『タヌキがゆく』狸穴ジャーナル

刈谷市《 タウンヒストリア 》

刈谷市とこれ迄の歩み


推計人口、151,203人/2018年4月1日

刈谷ー名古屋 19分/¥410/JR

刈谷ー(名古屋)ー品川 2時間9分/¥11,330/在来線-新幹線

トヨタグループ主要企業の本社・工場が集まる日本有数の自動車工業都市であり、トヨタ自動車の発祥の地でもある。

2018年現在も人口が増え続けている発展途上にあるある町。

刈谷市町のこれまでの主立った出来事


平安時代末期から室町時代にかけては、知立を中心とした広大な荘園であった重原荘の一部となっていて、地頭の重原氏や二階堂氏、大仏氏が支配ていた。

刈谷の城下町としての歴史は戦国時代前期の天文2年(1533年)、水野氏宗家の水野忠政の刈谷城築城に始まる。

三河・尾張に於ける有力な豪族であった水野氏の拠点として刈谷はしだいに政治的戦略的に重要性を増していき城下町としての体裁を整え始めた。

江戸幕藩体制の刈谷藩は水野勝成の三万石で始まった。その後江戸中期までは頻回に転封があり、石高の最小は阿部氏の一万六千石から最大は本多氏の五万石まで変化したが、いずれも譜代の小藩であった。

市の南部や東部の一部(半城土、小垣江など)は重原藩の地域が多く、他に、西大平藩などの領地もあった。

幕末期、刈谷藩主土井利善は早くから西洋式軍隊の優位性を認め西洋式軍事訓練を行う開明的な譜代大名として知られており幕府陸軍奉行に任じられ、やがては幕閣を担う逸材として将来を嘱望されていたが、元藩士の起こした天誅組の変により責任を問われた彼は隠居に追い込まれたのち失意のうちに死去した。

明治以降、三河国内の旗本・寺社・幕府領を総括する三河裁判所が設置されたのち三河県となり、さらに伊那県に編入されその後、

1871年8月29日(明治4年7月14日)- 廃藩置県により刈谷県その他9県が誕生。

同年12月26日三河10県および伊那県足助庁および尾張国知多郡が統合され、額田県が設置される

1872年1月2日(明治4年11月22日)の第1次府県統合で名古屋県(旧尾張藩)と犬山県が統合して2代目名古屋県を設置。、

1872年5月8日(明治5年4月2日)に改称して初代愛知県となった。同年11月27日(11月27日)、第2次府県統合により額田県が編入され、2代目愛知県となる。

1888年(明治21年)9月1日:浜松駅 - 大府駅間(55M44C4L≒89.40 km)が延伸開業。浜松駅・馬郡駅(現在の舞阪駅)・鷲津駅・豊橋駅・御油駅(現在の愛知御津駅)・蒲郡駅・岡崎駅・刈谷駅が開業。浜松駅 - 長浜駅間が本線、大府駅 - 武豊駅間が支線となる。

1889年(明治22年)4月16日:東海道線静岡駅 - 浜松駅間(47M35C≒76.34 km)が延伸開業し帝都・東京と繋がる。

同年7月1日:東海道線  長岡駅 - 馬場駅間(43M22C≒69.64 km、関ケ原駅 - 分岐点間は4M45C≒7.34 km)が延伸開業し、新橋駅 - 神戸駅間が全通し関西ともつながる。

1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。碧海郡刈谷村の区域に刈谷町が発足。

東海道本線開通時の刈谷駅設置、商業、酒造業、蚕業、窯業等の発達と市域の拡大、刈谷駅で南北にクロスさせる形での三河鉄道敷設の成功、豊田自動織機の誘致が工業都市としての発展につながった。

1914年(大正3年)に三河鉄道(現名鉄)大浜 - 刈谷新間、翌年に刈谷新 - 知立間が開業した。

1923年(大正12年)11月豊田紡織が刈谷町の熱心な誘致運動により刈谷進出。刈谷駅周辺には豊田系の工場が集積するようになった。

1927年(昭和2年)三河鉄道省線刈谷駅乗り入れ実現。刈谷駅は鉄道省・三河鉄道の共同使用駅となり、駅南口を設置した。

1941年(昭和16年)6月に三河鉄道は愛電の後身である名古屋鉄道へ吸収合併され名古屋への別ルートが完成した。

太平洋戦争中には数日違いで空襲を逃れ(連合国の具体的標的の1つになっていた。)戦後は急速に工業都市へと変貌した。

1950年(昭和25年)4月1日 - 刈谷町が市制施行して刈谷市が発足。

1953年(昭和28年)7月東海道本線・浜松 - 名古屋間の電化工事が完了。湘南型電車による電車運転に切り替わり、所要時間が大幅に短縮された。

1965年 刈谷市民会館オープン。

1969年(昭和44年)5月26日 : 大井松田IC - 御殿場IC間 開通により、全線開通。トヨタIC.経由で首都圏と直結する。

1994年(平成6年) - 米軍に接収されていた依佐美送信所(無線塔)が日本に返還される。

2003年(平成15年)
3月15日 : 豊田JCT開通により伊勢湾岸道(豊田東IC方面)と接続。

2003年(平成15年)
3月15日 : 豊田東IC - 豊田JCT間が暫定4車線で開通し、東名高速道路と接続。
3月23日 : 豊明IC - 名古屋南IC間が開通し、同時に名古屋南JCTが供用して名古屋高速3号大高線と接続。東海IC豊田JCT方面入口が供用開始

12月25日 : 豊田南IC - 豊明IC間が開通し、大府ICの豊田JCT方面出入口が供用開始。

2004年(平成16年)12月4日 : 刈谷ハイウェイオアシスが供用開始。
同年12月12日 : 豊田JCT - 豊田南IC間が開通し、東名高速と東名阪自動車道が伊勢湾岸自動車道で直結。

2008年(平成20年)2月23日 : 新名神高速道路の亀山JCT - 草津田上IC間開通により東名、名神の豊田JCT - 草津JCT間の伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道経由によるダブルネットワークが完成し京阪神とさらに便利よくなる。
2010年3月31日アイリス開館。

 

公開:2016年11月 4日
更新:2019年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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