狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

第40話 鉄道マンと時代の流れ《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男 

※<本稿は 01/30/2008 に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し掲載です>

ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第40話

翌1975年(昭和50年)3月山陽新幹線 岡山ー博多間が開通。

1972年(昭和47年)の岡山までの暫定開業から3年を経て山陽新幹線が全通した。


この年5月阪神国道線が廃線となった

珍しく、鉄朗から電話があった。

『徹路さん、ニュースでご覧になったかも知れませんが、国道線が廃線に成りました。』
『ハイ、ニュースで見ました。』
『何となく寂しくなって、電話しました済みません...。』
『いえ、良いんですよ気になさらなくて。』
『有り難う、私は子供の頃、阪神国道沿いに住んでまして...』
『ハイ、存じてます。』
『ああ前にお話ししましたね。』
『はい』
『それで、野球小僧だった僕は、この電車に乗ればあの甲子園に行けるんだ、といつも...』
『判ります』
『その電車が今日で...、何だか僕らの時代が終わったような気持ちになって。』
『終わったんじゃありませんよ、これから始まるんですよ鉄朗さんイヤ、西宮社長!』

この年52才になった西宮は、若くして、阪神電鉄の社長に上り詰めていた。

『そうですね、徹路さん、』
『僕たちには、まだまだこれからやることが有るじゃないですか。』
『そうですね、有り難う徹路さん、徹路さんとお話しできて良かった、何だか気が晴れましたよ...』
『お互い忙しくなってしまったけれど、又ゆっくり何処かでお会いしましょう!』
『そうですね、有り難う徹路さん』
『それじゃーこの辺で...』
『有り難う御座いました失礼します。』


この年10月には伊勢自動車道、関JCTー久居IC間が開通、大阪、名古屋両方面から、"お伊勢さん"は一層身近になっていた。

マイカーが近鉄を突きだしたのである。


そして1975年11月23日に着工以来3年と3ヶ月ぶりに新青山トンネルが完成しこの日から大阪線全線で複線運転が開始された。


そして暮れも押し詰まった12月20日鳥羽線全線複線化工事も完成した。

これに先立つ9月、上本町ー布施間は複々線完成以来の、路線別運転を改め方向別複々線へと変わっていた。


<続く>

 

公開:2008年1月30日
更新:2022年9月 5日

投稿者:デジタヌ

第39話 長女由有紀の結婚《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男TOP第41話 徹路の決断《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男


 

 



▲デジタヌ作小説コーナーへ戻る

 

ページ先頭に戻る