横浜市《 タウン ヒストリア 》
神奈川県と横浜市とこれ迄の歩み
神奈川県
推計人口、9,161,113人/2018年4月1日
2018年現在 都道府県別の人口は東京都に次ぐ全国第2位!
で県内総生産は東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位となっている、つまり首都圏にある帝都・東京のベッドタウンということになる。但し県内には政令指定都市数が3つ(横浜市、川崎市、相模原市)あり都道府県含めて最多となっている。
横浜市
神奈川県の県庁所在地。
推計人口、3,731,706人/2018年4月1日
横浜―品川 16分/¥300/京急/22.2㎞
横浜市のこれまでの主立った出来事
鎌倉に鎌倉幕府が開設された12世紀ごろから本格的に現市域に当たる地域の開発が始まり、鶴見川や柏尾川などの河川流域では農業が発達した。
13世紀前半には、幕府によって現在の新横浜周辺地域に当たる小机郷鳥山(港北区小机町・鳥山町)a辺りから、多摩川・鶴見川周辺地域が大規模に開発された。
東京湾に面する六浦湊(金沢区六浦)が鎌倉の玄関口として貿易(日宋貿易)や内湾の交易によって栄え、
東海道に接して文化・交易・産業の中心地となって栄えた神奈川湊(神奈川区神奈川)とともに栄えた。
17世紀以降は、江戸幕府により東海道の宿場として設置された神奈川宿、程ヶ谷宿(保土ヶ谷宿)、戸塚宿を中心として発展する。
この頃になると、神奈川湊を持つ神奈川宿が江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄え、かつて栄えた六浦湊は風光明媚な景勝地として表舞台から離れた。
江戸時代末期までの現中区の関内地区に当たる横浜村は砂州上に形成された戸数わずか100戸足らずの半農半漁の寒村であった。
黒船来航とともに横浜村が歴史の表舞台へ
幕末にやってきたマシュー・ペリー率いる黒船(米国艦隊)の来航がきっかけで横浜村が歴史の表舞台に登場した。
幕府は横浜村に設営した応接所で外交交渉を行い嘉永7年/安政元年(1854年)に横浜村で日米和親条約が締結され、安政5年(1858年)日米修好通商条約が締結された通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことと、幕府の隔離政策で横浜村が脚光を浴びることとなった。
幕府は、外国人居留地を遠ざけるため、当時内海航路で賑わっていた神奈川湊を避け、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。
横浜村には、短期間(やっつけ仕事?)で居留地、波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港が開港した。
この時期攘夷の嵐が吹きまくり騒然とした世相にも関わらず、列強各国はこぞって横浜に商館(ジャーディン・マセソン、デント商会、オリエンタル・バンク、香港上海銀行、ドイツ銀行などの金融・貿易会社)を開設した。
横浜村には外国人居留地との間に関所が置かれ、関所から南側外国人居留地側を関内、関所以北の日本人居住区を関外と呼んだ。
今に続く横浜中華街は、外国人居留地の中に形成された中国人商館を起源とする。
一方日本人居住地は5区域に分割されて横浜町と名付けられていた。
1868年4月11日(旧暦明治元年3月19日):神奈川奉行所が明治政府の管轄となり、横浜裁判所に名称変更(同年8月5日:神奈川裁判所が神奈川府に名称変更。)
同年11月5日:神奈川府が神奈川県に名称変更される。
1872年10月14日(明治5年9月12日)、新橋(後の汐留駅。現在は廃止)と横浜(現在の桜木町駅)を繋ぐ日本初の官設鉄道が開通した。同年、神奈川駅(現在の横浜駅近傍)と鶴見駅が開設。
※このころには貿易商だけでなく、お抱え教師や鉄道建設や・橋梁・トンネルなどの土木工事、西洋建築など、紡績技術などを指導する「お抱え外国人」などの技術者も多数暮らすようになっていた。
1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示
1873年(明治6年) 当時生糸貿易の主導権を握っていた外国商館に対抗するため、横浜商人と呼ばれる日本人貿易商たちが生糸改会社を設立して競争力強化に乗り出した。
1878年11月21日 郡区町村編制法に基づき、第1大区が横浜区となり、1889年(明治22年)4月1日、市制が施行されると同時に横浜区は市となり、横浜市が誕生した。
開港当初の横浜港には、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が設置され、生糸、茶、海産物の輸出と、絹織物、毛織物を輸入する貿易が行われた。
1881年(明治14年)横浜商人たちが生糸荷預所を設立して生糸貿易の主導権確立に乗り出した。
1882年(明治15) 定期的に演奏会を行う日本国内初の西洋渡りのオーケストラ「ヨコハマ・ア マチュア管弦楽団」が横浜の居留地の外国人で結成され、数人の日本人も加わり定期的にライブ公演を行っていたとする記録が残っている。
1887年の県営水道の設置に始まり、横浜共同電灯会社の設立、十全病院の設立、生糸検査所、商業会議所の設立など、横浜商人たちが、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与した。
1894年 鉄桟橋(大さん橋の原型)完成
1899年 居留地制度廃止
1909年(明治42年) 開港50周年を迎え、この年の7月1日 から3日間、横浜開港50年祭と銘打った数々の記念行事が催された。
大正時代に入ると、鶴見川河口の埋立が始まって京浜工業地帯が形成され始めた。
1917年 新港ふ頭完成 (現横浜開港記念会館・「ジャックの塔」)完成
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災(大正関東地震)では東京より震源に近くほぼ直下型地震の直撃を受けた横浜市内は特に壊滅的な被害を受け、各国領事館の建物はすべて倒壊し、山手(横浜)地区の洋館群も壊滅的被害を受け、港湾機能・対外貿易都市としての機能は完全にマヒした。
1929年(昭和4年) 6年を費やして「ほぼ復旧した」。
震災復興事業により、日本大通りの拡幅、山下公園の造成、横浜三塔に数えられる神奈川県庁舎(キングの塔)や横浜税関庁舎(クイーンの塔)などの建設が行われた。
1926年(昭和2年)4月 第3次市域拡張が行われ、同年10月には区制が施行されて、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が置かれた。以降も第6次まで続く市域拡張と東京湾岸の埋立により市域は拡大し、市域面積・行政区の数(18区)共に飛躍的に増加した。
1930年(昭和5年)頃 氷川丸など、豪華客船の就航が相次ぎ、横浜港は太平洋航路の乗船地として、客船黄金時代の一翼を担った。
1934年(昭和9年)6月15日 - 表高島駅(現みなとみらい六丁目)開業。同年 横浜税関(現・クイーンの塔)完成
1936年 臨海工業地帯(恵比寿町・宝町・大黒町)完成
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲では、磯子区から鶴見区に至る沿岸部が焼き尽くされ、中区、西区の中心市街地が壊滅した。
同年8月の終戦により連合国軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収され、都市機能は麻痺し、横浜の復興は大幅に遅れた。
(※以来市域にはいまに至るまで(2006年(平成18年)1月1日現在)475万m²余の在日米軍施設が残されている。)
1950年(昭和25年)「横浜国際港都建設法」が制定され、復興に向けた取り組みが本格化する。
1951年(昭和26年) 対日講和条約が締結され連合国による占領体制が終わり、接収解除に向けて動き始めた。
同年横浜港の管理が国から市に移管された。
1952年(昭和27年)対日講和条約が発効して以降、大さん橋や山下公園など一部の施設が接収解除された。
1956年(昭和31年)9月1日、政令指定都市に指定される。
この頃から、相模鉄道を中心とした横浜駅西口の開発が始められた。
1959年(昭和34年)開港100周年記念祭開催。
1961年 「 マリンタワー」オープン、大黒町埋立完成
1964年(昭和39年)5月 根岸線(桜木町 - 磯子)が開通。同年10月には東海道新幹線の開業に伴い、横浜線との「ハブステーション」として新横浜駅が開業した。
この年、横浜駅西口地下街化完成とともに西口周辺が急速に発展し始めた。
1965年 「横浜市六大事業」の一つとして、「横浜駅周辺エリア」と「関内・伊勢佐木町エリア」の二つに分断されていた横浜都心部を一体化させる「都心部強化事業長期計画」(後の横浜市都心臨海部総合整備計画)が策定された。
1966年(昭和41年)東急田園都市線(溝の口駅-長津田駅)が開業し、今まで寒村であった市北部が東京のベッドタウン・多摩田園都市として発展し始めた。
1968年 神奈川県道高速横浜羽田空港線(神奈川1号横羽線浅田~東神奈川間)開通
1971年(昭和46年)金沢地先埋立事業(金沢区)着工。
1972年 横浜市営地下鉄(上大岡駅 - 伊勢佐木長者町駅)が開通した。
1974年 「港北ニュータウン」(港北NT)事業土地区画整理事業に関する認可が下り当時の「港北区&緑区」両区域で造成事業着工。
1976年(昭和51年)9月4日 「横浜市高速鉄道1号線」ブルーライン 伊勢佐木長者町駅 - 関内駅 - 横浜駅(1・3号線)間が開業。同日上大岡駅 - 上永谷駅間(1号線)
1978年(昭和53年)「横浜スタジアム」完成。旧横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の本拠地となった。
1979年 横浜横須賀道路(日野―朝比奈間)が開通し1981年には狩場―日野間を、1982年には朝比奈―逗子間と逗子―衣笠間の供用が開始された。
同年 「横浜市都心臨海部総合整備計画(みなとみらい21計画)」※基本構想公表。
※三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の東横浜駅(貨物駅)・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭一帯についての「埋立(臨海部土地造成)事業」を含む「市街地改造整備計画」。
1980年(昭和55年)港北ニュータウン(都筑区)の入居が開始された。
1982年(昭和57年)11月15日 -表高島駅廃止。
1983年「港北ニュータウン」初の大規模集合住宅で入居が開始。
同年 三菱重工業横浜造船所移転、帆船日本丸の横浜市への移管が決定。
同年11月8日「みなとみらい21」事業着工。
1984年2月2日 首都高速横羽線の横浜公園出入口-石川町JCT間開通とともに都心部(みなとみらい)と東名高速が自動車専用道でつながった。
同年 「みなとみらい21」関連埋立事業着工。
1985年(昭和60年)3月14日 - 「横浜市高速鉄道3号線」ブルーライン横浜駅 - 新横浜駅間が開業し、新幹線新横浜駅と関内駅(都心部)が乗り換えなしで繋がる。
1985年(昭和60年)人口が300万人を超えた。
1988年 金沢地先埋立事業完成。
1989年9月27日 「横浜ベイブリッジ」が開通し新山下出入口から本牧JCT、湾岸線大黒JCTを経由して大黒線生麦JCTの間が開通、
1990年3月20日 着工以来20年降りに首都高速神奈川3号狩場線・狩場JCT-石川町JCTの間が開通。
同年3月25日〜10月1日(191日間)、市制100年と開港130年を記念して、横浜博覧会開催。
同年大黒埠頭の埋立(第2期)が完成し横浜の東京湾沿岸における大規模埋立事業は一段落した。
1991年7月29日 「パシフィコ横浜」の会議センターとヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルが完成。
同年10月12日 「パシフィコ横浜」展示ホール完成。
1992年 首都高速道路横羽線「みなとみらい出入口」供用開始。同年中央地区(高島地区除く、59.9ha)の埋立竣工。
1993年(平成5年)7月16日「横浜ランドマークタワー」完成。
1994年4月25日 国立大ホール(国立横浜国際会議場)落成。
同年(平成6年)「鶴見つばさ橋」開通。この時期、首都高速湾岸線の延伸・整備が進んだ。
1994年11月6日 「港北ニュータウン」人口増加に伴い、港北ニュータウンを中心とする地域が「都筑区として分区」。
同年「国際橋」(国際大通)開通。
1996年「港北ニュータウン」最後の区画整理が完了。「港北ニュータウン計画」はすべて完了。(※但し同年認可された関連事業「中央地区土地区画整理事業(タウンセンター整備事業)は2009迄継続して実施される)
1997年7月 「みなとみらい大橋」開通。
同年12月26日:保土ヶ谷バイパス、横浜町田立体事業の上川井IC - 東名横浜町田IC間が完成し、信号のない「自動車専用道」で横浜町田IC.ーみなとみらいランプ(都心部)が繋がった。
1998年(平成10年)港北区に横浜国際総合競技場(現在の日産スタジアム)完成。
同年「横浜みなとみらいホール」(24街区)正式開業。
同年 新港地区(8.5ha)埋立竣工、これにより「みなとみらい21」の埋立(臨海部土地造成)事業が概ね完了。
1999年(平成11年)4月24日「よこはま動物園ズーラシア(旭区・緑区)」(横浜動物の森公園)開園。
2002年(平成14年)横浜港大さん橋国際客船ターミナルの建替完成。
同年「みなとみらい大通り」(栄本町線)全面供用開始。
2004年 みなとみらい線開通に伴い「新高島駅」「みなとみらい駅」開業。
2008年12月1日 コットン大橋開通。
2009年(平成21年)、開港150周年・市制施行120周年事業として横浜市などが設立した「財団法人横浜開港150周年協会」が中心となって、様々な記念事業・祝祭イベントが開催される。
同年4月19日「横浜動物の森公園(旭区・緑区)」で第20回全国「みどりの愛護」の集いが開催された。
同年4月28日から9月27日まで横浜みなとみらい21新港地区で「開国博Y150」開催。
同年5月31日 横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)国立・大ホールにおいて、天皇皇后両陛下、内閣総理大臣隣席の元、横浜開港150周年記念式典が挙行された。
同年7月4日より「開国博Y150」が規模を拡大して閉幕日までヒルサイドエリア(横浜動物の森公園/旭区・緑区))でも開催された。
同時に開港150周年を記念して「象の鼻パーク」(中区)を中心とした公園施設の整備、「開港150周年の森」プロジェクト開始、横浜マリンタワーの再整備などが行われた。
2010年(平成22年)11月13日から14日には、パシフィコ横浜で「2010年日本APEC」参加国首脳会議開催。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、ごく少数ではあるものの、地震動による建造物の全半壊、液状化現象による建物損壊がみられ、大規模な停電が発生し、少数の死傷者などの被害が発生した。
同年「みなとみらい21」土地区画整理事業完了
2013年 臨港幹線道路の一部にあたる「国際大通り」地下部分(本線)の「みなとみらいトンネル」が開通「国際大通り」が全面供用開始。
公開:2017年11月 4日
更新:2019年9月 5日
投稿者:デジタヌ
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