タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

板橋区《 タウン ヒストリア 》

板橋区とこれ迄の歩み

板橋区

東京都の北部、旧武蔵国豊嶋郡に当たるエリアにある。

推計人口、575,432人2018年4月1日。

池袋のある豊島区の北隣、東武線で2つ隣の役が区立文化会館のある大山駅。

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

武蔵国

埼玉県、東京都の殆どと神奈川県川崎市・横浜市などの一部地域を含む。川越市のある入間郡、など現埼玉県域に14郡、神奈川県域に3郡、東京都域に4郡、東京都・神奈川県にまたがって1郡が広がっていた。

板橋区の属していた豊嶋郡(北豊島郡)

豊嶋郡とも表記した。武蔵国の中でも非常に古くから栄えていた郡の一つであり、多摩郡に次ぐ大郡であった。

平安時代末期からは豊島氏の支配下にあった。他にも葛西氏、江戸氏、渋谷氏などがいたが、室町時代までにはこの地を去っている。

戦国時代には扇谷上杉家家臣の太田道真・道灌親子により豊島氏は滅亡。扇谷上杉家の弱体後は後北条氏が進出した。

1590年(天正18年) - 徳川氏が郡内の江戸を根拠地とした。後に徳川氏は江戸幕府を開き日本の政治的中心地となった。

江戸時代以降、江戸市中は豊島郡から分けられた。(つまり江戸時代以前は帝都東京も豊島郡の一寒村に過ぎなかった。)

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

名刺以降に分離新設された北豊島郡の江戸末期の支配は

幕府領 18町・28村

旗本領 18村

寺社領 19町29村

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め武蔵国も幾多の行政変遷にさらされた。

慶応4年
1868年8月7日(旧暦6月19日) - 忍藩士の山田政則が武蔵知県事に就任(大竹左馬五郎支配所の後身)。
1868年8月17日(旧暦6月29日 - 旧幕府代官の松村長為が武蔵知県事に就任。
1868年8月27日(旧暦7月10日) - 旧幕府代官の桑山効が武蔵知県事に就任(佐々井半十郎支配所の後身)。後の当郡域は以上の3人が管轄。

明治元年
1868年12月18日(旧暦11月5日) - 町地および隣接する区域(おおむね後の王子区、板橋区、練馬区を除く区域)が東京府(第1次)に編入。
1869年2月4日(旧暦12月23日) - 桑山効知県事が河瀬秀治に交代。
以上の再編により、後の当郡域および隣接する区域が下表の管轄となる(村名は幕末時点のもの)。

明治初年 - 橋場町地方が地方橋場町に、山谷村在方分が地方山谷町にそれぞれ改称。
明治2年(43町65村)
1月 - 山田政則知県事が宮原忠英に交代。
1869年2月23日(旧暦1月13日) - 古賀、河瀬、宮原各知県事の管轄区域にそれぞれ品川県、小菅県、大宮県(県庁は東京府馬喰町)を設置。
1869年5月13日(旧暦4月2日) - 船方村、堀之内村が小菅県から東京府(第1次)に移管。
1869年11月2日(旧暦9月29日) - 県庁が浦和に置かれ、大宮県が浦和県に改称。

明治4年(43町66村)
1871年12月25日(旧暦11月14日) - 東京府(第2次)が発足。品川県、小菅県、浦和県の当郡に属する区域を管轄。
1872年1月8日(旧暦111月28日) - 東京府大区小区制を施行。

明治5年(39町66村)
浅草山田町が浅草田町に、雑司ヶ谷鬼子母神町・雑司ヶ谷本染寺町が雑司ヶ谷町にそれぞれ編入。
雑司ヶ谷村より雑司ヶ谷旭出町が起立。
1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法の東京府での施行により、豊島郡のうち13町65村の区域をもって北豊島郡が発足。郡役所が下板橋宿に設置。東京15区の設置
1889年(明治22年)5月1日市制施行により東京市が発足。以下の区域が編入。

板橋町 ← 金井窪村、中丸村[大部分]、下板橋宿、滝野川村[一部]、池袋村[一部]、上板橋宿[一部](現板橋区)
郡会が廃止。郡役所は存続。

1914年5月1日: 東上鉄道(現東武東上線)、池袋駅 - 田面沢駅(現・川越市駅 - 霞ヶ関駅間)間開通。

1920年(大正9年)4月7日東上鉄道と東武鉄道とが合併。

1926年(大正15年)7月1日 - 北豊島郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。

1932年(昭和7年)10月1日 - 旧北豊島郡全域が東京市に編入。同日北豊島郡消滅。

板橋区 ← 板橋町、上板橋村、志村、赤塚村(現板橋区[2])、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村(現練馬区)

1968年(昭和43年)12月27日 都営6号線(現都営三田線)巣鴨 - 志村(現・高島平駅)間 (10.4km) 開業。新板橋駅、板橋区役所前駅、板橋本町駅開業。

1987年(昭和62年)8月25日: 東武東上線・和光市駅 - 志木駅間複々線化。同日 -地下鉄有楽町線開業 和光市駅 - 営団成増駅(現・地下鉄成増駅)開業。東武東上線との相互乗り入れ開始(森林公園駅まで)

2000年(平成12年)4月20日 正式名称を都営三田線から三田線に改称
同年9月26日 三田 - 目黒間 (4.0km) 開業(全線開業)。東急目黒線と相互直通運転開始。同時にワンマン運転開始

2004年(平成16年)12月23日 三田線臨時列車として「みなとみらい号」が6300形電車を使用して東急東横線経由横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅までの乗り入れを開始

2008年(平成20年)6月14日 - 地下鉄副都心線開業に伴い、和光市駅 - 小竹向原駅間が副都心線との共用区間となり、有楽町線新線小竹向原駅 - 新線池袋駅間が副都心線に編入される。

同日 - 副都心線 池袋駅 - 渋谷間が開業。同時に有楽町新線を副都心線に編入、新線池袋駅を池袋駅に改称、東武東上線・西武有楽町線経由西武池袋線との相互直通運転開始。

2013年(平成25年)3月16日 - 東京メトロ副都心線渋谷駅改良工事完成により東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転開始

 

公開:2017年6月30日
更新:2019年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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