タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

高松市《 タウンレビュー 》

香川県と高松市これ迄の歩み

香川県

香川県は、日本の全47都道府県で最も面積が狭い県。

大化の改新以来の旧令政国・讃岐国に相当する.県。

推計人口、962,054人/2018年4月1日

高松市

香川県の県庁所在地で中核市に指定されている。

現在香川県の半数近くが住んでいる瀬戸内に面した町。

かつて国鉄の宇高連絡船が就航していたこともあり、四国の玄関口として四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、多くの大企業の四国支社や支店、また四国電力やJR四国といった、四国全域を営業区域とする公共サービス企業の本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点となっている。

現在、高松市の人口は平成の大合併などを経て42万人を擁し、さらに高松都市圏としてみた場合約84万人(2005年国勢調査基準)と、香川県の人口100万人の過半数に以上の人が住んでおり四国最大の都市圏を形成している。

推計人口、418,122人/2018年4月1日。

高松市のこれまでの主立った出来事

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

平安末期には瀬戸内海水運を握っていた平家が屋島を根拠地の一つとしていたが、源義経の奇襲に敗れて滅んだ。

室町時代には細川氏が讃岐に根を張る南朝方を白峰合戦で破ると、讃岐阿波を中心として細川一族が四国を管轄した。

豊臣政権の四国平定後の天正15年(1587年)、生駒親正が豊臣秀吉から讃岐1国、17万3000石を与えられた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに生駒親正の子・一正は東軍に加担したため、戦後に所領を安堵された

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、徳川幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していた。

大内郡;代官支配地;高松藩飛び地
寒川郡; 代官支配地;高松藩飛び地
三木郡;代官支配地;高松藩飛び地
山田郡; 代官支配地;高松藩飛び地
香川郡; 高松藩直轄地
阿野郡; 代官支配地;高松藩飛び地
鵜足郡; 代官支配地;高松藩飛び地、丸亀藩飛び地
那珂郡;丸亀藩及び代官支配地;幕府領(倉敷代官所支配)、高松藩飛び地、
多度郡; 多度津藩及び代官支配地;丸亀藩、
三野郡;代官支配地;丸亀藩飛び地、多度津藩飛び地
豊田郡; 代官支配地;丸亀藩飛び地
小豆島 代官支配 - 幕府領(倉敷代官所支配)、美作津山藩飛び地
直島・男木島・女木島(所属郡なし) - 代官支配地;幕府領(高松藩預地)
塩飽島(所属郡なし) - 代官支配地;自治領(高松藩預地)

寛永17年(1640年)生駒氏のお家騒動(生駒騒動)により改易され、出羽国矢島藩に転封(国替え)された。

その後讃岐国は一時、隣国・伊予国の3藩、西条藩、大洲藩、今治藩により分割統治された。

寛永18年(1641年)、西讃地域に山崎家治が入り丸亀藩が興った

寛永19年(1642年)、東讃地域に常陸国下館藩の水戸徳川家初代藩主・徳川頼房の長男・松平頼重が12万石で入封し高松藩が成立した

高松松平家は水戸徳川家、彦根藩井伊家・会津松平家と共に代々将軍の政治顧問を務める高い家格を有していた。

光圀は自身の子である頼常を高松藩主に据えた。

高松松平家は水戸徳川家、彦根藩井伊家・会津松平家と共に代々将軍の政治顧問を務める高い家格を有していて、光圀が自身の子である頼常を高松藩主に据えた藩。

歴代藩主の松平氏は高松城下に水道を引き、灌漑用に溜池を造るなど、水利を整備し、塩田開発を奨励し、坂出の浜辺に日本最大級の塩田を開発した。また平賀源内を起用し、城下の栗林荘(現在の栗林公園)に薬草園を作らせたり、向山周慶に製糖技術を学ばせ白糖の製造を可能にし現在も香川県の名産品の一つとなっている「讃岐和三盆糖」の製造技術を確立させるなど旧高松藩(現高松市域)の発展に寄与した...。

が一方で、讃岐国内各地の地域格差も生じさせた。

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め讃岐国も幾多の行政変遷にさらされた。

1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。

1872年(明治5年)に小豆島西部を編入した。、

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

1873年倉敷県の管轄地(島部)が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併され。

1873年2月19日に初代香川県設置され翌日には名東県(後の徳島県)に編入される1875年9月5日に香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)として分離されたが、1876年8月21日には愛媛県に編入された

度重なる編入の度に、地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し、香川県として単独の県の設置を望む声が高まり。

1888年12月3日に香川県が復活し現在に至る。

1888年の香川県の分離独立を最後に沖縄県以外には新しい県の設置はなく、現在の47都道府県体制がほぼ確定したことになる。

明治から大正にかけて香川県で鉄道敷設競争が起こり、讃岐鉄道(のちの国鉄)、琴平参宮電鉄、琴平電鉄(後の高松琴平電気鉄道)、琴平急行電鉄の4社が高松 - 丸亀 - 琴平間で競って鉄道を敷設した。

1987年(昭和62年) - JR予讃線高松駅 - 観音寺駅間で全線電化がされて開業。

1988年(昭和63年) - 瀬戸中央自動車道が開通。JR本四備讃線(愛称 瀬戸大橋線)が開業する。
1989年(平成元年) - 高松空港が開港する。(大型ジェット機対応)
1999年(平成11年) - 高松市が中核市に昇格する。
2003年(平成15年) - 高松自動車道が全線開通する。(高松中央IC-高松西IC開通による)

2002年(平成14年)4月1日 さぬき市が成立 - 津田町、大川町、志度町、寒川町、長尾町の合併による。
2003年(平成15年)4月1日 東かがわ市が成立 - 引田町、白鳥町、大内町の合併による。
2005年(平成17年)3月22日 丸亀市が成立 - 丸亀市と飯山町、綾歌町の合併による。
2005年(平成17年)9月26日 高松市が成立 - 高松市に塩江町が編入される。
2005年(平成17年)10月11日 観音寺市が成立 - 観音寺市と大野原町、豊浜町の合併による。
2006年(平成18年)1月1日 三豊市が成立 - 高瀬町、山本町、三野町、豊中町、詫間町、仁尾町、財田町の合併による。
2006年(平成18年)1月10日 高松市が成立 - 高松市に牟礼町、庵治町、香川町、香南町、国分寺町の編入による。
2006年(平成18年)3月20日 まんのう町が成立 - 満濃町、仲南町、琴南町の合併による。
2006年(平成18年)3月21日 小豆島町が成立 - 内海町、池田町の合併による。

 

公開:2016年11月 3日
更新:2018年11月24日

投稿者:デジタヌ

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