狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

東海市《 タウンヒストリア 》

東海市芸術劇場のある東海市のあらまし

愛知県の知多半島の付け根に位置する市である。

推計人口、113,015人/2017年10月1日。

太田川-金山(名古屋市)12分/400円/14.5km/名鉄

太田川-名古屋-品川 2時間9分/11850円/377.3km/名鉄・JR新幹線

名古屋南部臨海工業地帯の一角を形成し、愛知製鋼、大同特殊鋼、新日鐵住金、等中部圏最大の鉄鋼関連産業で栄え「鉄鋼のまち」として知られる。

2000年以降も順調人口が伸び10万人を突破し11万人台を推移している。

年齢別人口比率では20代から40代のいわゆる働き盛りのヤングジェネレーションが全国平均を大幅に上回り、それにともなって10代未満の幼年層も多い大都市近郊住宅地のパターン。

長年農耕には適さなかった西部に拡がる小高い丘陵地、嘗ての「みかん畑」や「雑木林」の宅地化が「転入組」を増やし若年層の増加にも貢献している結果に繋がった。

逆に40代後半からの壮年・後年齢層は全国平均を大幅に下回り、若さに満ちた活気のある町となっている。

古来から典型的な漁村で「海老せんべい」を尾張藩主に献上していた海老せんべいの老舗、坂角総本舗の本社兼本店がある。

愛知用水によって発展した東海市のこれまでの歩み

1889年(明治22年)10月1日 - 横須賀村が町制施行。横須賀町となる。
1906年(明治39年)5月1日 - 横須賀町、大田村、加木屋村、高横須賀村、養父村が合併し、横須賀町となる。
1906年(明治39年)9月1日 - 名和村、荒尾村、富木島村が合併し、上野村が発足。

1940年(昭和15年)3月8日 - 豊田自動織機製作所製鋼部門が独立し、豊田製鋼株式会社設立

1943年(昭和18年)5月 -豊田製鋼(株) 知多工場操業開始
1945年(昭和20年)11月 - 豊田製鋼(株)→愛知製鋼株式会社に社名変更

1955年10月:愛知用水公団設立。

1957年11月:愛知用水着工。

1958年(昭和33年)9月1日 -愛知用水着工を機に 富士製鐵、愛知県などの周辺自治体、トヨタ自動車を中心に中部財界共同出資で東海製鐵株式會社を設立。
1960年(昭和35年)7月23日 - 東海製鐵(株)愛知用水完成を見すえて起工式を行う。

1961年,愛知用水完成。この後一大農産地へ転換し豊富な工業用水に支えられ鉄鋼基地と成っていった。

1963年 大同特殊鋼知多工場第二期工事完成

1967年(昭和42年)8月1日 - 東海製鐵が富士製鐵に合併、同社の名古屋製鐵所として発足。
1969年(昭和44年)4月1日 - 横須賀町と上野町が合併し、東海市となる。

1980年 514席の小規模ホールを持つ文化センター開館。

2003年(平成15年)3月 中部国際空港「セントレア」開港を見すえて輸送力増強の一貫として太田川駅周辺高架化及び増線工事開始。

2005年2月17日に中部国際空港「セントレア」開港。

2011年12月名鉄初となる3層構造の高架駅賭して完成。

2012年(平成24年)3月に駅東側の駅前広場が完成。

2015年10月4日東海市芸術劇場が入る西口再開発事業の複合施設「ユウナル東海」が完成。「東海市芸術劇場」が開館。

 

公開:2016年11月 4日
更新:2019年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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