狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Fantasy『 "邪馬台国"は都市国家の連合体で"都"など無かった!』ー第6回ー

第6回「那の倭国連合」が石器時代から鼻先一つ飛び出せたのは...

第1項 "棚田・古墳・城跡・鉱山"は強い相関関係が...

Googl Mapをご覧の様に、"棚田・古墳・城跡・鉱山"は強い相関関係が認められます!

第1目 例えば九州では...

最後まで、渡来人・弥生人の傀儡政権!"那の倭国"Federation と激しく攻防を繰り広げていた partisan 勢力薩摩・隼人両国では、那の倭国連邦Federation の特徴である大規模"墳墓"は見つかっていません?

更にBoundary(境界)の非武装地帯に設けられた多くの砦跡(城跡)が、抵抗運動が激しかったことを物語っています

但し、城跡(砦跡)は必ずしも、古代に設けられたわけではなく、その後の中世・近世に為政者が"居城"(首都)として新築したものもありますが、いずれにせよ時代とともに「幾多の攻防」が繰り広げられた痕跡であることは間違いありません

第2項 青銅器・鉄器製造技術の渡来

有名な別子銅山(現新居浜市)は後年の江戸時代(1690年→)に発見されて鉱山開発が始まって、古代には発見されていなかったわけですが...

第1目 701年大宝律令で鋳造された和同開珎銅国産化

古代・瀬戸内運河?沿いに、展開していた「那の倭国」Federation 時代(明日香・奈良時代・平安)の黎明期には、

瀬戸内Federation;大和調停政権の territory(実効支配地)で流通していた(青)銅器、や青銅刀、銅銭、などの大部分の銅製品は宗主国中華王朝(ユーラシア大陸)からの輸入製品でした。

前途した様に、稲作技術の伝承の為に来日した多くの渡来人技術者・僧侶の中には、古墳時代を象徴する埴輪などの土器を作る土師(はじ)とともに,「鉱山技術者・冶金技術者」も含まれていたわけです。

第2目「那の倭国 Federation」は銅山開発!先鞭を...

「大化の改新(645年)から701年の大宝律令発令」前後に、弥生人陣営「那の倭国Federation」では、渡来技術者(僧侶・学者)により「多くの銅山」が発見・開発されて、708年6月3日(和銅元年5月11日)の和同開珎(わどうかいちん)銭貨の発行に繋がり、

(国分寺制定に伴う)奈良の大仏建立(745年→752年)につながる、大量の銅と、金箔に用いる大量の"金"の完全国産化!が達成されたわけです。

長門国で相次いで鉱脈発見

600年代(7世紀)ごろには長門の国(現山口県)長登銅山で銅が産出されています。

更に松崎銅山(現萩市) 大陸文化の入り口長門国の松崎八幡宮(650年、萩市)が建立されていて、それ以前から銅山があったとされています。さらに日本最初の鋳銭所がおかれていたとされています。

更に桜郷銅山跡(山口県山口市)が開発されて銅の国産化!が達成されています。

更に百年後の807年(大同2年)には吹屋銅山(岡山県)が開鉱(抗)されて、本格的な青銅器・鉄器農耕時代に入るわけです。

第3項 日本では同時に訪れ(渡来)た♥製鉄技術

前途した、光武帝の後漢(25年→西暦57年)時代から、遣隋使(600年→618年)、遣唐使(618年→907年)と続く長い"朝貢使"(使節団)の「臣下の礼」「朝貢」を支えた"外洋航路"用大型船。

特に遣隋使の実現に一役買った「欠かせない技術」に製鉄による鉄板と犬釘があげられますが...

日本では、前途した銅・青銅器の国産化(銅山開発)と同時に、砂鉄によるたたら製鉄の技術ももたらされたわけです。

そしてこの技術は、後年の鎌倉武士の強さの秘密の一つ"日本刀"にもつながるわけです。

6世紀半ばの吉備地方に遡る...最初期には磁鉄鉱、6世紀後半からは...国内で調達が容易な砂鉄を原料とする...製鉄法は吉備地方から日本各地へ伝播した...日本の製鉄法は、炉の形状が特異で...大陸や朝鮮半島での製鉄では円筒形で高さのある炉が用いられているのに対し、吉備地方から伝わった製鉄法では箱型で高さの低い炉が用いられた...近年の発掘、研究の進展によって、福岡県福岡市の博多遺跡群や、長崎県壱岐のカラカミ遺跡などでは、弥生時代の製鉄遺跡と思われる痕跡が相次いで見つかっている。《日本語ウィキペディアより引用

これらの技術は、正式な"朝貢使"(使節団)が途絶えていた期間中も、体系化(完成)された漢字とともに、渡来技術者により伝えられ」その後「日本列島独自の進化を遂げた!」と考えられています。

第1目 後れを取った「蝦夷の倭国」

一方、仏教布教(導入)にあまり熱心ではなく、したがって僧侶(技術者・学者)の受け入れに消極的?だった「蝦夷の倭国」側では鉱山(銅・錫・鉛)などの鉱山開発(発見)が遅れ「金属の国産化」が遅れたのが致命的だったのではないでしょうか。

つまり、自然崇拝の女性shaman(司祭・祈禱師・霊能者!?)とChief(酋長)による民主的な社会では、生産性もあまり向上し無く、相変わらず、狩猟・採取と稲作の兼業農家!?文化が存続していたのでしょう。

第2目 傀儡政権・大和王権の武器は「飴(稲作)と鞭(服従)

「邪馬台国→日乃本」と続く傀儡政権!弥生人の「那の倭国 Federation」は、縄文人の生息域?「蝦夷の倭国」Region に、勢力圏を広めるために、食料の安定確保に通じるである稲作技術(高度な灌漑技術と、(身分制度・農奴)政策をとったわけです。

つまり、採取・狩猟民族だった縄文人に測量技術(灌漑技術)を伝授する代わりに、中央政権への服従(隷属)を迫ったわけです。

それまで女性shaman(祈禱師・霊能者!?)のお告げに従い、Chief(酋長)を中心に、民主的!に暮らしていた旧石器人(縄文人)が、食料(稲)に吊り上げられて傀儡政権・大和王権 Federation の公家(搾取階級)のmanor (荘園)に隷属する付属品農奴!にされたわけです。

 

公開:2022年12月21日
更新:2024年3月15日

投稿者:デジタヌ

Fantasy『 "邪馬台国"は都市国家の連合体で"都"など無かった!』ー第5回ーTOPFantasy『 "邪馬台国"は都市国家の連合体で"都"など無かった!』ー第7回ー


 

 



▲Historia,Geopolitics & logistics 研究室へ戻る

 

ページ先頭に戻る