『タヌキがゆく』狸穴ジャーナル

宮崎市《Community Historia》

前書き(要約)大和朝廷の対隼人の前哨基地だった歴史

宮廷趣味

旧律令制で日向国(現宮崎・鹿児島エリア)から分離され、native Japanese縄文人;薩摩・隼人両民族討伐!の最前線に位置づけられていた。

「見栄っ張り」で、「カッコつける」気質以外はかみ合わない県政と市政は中央政権大和朝廷(公家)から派遣されたgovernor(総督・知事)の宮廷趣味を色濃く引き継いでいる!

搾取され続けてきた荘園の民

元々大和朝廷の公家共の荘園として開拓?されてきた、新・日向国では「中央政権に従順な民」が多数を占めるようになり「西南の役」でも熊本と共に、西郷軍とは一線を画する立場をとっていた。

今に至るも九州では数少ない保守王国?として

宮崎国際会議場に代表されるように、中央政権と赤い糸で結ばれ、(北部・延岡エリアを除き)観光産業以外には特にこれと言った近代産業が無いが、戦前から"防衛拠点"として本土防衛・防空に貢献している。

新幹線は通じていないが、空路(宮崎国際空港)、海路(宮崎・日向両港)、陸路E10(宮崎自動車道)が整備されて、九州の州都福岡?とも早い時期から、結ばれている。

宮崎新幹線の可能性も...

今後、2020年7月4日の豪雨で不通となっている八代駅 ⇔吉松駅間で不通となっている肥薩線の復旧に拘らず、"宮崎新幹線"の建設に向けて、旧知の熊本県と力を合わせれば、頓挫している西九州新幹線(※01)をさておいて、"夜盗"運輸族の後押しで、八代⇔宮崎間の宮崎新幹線が実現する可能性も大いにあると推察できる!

参※01)当サイト内関連記事 JR九州と長崎新幹線期成同盟会の暴挙!"佐賀飛ばし西九州新幹線強硬開業"に佐賀県民はより一層... はこちら。

宮崎国際音楽祭が開催される宮崎市とは

  • 推計人口、399,565人/2017年10月1日。
  • 宮崎-(宮崎空港)-(羽田空港)-品川 4時間28分/35,550円/923.5km/JR・ANA・京急

宮崎県の南東部にある同県の県庁所在地。

宮崎平野の南端に位置し、中央を大淀川が流れ、日向灘に注いでいる。南部が鰐塚山地の一部で山深い以外は、主に市街地となっている。

2010年(団塊の世代一斉退職)以降も2015年までは40万人を推移していたが、2017年10月現在40万人を割ってしまった。

市民全体の80%近くが流通・サービス業に依存している観光都市でもある。

熊本市で宮崎国際音楽祭が開催されるのは、震災復興支援のためだけではなさそう。

鹿児島県と仲良くしない訳もなんとなく理解できる...。

観光都市宮崎の栄光の時代

宮崎の観光ブームは1967年「フェニックス・ハネムーン(デューク・エイセス)」が流行したように1960年代半ばに絶頂期に達し、「飛行機に乗って宮崎へ行く」ことが、若者たちの夢でもあった時期もあった。

1955年~1975年の頃宮崎は新婚旅行のメッカと成っていて、最盛期には年間100万人近い観光客が訪れていた。

海外渡航自由化と宮崎の低迷期

しかし1964年4月1日以降、年1回500ドルまでの外貨の持出しの条件付きで観光目的の海外渡航が自由化され、さらに1966年1月1日以降は1回500ドル以内であれば一年間になんどでも自由に海外旅行ができるようになり、海外旅行ブームが広がり始めた。

旅行費用の低下も進み、近隣国であれば国内旅行よりも多少高い金額ぐらいで旅行できるようになり「グァム島」などへの「お手軽海外旅行ブーム」が訪れ1972年には海外渡航者数が100万人を突破した。

海外旅行ブームに呼応する様に宮崎は次第に観光客離れを起こし、観光産業以外に目立った企業が無い為宮崎県にとっては経済的に大きな打撃を受け、若者達の転出者も増加し「長ーい低迷期」に突入した。

情報産業に目を向けだした現況

近年は情報産業を積極的に誘致しているが、若者の人口流出を抑えるほどには至っていない。

大和朝廷の対隼人の前哨基地だった

「見栄っ張り」で、「カッコつける」気質以外はかみ合わない県政と市政。

薩摩国も大隅国も、日向国から分離し別々の国になった経緯がある。

大化の改新で、成立した新・日向国(現宮崎県)は7世紀末の段階では対隼人の最前線に位置づけられていた。

宮崎市の歩み

室町時代の1551年(天文20年)、太田七郎左衛門忠延が大淀川の右岸の河口付近にある城ヶ崎という地域に町を開き赤江港を控えた商人の町として上方との交易が行われ、江戸時代が終わるまで繁栄した。

1871年の廃藩置県で美々津(みみつ)県と都城(みやこのじょう)県が誕生、大淀川が県境で、現宮崎市域は県境地帯と成った。

1873年(明治6年)1月15日 - 美々津県・都城県が合併し宮崎県が発足し現宮崎市に県庁が置かれた。
1876年(明治9年)8月21日 - 宮崎県が鹿児島県に合併される。

1883年(明治16年)5月9日 - 宮崎県と鹿児島県に再分割され再置県が行なわれる。同年7月1日 - 宮崎県庁が開庁。

1889年 町村制施行で宮崎町が誕生。

1913年(大正2年)12月15日 - 宮崎駅が開業。

1923年(大正12年)12月15日 - 日豊本線が全通。

1924年(大正13年)4月1日 - 宮崎町・大淀町・大宮村が合併、宮崎市誕生。

1943年(昭和18年)4月1日 - 赤江町を編入。同年12月1月 - 旧日本海軍赤江飛行場(現:宮崎空港)開港。

1963年(昭和38年)4月1日 - 生目村編入。同年5月8日 - 国鉄日南線が全通。

1969年(昭和44年)9月 - 宮崎港開港。

1981年(昭和56年)10月29日 - 宮崎自動車道全通。

1984年(昭和59年)3月24日 - 宮崎市と周辺6町をテクノポリス建設地域に指定される。

1988年(昭和63年)4月13日 - 宮崎市が国際コンベンションシティに指定される。同年7月9日 - 宮崎・日南海岸リゾート構想が全国初の総合保養地域整備法(リゾート法)による承認を受ける。

1994年(平成6年)10月20日 - 宮崎市が国際会議観光都市に認定される。同年10月31日 - シーガイア全面開業

1996年(平成8年)7月18日 - 地方空港初の空港連絡鉄道のJR宮崎空港線開業。同年10月2日 - 宮崎港国際観光船ふ頭暫定供用開始。

2000年(平成12年)4月22日 - 第2回日本・太平洋諸島フォーラム首脳会議開催。同年7月12日 - シーガイアで第26回主要国首脳会議(通称:九州・沖縄サミット)外相会合開催。

2007年(平成19年)9月30日 - シーガイアにある(1996年世界最大の開閉式室内ウォーターパークとしてギネスブックにも載った)オーシャンドームが13年目で閉鎖。

2010年(平成22年)3月23日 - 清武町を編入し現在の市域となる。

2014年(平成26年)3月16日 - 東九州自動車道 延岡市-宮崎市間が全線開通。

2015年(平成27年)3月21日 - 東九州自動車道 大分市-宮崎市間が全線開通。

2016年(平成28年)4月24日 - 東九州自動車道 北九州市-宮崎市間が全線開通

 

公開:2016年10月31日
更新:2022年10月 7日

投稿者:デジタヌ

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