狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

地場企業弘南鉄道・弘南バスグループ《 弘南鉄道 第2回 》

第2回 弘南鉄道・弘南バスグループの生い立ち

第1項 津軽最初の民鉄!

第0目 地元有力者(個人株主)が主体の弘南鉄道

1-0-1 地場資本による鉄道

東北に多い100%個人株主による民間企業!

弘南鉄道、弘南バスは共に、株式会社ですが、国鉄合理化を受けた3セク鉄道事業者では無く!、100%民間投資家による、民営企業です!

但し株式非公開・非上場の株式会社なので、大口株主、経営内容(営業収支)は公表されて魔線!

1-0-2 花巻電鉄と同じ地場企業

嘗ての花巻電鉄と同じ様な、地元有志(有力者)により設立された鉄道です。

第1目 1921年9月部分開業

1926年2月18日に地元有力者による弘南鉄道発起人会が" Charter(鉄道免許)"を取得して、翌年9月7日に、弘南弘前駅 ⇔津軽尾上駅間が部分開業しました。

1-1-1 津軽鉄道は弟分

現在、観光鉄道(保存鉄道?)として、自立ん?している津軽鉄道は、弘南鉄道に刺激されて、地元有力者が発起人として申請し1928年2月13日に Charter (※10)を取得して、行為なん鉄道に遅れる事2年後の1930年7月15日に五所川原⇔金木間を部分開業しました。

参※10)当サイト関連記事 英語圏の交通用語について はこちら。

第2目 1931年6月の乗り合いバス事業参入

その後1931年(昭和6年6月24日にOmnibus(乗合自動車)にも参入しましたが...

当時の、道路事情では思う様に利用者も伸びず(※10)

1-2-1 昭和恐慌の煽りで旅客が低迷!

1929年10月にアメリカで端を発した世界恐慌が、それまで好景気だった我が日乃本にも及び、1930年から昭和恐慌が起こり、真っ先に地方金融界(地場銀行)を襲い、旅客需要も激減しました。前途したOmnibus事業への参入は、そんな状況を打開しようと、地元の出資者(有力者)が企てたのですが、当時の如何ともしがたい劣悪な道路事情(※★)では、思う様に利用者も伸びず、何とか1941年迄持ちこたえ増したが...

1941年4月17日に、弘前乗合自動車(現弘前バス)に分社化して「トカゲの尻尾キリ」を行いました!

皮肉なことに、道路整備(舗装率)が格段に行き渡った現在では、立場が逆移転してシマッタ!事になり増す。

参※10)当サイト関連記事 道路整備の進展と鉄道事業の衰退 はこちら。

第3目 敗戦後の戦後復興期には

1948年に弘南線直流600v電化!

1-3-1 1952年弘前電気鉄道(大鰐線)が開業!

戦後復興期に旺盛旅客需要(闇物資買い出し)に目を付けて、地元有力者が発起人となり、今回廃止が決定した大鰐線を開業(1952年1月26日)させました。

1-3-1-1 当初は神武景気が後通し快調に

(1950年6月25日→1953年7月27日)朝鮮戦争が挑戦戦争特需を戦後復興期の日本にもたらし、これが切っ掛けで、立ち直った日本の産業界がその後に空前の神武景気(1954年12月→1957年6月)を齎し、東北も好景気に沸き、農閑期に湯治場として賑わった大鰐温泉を終点とした大鰐線は大成功しました!(当時奥羽本線は1日数往復の汽車列車しか運行されて無かった!)

1-3-2 1950年7月1日弘南線延伸開業全通!

1951年には、戦後復興期の旺盛な交通需要を受けて、弘南線津軽尾上→弘南黒石間が延伸開業して、現在の路線となり増した。

1-3-2-1 2度の昇圧!

その後、1954年4月1日にDC750Vに昇圧。そして"全盛期""に差し掛かろうとしていた1961年9月1日に現在の1500V!に昇圧しました。(奥羽本線はの電化はまだまだ先1の事です)

第3項 道路整備と共に衰退がはじまる!

名神高速道路の建設で、米国から最新の(中古!)道路建設機材が多数国内に輸入されて!、1964年の名神開通後全国に、道路整備"舗装化"の嵐!が吹くこととなり増した。(※10)

第1目 快速電車の投入などで必死に抗うが

1960 年代後半に差し掛かると、東北も以前とはくらべものに成らない程、道路整備(舗装化)が進み、高度成長とも相まって、マイカーが普及しだし、弘南鉄道利用者は徐々に(急激?)に落ち込み始めました!

3-1-1 1970年10月1日に大鰐線を買収

まだまだ、強気の構えを崩さない、経営陣は、大鰐線買収の大博打!に打って出ました。

3-1-2 弘南線で快速運行を始めるも...

1975年11月1日に快速電車を以登場させましたが...既に東北はモータリゼーションの津波に飲み込まれていました。

第2目 貨物営業の廃止が決定打!と

1984年7月1日には長年、弘南鉄道を支えてきた"片輪"の freight transportation が、トラック輸送にとって代わられ!、廃止となり増した。

第3目 軌道の老朽化が進み...

赤字転落していまった、弘南鉄道では、他の多くの地方3セク同様に、財政難に陥り、保線(軌道設備の維持管理、更新)がままなら無くなり、事故が多発する状況となり増した。

3-2-1 茨の鉄路を進むことに

その後も落ち込む一方の営業収益を挽回しようと、新駅開設(運動公園前、柏農業高校前、田んぼのアート駅)や、1993年4月1日からのワンマン運転開始などを実施しましたが。

3-2-2 度重なる事故も利用者離れを加速...
3-2-2-1 正面衝突!事故

1997年8月25日に館田駅構内で"正面衝突"!"事故を発生させ。32人が重軽傷がを追う大惨事となり増した。

3-2-2-2 脱線事故で快速運行廃止!

2007年6月12日には平賀駅構内で黒石発弘前行電車が脱線し、幸いにも負傷者張りませんでした。

同年8月1日に復旧しましたが快速列車は廃止!(無期限運休)!されました。

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公開:2025年7月11日
更新:2025年7月12日

投稿者:デジタヌ

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