狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 日本の LRT ・Interurban (都市近郊路線)が辿った Road (鉄路) 』ー第4回ー

第4回 近畿のインターアーバンの歴史 

冒頭で述べたように、日本の路面電車は1890年8月25日公布の 軌道条例で始められた馬車軌道が起源になるわけです、なので当初は走行速度8mile/h!(12.9km/h)とママチャリ暴走族?並みに抑えられていたわけです。

なので前出の京都電気鉄道も1924年1月 1日施行の軌道法で25mile/h!(40km/h)に緩和?されるまでは、ノンビリ走っていたわけです。

第1項 いち早く Interurban に目を付けた阪神電車  

阪神電車は、軌道法施行(1924年1月 1日)以前の軌道条例1890年8月25日公布)時代の1905年!いち早くinterurban (都市近郊線)に目を付けて、三宮駅⇔出入橋駅(大阪)間に直流600v電化によるinterurban (都市近郊線)を敷設して『待たずに乗れる 阪神電車』 (※21)のキャッチフレーズで、当時汽車運行で、日に数往復だった阪神間の旅客を搔っ攫いました。

軌道条例(1890年8月25日公布)で敷設された、専用軌道上を、チンチン電車がスピード違反(※22)の猛スピードで駆け抜けて省線から、阪神間の旅客需要を勝ち取りました。

タダシ、その後"専用軌道"とは別に「通常の鉄道路線にあたる新設軌道なる"抜け道"」が設定されて、25mile/h!規制が除外され、1919年8月15日の地方鉄道法施行以後も、軌道条例遵守で1924年1月 1日の軌道法施行後は前途した新設軌道を建設して、正々堂々と?国鉄に戦いを挑んでいたわけです。

参※21)当サイト関連記事 "待たずに乗れる 阪神電車 の再来には巨額投資が... はこちら。

以下に示す(南海・近鉄南大阪線以外の)在阪の私鉄各社も、全て長年軌道条例(軌道法)のお世話になってきたわけです。(阪急ではいまだに一部軌道特許を保有しています。更に OsakaMetro はほぼ全線新設軌道により建設されています、つまり鉄道事業法下ずく鉄道事業者ではなく!軌道法下ずく軌道会社なのです!

  • 1905年阪神電気鉄道  三宮駅⇔出入橋駅(大阪)直流600v電化で開業。※1967年11月に1500Vへ昇圧
  • ●1910年 京阪電気鉄道 天満橋 ⇔五条間を直流600v電化で開業。※1983年12月4日:京阪本線・宇治線・交野線の架線電圧1500Vに昇圧。京阪の昇圧が遅れたのは、当時直流600vの京都市電と平面交差する地点が多く存在して、1978年10月1日 の京都市電全廃まで、計画が立てられなかったのが原因とされてきます。
  • ●1910年  箕面有馬電気軌道(現阪急) 梅田 ⇔宝塚間、箕面線石橋⇔ 箕面間を直流600v電化で開業。※1969年8月24日 1500 Vに昇圧されましたが、その前前年1967年10月8日に一足早く 神戸線が1500 Vに昇圧されています。
  • 1911年11月21日 南海鐡道(地方鉄道) 南海本線 全線直流600v電化完成!※1973年10月1500 V昇圧。

第2項 複雑な経緯をたどった近鉄

  • ●1914年(大正3年)大阪電気軌道(現近鉄奈良線)上本町駅 ⇔奈良駅(高天町の仮駅)間が直流600v電化で開業。
  • ●1921年4月に大阪電気軌道畝傍線として(大和西大寺⇔ 現近鉄郡山駅)部分開業。1923年3月21日:平端駅 ⇔ 橿原神宮前駅(現在の駅とは別)間を延伸開業して全線開業。
  • ●1922年4月1日 天理軽便鉄道(1915年開業)を買収して平端駅⇔天理駅間を標準軌に改軌・電化して畝傍線と直通運行を開始した。
  • ●1922年5月16日 信貴生駒電気鉄道(現生駒線) 王寺駅⇔山下駅(現在の信貴山下駅)間で部分開業
  • ●1923年4月 2代目大阪鉄道(現近鉄南大阪線地方鉄道)大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋) ⇔道明寺駅間を国内初の直流1500v電化で開業。

  • ●1924年10月:大阪電気軌道 国分線(現大阪線) 足代駅(現布施) ⇔八尾駅(現近鉄八尾駅)間を直流600vで開業
  • ●1927年7月に当時の八木線布施駅 ⇔八木駅間が全通した大阪線も600vで開業しています。
  • ●1928年11月奈良電気鉄道(現京都線)部分開業。

2代目大阪鉄道(現南大阪線)が1929年3月29日:古市駅⇔久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)間を延伸開業して大軌・吉野線と直通運転を行うようになりましたが...

年年1月に大阪線が直流1500vに昇圧されるまでは、(現八木短絡線を経由して)上本町⇔大和八木⇔橿原神宮間に定期便の直通電車が走っていて、こちらのほうが大阪市内⇔橿原神宮間のメインルートとなっていました!

つまり近鉄黎明期には、南大阪線(2代目大阪鉄道)と橿原線(大阪電気軌道)が競合していた!わけです。

  • ●紫ライン 1500V昇圧区間
  • ♥ピンクライン渡り線
  • ●1929年(昭和4年)1月:大阪電気軌道桜井線大軌八木駅(現在の大和八木駅) ⇔桜井駅間開業に合わせて、布施駅 ⇔大軌八木駅間を直流1500Vに昇圧

1929年1月以降は、八木駅での乗り換えが必要となり、2代目大阪鉄道を資金援助(買収する)予定だったので、乗客の奪い合いはありませんでしたが...

但し、戦前は国家神道だったので、ことあるごとに旧八木駅(八木西口駅⇔真菅間)の旧本線(短絡線)を用いて臨時急行も運行されていましたが、通期の直通運行は廃止されていました。

1929年から戦後の1956年!まで、大阪線の1500V電車が布施⇔上本町間を徐行運転!(※23)で直通していました!八木西口⇔旧・橿原神宮前間についても同様のやり方で終戦まで臨時急行が乗り入れていました

参※23)E =I² ・Rなので フルノッチにすると、過電流が流れて、モーターが焼損するためです。

敗戦後

●1948年6月:大和鉄道(1918年開業)の新王寺駅 ⇔田原本駅間(現田原本線)が標準軌に改軌されて電化。

♥1956年12月8日:上本町駅⇔布施駅間複々線化(奈良線600V電化と完全分離」)これにより大阪線は全線1500v区間となる。

1966年12月に正月のお伊勢参りを当て込んで、18m級狭幅の小型複電圧特急車両18200系を用いて当初は2往復/日で運行開始されました!

八木短絡線が開通する前だったので、八木西駅でスイッチバックを行い旧本線・短絡線を用いて八木駅を2度通る形態で直通運行が開始されましたが...

翌年1967年2月20日 に 橿原線新ノ口⇔大阪線大和八木間に(途中にデッドセクションを設けていた!)新・連絡線が完成して、八木西駅でのスイッチバックは必要なくなりました!

(戦後・短絡線が出来るまでは旧本線・八木短絡線も使用されなくなり、橿原線・大阪線特急は八木駅で乗り換え・乗り継ぎとなりました)

♥1969年9月21日標準軌全線が1500Vに昇圧。

参※)当サイト関連記事 近鉄"狂気"路線・吉野線が進む(鉄)路は標準軌への改軌しか!はこちら。

第3項 その後に続いた1500v電化開業の阪和線と、大阪以外の"地方"では

国内2番目は讃岐平野を走る琴電・琴平線が、1926年12月21日 - 栗林公園 ⇔滝宮間が直流1500v電化・標準軌(軌間1435㎜)で部分開業しています!

国内3例目は 1927年(昭和2年)4月16日 に武蔵水電(現西武鉄道)が 村山線の高田馬場(仮)駅 ⇔ 東村山駅間を、国内3例目となる直流1500V!電化で開業して、東村山駅 ⇔川越駅間も同時に直流1500V!電化して、本家中央線に次いで全線電化開通しました。

国電よりも早かった各私鉄の1500V電化!

つまり1928年2月:東北京浜線の田端⇔ 赤羽間、東海道線旧熱海線 小田原駅 ⇔熱海駅間の 直流1,500 V電化(および在来区間昇圧化)より各私鉄の直流1500v電化のほうが早かったわけです、勿論国内電業メーカーの直流1500v電化用の地上設備・車上機器開発を後押しした、国鉄電化事業の功績も大きかったわけですが...

●1929年7月 阪和電気鉄道(現JR阪和線)阪和天王寺⇔和泉府中駅間全線複線直流1500v電化で開業!

 

公開:2021年5月 2日
更新:2024年3月29日

投稿者:デジタヌ

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