狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

第47話 父庄一の死《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男

※<本稿は 02/19/2008 に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し掲載です>

ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第47話

徹路が病院を訪れると、

『徹路、ワシはコンナ、牢屋みたいな所は嫌だ、この通りぴんぴんしているし、早くコンナ所から連れ出してくれ.。』

と言って、徹路を困らせた。
医者からは、「永くて1年、もう手遅れで手術をしてもそう永くは生きられない」と通告された。


これが永い闘病生活の始まりとなった。

残された治療は、抗ガン剤治療しかなく激しい吐き気や痛みと戦いながら、6ッケ月間入院していたが、小康状態になったので家に帰っても良いことになり、妹幸子が毎日通う条件で家に帰った。


そして一月後、再度風呂場で倒れ病院に運ばれたが、2度と起き上がることが出来亡かった。


そして、父庄一から命を引き継ぐように11月1日次女未來が2人目の孫健治を出産した。

病床で庄一は曾孫健治の誕生を喜び、11月半ばに帰らぬ人となった。

後二ヶ月で88才の誕生日を迎えるはずだった。


父の弔いは、母の時と同じく吉野の実家から出した。
今度は、娘夫婦にも口止めをし、得意先には一切連絡をしなかった。

もう母寿美の時のような騒動は懲り懲りだったからである。


現場は番頭角の、最古参の土屋留三さんに任せてきた。
今度は、混乱もなく父庄一の葬儀を恙(つつが)無く終えることが出来た。

この年近鉄バファローズは2度目のリーグ優勝を果たしていた。


翌1981年(昭和56年)12月阪奈道路が無料開放された。
世の中は完全にモータリゼーションの波に飲み込まれていた。


1983年(昭和58年)4月15日東京ディズニーランドがオープンした。
海外旅行ブームで国内観光が不振の中、その後今に至るディズニー神話がこの日始まった。


この年10月、阿部野橋ターミナルビル整備計画と、阿部野橋ー針中野間の連続立体交差事業が始まった。


近鉄に於ける20世紀最後の大事業となったこの工事は、1987年の連続高架完成まで4年の歳月を要する大工事であった。

そして、恐らくこの工事が都心部に於ける、"飯場"の終焉の場であった。


現場事務所や飯場の建物は、2階建てのプレハブに変わっていたが、土工達が、寝泊まりする姿は変わらなかった。


かつての高度成長時代、多くの現場から飯場が消えていき、山奥のダム工事かトンネル工事現場位しか、飯場は見られなくなってきていたが、どっこいこの現場には生き残った。

しかし、昔のような賑わいは無くなっていた、殆どが「通いの土工」に変わってきていたからである。


請負の仕組みも代わり、大手のゼネコン1社が受けるのではなく、JV(ジョイントベンチャー)を組んで請け負うのがアタリマエになってきていた。

請負関係は分業化と共に複雑となり、最早土工達が長期間一つの現場で働ける環境では無くなってきていた。


<続く>

 

公開:2008年2月19日
更新:2022年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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