川口市《 タウン ヒストリア 》
川口市
旧令制国武蔵国・足立郡に属していた、埼玉県と東京都の県境にある川口市は、嘗ては吉永小百合主演の1962年公開「キューポラのある町」で知られる「鋳物の町」であり、東北からの集団就職組で賑わった町。また公営ギャンブル(オートレース)でも有名な街。
推計人口、584,825人/2017年10月1日。
川口ー東京 23分/310円/15.8km
川口ー(赤羽乗り換え)ー新宿 25分/220円/12.9km
川口-大宮 20分/220円/14.5km
年齢別人口比率でも、20代後半から40代半ばのいわゆる働き手が全国平均を大幅に上回っている、商工都市。
近年は長期に亘る経済停滞の影響で「駅周辺の鋳物産業」が廃業若しくわ郊外移転などで、跡地に20階建て以上の高層アパートが建ち並び、交通の便の良さから「東京のベッドタウン」として見直されてきている。
令制国(律令国)
645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.
武蔵国
埼玉県、東京都の殆どと神奈川県川崎市・横浜市などの一部地域を含む。川越市のある入間郡、など現埼玉県域に14郡、神奈川県域に3郡、東京都域に4郡、東京都・神奈川県にまたがって1郡が広がっていた。
かつて足立郡川口市が属していた足立郡
足立郡(409郷) - 忍藩、岩槻藩及び幕府領、旗本領などの代官支配地:
川口市全域を含む現10市町の埼玉県域、足立区全域を含む東京都3区エリアで構成されていた。
「足立」の由来は、もと万葉仮名で「阿太知」だったものを諸国郡郷名著好字令により置き換えたとされる説などの諸説がありはっきりとはしない。
戦国時代後期から後北条氏が大きな勢力を振るうようになり数多くの軍事拠点が置かれた。
江戸幕府の「入組支配」
入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。
「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩、忍藩、岩槻藩が置かれ江戸の防衛として重臣が配されたが、複雑に入り組んだ支配で、各支配地(郷)間で大群・処遇に大きな格差が生じていた。
足立郡、武蔵忍藩、武蔵岩槻藩及び天領、旗本領などの代官支配地などが複雑に入り組んでいた。
1594年(文禄3年)に利根川東遷事業が始まった。
廃藩置県と明治新政府の行政改革
江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。
教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め足立郡も幾多の行政変遷にさらされた。
1868年8月5日(旧暦 6月17日)関東在方掛の岩鼻陣屋に岩鼻県を設置。男衾郡、幡羅郡、榛沢郡、那珂郡、児玉郡、賀美郡、秩父郡および高麗郡、横見郡、埼玉郡の一部の幕府領・旗本領を管轄。
1869年1月13日(旧暦2月23日) - 武蔵国のうち浦和宿の属する足立郡などが大宮県となる(県庁は東京府日本橋馬喰町)。小菅県を設置。
1869年9月29日(旧暦11月2日) - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
1869年11月2日(旧暦9月29日) - 大宮県が県庁の移転により浦和県に改称。
1871年7月14日(明治4年旧暦8月29日) - 廃藩置県布告により、藩領が忍県、岩槻県となる。
同年11月14日 - 浦和県、忍県、岩槻県が合併し、埼玉県となり暫定的に「浦和宿」が県庁所在地となる。
同年12月25日(旧暦 11月14日) - 第1次府県統合により、東京府に属する地域を除く全域が埼玉県の管轄となる。
1872年1月8日(旧暦11月28日) - 小菅県・浦和県のうち後の南足立郡域が東京府(第2次)に移管。
1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示
1876年(明治9年)8月21日 - 埼玉県が入間県と合併、新たに埼玉県が誕生。
同年12月1日 旧浦和県庁舎が埼玉県庁舎となる。埼玉県が現在の区域となる。
1878年11月2日 - 郡区町村編制法の東京府での施行により、東京府足立郡に行政区画としての南足立郡が発足。埼玉県足立郡は存続。
1879年(明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
1905年(明治38年) - 鋳物製品の品質向上を期し、川口鋳物業組合が結成。
1910年(明治43年)9月10日 -東北本線開通後27年を経過して 川口町駅(かわぐちまちえき:現川口駅)開業。
1923年(昭和12年)9月1日 - 関東大震災発生。倒壊建物は出たが、被害は軽微。(荒川が制震効果を発揮した?)
1924年(大正13年)10月 - 岩淵水門(旧)が完成し、荒川放水路への注水が開始。
同年武州鉄道 蓮田 - 岩槻間が開業。
1932年(昭和7年)9月1日 - 1932年(昭和7年)9月1日 - 東北本線の電車線(現在の京浜東北線)、赤羽 - 大宮駅間開通。(同時に高崎線と東北本線の「列車」が当駅を通過するようになった。)
1933年(昭和8年)4月1日 - 川口市が発足(埼玉県内では川越市についで2番目の市制施行、熊谷市と同日)
1936年(昭和11年)12月31日 - 武州鉄道行衛駅、神根駅が開業。
1938年(昭和13年)9月3日 - 武州鉄道が経営難を理由に廃止される。
1940年(昭和15年)4月1日 - 鳩ヶ谷町・その他3村が川口市に編入される。
1950年(昭和25年)11月1日 - 旧鳩ヶ谷町が住民投票により川口市から分離独立し、新たに鳩ヶ谷町が設置される。これにより旧新郷村域が飛地になる。
1952年(昭和27年)2月1日 - 川口オートレース場が開設。
1954年(昭和29年)6月 戸田競艇組合設立。売上の1/4が川口市に入る。
1972年(昭和47年)11月13日 - 東北自動車道が部分開通(岩槻IC - 宇都宮IC)。
1973年(昭和48年)4月1日 - 武蔵野線開通。東川口駅が開業。
1990年(平成2年)7月1日 - 川口総合文化センター(リリア)が開設。
2001年(平成13年)3月28日 - 埼玉高速鉄道開通。川口元郷駅、新井宿駅、戸塚安行駅、東川口駅が開業。
2001年4月1日 - 特例市に移行する。
2011年(平成23年)10月11日 - 鳩ヶ谷市を71年ぶりに再編入合併。
2018年(平成30年)4月1日 - 中核市に指定。
公開:2017年2月 6日
更新:2019年9月 5日
投稿者:デジタヌ
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