狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

元々勝手踏切では無い!自由往来可能な併用軌道!区間《 江ノ島電鉄 第2回 》

★第2回 勝手踏切?問題は"江ノ電"の生い立ちから 

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  • 併用軌道沿いにが宅地開発したか?
  • ●乗り合いバス転換もできない渋滞常習道路!R134
  • ●危険な勝手踏切の解消は併用軌道の廃止!しか。

勝手踏切問題をまとめると上記に尽きるのでは...

第1項 事の発端は江ノ電誕生時に...

江之島電氣鐵道株式会社(現江ノ島電鉄)は...1945年までは軌道法に基づく軌道線で...同年に地方鉄道法に基づく鉄道線に変更され...使用される機材は1929年以降はボギー式電車も使用され...いずれも路面電車形態のものであった。

1950年代に入った後も、多客時に実施されていた特殊続行運転が定時運行を妨げて...日坂駅が併用軌道上に...各駅ともプラットホームの高さが低く、各車とも乗降扉はステップ付のまま...地方鉄道法適用の要件でもあった併用軌道の解消も課題となっていた。

...1953年に鉄道の近代化のための「改善3か年計画」を制定...実行に移している。...腰越⇔七里ヶ浜間の併用軌道の(当時は軌道法に准所した)専用軌道化、...プラットホームの嵩上げと車両の乗降用ステップの解消(撤去)、車両の連結もしくは連接化で...特殊続行運転の削減とそのための変電所容量の増強...保安度向上などが実施されている。

《日本語ウィキペディア2022年8月19日版より引用》

★第2項 勝手踏切ではない自由往来可能な"併用軌道!"区間

例によっていい加減な mass media(TV各局・全国紙)の偏向取材・偏向報道勝手踏切をでっち上げましたが...

江ノ電の問題は他地域で起こっている"勝手踏切"問題とは同じではあり魔線!

抑々が横断禁止!にもなって無い!公道("併用軌道")!で起こった事故です。

第1目 沿線宅地開発を行ったのは"江ノ電・関係者!"

1900年(明治33年)11月25日 江之島電氣鐵道株式会社設立総会を行い、同年12月に設立された 江之島電氣鐵道(株)の発起人たちは高座郡藤沢大坂町の"有志"で構成されていて、当初から藤沢⇔江ノ島沿線の、宅地開発と江ノ島の観光開発を目的としていました!(※10)

1910年(明治40年)全通当時迄は、腰越漁港、龍口寺、妙典寺、金洗沢ノ関跡、長谷寺、極楽寺等の門前町?程度しか"集落"は有りませんでした!

そして全線開業後に沿線の宅地開発・リゾート開発を行ったのは、江ノ電発起人(株主)と関係の深い(不快)地上げ屋(不動産業者)でした。

この件に関して、つい先日(2022年8月18日)迄日本語ウィキペディアに掲載されていた、「沿線宅地開発に関する 江之島電氣鐵道㈱発起人(株主)の関与」と、バブル景気(1986年12月→1991年2月)消泡後に起こった「利用客低迷による存続(廃止)問題」に関する記述が、"何者"かによって削除されてしまいました!

参※10)当サイト内関連記事 民鉄 における 鉄道 派vs 高速電気軌道 派の フィロソフィー 抗争?の歴史 はこちら。

第1目 江ノ電と"関係"の有る"地上げ屋"が宅地開発を

大正期に入り、沿線の宅地開発・リゾート開発(片瀬東浜海水浴場、七里ヶ浜海水浴場、峰ヶ原海水浴場、七里ヶ浜海水浴場、稲村ヶ崎海水浴場、由比ガ浜海水浴場)が行われて、沿線人口が急増したわけです。

つまり、「勝手踏切」(危険マーク!部分)は江ノ電がチンチン電車時代の(現在は鉄道事業法・開業当初は軌道法に下づく)"併用軌道"部分が、「江ノ電発起人"地上げ屋"の宅地開発」で生まれた"生活通路"が残った為です!

※この辺りの住人の「憤懣やるかたない吐露インタビュー」は"スポンサー"の手前、民放TV局の"偏向報道"(偏向取材)からは、削除!されています。

★第2項 江ノ電の勝手踏切?問題は誕生時の経緯から

前途したように、当初は軌道法に依るチンチン電車だったので、道路と完全に分離した"専用軌道"区間と"併用軌道"(路面電車区間)がある電気軌道として、開業しているわけです!

嘗ての1929年に登場した12m級(全長11,538 m)の100系電車は路面電車(チンチン電車)登場して途中ステップが廃止されてましたが、引退した1980年まで単行運行されていました。

更に鉄道昇格!後の 1949年に投入された200形電車も制御電動車で単行運転が可能なチンチン電車でした。この電車は 1991年4月まで本線を走行していました。

1955年7月30日のホーム嵩上完工後も1964年2月から始まったZパンタグラフ集電改修工事が完了するまでは、トロリーバスのようなポール集電のチンチン電車が走っていた訳です!

※現在も健在なサンフランシスコのTrolley pole street car

そして、1956年4月8日に登場した300形電車(2両固定全長24.00→25.4m)から江ノ電伝統の連接車両が用いられるようになりました。

そして1990年4月24日から初めて中空軸並行カルダン駆動が採用された2000形電車が走行するようになったわけです。

2000形電車 2両固定編成定員 座席124人定員288人(想定満員155%=446人)

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公開:2022年8月18日
更新:2025年7月 5日

投稿者:デジタヌ

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