狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

広島県・府中市《 タウンレビュー 》

府中市のあらまし

広島県の南東部に位置する市で福山市と隣接している市。広島県府中市は備後国の府中であり、他の府中と区別するために「備後府中」とも呼ぶ事も有る。

一級河川芦田川とその支流とそれを辿って走るJR福塩線が町々を繋いでいる、谷合いの町々から成る市。

  • 推計人口、38,943人/2017年10月1日。
  • 府中ー(新白島駅)ー広島 1時間56分/2340円/高速バス-JR
  • 府中ー(福山)ー品川 4時間41分/17780円/福塩線・新幹線

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翁座と府中市のこれまでの歩み

大正時代に建てられ、芝居や映画の上演等が行われる劇場として賑わっていました。当時の面影をとどめる木造建築物としては、県下随一のものです。<府中市観光協会公式サイトより引用>


奈良(710年から)・平安時代(794年~1185年)に備後国府が現在の府中市中心部付近に置かれた。
1619年(元和5年) : 徳川家康の従兄弟水野勝成が西国鎮衛の役目を命じられ備後国東南部・備中国西南部の十万石に転封 現在の市域のうち旧御調郡を除く地域は備後福山藩領となる。
1698年(元禄11年) : 5代藩主水野勝岑の死去により、無嗣除封。旧甲奴郡分は天領となり、上下陣屋が設けられる。

1871年(明治4年)明治維新・廃藩置県により旧福山藩領と神石郡の一部を持って福山県設立。福山県から深津県へ名称変更。
1872年(明治5年) : 深津県と倉敷県が統合し: 芦品郡府中町及び岩谷・栗生・国府・下川辺・広谷各村が対等合併し、市制施行笠岡を県庁として小田県設立。
1875年(明治8年) : 小田県が岡山県へ編入。
1876年(明治9年) : 岡山県より旧備後国沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡が広島県に移管。

1896年(明治29年)6月3日 : 芦田郡府中市村が町制施行し、芦田郡府中町(初代)が成立。
1898年(明治31年)10月1日 : 芦田・品治(ほんじ)両郡が統合され、芦品郡が成立。府中には芦品郡役所が設置される。
1914年(大正3年)7月21日 : 両備軽便鉄道(現 : JR福塩線)・両備福山(1935年廃止) - 府中町(現 : 府中)間が開業。
1923年(大正12年)4月1日 : 栗生(くりぶ)村土生(はぶ)の一部を編入(現・府中市用土町の区域)。
1925年(大正14年)2月1日 : 芦品郡出口町と対等合併し、府中町(2代)が成立。
1927年(昭和2年)6月25日 : 両備軽便鉄道・両備福山 - 府中町間が電化される(中国地方の国鉄線では初の電化)。
1938年(昭和13年)7月28日 : JR福塩線が府中 - 上下間の開通をもって全通。

1954年(昭和29年)3月31日 : 芦品郡府中町及び岩谷・栗生・国府・下川辺・広谷各村が対等合併し、市制施行府中市となる。
1956年(昭和31年)9月30日 : 芦品郡河佐村と御調郡諸田村の一部(小国・諸毛)、御調町三郎丸を編入。
1975年(昭和50年)2月1日 : 芦品郡協和村を編入。

2004年(平成16年)4月1日 : 甲奴郡上下町を編入。

 

公開:2016年11月 3日
更新:2018年11月24日

投稿者:デジタヌ

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