狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

熊谷市《 タウン ヒストリア 》

熊谷市とこれ迄の歩み

埼玉県北部の中央にあたり利根川を挟んで北隣の群馬県と接する県境の町。

かつてこの立地故に4年間群馬県と入間県(現入間郡)とで熊谷県を形成し県庁所在地となっていたこともある。

推計人口、195,903人/2018年4月1日

熊谷ー東京 39分/3,510円/新幹線

熊谷ー東京 1時間18分/1,140円/高崎線普通列車

例年国内最高気温を記録することでも有名な「熱く燃えている情熱あふれる町」である.

熊谷市のこれまでの主立った出来事

中世には熊谷氏を始め、久下氏や奈良氏など多くの武士団が興った。とくに治承・寿永の乱(源平合戦)時の熊谷直実が有名であり、熊谷氏の名字も地名の熊谷が由来となっている。後に地名の読みは「くまがい」ではなく、「くまがや」と改称した。

江戸時代のこの辺りの地域は忍藩領や幕府領、旗本領が複雑に入り組んでいた。また、中山道の宿場、熊谷宿が置かれた。

明治2年(1869年) -1月13日、宮原知県事の管轄地域に大宮県を設置し、県庁は東京府馬喰町に置かれる。9月29日、県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
明治4年(1871年) - 7月14日、廃藩置県を受けて藩領に川越県・忍県・岩槻県の3県が誕生。同年11月14日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併して埼玉県が誕生。川越県は品川県の一部を吸収して入間県となり入間県の県庁は川越城に置かれた。

1873年(明治6年) - 入間県が群馬県と合併し熊谷を県庁とし熊谷県となる。

1876年(明治9年) - 熊谷県は解消され旧入間県の地域は埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立。

1883年7月28日 - 日本鉄道により、現在の高崎線の一部となる上野駅 - 熊谷駅間が開業し、熊谷駅設置。
1889年4月1日 - 町村制施行により、大里郡熊谷町と石原村が合併し、熊谷町が成立する。

1901年(明治34年) 上武鉄道株式会社(現秩父鉄道)熊谷 - 寄居間を開業。1922年(大正11年) 北武鉄道(現地鉄道)・熊谷 - 行田間が開業により羽生-熊谷間開通。

1930年(昭和5年) 秩父鉄道・羽生 - 三峰口間、全線開通。

1933年4月1日 - 市制施行により熊谷市となる。

1935年 熊谷陸軍飛行学校(飛行場)開校。

周囲約8.5km総面積約38hrの広大な敷地に建設された。(1946年4月15日撮影米軍航空写真より推定)

約3.07Hr周囲約7.16kmの本校施設と、約0.74Hr/周囲3.4kmの無線施設が南面を接して造営されていた。

この施設が終戦前夜の大空襲の標的になった原因であると推察できる。

1945年8月14日 - 熊谷空襲。終戦前夜の14日から15日にかけて市内の約3/4を焼失するという大規模な空襲があった。

1959年秩父セメント(現太平洋セメント)熊谷工場旧熊谷陸軍飛行学校と秩父鉄道専用線との間に着工。

1962年秩父セメント熊谷工場竣工操業開始。

1965年 - 市民ホール(中央公民館)落成

1969年 - 新荒川大橋開通により川越との結びつきが大きくなる.


1973年 - 熊谷市役所新市庁舎完成。

1975年(昭和50年)8月8日:川越IC - 東松山IC開通。

1979年 - 文化センター落成

1980年(昭和55年)7月17日:東松山IC - 前橋IC、藤岡JCT - 藤岡IC開通で花園IC.開通。

1982年11月15日 - 上越新幹線(大宮-新潟間)開業により熊谷駅開業、同時に大宮-上野間で新幹線リレー快速が運行開始。

1985年に新幹線大宮~上野間開業、同時に 埼京線が開業。

1991年に新幹線上野~東京間が延伸開業 大宮-東京間が新幹線で繋がる。

1990年 - 熊谷桜堤が「さくら名所100選」に選定される。

1998年 - さくらめいと落成


2005年10月1日 - 平成の大合併で(旧)熊谷市、大里郡妻沼町、大里郡大里町が合併し、新たに熊谷市が設置された(新設合併)。

2007年8月16日 - 当時の国内では観測史上最高気温となる40.9℃を記録(岐阜県多治見市と同日)

2009年4月1日 - 特例市へ指定。

 

公開:2017年2月 6日
更新:2019年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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