中野区《 タウン ヒストリア 》
中野区とこれ迄の歩み
推計人口、336,639人/018年4月1日
中野駅―新宿 5分/160円/JR/4.4km
中野区のこれまでの主立った出来事
中野郷は杉並区、世田谷区の一部などと共に旧武蔵野国多摩郡に属していた。
令制国(律令国)
645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。
武蔵国の国府が置かれた府中にある総社大國魂神社もかつて多摩郡に属していた地域にある。
武蔵国の国府・国分寺および一宮(小野神社、現在の一ノ宮)と二宮(二宮神社)があった。郡衙は東京都府中市にあった。
12世紀半ば以降、多摩郡が東西に分けられて多東郡、多西郡と表記されていた歴史資料が多く見つかっており、中近世において多摩郡は多東郡、多西郡に事実上分かれていたと考えられている。
1591年(天正19年) - 中野郷で検地が行われた。江戸初期 徳川幕府の開府に至り、江戸近隣の郷は整備され、中野郷は、中野・本郷・雑色・江古田・片山・上高田・新井・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の11村に分割される
江戸幕府の「入組支配」
江戸幕府はかつて7世紀後半に天智天皇によって制定された令制国(律令国)の「団結による反乱」を極度に警戒し、1603年3月24日(慶長8年2月12日)、家康がはじめて将軍職に任じられ江戸幕府を開幕して以来、幕府安康の最善策として「令制国の解体政策」を推し進めた。
それが「入組支配」と呼ばれる政策で、地方の大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い「地方の統一・団結」を阻もうとした。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。
江戸時代、多くの村が幕府直轄領(天領)や旗本領とされたほか、多くの藩の飛び地が分散し、複数の領主による相給とされた村も少なくなかった。
1606年(慶長11年) - 成木街道(現青梅街道)が開かれ、中野村内に馬継場が置かれる。
廃藩置県後は現在の中野区・杉並区が東京府、以外が神奈川県の管轄となった。
多摩郡全体が東京府の管轄となったのは郡の分割により本郡が消滅して以降のことで、これは主に東京の上水道水源保全を理由にして、実際には自由党勢力の切り崩しを目的としたものといわれる。
1889年(明治22年)4月11日 - 甲武鉄道(現東日本旅客鉄道中央本線新宿〜八王子)開通。中野駅が設置される。
1904年(明治37年)8月 - 甲武鉄道飯田町〜中野で電車運転開始(日本初の電車営業運転)。
1906年(明治39年)6月14日 - 甲武鉄道に柏木駅(現東中野駅)開設。
1906年(明治39年)10月1日 - 甲武鉄道が国有化される。
1921年(大正10年)8月25日 - 西武軌道荻窪線淀橋町〜荻窪開通。
中野町内には淀橋・住友銀行前・宝仙寺前・中野警察署前・中野銀行前・登記所前・鍋屋横丁・追分・西町の各停留所が設置されていた。
1927年(昭和2年)4月16日 - 西武鉄道村山線(現西武新宿線高田馬場〜東村山)開通。野方町内に新井薬師前・沼袋・野方・鷺ノ宮の各駅が開設された。
1928年(昭和3年)5月 - 鉄道省(現東日本旅客鉄道)中央線新宿〜中野複々線化完成。
1951年(昭和26年)5月1日 - 西武鉄道新宿軌道線(旧西武軌道荻窪線)東京都に譲渡(東京都電14系統杉並線)。
1961年(昭和36年)2月8日 - 帝都高速度交通営団荻窪線(現東京地下鉄丸ノ内線)新宿〜新中野および中野坂上〜中野富士見町開通。
1961年(昭和36年)11月1日 - 荻窪線(現丸ノ内線)新中野〜南阿佐ヶ谷開通。
1963年(昭和38年)12月1日 - 東京都電14系統杉並線廃止。
1966年(昭和41年)3月16日 - 初の日本国有鉄道と地下鉄の相互乗り入れ、中野〜高田馬場開通/旧帝都高速度交通営団(現東京メトロ)東西線
1973年(昭和48年) - 中野サンプラザ(現サンプラザ)竣工、6月1日開業。
1997年(平成9年)12月19日 - 東京都交通局地下鉄12号線(現大江戸線)練馬〜新宿開通。
公開:2017年7月14日
更新:2019年9月 5日
投稿者:デジタヌ
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