タヌキがゆく(狸穴総合研究所)

京都市伏見区《 タウンヒストリア 》

御香宮神社のある京都市伏見区とこれ迄の歩み

豊臣秀吉が生涯を閉じた「伏見城のある桃山」の地名は、織田・豊臣政権期の時代区分「安土桃山時代」や、その文化「桃山文化」などの呼称の元となっている。

幕末期に、坂本龍馬をはじめとする討幕の志士たちが活躍した地としても知られる町。

古くは深草に稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社の鳥居前町があり、天正時代には一大政治都市として桃山に伏見城と大名屋敷群、伏見にかけて大手筋を軸とした城下町が形成され、徳川時代初期には伏見藩が存在した。

その後伏見奉行が置かれ、淀川水運の重要な港町(伏見港)・宿場町(伏見宿)としても栄えるなど、昭和初期までは京都とは独立した別の都市であった。

京都との間は街道や高瀬川で結ばれ、明治には鴨川運河や鉄道(東海道線旧線・現JR奈良線)も早期に開通し、各地から京都への物資を運んだほか、平安時代には貴族の別荘地や天正時代以降は武家屋敷が立地していた桃山丘陵の大部分は現在桃山御陵の広大な緑地が広がり、酒造に用いられる豊富な伏流水の水源となっており、古くから灘五郷、伊丹、とならんで酒造業が盛んな事でも有名。

1931年に京都市に編入されて以後は、周囲の市街地化が進み、「京都の郊外」という色も濃くなっている。

深草・伏見以外にも、城下町として栄えた淀や、豊臣秀吉のだお茶会で有名な醍醐寺が建つ醍醐などの地区も区内に含まれる。

推計人口、1,466,937人/2018年4月1日

JR桃山-(京都)ー品川 2時間33分/13,910円/JR奈良線-新幹線

京都市のこれまでの主立った出来事


天正19年(1591年) - 豊臣秀吉が関白を豊臣秀次に譲り隠居所として伏見の指月に築いた屋敷に隠居する。
文禄3年(1594年) - 豊臣秀吉が隠居屋敷を城郭へと大規模に改修、伏見城の城下町として伏見の町割、開発を行ない、町の原型が形作られる。
文禄4年(1595年) - 関白豊臣秀次が切腹し、政治の中心が聚楽第から伏見に移る。

慶長3年(1598年) - 豊臣秀吉、醍醐にて花見を行う。同年、伏見城にて死去。
慶長5年(1600年) - 伏見城の戦いにて伏見城炎上、関ヶ原の戦いの火ぶたが切られる。
慶長6年(1601年) - 徳川家康が伏見城の再建を開始。城下に銀座が置かれる。
慶長8年(1603年) - 徳川家康が伏見城にて将軍宣下を受ける。
慶長10年(1605年) - 徳川家康が伏見城で朝鮮使節と会見し、文禄・慶長の役で関係が悪化していた朝鮮と和議を成立する。

慶長12年(1607年) - 松平定勝が伏見城代となる。
慶長13年(1608年) - 銀座が京都に移される。
慶長18年(1613年) - 京都二条と伏見の間に高瀬川が開通する。
元和3年(1617年) - 伏見城代が廃止される。
元和9年(1624年) - 小堀遠州が伏見奉行となる。
寛永1年(1624年) - 伏見城が廃城となる。以後、伏見は奉行が支配する。


元文1年(1736年) - 伏見指物町の銭座で銭貨が作られる。

文久2年(1862年) - 寺田屋事件が起こる
元治1年(1864年) - 長州藩が兵を率いて伏見に入る。幕府軍に敗れ、長州藩伏見屋敷焼失。(禁門の変)。

慶応2年(1866年) 伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件発生。

慶応3年(1867年) - 伏見奉行が廃止される。
慶応4年(1868年) - 鳥羽・伏見の戦いで伏見市街が戦場となる。
1879年(明治12年) - 郡区町村編制法により伏見区が設置される。
1879年(明治12年)8月18日 - 官設鉄道(東海道旧線)の稲荷駅開設。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により紀伊郡伏見町が発足する。
1894年(明治27年)9月 - 琵琶湖疏水の冷泉放水口から伏見インクラインを経て、伏見城外堀の濠川までを結ぶ鴨川運河が開通する。
1895年(明治28年)2月1日 - 京都駅前(七条)と伏見下油掛の間で、営業用としては日本初の電車である京都電気鉄道開業(後の京都市電伏見線、1970年廃止)。
1895年(明治28年)9月5日 - 奈良鉄道の伏見駅開設。
1895年(明治28年)11月3日 - 奈良鉄道の桃山駅開設。

1912年(大正元年) - 明治天皇の遺言により桃山丘陵に伏見桃山陵が造営される。
1914年(大正3年)5月 - 鴨川運河の伏見インクラインの落差を利用した墨染発電所が運転を開始する。
1929年(昭和4年)5月1日 - 伏見町が京都府下で2番目に市制を施行して伏見市が成立した。

1931年(昭和6年)4月1日 - 伏見市他8町村が京都市に編入され伏見区となった
1950年(昭和25年)12月1日 - 乙訓郡羽束師村および久我村を編入する。
1967年(昭和42年) - 伏見港公園が都市計画決定。港湾としての歴史が名実ともに終結した。

 

公開:2019年1月26日
更新:2019年1月26日

投稿者:デジタヌ

このエントリーをはてなブックマークに追加

門真市《タウンレヴュー》駅周辺再開発についての考察 TOP


 

 



▲近畿調査室へ戻る

 

ページ先頭に戻る