狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

岐阜市内線・路面電車の廃止は失敗ではなく新時代の生みの苦しみにすぎなかった!

前書き(要約) アパレル産業と運命を共にしたLRT網

尾張とは異なる" 美濃 の気風"が生んだ妙案?!

戦火にも耐えて、戦後復興期・高度成長期に地場産業「アパレル産業」の発展を支えた、高域LRTトラム網は、アパレル産業の衰退と運命を共にして幻と消えましたが...

美濃(身の)丈に合った♥"国盗り物語"(都市計画)!

岐阜市・岐阜県のとった都市計画は一見遠回りでしたが...

財政に無理のない美濃(身の)丈に合った旧市街の都市再開発戦術「先を急がない"国盗り物語"!戦法?」は徐々に成果を上げています。

都市型BRTこそが岐阜市(民)を救える救世主!

東海環状自動車道完成までもう一息となった今、岐阜市の新しい公共交通網として、都市型BRTの躍進が始まろうとしています!

岐阜市内線・路面電車の廃止は失敗ではなく新時代の生みの苦しみにすぎなかった! の目次

※廃線データについて

当サイトで用いた廃線ルートは、全て国土地理院の公開航空写真データに基づいています。

但し"数m程度の誤差"があることはご了承願います。

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。

※本ファンタジーについて

本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...

筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。

後述する各団体とは直接関連はありません。

また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。

本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。  

プロローグ 日本人の大好きな陰謀論?はマスコミが作り上げた"都市伝説"

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名鉄岐阜市内線 の廃止と、郊外線の道路転用について考察してみました。

嘗て、東海エリア最大のライトレール網を構築していた、日本の"カールスルーエ"岐阜市!

戦火にも耐え、敗戦後の1954年に、いち早くヨーロッパ先進国に先立ち、「郊外ライトレール」と「市内軌道線」との有機的結合を成し遂げていました!が....

第1項 時は移ろい...

時の移ろいは冷酷で、岐阜市の屋台骨を支えてきたアパレル産業が衰退して、住人の多くが去り、岐阜都市圏が崩壊?して、岐阜市そのものが名古屋都市圏のベッドタウンになり果てて...

岐阜はTerminalからnode(結節点)へ

JR岐阜駅は名古屋都市圏を取り巻く、鉄道網のHub(中核)からnode(結節点)の一つとなてしまい、

岐阜市内線のTerminal(終着駅)としての岐阜駅前が重要度を増し、旧市内中心部"柳ケ瀬"は途中駅となってシマッタわけです。

岐阜市は中核都市ではなくなりカールスルーエ型LRT網は必要とされなくなっていた

中核都市の"中心市街地"をHubとして四方に鉄道網を構築する"都市圏交通カールスルーエ型トラムトレイン網(※01)は、岐阜市には既に必要とされないご時世になっていた訳です!

つまり、都市圏広域交通網(※02)には「地域経済の中核となる市街地中心部Hub」が必須条件となるわけです。

日本のマスコミCommentatorやcolumnist、Expert(有識者)、researcher(研究者)と呼ばれる人たちは、Hubその物の栄枯盛衰を見落とし(隠す!)ています!

参※01)当サイト内関連記事 トラムトレイン方式(カールスルーエタイプ)とは? はこちら。

参※02)当サイト内関連記事 都市圏 広域交通事業体 Metropolitan Transportation Authority の必要性! と実現への途とは... はこちら。

名古屋都市圏に飲み込まれた21世紀の岐阜市が生き抜くには

東海環状自動車道完成までもう一息となった今、岐阜市の新しい公共交通網として、都市型BRTを機能させた、オムニバスタウン(※03)に向かう以外手立ては無いでしょう。

参※03)当サイト内関連記事 オムニバスタウン は21世紀を生き抜く 地方都市 の救世主! はこちら。

第2項 "垢にまみれたマスコミ"の偏向取材による偏向報道が作り出した都市伝説!とは...

鉄道関連業界とつるんだマスコミが作り上げた日本人の大好きな陰謀論・都市伝説!と言えるのではないでしょうか...

第1目 都市伝説"岐阜市内線"廃止陰謀論ストリートとは...

以下は、「道路整備の遅れ」が市街地道路交通網の"動脈硬化"老化現象を起こしていた事実を、"垢にまみれたマスコミ"報道(取材)しないで捏造した都市伝説陰謀論ファンタジーの概要です。

1)岐阜市の"都市機能が麻痺"した"脳梗塞"の原因"動脈瘤"は、動脈を流れている『トラムが"動脈瘤"になっているからだ!』と市当局(の誰が???)が主張した。

(※実際はマスメディアが騒いだだけ!

2)『血管が破裂する前に、市本体と大切な「血液、乗客」を守るには、揖斐線・長良線もろとも「血管切除手術」をする!しかない』などと、一部の当局者(誰???)への偏向取材で「でっち上げた"fake報道"」を流布した。

3)2005年4月に岐阜市内の大動脈「市内線」の切除(廃止)を(マスコミが)成功させた。

4)そして『市内の大切な臓器"柳ケ瀬"」に血液(人が)流れなくなり、岐阜市の"老衰"に拍車をかけた!...』

さらに自らの偏向報道!(市内線廃止プロパガンダ)の責任逃れ!の為に、沿線住人の署名嘆願を大々的に報道して市当局を非難したわけです。

第3項 人は"都合の悪いこと"は棚に上げて忘れてしまいたい!

第1目 実際(史実)の経緯は...

1988年には岐阜市・市内線の背骨にあたる通称長良線を廃止しましたが、旧市内中心部での交通渋滞は悪化の一途を辿り、ついには身動きが取れなくなり、

2005年4月には残る区間の市内線を全廃したわけです。

岐阜市内線・揖斐線・美濃町線の周辺地域から、7万人強!の「存続希望の署名」が集まったことで、とかく市内線の廃止問題ばかりが偏向報道されて(市当局の)陰謀論(※2)に繋がるわけですが...

※参2)岐阜市内線についての日本語ウィキペディア の偏った見方はこちら。

第2目 事の発端「高富線の廃止バス転換」はマスコミが煽動!した世論?

市内線全廃のトリガーとなった「高富線の廃止バス転換」は、マスコミが煽動!して世論を盛り上げ?行われた暴挙です。

市民が廃止・バス路線転換に突き進まなくても、その後に名鉄Tram網全線で実施された"設備改善"を前倒ししておけば、道路とは独立した軽便軌道上を走る軽便軌道高富線はラッシュ時の停滞知らずのInterurban(都市圏近郊電車)として生き残れた可能性も...

高富線廃止の猛烈な"プロパガンダ"を行っていたのも当時の"マスコミ"でした!

第1節 岐阜市都市圏交通網の変遷・略年表

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第1項 名鉄Tram 網があった岐阜県と岐阜市

第1目 岐阜市とは

推計人口、401,534人2019年6月1日現在。

品川⇔(名古屋)⇔岐阜 2時間1分/11,310円 新幹線ーJR東海在来線 389.5㎞ 

岐阜⇔名古屋 30.7km 27分/470円、JR新快速 

名鉄岐阜⇔名古屋 31.8㎞ 34分/ 570円 名鉄

岐阜県の中南部に位置する中核市で、同県の県庁所在地

旧令制美濃国に属していた。明治に分割された稲葉郡(旧渥美郡、各務郡)・山県郡・本巣郡・羽島郡(羽栗郡と中島郡、)の4郡にまたがっていました。

戦国時代、金華山の麓の旧岐阜町が斎藤道三や織田信長の城下町として栄えたことで有名です。

また敗戦後は

岐阜市では戦後、軍服や古着を売る繊維問屋街ができ、さらに布を仕入れて服を作って売るアパレル産業が盛んになり、全国的な産地となった。2000年代中頃以降は東京や名古屋に押されて問屋街は苦戦しており、ファッションの産地としての生き残りを図るには岐阜の個性ある特徴を打ち出すのが課題となっている。<Wikipediaより引用>

好況時には駅前繁華街"柳ケ瀬"は日本有数の繁華街として全国に知れ渡り隆盛を極めていました!

(※残念ながら夜の柳ケ瀬に訪れたことはありません、美川憲一のご当地ソング大ヒットした柳ケ瀬ブルースはカラオケでよく歌いました!?)

政令指定都市を目指していたが...

また周辺.町村を次々に編入して、政令指定都市(※99)を目指していた岐阜市ですが...

1980年代に人口40万人を突破して以来、アパレル産業の衰退とともに?成長は止まり、2000年以降は団塊の世代の大量退職の影響をまともに食らい真っ先に少子高齢化の影響を受けてしまい、さらには名古屋駅から20分!という交通至便が災い?して、尾張藩(愛知県・名古屋市)の属国となり果ててしまっているようです?

※参99、本サイト、岐阜市"ヒストリア"は こちら

第2項 岐阜都市圏交通の歩んだRord(鉄路)

※ここをクリックすると本節をスキップして次節にワープ出来ます!

1911年2月11日 美濃電気軌道が(旧東海道線岐阜駅)駅前⇔今小町間(後の長良川線)と美濃町線、神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)⇔上有知(後の美濃町)間を開業。

1913年7月22日 - 東海道線岐阜駅・現在地に移転。

同年12月25日 - 長良軽便鉄道が長良(長良村) ⇔高富(岩野田村)間後の高富線を狭軌(.軌間1067㎜)の軽便鉄道法で開業。

1914年3月29日 岐北軽便鉄道が高富線同様に初代忠節 ⇔北方町(後の美濃北方)間の軽便鉄道敷設を木造電車!で開業。

同年6月2日:美濃電気軌道が笠松線(現名古屋本線)笠松口駅(初代) ⇔広江駅(後に廃止)間を複線!で開業(専用軌道線として)。その後鉄材不足により単線化!
同年12月26日 - 美濃電気軌道笠松線(現在の名鉄名古屋本線)の新岐阜駅・新岐阜停留場ー初代笠松間が市内線延伸区間として開業。

1915年11月20日 - 4代目長良橋(鉄橋)完成。美濃電気軌道の長良橋 - 長良北町間が開通。長良軽便鉄道市内直通運転開始。

1919年4月27日 養老鉄道(旧近鉄・現養老鉄道)桑名 - 養老間、池野 - 揖斐間が開業し全通

1920年11月1日:現JR高山線 岐阜駅 - 各務ケ原駅間(8.2M≒13.2km)が開業。長森駅・那加駅・各務原駅が開業。

1921年11月10日 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併

同年11月12日:各務ケ原駅 - 美濃太田駅間(8.8M≒14.16km)が延伸開業。

1923年(大正12年)10月5日 - 鉄道省(国鉄)越美南線(現長良川鉄道) 美濃太田 - 美濃町間(11.0M≒17.7km)が開業。美濃関駅(現在の関駅)、美濃町駅(現在の美濃市駅)開業。

1924年(大正13年)3月20日:高山線下麻生駅 - 上麻生駅間(3.4M≒5.47km)が延伸開業。上麻生駅が開業。

1924年(大正13年)4月21日 美濃電気軌道が鏡島線・千手堂 ⇔鏡島間を地方鉄道法で開業。

1926年(大正15年)1月21日 - 各務原鉄道(美濃電気軌道の子会社)により安良田駅 - 補給部駅前(現・三柿野駅)間が開業。

1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。

1935年(昭和10年)3月28日 - 各務原鉄道が名岐鉄道(同年8月1日名古屋鉄道に改称)に合併

同年4月29日 : 名鉄・木曽川橋梁の完成により名岐線の新一宮(現・名鉄一宮) - 笠松間が開通し、押切町 - 新岐阜(現・名鉄岐阜)間が全通。同区間を34分で結ぶ。

※この時期まで、名古屋本線は美濃町線同様に岐阜市内線の延長区間で有り"路面電車"が走行していた!

同年8月1日:名岐鉄道が愛知電気鉄道を合併、名古屋鉄道に社名変更。

1948年(昭和23年)5月12日:名岐線の架線電圧を1500Vに昇圧。

1950年6月10日 鏡島線千手堂 - 森屋間が道路拡幅工事のため休止。

1954年(昭和29年)12月21日  名鉄・揖斐線忠節 - 近ノ島間が経路変更 忠節駅(3代目)で岐阜市内線と接続。

1960年4月22日 名鉄・高富線・全線廃止!。(開業後47年、市内線乗り入れ後45年!)

同年:岐阜市内の国道21号線の混雑緩和の為に岐大バイパス事業着手。

1964年10月1日 東海道新幹線開業、岐阜羽島駅新設開業。

同年10月4日  名鉄・鏡島線・千手堂 ⇔西鏡島間全線廃止バスに転換。

1965年(昭和40年)3月:岐大バイパス 岐阜地区着工 穂積大橋(長良川)が完成

1967年4月 名鉄岐阜工場市ノ坪に移転、市内線入出場ルートとして田神線が開通。

同年12月:国道国道21号線岐大バイパス全線開通(大垣地区供用)

1982年3月 各務原線構内改修(ホーム延伸)により構内連絡線廃止。

1984年10月6日 - 樽見鉄道(谷汲口)開業。

同年12月11日 - 名鉄羽島線延伸開業、岐阜羽島駅開業。

1986年(昭和61年)11月1日 - 岐阜駅周辺高架連続立体交差化工事着手。

※この時、岐阜市・JR・名鉄でどのような話になったのか?名古屋本線の交差部分は単線のまま!

1987年4月1日 国鉄分割民営化JR東海発足。

1996年2月26日 - 東海道本線の上り線・高山本線岐阜駅周辺の全面高架連続立体交差化完成。

2003年(平成15年)3月21日に鵜飼い大橋(どちらも長良川)開通。全13.6キロメートル国道21号・156号と合わせて岐阜市中心部の外郭を環状に結ぶ道路が完成。

2005年4月1日  名鉄忠節線・岐阜駅前 - 忠節間3.7kmが廃止され岐阜市内線及び旧揖斐線、美濃町線全廃、が94年の歴史にピリオドを打ちライトレール網消滅!

第2節 先を急がない"国盗り物語"(都市計画)とは?

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時系列の"史実"で眺めれば岐阜市のとった戦略は正しかった!といえるでしょう。

以下のシナリオ(施策)は一見遠回りですが、(財政に)無理のない「美濃(身の)丈に応じた」旧市街の都市再開発計画だったといえるのではないでしょうか!

  • 1)Interurban(都市圏近郊軌道)廃止→バス路線転換
  • 2)路線敷地買い上げ→道路用地転換
  • 3)周辺う回路(バイパス)整備で市街地通過車両締め出し!
  • 4)市街地改造都市計画(メインストリートの拡幅整備)で中心市街地の交通渋滞解消!
  • 5)都市機能回復

第1項 岐阜市は地方都市圏交通インフラ整備のお手本になるかも?

第1目 "鉄輪Tram"は数あるtransporterの一つにしか過ぎない!

撮り鉄などの「鉄オタ」は「鉄路」に拘るようですが、公共交通機関:トランスポーテーションシステムは「鉄道」だけではありません!(※10)

1980年代の「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(※11)で明確に示された通り旅客輸送密度4,000人未満の地方鉄道路線は「公共インフラ温存・生き残りの為」にはバス転換が最適だったのです!

※参10)当サイト内関連記事 .鉄道 は陸上旅客輸送の1手段にしか過ぎない! はこちら。

※参11)「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」についてのWikipediaの解説はこちら。

第2目 岐阜市を活気ある街に再生するために頑張っている♥「BusTram」

災い転じて福となす、令和元年現在の岐阜旧市街の主要幹線は見違えるように立派になりトラムこそなくなりましたが、2011年3月27日からメルセデス・ベンツ・シターロ ・トラム型低床連接バス(※12)が登場して、当初岐阜大学・病院線の専用直行便に使用されていたこのバスも 2011年10月1日からは、途中3停留所に停車する都市型「BRT」となり120人の輸送力を生かして以前の名鉄チンチン電車以上に大活躍しています!

※参12)当サイト内関連記事、紛い物ではない!"本物"の ライトレール 擬き?『 Busse-Tram ( バス・トラム )』現る!はこちら

第3節 道路整備に掛けた岐阜市の歩んだ"道"

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Step1. 岐阜旧市街地を抜ける国道21号線ほかの通過車両対策

1950年代の終わりには、急激なモータリゼーションの津波に襲われて、岐阜市内の道路事情は急激に悪化していました!

第1目 岐大バイパス計画

当時の建設省の道路整備計画で、旧岐阜市街を東西に横断する21号線のバイパス構想が持ち上がり、1974年には岐阜市東中島から垂井町綾戸の23.9 kmの岐大バイパスが全線開通し、旧市街に流入する、通り抜け車両による渋滞も幾分緩和されるようになりました。

更に1997年の往復6車線化により、通過車両は激減しましたが...

旧市街地の道路事情は劣悪すぎました!

計画から完成まで

1960年(昭和35年):事業着手
1964年(昭和39年):岐大地区着工
1965年(昭和40年)3月:岐阜地区着工、穂積大橋(長良川)が完成
1974年(昭和49年)12月:全線開通(大垣地区供用)
1986年(昭和61年):岐阜、岐大地区4車線化供用
1997年(平成9年):岐大地区一部6車線化!
2010年(平成22年):大垣地区一部6車線化!

第2目 岐阜県道77号岐阜環状線の取り組み

同時期に国道156号線(高富線)子混雑緩和の為に岐阜県道77号岐阜環状線計画も実施に移されました。

1974年(昭和49年)に鏡島大橋開通。

2003年(平成15年)3月21日に鵜飼い大橋(どちらも長良川)が開通して、全13.6キロメートルの全面開通で国道21号・156号と合わせて岐阜市中心部の外郭を環状に結ぶ道路が完成して市内を通過する車両は減少していました。

更には2008年(平成20年)3月頃に合流直後の岩戸トンネル、国道156号が4車線化し、合流部部での渋滞は解消されました。

つまり、この時点で残るは市街地の道路整備と市街地改造だけの問題となっていたわけです!

Step2. 鉄道廃止と敷地(買い上げ)転換による周辺道路整備

岐阜県・岐阜市・名鉄との不可思議な協調関係!?が...

●ブルーラインは自動車専用道と幹線網

第1項 長良橋から先に伸びていた軽便鉄道!高富線

高富線→国道256号線&都市計画道の流れ

開業数年後で美濃電気軌道に吸収合併されましたが、全線が軽便軌道法(※3)に下ずく軽便鉄道!として開業しており、廃止まで全線にわたり軽便鉄道線で併用軌道部分はありませんでした!

現在廃線跡拡幅されて一般市道及び国道256号線になっています。

地図の通り、軽便軌道の生い立ちにしては珍しく線形もよく!さらには廃止当時迄利用者も多い路線でしたが!...

全線にわたり30㎏軌条、一部20㎏の軽(ライト)レール!使用の単線軽便鉄道規格(※3)で敷設されていて、当時の使用車両だった2軸9m単行木製車両!では輸送力が問題となっていました。

更には高速走行していたのに、前時代的な"手回しブレーキ"!(機械式)なので暴走事故が度々発生していました!

※参3)1909年に公布された「軽便鉄道法」に関するWikipediaの解説はこちら。

一般的に軽便鉄道は軌間762㎜などの軌間1067㎜以下のナローゲージをイメージしやすいですが...軌間についての条項はなかった!ので貨物車両乗り入れを考えて全国各地に国鉄規格の軌間1067mmの狭軌軽便が敷設されていました。

設備改善もしないままに最初の餌食に

何故、7年後の1967年に行われた(市内線)12m級大型ボギー車への転換と路線改良を、前倒し出来なかったのか、悔やまれるところですが?...

前途したようにバス路線転換への地元住人からの強い要望!を受けた岐阜市が申し入れた結果、名鉄がこれ幸いと廃線にしたわけです!

戦前に合併を繰り返して巨大化しすぎていた名鉄は、1960年当時鉄道路線網のリストラ(廃止・縮小)を進めていました。

つまり戦前から続く繊維産業・アパレル産業の隆盛で郊外にまで広がった住宅地と、急増した沿線住人の「軌道廃止バス路線転換の声」に後押しされた岐阜市と、名鉄の利害がうまく一致したのでしょう?

沿革

1911年2月11日 美濃電気軌道が(旧東海道線岐阜駅)駅前⇔今小町間(後の長良川線)と美濃町線、神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)⇔上有知(後の美濃町)間をチンチン電車で開業。

1913年12月25日 長良軽便鉄道が長良(長良村) ⇔高富(岩野田村)間を狭軌(.軌間1067㎜)で開業。
1915年11月20日 - 4代目長良橋(鉄橋)完成。美濃電気軌道の長良橋 ⇔ 長良北町間が開通。長良軽便鉄道市内直通運転開始。
1920年9月 - 美濃電気軌道が長良軽便鉄道を吸収合併。

1930年(昭和5年)8月20日 - 名古屋鉄道が美濃電気軌道を吸収合併。
同年9月5日 - 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更

1932年7月1日 - 長良村が岐阜市に編入され消滅。

1935年(昭和10年)8月1日 - 名岐鉄道が名古屋鉄道に再度社名変更

敗戦後の1949年7月1日 - 岩野田村が岐阜市に編入され消滅。

1954年(昭和29年)12月:(5代目)長良橋が高富線の延長上!に開通。

1956年(昭和31年)11月:岐阜市内線が長良橋の東端に移設される。

1960年4月22日 全線廃止!。(開業後47年、市内線開通後45年!)

その後旧高富線区間は、都市計画道・及び県道→国道256号線となった!

第2項 鉄道路線!だった鏡島線→県道92号線都市計画道路整備の流れ

この路線は旧美濃電気軌道(その後の名鉄)が敷設した、鉄道線!です。

つまり専用軌道でもなければ、前途の軽便鉄道でもない、当時の地方鉄道法によるれっきとした鉄道路線!でした。

沿革

1924年(大正13年)4月21日 美濃電気軌道が千手堂 ⇔鏡島間を開業。
1925年6月1日 市内線の徹明町 - 千手堂間が開業し、接続。
1926年(大正15年)11月1日 弘法西口 - 鏡島間に川原畑駅開業。
1930年(昭和5年)8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。
9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。鏡島線となる。
1935年(昭和10年)8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に再度社名変更!
1941年(昭和16年)10月21日 市民病院前駅開業。
戦時中1944年(昭和19年)12月11日 森屋 - 鏡島間 不要不急路線として休止

1950年6月10日 千手堂 - 森屋間が道路拡幅工事のため休止。

同年7月11日 千手堂 - 森屋間 併用軌道チンチン電車として運行再開。(※旧地方鉄道法のままで)
1954年(昭和29年)9月10日 鏡島 ⇔ 合渡橋(廃線時西鏡島駅)間延伸開業とともに弘法口⇔ 鏡島間運行再開

1964年(昭和39年)10月4日 千手堂 ⇔西鏡島間全線を廃止し、バスに転換。

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Step3. 1988年の市内線(長良線)の廃止は第一歩、2005年の市内線&ライトレール全廃は最後の詰め?

1914年3月29日 岐北軽便鉄道により開業した旧名鉄揖斐線と1911年開業の旧美濃電気鉄道・市内線・美濃町線が1954年(昭和29年)12月21日 に忠節駅(3代目)で接続して1967年(昭和42年)12月17日から 2005年の市内線全線廃止までの長きにわたり、市内線(併用軌道区間)⇔揖斐線間でトラム型の高速軌道車両直通運行されていました!

第1目 岐阜市内線の生涯

沿革

1911年2月11日 美濃電気軌道が(旧東海道線岐阜駅)駅前⇔今小町間を開業
同年10月7日 今小町 - 本町間が開業
1912年(大正元年)8月28日 本町 - 長良橋間が開業
1913年8月21日 国鉄岐阜駅移転に伴い、駅前(後の岐阜駅前)停留場を移転
1915年11月20日 長良橋 ⇔長良北町間開業。長良軽便鉄道(後の高富線)と接続
1925年6月1日 徹明町 ⇔ 千手堂間が開業。前年開業の鏡島線と接続
同年12月11日 千手堂 ⇔ 忠節橋間が開業。北方線(後の揖斐線)とは徒歩連絡
1930年(昭和5年)8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を岐阜市内線となる
同年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更
1935年8月1日 名岐鉄道が2代目名古屋鉄道に再度社名変更。
1954年(昭和29年)12月21日 揖斐線が経路変更され忠節駅(3代目)で接続

1959年4月1日 - 合渡村が岐阜市に編入され、合渡村(揖斐線沿線)が消滅する

1960年4月22日 高富線全線廃止!。(開業後47年、市内線開通乗り入れ後45年!)

1962年(昭和37年)1月 - 羽島新線の建設計画を示唆

1963年(昭和38年)5月 -名鉄・羽島新線事業 免許取得。

1967年(昭和42年)7月24日 全車両ボギー車化

※つまり、高富線廃止時点では、2軸木製単行車両で運行されていた!
同年12月17日 揖斐線直通の急行を運転開始

1970年(昭和45年)6月25日  田神線各務原線田神⇔競輪場前 連絡田神線開業、新岐阜(各務原線)⇔美濃町間運行開始。新岐阜 - 美濃間に急行を運転開始。

1975年(昭和50年)12月 - (用地買収及び、先行着工1978年(昭和53年)3月30日から羽島新線本格着工

1982年(昭和57年)3月 新岐阜駅前 - 新岐阜(各務原線構内)間の連絡線廃止

1988年(昭和63年)6月1日 通称長良線(市内線本線) 徹明町 - 長良北町間3.9km廃止!

2005年(平成17年)4月1日 岐阜駅前 - 忠節間3.7kmが廃止され全廃

その後旧市内線部分の道路拡幅整備事業に着手!

第2目 明治最後の年に生まれた美濃町線の生涯

1911年(明治44年)2月11日 美濃電気軌道が神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)⇔上有知(後の美濃町)間を開業。


1915年(大正4年) 神田町駅を美濃電柳ヶ瀬に改称。

1921年7月1日 に初代名古屋鉄道が名古屋電気鉄道が所有していた郊外5路線 54.9kmを譲渡され、

1923年10月1日 松森 - 新美濃町(後の美濃)間を移設し新美濃町駅に改称。
1924年(大正13年) 新美濃関駅を新関駅に改称。
1928年(昭和3年) 赤土坂駅休止。
1931年(昭和6年)1月1日 美濃電柳ヶ瀬駅を岐阜柳ヶ瀬駅に改称。
1930年(昭和5年)8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。美濃町線となる。
同年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年(昭和10年)8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に再度社名変更。

1941年(昭和16年)8月12日 : 新名古屋地下トンネルが竣工。東枇杷島駅(移設) - 新名古屋(現、名鉄名古屋)駅間が開業。

※名古屋鉄道(旧名岐鉄道)は

敗戦後1949年(昭和24年)10月1日 せ1944年(昭和19年)野一色駅再開(戦前1944年休止駅)。
1950年(昭和25年)4月1日 徹明町 - 梅林間の新線開業。美濃町線の起点を徹明町駅に変更
1953年(昭和28年)4月12日 徹明町 - 梅林間が複線化。
1954年(昭和29年)10月1日 新美濃町駅を美濃駅と改称。
1970年(昭和45年)6月25日 田神線の開業により、新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)に美濃町線電車が乗り入れ開始。

1975年(昭和50年)9月16日 急行廃止。
1983年(昭和58年)6月15日 新関 - 美濃間が昼間ワンマン運転化。
1999年(平成11年)4月1日 新関 - 美濃間6.3kmが廃止、新関 - 関間が開業(手続き上は新関 - 関間0.3km線路移設、関 - 美濃間6.0km廃止!
2005年(平成17年)4月1日 市内線廃止と共に徹明町⇔関間18.8km全線廃止!
新関 - 関間の軌道は、新設後(手続き上は線路移設)わずか6年で廃止された。

※"なにわ"在住の小生ですが、1983年当時、"故あって"新岐阜駅から美濃町線に乗車したことがありました!勿論鉄道線(各務原線)の一部区間もTram Carで走行したわけですが...長閑なRural line(肥えたご路線)だった印象しか...

第3目 生涯インターアーバンであり続けた 名鉄旧揖斐線(1912年創業)と谷汲線

最後までInterurban(都市圏近郊電車)としての役割を全うしたのが揖斐線でした!

※名鉄揖斐線を快走する在りし日のチンチン電車(その後一部の車両は福井鉄道にも譲渡されている)の雄姿!

開業から廃線まで辿った波乱万丈の鉄路

1914年(大正3年)3月29日 岐北軽便鉄道が高富線同様に忠節 - 北方町(後の美濃北方)間の軽便鉄道を木造電車!で開業。
1915年)4月6日 鉄道免許状下付(本巣郡席田村-揖斐郡大野村間)開業。
1921年(大正10年)11月10日 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併し。美濃電・北方線となる。
1926年(大正15年)4月6日 美濃電気軌道北方線 北方町 - 黒野間が開業。
1928年(昭和3年)12月20日 美濃電気軌道北方線 黒野 - 本揖斐間が開業。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。
9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。北方線を揖斐線と改称。
1935年8月1日 名岐鉄道が再度・名古屋鉄道に社名変更。
1938年8月4日 長良川改修工事のため忠節 - 尻毛間を休止。
1939年2月13日 近ノ島(西) - 尻毛間運行再開。
1941年12月20日 忠節 - 近ノ島(西)間が運行再開。
敗戦後1948年8月1日 岐阜市内線忠節橋停留場が忠節駅(2代目)前の後の早田停留場の場所に移転。
1954年(昭和29年)12月21日 忠節 - 近ノ島間が経路変更 忠節駅(3代目)で岐阜市内線と接続。

1959年4月1日 - 合渡村が岐阜市に編入され、合渡村が消滅する

1967年12月17日 岐阜市内線直通の急行を運転開始。

1984年10月16日 黒野 - 本揖斐間で閑散時ワンマン運転開始。
1987年5月11日 忠節 - 黒野間で一部列車除きワンマン運転開始。
1998年(平成10年)4月6日 忠節 - 黒野間の全列車が岐阜市内線直通運転となる。
2001年10月1日 黒野 - 本揖斐間5.6 kmが廃止。
2005年4月1日 市内線の廃止とともに忠節⇔ 黒野間12.7 kmが廃止、全線廃止!

第4目 美濃町線と共に短命に終わった 田神線

1967年(昭和42年)4月18日 - 競輪場前から岐阜工場までの引込線が開通(競輪場前 ⇔市ノ坪間の前身)。
1970年(昭和45年)6月25日 - 田神線として開業。
2005年(平成17年)4月1日 - 廃止。

エピローグ オムニバスタウンで明るい未来を目指す岐阜市 

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第1項 市内線廃止後の慢性的な交通渋滞を道路整備で乗り切った

旧市街の慢性的交通渋滞は道路拡巾整備に手が付けられなかったことが最大の原因であることは明白でした。

チンチン電車廃止後も交通渋滞はさらに悪化して同時に繁華街"柳ケ瀬"の衰退も加速されました。

旧・岐阜市内の目抜き通りは「シャッター通り化」が加速されてしまいましたが...、

やっと"市民も本質に気づき"道路拡幅・市街地改造計画の立ち退き問題にも応じるようになり出しました。

長年の懸案だった、市街地改造計画も前進して以前とは比べ物にならないほど交通事情が一変しました!

しかし、その代償として地方都市に最適な公共交通機関「トラム」を失ってしまった!のも事実です。(※7)

その後2011年に「LRTの整備等に対する総合的な支援スキーム」(※8)体制が誕生10年目の国交省により策定され、各地で都心部街路整備区画整理事業(※9)に良い結果を生んでいますが当の岐阜市内は...

※国交省の支援で見違えるようになった豊橋市内

※参7、当サイト内関連記事 交通アクセスの変遷《 鉄道ヒストリア 》日本各地から森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が消えた理由はこちら。

※参8)LRTの整備等に対する総合的な支援スキーム に関するページはこちら。

※参9)2011年国土交通省編街路交通施設課作成 LRT等の都市交通整備のまちづくりへの効果 公式ガイダンス資料はこちら

第2項 令和の大合併が実現できれば...

300年に渡る江戸時代の、"入り組み政策"で生じた都市間の格差・確執を乗り越えて、美濃の統一がなせれば、尾張の属国ではなくなるでしょう!

東海環状自動車の全通を契機に、岐阜県が音頭を取って、岐阜市と大垣市を中心とした令和の大合併を実現できれば...

リニア中央新幹線の開業で、"日本の副首都"になれるかもしれない、お隣愛知県の名古屋市(※99)の属国んき甘んじることなく、対等な立場で中京メガロポリス圏を形成出来て、共に発展できるかもしれません!

東海環状自動車道が結ぶ、木曾川以北の岐阜県域、旧美濃国が大合併をすれば政令指定都市、も夢ではありません!

更に岐阜市が中心となって、"経済特区"を申請して、先端科学技術ベンチャー企業を大集結させれば、岐阜中心部に嘗ての繫栄が取り戻せるかもしれません!

各市の人口

  • ●岐阜市 推計人口 400,118人/2020年9月1日現在
  • ●瑞穂市 推計人口  56,106人/2020年9月1日現在
  • ●羽島市 推計人口 66,312人/2020年9月1日現在
  • ●大垣市 推計人口 158,386人/2020年9月1日現在
  • ●各務原市 推計人口、 143,641人 /2020年9月1日現在

※政令指定都市は人口100万人が目安となっていますが80万人でも可能です!

参※99)当サイト関連記事 新信長の野望?リニア中央新幹線 開業で名古屋市 が " 日本経済の中心地 "になる時... はこちら。

リニア中央新幹線が救世主になるかも...

名古屋から30分前後という事は、リニア中央新幹線が開業すると帝都東京っと30分で結ばれるという事です!

つまり、考えようによっては、静岡市などよりも企業誘致では俄然有利になります!

コロナ災害のおかげで?普及したICTによるテレワークで、東京本社に従業員を集めなくてもよいようになりました!特に先端科学産業のベンチャービジネスでは、東京都に本社を置く必要は無いわけです!

東京の本部には、営業スタッフ、だけを配置して、開発エンジニアリング部門は、岐阜にあってもICTによるバーチャル会議システムで、打ち合わせ会議は出来ます!

更に海外に出張する場合でも、セントレアまでミュースカイで容易く移動できます。

今までは東海自動車道に通り抜け?されていたのも東海環状自動車道が全通すれば...、高速全ての主要高速道と繋がって、交通至便エリアとなり、部品製造業や、マザーマシンメーカーなどからも、注目されるエリアとなるでしょう!

第3項 都市型BRTが大活躍するオムニバスタウンで更なる発展を

今後、市民の利便の為には、名古屋市同様に、専用レーン・中央走行方式のBRT採用を採用して、オムニバスタウンを目指すことが21世紀の岐阜市の向かうべき姿でしょう。(※13)

♥ヨーロッパのオムニバスタウン・ベルギーMETTIS virage serré を走るVanHool社製ハイブリッドBus Tramの例。

参※13)当サイト内関連記事 オムニバスタウン は21世紀を生き抜く 地方都市 の救世主! はこちら。

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後書き《 国土計画・都市計画とは...》シリーズについて

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Megalopolis指向は嘗ての幻影!

嘗て、高度成長期に一世を風靡した近隣都市と連携したMegalopolis 広域都市圏構想がすっかり影を潜めて?

昨今は、地方の中核都市ではMetropolis( コンパクトシティー)指向がトレンドとなり、

職住一致環境の構築で『災害時の帰宅困難者』問題や、過剰なインフラ整備への公共投資を軽減する方向に向かっていますが...

人の営み、暮らし向きは無視できない

コミュニティーを構成する個人は十人十色で、為政者の思い描くような方向には、都合よく向かってくれないのも実情です!

"統治"に重点を置いた都市計画(道路計画・町割り計画)では、時々刻々と変化する社会情勢(経済活動)に対応できません。

つまり人の営み(経済活動)、暮らし向き(生活圏)を無視した都市計画は"絵に描いた餅"同様に...

参※)当サイト内関連記事 駅前空洞化・中心市街地空洞化は垢にまみれた ジャーナリスト ・ 有識者 ? が作り出した 反政府 プロパガンダ 用語 ?! はこちら。

第1項 首都圏では広域公共交通事業の見直しが...

特に、今後も一極集中が進むであろう首都圏では"アメーバ"のように変化する生活圏に、

"柔軟"に対応・追従できる"フレキシビリティ"が求められているわけです。

首都圏では、旧河川に下ずいた複雑に"入り組んだ行政区"を、見直す時期にもなってきているのではないでしょうか?

東京メトロ・都営地下鉄の早急な♥事業統合が...

特に今後も発展(一極集中)を続ける首都圏では、各行政当局がローカルエゴを捨てて、"首都州"構想を前進させたほうが、首都圏全体のインフラ整備の一元化が行えて"無駄"がなく、日本の将来の為にもなるかもしれません!

参※)当サイト内関連記事 首都圏の" 通勤5方面作戦 "の実態は"都民汲み出し作戦! はこちら。

第2項 首都圏以外の"地方都市"では

衛星都市の過疎化対策が...

地方の中核都市(大都市)郊外の衛星都市(ベッドタウン)では、少子高齢化と中核都市への住人回帰(転出者)による、"過疎化"にどう対処するか?

更に、嘗て高度成長期を支えてきた"重厚長大産業"と共に栄えてきた、地方の産業都市にとっては、安価な発展途上国製品に押された生産量減少、とリストラによる就労者減少の影響、による財源(税収)減少に伴う都市衰退が"深刻な問題となってきています。...

Metropolitan Transportation Authorityの方向へ向かう必要が

各市町村がバラバラに都市計画を策定するのではなく、周辺都市との合併も視野に入れたMetropolis(大都市)化と都市機能集約(コンパクトシティー化)への"路線"転線にはMetropolitan Transportation Authority(都市圏広域交通事業体)への事業者集約・統合が不可欠となるでしょう。

参※)当サイト内関連記事  都市圏 広域交通事業体 Metropolitan Transportation Authority の必要性! と実現への途とは... はこちら。

♥RTD(Regional Transportation District,デンバー都市圏広域交通事業団の例

結言 国土軸は traffic network の再構築で

安直な(Lifelineとは程遠い)鉄道神話崇拝と箱物行政の時代は過去の幻影です!

周りを天然運河(海)に囲まれている我が日乃本では、重厚長大・大量貨物輸送は海運のほうが効率的です!

もう一度『全ての路はローマに通ずる』の真の意味あい「国家の基盤は traffic network!構築」と言う"原点に立ち返り"、

鉄道神話と箱物行政に別れを告げて、実効的な高規格幹線道路・地方高規格道路、港湾施設改修、空港整備など総合的・体系的なインフラ構築が必要となってきているのではないでしょうか?

狸穴総研 政経調査室 出自多留狸

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公開:2019年10月31日
更新:2022年8月21日

投稿者:デジタヌ

ゆとりーとライン路線存続には基幹バスへの転換と栄バスターミナルへの路線延伸しか...TOP名鉄 名古屋駅 列車集中 カオス解消の迷案?バイパス新線建設による本数削減案


 

 



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