狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

長岡市《 タウンレビュー 》

長岡市とこれ迄の歩み

長岡市(旧長岡藩城下)

越後国の古志郡全域及び三島郡北東部、蒲原郡西部(現在の新潟県中越地方の北部から下越地方の西部)を治めた藩。現在の新潟県長岡市・新潟市を支配領域に含む藩で長岡城(現長岡市)に藩庁がおかれていた。

全国的には長岡大花火大会で有名な街。

有史以来、豪雪と震災に痛め続けらえてきた都市でもある。

推計人口、270,080人 /2018年4月1日。

長岡ー東京 1時間48分/9,150円/新幹線 /270.6km

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている。

越後国

頸城郡 、魚沼郡、刈羽郡 、三島郡 、古志郡、蒲原郡 、岩船郡の7郡で成立していた。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

三島郡 - 与板藩及び代官支配地;幕府領、旗本領、長岡藩飛地領、村上藩飛地領、陸奥上山藩飛地領、陸奥会津藩飛地領、伊勢桑名藩飛地領
古志郡 - 長岡藩及び代官支配地;幕府領、伊勢桑名藩飛び地
蒲原郡 -新発田藩、三日市藩、黒川藩、村松藩、三根山藩及び代官支配地; 幕府領、旗本領、村上藩飛地領、長岡藩飛地領、与板藩飛地領、陸奥会津藩飛地領、上野高崎藩、駿河沼津藩、伊勢桑名藩飛地領

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年7月14日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革で、その後の離合も含め越後国も幾多の行政変遷にさらされた。

1868年6月19日旧(暦慶応4年閏4月29日) - 戊辰戦争で新政府軍が桑名藩の陣屋がある刈羽郡柏崎を制圧。
1868年9月13日(旧暦7月27日) - 幕府領・桑名藩領が柏崎県(第1次)の管轄となる。

1869年4月3日(旧暦2月22日) - 再度柏崎県を廃止する布達が出され、越後府(第2次)に合併。

1868年8月1日/旧暦6月24日長岡藩版籍奉還し、藩主の牧野忠毅が長岡藩知事になる。

同年9月30日(旧暦8月25日) - 旧:柏崎県の管轄地が柏崎県(第2次)の管轄となる。


1870年明治3年旧暦10月22日 廃藩置県に1年先立ち牧野忠毅が藩知事を辞任長岡藩は廃藩となり、柏崎県に編入される。

1873年(明治6年)1月1日(旧暦明治5年12月4日)新政府太陽暦採用を布。

同年6月10日 柏崎県が廃止され、新潟県に合併。
1879年(明治12年) 士族や有志により長岡城跡が整地され、城跡公園となる。
1879年 郡区町村編制法により、越後国古志郡の領域は新潟県古志郡の管轄となる。長岡町の国漢学校跡に古志郡役所が置かれた

1888年(明治21年)4月 小坂松五郎が北越石油会社を設立。東山油田の開発が始まる。これによって新潟は秋田と並び石油・天然ガスの国内産出地となる。
1892年(明治25年)6月23日 松田周平、小坂松五郎、殖栗順平、山田又七が長岡鉄管会社を設立。

※山田又七は、現在「ENEOS」ブランドを展開しているJXエネルギー株式会社となる前身会社も興した人物で「日本における石油の父」と呼ばれている。
1893年(明治26年) 山田又七、殖栗順平らが宝田石油株式会社を設立。

1894年(明治27年)長岡鉄管会社により、東山油田(浦瀬)と中島の精油所を結ぶ送油用パイプライン完成。

1898年(明治31年)6月16日 北越鉄道(現:信越本線)が延伸し、長岡停車場(長岡駅)開業。帝都東京と鉄道で結ばれる。
1901年(明治34年)11月1日 長岡本町・長岡町・等6町村が合併し、新・長岡町となる。
1906年(明治39年)4月1日 古志郡長岡町が市制施行により長岡市となる。
1915年(大正4年)10月7日長岡鉄道(現越後交通旧長岡線)与板 - 大河津 - 寺泊間が開業した。

1916年(大正5年)1月5日長岡鉄道・西長岡 - 与板間が延伸開業、

1916年12月 栃尾鉄道(現越後交通旧栃尾線)長岡~栃尾間が開通。

1921年(大正10年)11月18日来迎寺 - 西長岡間(来迎寺線)が延伸開業し、全線開通を果たした。

1917年(大正6年)5月20日 長岡開府三百年祭が行なわれる。

1924年5月1日 栃尾鉄道の長岡~悠久山間が開通。

1926年(大正15年) 古志郡役所廃止。

1926年8月 大野甚松が長岡市に公会堂を寄付。

1927年(昭和2年)10月27日 関原地震が発生、マグニチュード5.2。負傷者2人、家屋半壊23戸。

1931年(昭和6年)7月11日 長岡操車場が開業。
1931年(昭和6年)9月1日:水上駅 - 越後湯沢駅間延伸開業(清水トンネル開通)し上越線全通

※それまで上野駅 - 新潟駅間は信越本線経由の急行列車で11時間6分を要していたのが、新設された上越線経由の急行列車は7時間10分で結び、一挙に4時間の所要時間短縮が図られた。

1945年(昭和20年)8月1日 長岡空襲により市中心部被災。空襲被害では甲信越地方で最大規模。

1951年8月1日 悠久山公園に長岡市立科学博物館が開館。

1954年9月15日 ラジオ新潟(現:BSN新潟放送)長岡放送局開局。

1958年11月3日 玉蔵院町(現:坂之上町3丁目)に山本記念公園開園。
1958年11月20日 大手通1丁目に長岡市厚生会館竣工。


1960年12月(~1961年1月) 三六豪雪で交通機関が麻痺、新潟県は自衛隊に救援を要請。
1961年(昭和36年)2月2日 長岡地震が発生、マグニチュード5.2。被害は死者5人、負傷者30人、家屋全壊220戸。

1963年(昭和38年)1月 記録的豪雪(昭和38年1月豪雪、三八豪雪)。

1968年(昭和43年)4月20日 悠久山に長岡市郷土史料館開館。
1968年12月16日 新潟総合テレビ開局。1991年10月まで長岡に演奏所(長岡放送センター)が置かれる。

1973年12月1日 長岡市営スキー場オープン。
1975年(昭和50年)3月31日 越後交通長岡線旅客営業廃止

1976年10月1日 長岡技術科学大学開学。
1977年(昭和52年)9月30日 幸町2丁目に新市庁舎竣工。(現:さいわいプラザ)
1977年10月11日 新市庁舎で業務開始。
1978年(昭和53年)2月20日 新潟県陸運事務所長岡支所(現:新潟運輸支局・長岡自動車検査登録事務所)が設置され、長岡ナンバーが誕生。
1978年6月26日 6・26梅雨前線豪雨で災害発生。

1978年(昭和53年)9月21日 : 北陸自動車道・新潟黒埼IC(当時) - 長岡JCT・長岡ICが開通。翌日より高速バス長岡 - 新潟線運行開始。

1980年4月17日 長岡駅新駅オープン。

1981年(昭和56年)6月 通商産業省(現:経済産業省)による「テクノポリス建設構想」の一環で、長岡市が建設調査地点に選定。
1982年(昭和57年)10月 長岡東バイパスが暫定2車線で全線開通。
1982年(昭和57年) : 上越新幹線・大宮駅 - 新潟駅間が開通、新幹線長岡駅開業。

1983年上越新幹線上野駅乗入れ開始。

1984年(昭和59年)3月 「長岡テクノポリス計画」が、国の承認を受ける。

1985年(昭和60年) : 関越自動車道全線開通により、関東地方各地と結ばれる。

1986年11月11日 長岡バイパスが暫定2車線で開通。

1988年(昭和63年)5月 長岡テクノポリス計画の事業圏域が長岡市周辺の15市町村に拡大され「信濃川テクノポリス計画」に改称。

1988年(昭和63年)7月20日 : 北陸自動車道・朝日IC - 名立谷浜IC間延伸開通により北陸自動車道が全線開通。北陸地方各地と高速道路で結ばれる。

1989年12月31日 長岡大橋4車線化完成。

1991年(平成3年)6月20日 : 東北新幹線・東京駅 - 上野駅開業に伴い、上越新幹線東京駅乗り入れ開始。

同年10月16日 旧・寺島町に長岡市産業交流会館・ハイブ長岡が開館する

1993年(平成5年)7月15日 新潟県立近代美術館がオープンする

1994年(平成6年) : 北陸自動車道・新潟亀田IC - 新潟西IC開通により、新潟市域初めての高速自動車国道が開通。

1995年3月31日越後交通長岡線全面廃止。

1999年(平成11年)4月18日 呉服町1丁目に山本五十六記念館開館。

同年 : 新潟交通電車線全線廃止。
2000年(平成12年)8月1日 関原町に新潟県立歴史博物館オープン。
2001年(平成13年)10月1日 大手通にながおか市民センターがオープンする。
2003年7月12日 大手通の「まちなか・考房」内に、初代・長岡戦災資料館がオープンする。
2004年(平成16年)7月12~13日 平成16年7月新潟・福島豪雨(7.13水害)が発生、中之島地域(当時中之島町)を中心に大きな被害。

同年10月23日 午後5時56分頃、新潟県中越地震(新潟県による呼称は「新潟県中越大震災」)が発生、当時の長岡市で震度6弱、小国地域(当時小国町)では震度6強を記録。南部を中心に被災。
2005年(平成17年)2月 北陸地方で19年ぶりの記録的豪雪。
2006年4月1日 市制施行100周年。
2007年(平成19年)4月1日 長岡市は特例市に移行する。
2007年7月16日 午前10時13分頃、新潟県中越沖地震が発生。小国地域で震度6強を記録。西部を中心に被災。

2010年(平成22年)3月31日 北魚沼郡川口町を編入。長岡市では唯一の飛び地となった。

2013年(平成25年)11月24日 長岡東西道路フェニックス大橋と左岸バイパスが開通。

 

公開:2016年11月 5日
更新:2018年11月24日

投稿者:デジタヌ

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