狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

「柏原市の身の丈」とは? ーシリーズ「何とかしようよ我が町柏原」2006-6

※本記事は03/07/2006に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です

「何とかしようよ我が町柏原」シリーズ2006

第6回 人間は

その人の生き方、ライフスタイルというものを"身の丈に応じた形"で自然に身につけるものではないでしょうか?

ソレは、自分の"価値観"と"能力""環境"に見合った形で自身の中で折り合いを付けながら、徐々に徐々に身に付くものだと思うのですが?

ホリエモンのようにセレブに向かって"銭"に執着し続ける人もいれば、脱サラして、田舎で自給自足の生活を送り充実した日々だと感じている人もいます。

要はその人が何に価値観を於いているかに"気づき"、周囲と調和が保て違和感なく暮らせる"居所"を見つけられるかでしょう。

筆者は

人、人、,,,,,人の集合体が"コロニー"であり、"町"それ自体にもその町固有の"身の丈"があるハズだと思っています。

確かに町は土地その物なので、人間のように田舎に引っ越すことは出来ないし、いくらがんばっても、セレブとはほど遠い町もあるでしょう。

失礼を承知で言えば、六本木と田園調布と田舎は"身の丈"が違うのです

しかし人は、ホームレスや犯罪者の様な人たち以外のいわゆる"常人"である限り決して"人生を投げたりしません。

その人の"身の丈に見合ったライフスタイル"の実現に向かって努力し続けるからです。

そして、『何歳になっても、何をヤッテも手遅れ』などと言うことは決してないはずです。

筆者自身、七転び八起の人生を送ってきました。

柏原市の若い職員の人達は柏原市の身の丈をどう考えているのでしょうか。

収入役出身の現市長が 「銭、銭、銭,,,,,,まずは銭が無いと何も出来ない、今は歳費を抑えて銭を蓄えろ、じっと我慢の時だ、それからでも遅くない。」とでもおっしゃっているのか? もしそうだとしたら、それは間違いではないでしょうか?

"身の丈に応じた"とは"華美に飾る"ことでも無ければ、「果報は寝て待て」とばかりに、何もしないで"ふて寝"を決め込むことでもありません、努力し続けることではないでしょうか。

田舎暮らしの人も、六本木ヒルズのセレブ族も、それぞれの範疇で"銭の算段"そして"やり繰りの苦労"はやっておられるでしょう。

柏原市の"地勢"や"周囲を取り巻く環境"から考えて、今の状況は完全に"ふて寝"している"長屋のはっつぁん"と同じ様にしか見え内のではないでしょうか。

どうぞ"早く目を覚まして仕事に行って"ください。 ネエ"市役所のはっつぁん"

 

公開:2006年3月 7日
更新:2019年2月20日

投稿者:デジタヌ

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