福井飛行場の悲惨な現実《 敦賀国際空港 第1回 》
プロローグ お粗末な"現・福井滑空場"!
地元民でもどこにあるのか知らない?あまりにもお"粗末!"な福井空港。
第1項 現・福井空港(福井飛行場)の現況
★Map.1
1966年に開港しながら、県北部に開港したミニ空港のために定期便も飛ばない「グライダー族」の遊戯施設と化している、現福井空港!
第1目 問題が山積み
1-1-1 余りにもお粗末な"フェイク"仕様
●2種地方空港 滑走路長1999m X 30m(着陸帯巾60m /非精密進入滑走路:VOR設備)
●1961年計画策定
●1964年(昭和39年)5月 - 空港整備着工
●1966年3月 竣工
●同年6月30日開港 地方空港(福井県管理・地方空港)
●1976年(昭和51年)4月 - 定期便廃止!
以後、普通N類のカテゴリA・B(軽量機・小型機)専用"飛行場!"となる。
1-1-2 2025年現在の仕様
●2種?地方空港 滑走路長1999m X 30m(着陸帯巾60m /非精密進入滑走路:VOR設備)
1-1-3 運用可能航空機
●翼巾36m未満のClass C(3種)プロペラ機!
1-1-3-1 現用適合"♥輸送T類"旅客機
●ATR41(乗員・乗客Max;50名 )
●Bonbardier Q200 (乗員乗客Max;40名
)
1-1-3-2 構想時の適用機材
●YS-11用( 翼巾;32m 全長;26.3m 定員;56~64名(乗員2名、キャビンアテンダント数名含む))
●1962年8月30日初飛行。 ●1965年3月30日、国内線供用(営業運行)開始
●2006年9月30日 国内線より引退
1-1-4 滑走路長詐称!と着陸帯不足問題
ICAOのカテゴリでは、2種滑走路は1200m未満!となっており、馥郁飛行場の公称滑走路長1200mは3種滑走路となり増す!
1-1-4-1 片側75m巾(全幅150m!)!必要な着陸帯!
福井飛行場は、"計器着陸"に対応する地上支援設備としてVORを設備していますが...
「1200m以上1800m未満!」
の3種滑走路では、VORによる非精密進入(計器着陸)には、片側75m巾以上が義務付けされています。(※10)
つまり、現行の2種(実質3種)滑走路では、60m巾しか確保されておらず、
後述する2000m?(1500m?)へのスケールアップには長さ方向だけでは無く、巾方向の拡張も必要です。
参※10)関連記事 陸上空港の施設の設置基準と解説(国交省) はこちら。
第2目 時代背景と遅きにひっした拡張計画!
高度成長期の真っただ中の"バラ色の未来!"を描いて、イケイケドンドンだった時代に計画されながら!
県政を思うままにしていた守銭奴!の"保守勢力"の県議会長老達が、「地上げで一儲け!」(※★)に通じる、鉄道"神"線、"神"駅に馬鹿り奔走して、将来を見据えた県土計画を蔑ろにした結果でしょう。
参※★)当サイト関連記事 鉄道神話?は鉄道関連機材コンストラクターズ・シンジケート が"捏造した都市伝説!"《 駅前地上げと鉄道神話!第2回 》 はこちら。
2-2-1 既に財政基盤の目途が立っていた!県政
計画が策定された、1961年当時には、確かに福井県は困窮していました!が...
福井飛行場が計画された1961年の9月18日には 川西町議会が三里浜地区に日本原電第2発電所の誘致を決議しています。
2-2-1-1 1962年には県議会でも決議!
翼年の1962年3月3日 - 福井県議会、三里浜地区に発電所誘致を決議。
更に、計画が具体化しだした、東京オリンピック(東海道新幹線開業)の1964年には、その後{打ち出の小槌」となる、若狭湾沿岸の"原発村"の礎となる、電気事業法が公布され、国際原子力機関(IAEA)国内査察が実施されています。
●1965年(昭和40年)11月1日には通産省(現経産省)原子力発電技術顧問会が設置され魔した。
●1965年10月11日 - 1号機の原子炉設置許可申請。
●1966年4月22日 - 、敦賀発電所建設工事着工。
これを受けて、1967年 5月16日 には美浜原子力発電所1号機が着工。
●1967年 8月21日 - 関電美浜原発1号機着工!
●1968年 12月19日 - 美浜2号機が着工。
2-2-2-2 Expo70 大阪万博の都市に営業運転開始
そして1970年(昭和45年)3月11日、日本原子力発電(原電)の沸騰水型原発、敦賀発電所が営業運転を開始。電気出力33万1,000 kW。11月28日、初の加圧水型、関西電力美浜発電所1号機営業運転を開始。
つまり、立派な福井空港を建設できる、財政基盤の目途は立っていたわけです。
2-2-3 日本の空はジェット時代に突入していた
更に、日本の空(国内航空路)に新時代(ジェット時代)を開いた!B727は、1963年2月9日に初飛行を行い、 1964年2月1日にローンチカスタマーのイースタン航空で就航しています。
日本航空と全日本空輸の2社は1964年1月に発注し...全日本空輸は1964年5月にユナイテッド航空から機材と乗員をチャーターして、日本航空のコンベア880の後塵を拝していた羽田 - 札幌線に導入...遅れて1965年に幹線に参入した日本国内航空もボーイング727を投入した...<日本語ウィキペディアより引用>
つまり、着工した1964年には、既にプロペラ機は過去の airplane であり、国内主要路線はジェット時代!に突入していたのです。
この時点で、2種滑走路(1200m未満!)では、国内便ですら対応できないのは明明白白でした!
2-1-2 頓挫した拡張計画!
●1985年(昭和60年)3月 - 滑走路を2,000mに拡張する計画"決定!"。
●1986年(昭和61年)11月28日 - 空港拡張計画が国の第5次空港整備計画に盛り込まれる。
元々、福井県の"穀倉地帯"で無理があった"立地"ですが...
2-1-2-1 本格的ジェット時代に入り20年後!に...
国内線の本格的ジェット時代に突入して"22年後!"の、1986年に、遅ればせながら運輸省(現国交省)の第5次空港整備計画に盛り込まれましたが,
拡張予定地域の農民の大反発に遭いあえなく頓挫しています。
この間に、国内主要航空路の機材は第3世代の双発機DC9(1974年国内線就航)に移り、
更に、現在主流のB737へと、バトンタッチされています。
第2項 新たな"謀議!?"疑惑
前途した様に、現在周辺水田を耕す地主(農家)より猛烈な反対でとん挫している空港拡張計画ですが...
第1目 B737-800のSTOL性能向上!で...
現在、国内線に登場した、B737-800(1997年初飛行)は、公称着陸距離2316m!、離陸距離1600mとなっていますが...
実は、JALで導入している機体は、"特殊装備"で1200mでも着陸できる、「忍法!?を備えて」います。
そこで、Map1に記したように、南北に420m!延伸して、滑走路長を1620m!に延伸して、国内線のジェット機に対応させる"謀議"が密かに進められています...
第2目 好天で対応できても...
但し、これは、Ranway がドライの好条件!であることが前提なので...
冬季積雪時の氷結時には着陸でき魔線!
第3目 騒音問題も足かせに...
更に、坂井市坂井町東長田地区、春江町為国地区が、航空路の直下!となり、騒音問題が生じるとともに、"危険"ゾーン!ともなり増す!
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公開:2017年9月11日
更新:2025年12月21日
投稿者:デジタヌ
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