました。
2-2-3 南海鉄道
●1885年12月29日 阪堺難波⇔大和川間を軌間838mm!の狭軌による汽車列車!運行による阪堺鉄道として開業
♥1897年12月15日:阪堺鉄道 難波駅 ⇔堺駅間軌間1067mmに♥改軌
●1898年1月30日 高野鉄道として高野線・大小路駅(現堺東駅)⇔ 狭山駅間開業。
●1898年 南海鉄道が阪堺鉄道を吸収合併
●1900年 9月20日 ♥大阪馬車鉄道(現阪堺電気軌道)天王寺村字長者ヶ崎(現天王寺駅前付近)⇔八弘社(現阿倍野)⇔ 阿倍野(現東天下茶屋)間を馬車鉄道!で♥開業。
♥1907年8月21日 本線・難波⇔浜寺間をDC600V♥電化
南海鉄道(現南海電鉄)は、住之江に火力発電所を建設して、1907年8月21日に難波⇔浜寺公園間のDC600V♥電化を実現しました。
●1909年12月24日 ♥浪速電車軌道(旧大阪馬車鉄道)(天王寺西門前⇔下住吉間)を吸収合併
♥1910年10月1日 南海鉄道上町線(軌道線)天王寺⇔住吉大社前 DC600v電化♥改軌複線化開業
♥1911年 12月1日 阪堺電気軌道・恵美須町⇔ 市之町(現在の大小路)間開業。同時に♥堺発電所稼働開始
♥1912年 10月10日:大阪高野鉄道(旧高野鉄道)汐見橋駅 ⇔長野駅(現河内長野駅)間をDC600V♥電化
♥1914年 2月14日 初代・阪堺電気軌道㈱が♥一般向け売電(電灯事業)を開始。
●1922年(大正11年)9月6日 南海鉄道が大阪高野鉄道を吸収合併。南海高野線誕生
※1944年6月1日 戦時統合( 陸上交通事業調整法)により南海鉄道全線・阪堺鉄道・阪南電気鉄道(平野線)が近畿日本鉄道に統合される。
2-2-3-1 敗戦後
- ♥1947年 3月15日 高野山電気鉄道株式会社が商号を南海電気鉄道㈱に変更。
- ●同年 6月1日 、近畿日本鉄道から、旧南海鉄道全線と、上町線・阪堺線・平野線。大浜支線(廃線)、和歌山軌道線が南海電鉄として経営分離!
2-2-3 山陽電鉄の場合は
※宇治川電気(現関電)が1927年 1月1日に買収した兵庫電気軌道、そして同年4月1日に吸収合併した 宇治川電気(株)が兵庫電気軌道を合併。 更に4月1日に同じく吸収合併した神戸姫路電気鉄道が始祖となった、山陽電車(※10)も操業当初は電気代タダ!で営業していました。
参※10)当サイト関連記事 山陽電車はグループ♥17社を抱える♥東証1部上場の立派な♥独立した地場企業! はこちら。
2-2-3-2 但し昭和恐慌の影響で
1930年(昭和5年)から1931年にかけて昭和恐慌!が日本経済を危機的な状況に陥れました!
そこで官営鉄道と、(1919年8月15日施行)地方鉄道法で生まれた非電力会社系"民営鉄道"を"守る!ために...
2-2-3-3 電力会社を恫喝!した
経営難に陥っていた電力会社?に対して、『鉄道事業を分離!し、電力供給に専念して、経営を立て直せ!』と言う、"行政指導!(電力管理法)が発令されたのです。
なので、実質電気代"0"で運営していた♥電力会社系電鉄は、本家アメリカの Interuruban 同様に"経営難"に"晒される!結果と成ったのです。
第3目 東海では
- ●1900年5月開業の小田原電気鉄道(箱根登山鉄道)が水力発電による電灯事業(一般売電)開始
1-3-1 伊豆箱根鉄道・軌道線
今は亡き!伊豆箱根鉄道・軌道線も元々は、1896年(明治29年!)5月に設立された♥県内初の電力会社♥駿豆電気㈱の♥直営事業として、1905年11月に軌道建設に着手し、1906年10月には「駿豆電気鉄道㈱」に改称して、伊豆鉄道(現駿豆線)を買収!して、本格的に鉄道事業に進出したのです。
そして1916年10月に、(1907年11月設立の)富士水力電気㈱に吸収合併されて、♥直営の鉄道部!と成ったのです。
しかし、翌年11月に富士水力電気㈱が増益を目指し経営分離!して、駿豆鉄道(現伊豆箱根鉄道)に統合されたのです。
1-3-2 ♥揖斐川電気が吸収合併した初代・養老鉄道
- ♥1913年7月31日 初代・養老鉄道が大垣⇔大垣間間を軽便鉄道として開業。
- ●1919年4月27日、揖斐線延伸開業♥全線開業
- ♥1922年6月13日♥揖斐川電気が吸収合併し同社♥鉄道部と成る。
- ♥1923年5月13日 全線♥1500V電化完成電車運転開始。
第4目 その他
- ♥1906年12月5日 開業 岩村電気軌道(名鉄岩村線)1907年11月売電(電灯事業)開始。矢作水力㈱→中部合同電気→中部配電を経て、敗戦後1951年5月1日中部電力に統合※この間1935年1月30日軌道事業を廃業!
2-4-1 関東では
- ●京浜電気鉄道(現京急)
2-4-2 北海道の♥ Interurban !
嘗て北海道にも民鉄 Interurban が存在していました!
2-4-2-1 定山渓鉄道
北海道の電車線の始まりは、発電事業も行ていた王子製紙が、(1918年10月17日開業)定山渓鉄道に自社電力の売り込み!を図り、1929年10月25日に東札幌駅⇔定山渓駅 (27.2km) が直流1,500 V電化がされたのが始まりです。
2-4-2-1 現千歳線
さらに王子製紙の重役であった足立氏が、社長を兼任した2代目北海道鉄道㈱(現千歳線)が1918年12月17日に北海道鉱業鉄道として設立され、1931年7月29日に東札幌⇔苗穂間を♥1500v電化したのが2例目で、これにより前途した定山渓鉄道が♥Trackage rights (運行権!)契約による札幌駅"乗り入れ"を実現しました。
参※★)当サイト関連記事 トラッケージライツ 契約による"乗り入れ!"運行とは...《 "直通"と"乗り入れ"の違い 第4回 》 はこちら。
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公開:2021年10月14日
更新:2025年8月 8日
投稿者:デジタヌ
旧 国鉄 時代の 省線 電化 の流れと日本定番 直流1500v電化 方式の流れについて...《 "省線"電化とインターアーバン 第2回 》< TOP >阪神電車と"なにわの先駆者"たち《 "省線"電化とインターアーバン 第4回 》
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