狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

" 大和川放水路!普請"が作った浮浪・流民・"農奴!"が「起源となった大阪の"人権問題!"」《 大和川付け替え?第1回 》

プロローグ 美談!?として語られる"大和川付け替え?"...

日本史(教育)は、その時々の ruler(為政者)や highbrow(搾取階級)に都合良いように、体制派の国文学者(国粋主義者!により改竄・捏造!され続けてきました...

江戸時代中期の"大和川付け替え?普請"も付け替えではあり魔線!放水路の増設にすぎませんでした。

参※)当サイト内関連記事 古代・神代の時代?の日本列島には「2つの倭国」勢力圏があった! はこちら。

第1項 "プロレタリアートの勝利"を信条とする"日教組"

今の凶育怪(きょういくかい)の主流は、真っ赤に染まった"日狂祖"を担いでいる人たちですが...

彼らは、北朝鮮やレッドチャイナ同様プロレタリアートの勝利?誇示!したい訳です。

なので、人民の闘争?政府(幕府)を動かした"美談"?として、大和川改修を美化!したいわけです。

第2項 他方"体制側"も...

いつの世もRuler(支配者・為政者)とbureaucrat官僚)共は、

『国家としての大局的な立場に立って統治!してきた???』ことにしたい!のです...

つまり、『左右両派ともに真実を明かそうとはし無い!のです。

更に現在の入試制度、センター試験に絡んでいる体制派の国粋主義国文学者!達も、現代・近代史については年表・設問にとどめて、高校入試(義務教育検定?)に至っては、故郷創生・地域のIdentity 育成に大事な、"地方の歴史"には触れ無い! "きれいごと" としてお茶を濁している!のです。

その結果、文科省の検定教科書からは先住民・縄文人・蝦夷民族征服!の歴史(※01)や渡良瀬遊水地闘争の史実、北海道開拓・開墾地の minority アイヌ民族征服!、大和川放水路!開削などの、史実が削除・改竄!されて、美談!?として記述!されてしまうのです...

参※01)当サイト関連記事 東北での"原住民・縄文人 えみし 民族"と"渡来系混血・弥生人 大和民族 "との攻防の歴史... はこちら。

第3項 " 大和川放水路!普請"が作った浮浪・流民・"農奴!"が「起源となった大阪の"人権問題!"

日本全国の人権問題の基幹にあるのは、江戸時代の"大儀明文・士農工商"にあり、そこから落ちこぼれた?人たちが"差別"と"迫害"を受け続けてきたわけです!

3-1 士農工商は国学者が考え出したものとされていますが...

江戸時代の"大義名分"である士農工商は国学者が考え出したものとされていますが、

ヒンドゥー教徒のカースト制度、や古代ローマ帝国の時代からある奴隷制度を、儒教思想(中国の古典)(※02)を学び日本風にアレンジしたものでしょう。

そして、大坂においては、江戸幕府が行った"入り組み支配"と"大和川付け替え普請"の結果起こった、"農業従事者"(農民)の貧富の格差"が、小作以下の"戸籍(檀家籍)も持たない・浮浪(※03)・流民・"農奴"を生んで、今に至る人権問題が生じたのでしょう!

地図をご覧になれば一目瞭然ですが、人権活動の根にある"地域格差"貧困地域は、江戸幕府が行った"入り組み支配"と"大和川付け替え普請による旧河川敷きの、新田開発"が根源!となっています。

参※02)当サイト内関連記事 両班(ヤンパン)3悪に翻弄され続ける韓国(国民)と日韓関係 はこちら。

参※03)浮浪者の語源ともなった浮浪(ふろう)とは奈良時代の大宝律令(701年制定)により制定された戸籍制度(後の近世における寺檀家籍)において、一般的には流民(るみん)と呼ばれている「戸籍を持たない民(たみ)」を指す律令(法律)用語です。

...古代律令制において、民衆などが戸籍・計帳に登録されている本貫から離脱した状態にあること。浮宕(ふとう)・流宕(るとう)とも呼ばれ、逃亡と併せて浮逃(ふとう)とも称された。また、浮浪状態にある者は浮浪人(ふろうにん)と称され、略して浪人とも称された。また、これに対して本貫に在住する者を土人と呼んだ。

...通説的な解釈では、「課役」を放棄して居住地・任務地を離れた者や所定の場所を離れた奴婢・囚人を逃亡、それ以外の者を浮浪と称したとされている...初期の戸籍においては、上記の定義以外にも未だに戸籍に編附されていない人についても「浮浪」と称していた。(呼ばれていた!)《日本語ウィキペディアより引用

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3-2 大和川放水路開削普請は新田開発が目的!

更に江戸時代を通じて行われた、淀川水系(神崎川・古川・寝屋川)と大和川水系(長瀬川・恩智川)の新田開発は、

江戸中期1704年の「大和川付替え普請(新放水路開削!事業)」で田畑を没収!された結果生まれた、多数の浮浪流民・を労働力(農奴!)として利用した事業だったのです。

旧大阪3郷の町衆・豪商(※03)たちが、嘗ての大和川・淀川の旧川床を大量の浮浪・流民・農奴!を使って"新田開発"を行い、合わせて新しい"小作人・農奴"の貧困集落(被差別部落)をつくったわけです。

東淀川区、摂津市、守口市、門真市、大東市、東大阪市、八尾市などの"被差別 zone"はものの見事に旧淀川水系・旧大和川水系の旧河川敷(新田)と合致しています!

参※03)当サイト内関連記事 大阪市 が拘り続けてきた"既得権益構造"『市営モンロー主義』とは? はこちら。

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目次

  • 第1回 (序章) 風水を無視した大和川放水路!開削事業は流域集落を疲弊させた!
  • §-1 "大和川付替え" は なにわ商人と 江戸幕府 が、結託して行った財政改革の為の「新田開発を目的とした普請」だった
  • §-2  美談!?として語られる"大和川付け替え?"...
  • §-3 " 大和川放水路・普請"が作った浮浪・流民・"農奴"が起源となった大阪の人権問題!
  • 第2回 断り書き
  • 第3回(第1節)もともと大阪平野は河内湖が大部分を占める「低湿地帯」だった!
  • §-1 奈良時代以前の古代・天平の頃の河内は...
  • §-2 聖徳太子?の頃には、旧大和川(長瀬川)以南!から河内湖は無くなっていた?
  • §-3 摂津国の始まり
  • 第4回(第2節)豊臣秀吉の頃も旧河内湖一帯は低湿地帯だった!
  • §-1 豊臣秀吉が大阪城を開城した頃は
  • §-2 家康軍は当時の豊臣秀頼の領地だった河内国は通れなかった!
  • §-3 大阪3郷の始祖・大阪城下の浪花商人(なにわあきんど)とは...
  • 第5回(第3節) なにわが天下の台所となったのは江戸幕府になってから!
  • §-1 江戸中期には旧大和川本流・長瀬川流域 の南河内は肥沃な農耕地になっていた!
  • §-2 付け替えた大和川は単なる"放水路!"だった
  • §-3 水利の変遷!
  • 第6回(第4節)幕府の2大政策『入り組み支配 と 新田開発』
  • §-1 前提となる江戸時代の「入り組み支配」とは
  • §-2 "民活"による 新田開発政策
  • §-3 河内国では...
  • §-4 摂津国では...
  • 第7回(第5節) 新大和川放水路!普請は"だれの為"?だったのか...
  • §-1 決して"通説のきれいごと"では無い!
  • §-2 "新田"では幕府の"きもいり"で新しい河内名産が...
  • §-3 但南藩・狭山藩では新大和川放水路開削で多くの農民に惨劇が
  • §-4 大和川付け替えによる、水運の盛衰
  • 最終回(エピローグ)大和川付替え普請は 日本の"三峡ダム?!"
  • §-1 新大和川放水路完成後も、"淀川!"が運んでくる土砂で
  • §-2 大和川水系も上流部から大量の土砂を!
  • §-3 結局は遊水地だらけになった恩智川!寝屋川!
  • 後書き 

 

公開:2021年4月19日
更新:2025年7月20日

投稿者:デジタヌ

風水を無視した大和川放水路!開削事業は流域集落を疲弊!させた《 大和川付け替え?ー帯書きー》TOPもともと大阪平野は"河内湖"が大部分を占める「低湿地帯!」だった《 大和川付け替え?第2回 》


 

 



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