伊達軌道が走っていた伊達市のこれまでの歩み 《 福島交通 第3回 》
第1項 福島経済を支えてきた衛星都市
阿武隈川西側の旧長岡村地区の西外れに東北本線がかすめており、伊達駅がありますが、伊達市になってからは伊達市役所のある阿武隈急行線沿いの井原駅と国道349号線沿いに「町の中心」が移っています。
第1目 福島交通飯坂東線の走っていた伊達駅周辺は...
伊達駅の近くに1937年創業の伊達製鋼(三井ミーハナイト・メタル)が、保原駅南側に隣接する形で造成された工業団地に1957年創業の富士通アイソテックがあり、ともに伊達市の発展に貢献してきました。
1-1-1 明治以降は養蚕業も衰退し...
幕末からの養蚕業による好景気は明治になるまで続いたが、その後の養蚕業の低迷によって現在、農家は果樹栽培中心に転向しています。
特に桃やりんご、柿の栽培が盛んであり、特に五十沢で大正時代に発明されたあんぽ柿はこの地方の特産物として有名です。
1-1-2 福島市の発展に伴い伊達郡はベッドタウン化
福島市が福島県の県庁所在地となって急速に都市化したことにより、伊達郡域の町は福島市の衛星都市化しました。
特に高度成長期後にその傾向が顕著で、通勤・通学で福島市内に通う住人が多くなりました。
第2項 福島市の経済停滞に歩調を合わせた昨今
但し、福島市自体に大企業の工場進出が少なく、王子ネピア、福島キャノン、森永乳業、など従来からあった企業に限られ、2000年の国勢調査時点の297,894人をピークに人口減少が続いている。
前回2015年の国政調査資料でも、未成年層が全国平均を上回っているにもかかわらず、20代から40代前半のいわゆる働き盛りの転出者が多い傾向を示しており。
伊達市も共倒れ傾向にある。
★第3項 その他の所感
※1 入れ替わり立ち替わり異なる領主の支配に
梁川藩の置かれた梁川一帯でもすべてが梁川藩領ではなく、藩領の中に天領があったり、五十沢(いさざわ)(伊達市梁川町)が桑折陣屋管轄、川内は川俣陣屋管轄、半沢や成田(いずれも伊達郡桑折町)が福島藩の飛び地、福島藩と梁川藩の間に二本松藩の飛び地があったり、さらには梁川藩も、廃藩され松前氏梁川藩や会津藩、平藩の飛び地になるなどの激しい為政者の変化を続けた。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。
根深く残る各村間の遺恨
明治以降現在に至るまで全国各地の市町村合併がスムーズにいかない様に福島盆地の北東部市町村の『合併・離反・分立』には江戸時代に「為政者が激しく入れ替わり」その都度、隣接各村間で『飢饉』対応が異なり各村間の『嫉み、やっかみ、遺恨』が根強く残っていることに起因している様である。
一般的には「天領・旗本領」対「大名領」の確執が多く見受けられる
特に大飢饉が多く発生した東北地方や、河川付け替えなどによる「人災による飢饉」が発生した大阪南部、関東北部などではこの傾向が強い。
戸時代初期の伊達郡は全エリアが上杉氏米沢藩領であった
その後米沢藩の福島奉行(信夫伊達両郡代)の支配下となった。
伊達郡北部では西根堰の完成により、飛躍的な米の増産を実現している。
1664年 信夫郡、伊達郡は米沢藩より召し上げられ、信夫郡と伊達郡は天領(幕府直轄領)となった。
江戸幕府の「入組支配」の影響
江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。
1683年に松平氏梁川藩3万石が成立するが、梁川藩の成立によって、明治維新まで信達平野(信夫郡伊達郡)は、村単位で梁川藩領、福島藩領、天領、他藩の飛び地、預かり地などが激しく入り乱れ、さらには桑折藩(伊達郡桑折町)や下手渡藩(伊達市月舘町)など飛び地も置かれていた。(※1)
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公開:2016年10月29日
更新:2025年7月10日
投稿者:デジタヌ
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