狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

岐阜市《 タウンヒストリア 》

高度成長期の頃は地場産業「アパレル産業」の発展に寄与し、柳ケ瀬を国内有数の一大歓楽街に導いたLRTトラム網が、21世紀の幕開けとともに灰燼に帰した!

プロローグ 岐阜市とこれ迄の歩み

推計人口、401,534人2019年6月1日現在。

品川⇔(名古屋)⇔岐阜 2時間1分/11,310円 新幹線ーJR東海在来線 389.5㎞ 

岐阜⇔名古屋 30.7km 27分/470円、JR新快速 

名鉄岐阜⇔名古屋 31.8㎞ 34分/ 570円 名鉄

岐阜県の中南部に位置する中核市で、同県の県庁所在地

旧令制美濃国に属していた。明治に分割された稲葉郡(旧渥美郡、各務郡)・山県郡・本巣郡・羽島郡(羽栗郡と中島郡、)の4郡にまたがっていた。

戦国時代、金華山の麓の旧岐阜町が斎藤道三や織田信長の城下町として栄えたことで有名。

また敗戦後は

岐阜市では戦後、軍服や古着を売る繊維問屋街ができ、さらに布を仕入れて服を作って売るアパレル産業が盛んになり、全国的な産地となった。2000年代中頃以降は東京や名古屋に押されて問屋街は苦戦しており、ファッションの産地としての生き残りを図るには岐阜の個性ある特徴を打ち出すのが課題となっている。<Wikipediaより引用>

好況時には駅前繁華街"柳ケ瀬"は日本有数の繁華街として全国に知れ渡り隆盛を極めていた!

政令指定都市を目指していたが...

また周辺.町村を次々に編入して、政令指定都市(※99)を目指していたが...

1980年代に人口40万人を突破して以来、アパレル産業の衰退とともに成長?は止まり、2000年以降は団塊の世代の大量退職の影響をまともに食らい真っ先に少子高齢化の影響を受けて、さらには名古屋駅から 分という交通至便が災い?して、尾張藩(愛知県・名古屋市)の属国となり果ててしまっている?

※参99、政令指定都市に関するWikipediaの解説はこちら。

岐阜市のある岐阜県

ほぼ令制国美濃国と飛騨国で構成されている。

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

岐阜市の属していた旧美濃国

現在の岐阜市域に当たる本巣郡、厚見郡、各務郡、山県郡、羽栗郡、中島郡、6郡とその多15郡の計計21郡で成立していた。

672年:壬申の乱、大海人皇子軍(大海人皇子)x近江朝廷軍(大友皇子)

7世紀に成立した美濃国の範囲は、現在の岐阜県南部と長野県木曽郡にほぼ相当し、南隣の尾張国との境は木曽川であったが、当時の流路は現在より北で、現在の境川下流を流れていた。

木曽谷に関してはしばしば美濃国と信濃国で領有が争われたが、貞観年中(859年~876年)に朝廷は藤原朝臣正範や靭負直継雄らを派遣して国境を鳥居峠とした。

天正14年(1586年)に木曽川が氾濫して流路をほぼ現在のものに変えたことをうけて、変更された木曽川の北岸と中洲を尾張国から美濃国に割譲した。

美濃国は愛知県豊田市の一部と稲沢市祖父江町の一部も含んでいた。

江戸幕府の「入組支配」


入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩、忍藩、岩槻藩が置かれ江戸の防衛として重臣が配されたが、複雑に入り組んだ支配で、各支配地(郷)間で待遇・処遇に大きな格差が生じていた。


江戸末期(明治初年時点)での支配は次の様になっていた。(美濃国全村1,582村)。

厚見郡(59村) - 加納藩及び幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、尾張名古屋藩飛び地、陸奥磐城平藩呼び地
各務郡(41村・) -高富藩及び 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩飛び地、
羽栗郡(63村・) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩飛び地、陸奥磐城平藩飛び地
中島郡(32村・) - 幕府領(美濃郡代・名古屋藩給人毛利源内預地)、旗本領、尾張名古屋藩飛び地、尾張犬山藩飛び地

本巣郡(72村・) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、大垣藩飛び地、陸奥磐城平藩飛び地、尾張名古屋藩飛び地。

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め美濃国も幾多の行政変遷にさらされた。

1872年1月2日(旧暦明治4年11月22日) ... 笠松県(1868年成立)と廃藩置県(1871年旧暦7月)でできた今尾県、岩村県、大垣県、加納県、郡上県、高富県、苗木県および野村県が合併して岐阜県となる。

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

1874年(明治7年)6月21日 今泉村(岐阜市)八寺地内に新庁舎を建設し、移転。
1876年(明治9年)8月21日  筑摩県のうち、吉城郡、大野郡および益田郡の三郡を合併して飛騨国を含むほぼ現在の形となる。

※新政府が府県の統廃合に当たって、旧石高で60万石以上になるよう調整したので、美濃と飛騨の合併が実現した。

1887年(明治20年)1月21日:東海道線大垣駅 - 加納駅間(8M72C84L≒14.34 km)が延伸開業。旧岐阜駅が加納駅として開業。
同年4月25日:木曽川駅 - 加納駅間(4M44C78L≒7.34 km)が延伸開業し、武豊駅 - 長浜駅間が全通。名護屋駅を名古屋駅に改称。

1889年(明治22年)2月1日:国府津駅 - 静岡駅間(71M27C≒114.81 km)が延伸開業 静岡駅が開業。
同年4月16日:静岡駅 - 浜松駅間(47M35C≒76.34 km)が延伸開業し、岐阜と帝都・東京が鉄道で結ばれる。

1889年(明治22年)7月1日- 岐阜町となど周辺4村及び上加納村の北半分が合併し岐阜市誕生

同日、分岐点(のちの深谷駅) - 長岡駅 - 馬場駅間(43M22C≒69.64 km、関ケ原駅 - 分岐点間は4M45C≒7.34 km)が延伸開業し、東海道線新橋駅 - 神戸駅間が全通。

1900年(明治33年)7月25日:中央西線名古屋駅 - 多治見駅間(22M42C≒36.25km)が開業。多治見駅が開業。

1902年(明治35年)12月21日:多治見駅 - 中津駅間(27.2M≒43.77km)が延伸開業。土岐津駅(現在の土岐市駅)・瑞浪駅・釜戸駅・大井駅(現在の恵那駅)・中津駅(現在の中津川駅)が開業。

1911年2月11日 美濃電気軌道が(旧東海道線岐阜駅)駅前⇔今小町間(後の長良川線)と美濃町線、神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)⇔上有知(後の美濃町)間を開業。

1913年(大正2年)7月22日 - 東海道線岐阜駅・現在地に移転。

同年12月25日 - 長良軽便鉄道が長良(長良村) ⇔高富(岩野田村)間後の高富線を狭軌(.軌間1067㎜)の軽便鉄道法で開業。

1914年3月29日 岐北軽便鉄道が高富線同様に忠節 - 北方町(後の美濃北方)間の軽便鉄道敷設を木造電車!で開業。

同年6月2日:美濃電気軌道が笠松線(現名古屋本線)として笠松口駅(初代) - 広江駅(後に廃止)間を複線!で開業(専用軌道線として)。

1915年11月20日 - 鉄橋として4代目長良橋完成。美濃電気軌道の長良橋 - 長良北町間が開通。長良軽便鉄道市内直通運転開始。

1914年12月26日 - 美濃電気軌道笠松線(現在の名鉄名古屋本線)の新岐阜駅・新岐阜停留場開業。市内線から乗り入れ連絡。

その後鉄材不足により単線化!

1920年(大正9年)11月1日:高山線 岐阜駅 - 各務ケ原駅間(8.2M≒13.2km)が開業。長森駅・那加駅・各務原駅が開業。

1921年11月10日 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併

同年11月12日:各務ケ原駅 - 美濃太田駅間(8.8M≒14.16km)が延伸開業。鵜沼駅・坂祝駅・美濃太田駅が開業。
1922年(大正11年)11月25日:美濃太田駅 - 下麻生駅間(6.5M≒10.46km)が延伸開業。古井駅・中川辺駅・下麻生駅が開業。

1923年(大正12年)10月5日 - 鉄道省(国鉄)越美南線(現長良川鉄道) 美濃太田 - 美濃町間(11.0M≒17.7km)が開業。加茂野駅(初代、現在の富加駅)、美濃関駅(現在の関駅)、美濃町駅(現在の美濃市駅)開業。

1924年(大正13年)3月20日:高山線下麻生駅 - 上麻生駅間(3.4M≒5.47km)が延伸開業。上麻生駅が開業。

同年4月21日 美濃電気軌道が鏡島線・千手堂 ⇔鏡島間を地方鉄道法で開業。

1926年(大正15年)1月21日 - 各務原鉄道(美濃電気軌道の子会社)により安良田駅 - 補給部駅前(現・三柿野駅)間が開業。

1926年(大正15年)3月15日:高山線上麻生駅 - 白川口駅間(6.1M≒9.82km)が延伸開業。白川口駅が開業。同年7月15日 - 越美南線・美濃町 - 板取口間(2.9M≒4.67km)が開業。板取口駅(現在の湯の洞温泉口駅)開業。

1927年(昭和2年)4月10日 -越美南線 板取口 - 美濃洲原間(2.3M≒3.7km)が開業。越美南線美濃洲原駅(初代、現在の母野駅)開業。
同年10月9日 - 越美南線美濃洲原 - 美濃下川間(3.5M≒5.63km)が開業。美濃下川駅(現在の大矢駅)開業。

1928年(昭和3年)3月21日:高山線白川口駅 - 飛騨金山駅間(8.4M≒13.51km)が延伸開業。下油井駅・飛騨金山駅が開業。

同年5月6日 - 越美南線美濃下川 - 深戸間(4.2M≒6.76km)が開業。苅安駅(現在の美並苅安駅)、深戸駅開業。

同年12月28日 - 各務原鉄道(現在の名鉄各務原線)の長住町駅が開業。

1929年(昭和4年)4月14日:高山線飛騨金山駅 - 焼石駅間(5.6M≒9.01km)が延伸開業。焼石駅が開業。

1929年(昭和4年)12月8日 - 越美南線深戸 - 郡上八幡間(5.2M≒8.37km)が開業。美濃相生駅(現在の相生駅)、郡上八幡駅開業。

1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。

1930年(昭和5年)11月2日:高山線焼石駅 - 下呂駅間が開通し、岐阜駅 - 下呂駅駅間 (12.6km) 延伸開業。下呂駅が開業。
1931年(昭和6年)5月9日:高山線下呂駅 - 飛騨萩原駅間 (8.4km) が延伸開業。禅昌寺駅・飛騨萩原駅が開業。
1933年(昭和8年)8月25日:高山線・飛騨萩原駅 - 飛騨小坂駅間 (12.1km) が延伸開業。上呂駅・飛騨小坂駅が開業。(岐阜県内完成)

1935年(昭和10年)3月28日 - 各務原鉄道が名岐鉄道(同年8月1日名古屋鉄道に改称)に合併

同年4月29日 : 名鉄・木曽川橋梁の完成により名岐線の新一宮(現・名鉄一宮) - 笠松間が開通し、押切町 - 新岐阜(現・名鉄岐阜)間が全通。同区間を34分で結ぶ。

※この時期まで、名古屋本線は美濃町線同様に岐阜市内線の延長区間で有り"路面電車"が走行していた!

同年8月1日:名岐鉄道が愛知電気鉄道を合併、名古屋鉄道に社名変更。

1948年(昭和23年)5月12日:名岐線の架線電圧を1500Vに昇圧。

敗戦後の1959年(昭和34年)9月26日 ... 伊勢湾台風が上陸。美濃地方を中心に被害を受ける。

1950年6月10日 鏡島線千手堂 - 森屋間が道路拡幅工事のため休止。

1954年(昭和29年)12月21日 忠節 - 近ノ島間が経路変更 忠節駅(3代目)で岐阜市内線と接続。

1960年4月22日 高富線・全線廃止!。(開業後47年、市内線乗り入れ後45年!)

同年:岐阜市内の国道21号線の混雑緩和の為に岐大バイパス事業着手。

1964年(昭和39年)4月12日 :名神高速道路 関ヶ原IC - 栗東IC延伸開通。
同年9月6日 : 一宮IC - 関ヶ原IC、尼崎IC - 西宮IC延伸開通、により神戸港と繋がる。

1964年10月1日 東海道新幹線開業、岐阜羽島駅新設開業。

同年10月4日  鏡島線・千手堂 ⇔西鏡島間全線を廃止し、バスに転換。

1965年(昭和40年)3月:岐大バイパス 岐阜地区着工 穂積大橋(長良川)が完成

同年 7月1日 : 小牧IC - 一宮IC開通により、名神高速道路全線開通。

1966年(昭和41年)2月11日 ... 県庁舎が岐阜市薮田南に完成。岐阜市司町から移転。

1967年4月 岐阜工場市ノ坪に移転、市内線入出場ルートとして田神線が開通。

同年12月:国道国道21号線岐大バイパス全線開通(大垣地区供用)

1972年(昭和47年)10月5日 : 多治見IC - 小牧JCT開通により、東名(名神)高速道路と接続し岐阜県北部とアクセスが向上。

1973年(昭和48年)9月6日 : 中央自動車道・瑞浪IC - 多治見IC開通。

1976年(昭和51年)9月12日 ... 台風の影響による大雨で安八郡安八町で長良川の堤防が決壊するなど、9.12水害が起こり、大きな被害を受ける

1982年3月 各務原線構内改修(ホーム延伸)により市内線連絡線廃止。

1982年(昭和57年)12月11日 - 名鉄羽島線延伸開業、岐阜羽島駅開業。

1983年3月24日 岐阜羽島インターチェンジ開業。

1986年(昭和61年)3月5日 :東海北陸自動車道 岐阜各務原IC - 美濃IC開通(4車線)

1994年(平成6年)3月25日 : :東海北陸自動車道美濃IC - 美並IC開通(2車線)

1996年(平成8年)2月26日 - 東海道本線の上り線・高山本線岐阜駅周辺の全面高架連続立体交差化完成。

1996年(平成8年)4月1日 ... 県庁所在地である岐阜市が中核市に指定される。

同年4月18日 : 東海北陸自動車道美並IC - 郡上八幡IC延伸延伸開通(2車線)

1997年(平成9年)3月24日 : 東海北陸自動車道一宮木曽川IC - 岐阜各務原ICかん延伸開通(4車線)。
同年11月10日 : 郡上八幡IC - 白鳥IC延伸開通(2車線)

1998年(平成10年)12月13日 :東海北陸自動車道上 一宮JCT - 尾西IC開通(4車線)により、名神高速道路と接続。

同年 10月7日 東海北陸自動車道飛驒清見ICで中部縦貫自動車道高山清見道路と接続

2002年(平成14年)3月1日 - 関市と境界変更。

2005年4月1日に名鉄岐阜市内線が94年の歴史にピリオドを打った!

2005年(平成17年)2月13日 ... 中津川市が長野県木曽郡山口村を編入

同年3月19日 : 東海環状自動車道・豊田東JCT - 美濃関JCT間 延伸開通開通。により中央自動車道土岐JCT.ー東海北陸自動車道・美濃関JCT.間がつながる

同年4月1日 岐阜駅前 - 忠節間3.7kmが廃止され岐阜市内線及び旧揖斐線、美濃町線全廃、ライトレール網消滅!(※1)

2006年(平成18年)1月1日 - 羽島郡柳津町を編入。

2008年(平成20年)7月5日 : 東海北陸自動車道・飛驒清見IC - 白川郷IC延伸開通(2車線)により、岐阜県内全通と同時に全通。

2014年(平成26年)9月27日 ...御嶽山噴火(2014年の御嶽山噴火参照)岐阜県

※参1 )当サイト 尾張とは異なる 美濃 の気風が生んだ 名鉄岐阜市内線 の廃止とその後? はこちら。

 

公開:2017年10月27日
更新:2019年10月31日

投稿者:デジタヌ

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