狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

整備新幹線は若者吸出し!ストロー路線!全国に高齢化・過疎"自治体"を...ー連載第2回ー

第2回 時の流れは時代に変革を...

小生は鉄チャンである、いや正確に言うと乗り物フリークなのである

だからこそ、闇雲で無作為な『整備新幹線建設推進』には賛成でき無い!

半世紀50年以上も前、大昔の"高度成長期!"の頃に立法された「全国新幹線鉄道整備法 」を盾に、整備推進を展開して輩"何が目的?"なのか?勘ぐられても仕方が無いのでは...

★第0項 建設できても"意地"できない!整備震撼線

(Version1,Revision3 ー2024年2月26日改訂)

リーマンショックで国際市場を失くした鉄道機材 constructor syndicate(cartel)からの(政治献金・裏金!)為に、景気回復と称している整備新幹線建設推進プロジェクトですが...

第1目 コロナ禍前の山陽新幹線でも黒字ギリギリ!

コロナ禍前の山陽新幹線でも黒字ギリギリ!状態で、その他の整備新幹線では40年リース!のおかげで、固定資産税免除!減価償却必要無し!なので、

表面上黒字?を装って!いますが...実質は軒並み赤字!運行。

40年後にJR各社」から"廃止通告"されても"文句が言えない!"状況です。

いくら何でも新幹線でJR各社お得意?の必殺徐行運転は出来ないでしょう...

第2目 四国新幹線、山陰新幹線各計画路線沿線には政令指定都市はあり魔線!

50万都市!を結ぶ中国高鐵でさえ...

中共では、日本の政令指定都市にあたる人口50万人!Metropolisを結ぶことを目指して約7万km!も及ぶ 高速鉄道網(Rural shinkansen!)建設!し増したが...

ハッキリ言って、時間当たり1往復の高速バス(トイレ付 9番席タイプ 36名)で事足りる程度!の、旅客需要も無い!様な日本の田舎町を結ぶ整備震撼線(Rural shinkansen)を強硬建設!しても、中国高鐵同様に運行"意地"困難!でしょう。

つまり日本国政府は、国民を"巻き添え"にして借金(国債発行)地獄に陥り!、

紙幣紙きれ同然!ハイパーインフレ!を引き起こし日本経済崩壊!してしまことに...

第1項  嘗て小生が"全国を飛び回る営業マン"だったころ

小生は、現役当時の2000年までは産業機械のセールスマンを務めていました。

今から"半世紀前"の若かりし頃には「寅さんを気取って、全国をまたにかけ毎日行商の旅の日々を送っていた!」のですが...

第1目 東京⇔大阪間"3時間"の時代

そして東京⇔新大阪間が3時間!もかかった時代の新幹線には、思い出せないくらい数多く乗車しました! 。

勿論当時は新幹線も通っていなかった地方都市にも出向いてました。

鉄道が大好きだから、時間の許す限り鉄道を利用しましたが

当時は東京⇔富山などは、近距離でも飛行機を利用しました。

勿論 東京⇔札幌、東京⇔鹿児島などの遠距離は当時一世を風靡した!ジャンボ機で...

第2目 1978年当時の北陸3県出張の思い出...

小生が大阪支社で、北陸を担当しだした1978年頃には、まだ北陸本線に"L特急・雷鳥!が走っていた頃でした。

確かに当時の4時間半は長かったですが、別段『新幹線が走っていたらなあ』等とも思い魔線でした。

富山→大阪への帰路では、今では懐かしい"食堂車""チョット?一杯"引っかけて、ホロ酔い(爆睡!)気分で家路についていました。

1-2-1 空路が欲しかった!

往路で「急ぐ時」には大阪⇔富山間の航空路が何故無い!"のかと腹立(はらだ)たしかった!思いを何度も味わった!記憶があります。

1-2-1-1 当時は東京⇔富山便のみの時代

但し当時は滑走路""が1200m!しか無く、空路も富山⇔東京便のみ!で1970年の大阪万博を契機にやっと1日1便!の"YS11"が"就航しだしたがばかりの頃でした。

1-2-1-2 ジェット化したのは1984年

1984年3月18日に現在の2000m滑走路が供用開始!と成り、ジェット化されたのです。

34歳と成っていた小生は、出張先の富山からそのまま富山→東京便で本社の営業会議に出席した思い出があります。

第2目 今から半世紀近く前の北陸は...

当時は、建設途中の北陸自動車道も部分開通しかしておらず、クルマで出かけるときなど大阪を18時頃に出発し、高岡着が0時を回る...なんて事もしばしばでした。

1-2-1 携帯が無かった!頃

携帯なぞ無い!当時、22時頃になると"急いでパーキングに駆け込み!"公衆電話!でホテルにTelして、遅くなる旨を連絡したものでした。

北陸自動車道の金沢西⇔金沢東館が1978年に開通し、1979年に米原ジャンクション⇔敦賀

がやっと開通して富山迄高速道路で繋がってからは、日帰り以外は営業車で出かけることが多くなりました。

第3目 四半世紀が経過した21世紀に入り...

それから四半世紀(2007年現在)が過ぎ、当時とは「情報の流れ」も「物資の流れ」も比べようのないほどに変化しました。

全国各地に、高速道路が延び、生活物資を運ぶ物流は鉄道→トラック輸送に...

また情報ハイウェー(光ファイバー)も張り巡らされ、全国何処でも居ながらにして、世界の最新情報が手にいる時代になった!のです。

 

公開:2025年4月 7日
更新:2025年4月 9日

投稿者:デジタヌ

整備新幹線は若者吸出し!ストロー路線!全国に高齢化・過疎"自治体"を...ー連載第1回ーTOP整備新幹線は若者吸出し!ストロー路線!全国に高齢化・過疎"自治体"を...ー連載第3回ー


 

 



▲鉄道政策問題研究室へ戻る

 

ページ先頭に戻る