狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

松江市《 タウンレビュー 》

島根県民会館のある島根県・松江市とこれ迄の歩み

島根県

旧令制国出雲国・石見国・隠岐国に当たるエリア。
推計人口、680,252人/2018年4月1日。

鳥取県に次いで2番目に人口が少ない県。

出雲大社に代表される神社の多い県としても有名。(つまり、全国一の神様密度である。)

松江市

元松江藩の城下町、島根県の県庁所在地。

宍道湖の畔にあり風光明媚な旧城下として有名。

推計人口、204,002人/2018年4月1日

松江ー(出雲空港)ー(羽田空港)ー品川 4時間22分/36,330円/バス-JAL-京急

松江ー(岡山)ー品川 6時間20分/特急やくも-新幹線のぞみ※2018年7月27日現在伯備線不通のため運休しています。

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令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

松江市の属していた出雲国

松江市の属していた島根郡、意宇郡、能義郡、秋鹿郡、楯縫郡、出雲郡、神門郡、飯石郡、大原郡の10郡で構成されていた。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も徳川直系の松江藩以外の郡村の離合集散が重ねられた。

江戸時代には堀尾吉晴が出雲・隠岐24万石で入封し、松江城を築いた。松江藩はその後京極氏を経て、徳川家康嫡男の流れを汲む結城松平氏の松平直政が入国し、西国ににらみを利かせたて幕末に至った。

なお、松江藩には広瀬藩と母里藩(ともに1666年創設)という支藩があり、一時的に松江新田藩(1701年から1704年)という支藩も置かれていた。松江藩ではたたら製鉄の隆盛で、安来などの港が北前船で繁栄した。

廃藩置県と明治新政府の行政改革


江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め出雲国も幾多の行政変遷にさらされた。


1869年(明治2年)旧暦2月25日 - 明治政府は隠岐騒動後に松江藩の預かり地となっていた隠岐に隠岐県を設置。
8月2日 - 第二次長州戦争により長州藩支配となっていた旧石見銀山領・旧浜田藩領と隠岐県を併せて大森県を設置。
1870年(明治3年)旧暦1月9日 - 大森県を廃止して浜田県を設置。
1871年(明治4年)旧暦6月25日 - 津和野藩の廃藩が許され浜田県に編入。
同年旧暦7月14日 - 廃藩置県布告により旧松江藩領に松江県、旧広瀬藩領に広瀬県、旧母里藩領に母里県を設置。
同年旧暦11月15日 - 松江県・広瀬県・母里県と隠岐地方が島根県として合併。隠岐地方を除く石見地方に改めて浜田県設置。
1872年(明治4年)旧暦12月17日 - 隠岐地方を鳥取県に移管。

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

1876年(明治9年)4月18日 - 浜田県を島根県に編入。
同年8月21日 - 鳥取県を島根県に編入。
1881年(明治14年)9月12日 - 現在の鳥取県にあたる地域を鳥取県として分立。
1889年(明治22年)4月1日 - 島根郡・意宇郡の一部から松江市が発足
町村制施行に伴い、鹿足郡津和野町が発足
1891年(明治24年) - ラフカディオ・ハーンが松江の塩見縄手に住み、『知られざる日本の面影』を執筆する。

1908年(明治41年)11月8日:(現山陰本線)安来駅 - 松江駅間(12.5M≒20.12 km)が延伸開業。荒島駅・揖屋駅・馬潟駅(現在の東松江駅)・松江駅が開業。

1912年(明治45年)1月13日に餘部鉄橋完成、同年3月1日、京都ー松江間繋がる。

1927年(昭和2年) - 邑智郡川本村が町制施行、邑智郡川本町が発足

1928年(昭和3年)10月25日:備中川面駅 - 足立駅間(21.9M≒35.24km)が延伸開業し伯備線全通

1940年(昭和15年)

11月3日 - 那賀郡浜田町ほか4町村が合併し市制施行、浜田市が発足
1941年(昭和16年)
11月3日 - 簸川郡出雲町が市制施行、出雲市が発足
1952年(昭和27年)
8月1日 - 美濃郡益田町ほか7村が合併し市制施行、益田市が発足
1954年(昭和29年)
1月1日 - 安濃郡大田町ほか7町村が合併し市制施行、大田市が発足
4月1日 - 能義郡安来町ほか4村が合併し市制施行、安来市が発足
4月1日 - 那賀郡江津町ほか8町村が合併し市制施行、江津市が発足
1955年(昭和30年)
1月1日 - 簸川郡平田町ほか2村が合併し市制施行、平田市が発足
1956年(昭和31年) - 島根県庁の別館から出火、離れの一部の建物を除き約3000坪が全焼。
1957年(昭和32年)
2月11日 - 知夫郡浦郷町、黒木村が新設合併し、知夫郡西ノ島町が発足
1969年(昭和44年)
1月1日 - 海士郡海士村が町制施行、海士郡海士町が発足
4月1日 - 周吉郡、穏地郡、海士郡、知夫郡が合併し、隠岐郡が発足

1972年(昭和47年)2月23日:美袋駅 - 備中広瀬駅間が伯備線複線化。
同年3月15日:特急「やくも」運転開始。

1992年(平成4年)12月18日 :中国自動車道・ 落合JCTと江府IC間が延伸開通し、米子自走車道全通。

2004年(平成16年)8月 - 全国高等学校総合体育大会、島根県を主会場に開催。

2005年(平成17年)8月4日 : 米子JCTが一部供用開始。山陰自動車道(米子道路) 出雲・松江方面 ⇒ 米子自動車道 岡山・大阪方面の片方向が直結。



2005年(平成17年)3月31日 - 旧・松江市、他6町が合併し、新・松江市が発足

2007年(平成19年)7月2日 - 大田市の石見銀山が世界遺産に登録される。
2012年(平成23年)4月1日 - 松江市が特例市に移行

2018年(平成30年)4月1日 - 松江市が特例市から中核市に移行

2018年7月豪雨で伯備線 ・豪渓~上石見間 が不通となり「やくも」運休。

 

公開:2016年11月 3日
更新:2019年3月29日

投稿者:デジタヌ

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