タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

自動車大国日本に唯一無いものは Vintage Brand Car

Vintage Car の系譜 とコーチビルダーの変遷

ビンテージカー、クラシックカー(最上級車)とは何なのでしょうか?

日本では「年期物の旧車」と勘違いされているようですが...

自動車大国日本には、残念ながら「クラシックカー」は存在しません!

《時代の流れに翻弄された Vintage car Brand 》第1回 プロローグ

Vintage Brand Car なんとも魅力的な響きを持つ車たちです。

Classic Car(最高クラスの車)とも呼ばれる車たちですが、現存している現役のブランドも数多くあります。

ランボル、ポルシェも素晴らしい車ですが...

その品格ではロールスロイス、ベントレー、ベンツそして嘗てのパッカードにはかなわないでしょう...

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《時代の流れに翻弄された Vintage car Brand 》の総合目次

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第2回 歴史ある大英帝国で育まれた Vintage Brand Car 達

歴史ある大英帝国は、貴族社会の国でもあり、長く続いた馬車時代から彼らが御用達としていた今も残る歴史ある「コーチビルダー」が群雄割拠...

第2回 歴史ある大英帝国で育まれた Vintage Brand Car 達

歴史ある大英帝国は、貴族社会の国でもあり、長く続いた馬車時代から彼らが御用達としていた今も残る歴史ある「コーチビルダー」が群雄割拠...

第3回 ドイツ・フランスの Vintage Brand Car

歴史ある大英帝国は、貴族社会の国でもあり、長く続いた馬車時代から彼らが御用達としていた今も残る歴史ある「コーチビルダー」が群雄割拠...

第4回 ローマ帝国の栄光ある伝統を引き継ぐ?イタリア のヴィンテージブランドカー

ローマ帝国の時代から馬車が発達していたイタリアも貧しいが情熱的な一般庶民と大富豪や貴族が同居する国で、

第5回 大後悔?漂流時代の果てに流れ着いた先で滅亡した名車たち

ヨーロッパにあってイスラム文化と耶蘇教文化が混然一体?となったスペインは、大栄帝国?とともに嘗て大後悔時代?には、

第6回 自動車育ての親 アメリカ で生まれた Vintage car Brand 

ガソリン自動車を最初に発明したのはドイツのダイムラーだったのかもしれませんが、最初に普及させたには、間違いなしにアメリカでしょう!

Annex1 貴方はトヨタ党?それとも日産党?

昔から"自称自動車ジャーナリスト"の間では、『技術の日産、販売のトヨタ』などと評して、『日産はマーケティング(市場戦略)でトヨタに敗北した』ように"騙って"いる連中が大半ですが...

Annex2 TOYOTA Centyury に唯一備わっていないものとは...

CenturyはToyota Qualityの真骨頂といってもよいhigh-priced luxury automobile marquesで、嘗てのRolls-Royceをも凌駕して、handmade Bentleyや、Mercedes-Maybachと並び称されるQualityを持つように...

Annex3 米国系 巨大 石油メジャー に対抗できるのは TOYOTA と 出光 だけ...

最近、石油メジャー・CIAの陰謀と思われる日和見マスコミの「トヨタ叩き」のプロパガンダ活動が目立つようになってきました!

序章 Vintage Carとは

high-priced luxury automobile marquesとも呼ばれることもある、1台ごとにHandmadeで組み立てられる、超高級車!の事です。

特に極上車(classic car)と呼ばれる marque はボディー外板も職人たちのハンマーで打ち出されて、厳密にいうと1台として全く同じCarは存在しません!

現在でも、ベントレーでは有名コーチビルダーの工房で1台ずつ丹念に手作りされた車体を購入して自社工場でシャシーフレームにマウントして出荷しています。

第1節 自動車に関する単語と用語表現

ご承知の通り、英単語の殆どはシェークスピアが外来語からヒントを得て作った"造語"と単語を結合した"合成語"といわれています。

つまりエスペラント語に近い?ものです。

シェークスピア没後もこの伝統?は続き。ギリシャ語、ラテン語、フランス語などからの言語輸入?は続きました。

歴史の浅い工業製品automobileでは

歴史の浅い工業製品automobile(car)の世界、特にVintage Car( classic car)といわれる極上車の分野では、フレンチ由来の名詞が良く用いられています。

そして"烙印"(や入れ墨を連想させる)につながる単語brandは商標(銘柄)を表すときに用いられて、そしてそこから生まれたcarの車名は一般的に"marque"という表現(単語)が用いられます。

英単語markは表音単語の派生語でしょう(British英語ではほとんど同じ発音です)

emblem;象徴、記章はギリシャ語が語源といわれています。同じような意味を持つ badgeは軍隊の階級章などを示す単語として使われ自動車では用いられません。

ラテン語の"装備"から派生したornamentは装飾類の意味で外装(ボディー)内装(車内)の(細工物)装飾品としてemblemが(張り)取り付けられている場合を指します。

第2節 馬車時代から続く有名コーチビルダー

架装業コーチビルダーとは、

コーチビルダー (coachbuilder) とは馬車やモータービークル(いわゆる自動車、バス、トラック)等の車体(ボディ)を製造・架装する業者のことをいう。...イタリアではcarrozzeria(カロッツェリア)と言われる。《Wikipediaより引用》

馬車の時代だったころは木製の車体を製造する技術は門外不出の職人技で作られていて、資本とアイデアだけでは"簡単に参入できる業種""ではありませんでした。

それで自動車時代になっても、シャシーフレーム(フレームにエンジンアッセンブリーとサスペンションを組付けた裸シャシー)の状態で出荷して、既存のコーチビルダーにキャビン部分の制作と架装をお願いしていたわけです。

特にヘンリーフォードが自動車の量産に成功して、大衆車を量産するようになるまでは、特注高級車のほとんど全ての自動車メーカーはエンジンと足回り(操舵装置+サスペンション+ブレーキシステム)だけを出荷するシャシー・フレームメーカーで"完成車"メーカーはほんの一握りでした。

特に紳士の国?山高帽の大英帝国では多数のコーチビルダーが覇権を競い技巧を尽くしたキャビンを製造していて、貴族や上流階級も御用達のコーチビルダーを持っていました、だから自動車時代になってもそのままその伝統が残ったわけです。

アメリカのStudebakerは馬車全盛期の頃には世界最大のコーチビルダーとして年産10万台以上!の馬車を生産していました。

第2次大戦前はking of luxury automobile marquesとして君臨していた Packard も1941から1953年まで有名なBriggs Manufacturing Company(※1)に外注していました。

参※1)Briggs Manufacturing Companyは当時のアメリカで、高精度の大型プレス部品を製造できる優れた御術力を持つコーチビルダーでした、リンカーン、クライスラー、パッカード、ハドソン、ピアスアロー、マーモンなどの国内外の高級車メーカーに高品質なボディーを供給していました。

同社は1953年にクライスラーコーポレーションに買収されて、コーチビルダー(プレス業)ではなくなり、クライスラーの製造部門(工場)となりました。

第1章 創世記のライセンス生産とリバースエンジニアリング

第1節 ライセンス生産

ライセンス生産とは、他の企業が開発した製品の設計・製造技術を、別の企業が許可料(ライセンス料、ロイヤリティ)を支払ってそのまま使用し、その製品を生産する事である。《Wikipediaより引用

自走車産業の創世期には、ガソリン自動車生みの親と同時にパテントホルダー(1879年に2サイクル内燃機関の特許、1886年automobileの基本特許を取得)だったKarl Friedrich Benzが1888年夏に世界初の市販車を送り出した1883年創業のBenz & Company Rheinische Gasmotoren-Fabrikと同じく1885年に小型ガソリンエンジンの特許を取得した Gottlieb Wilhelm Daimler の起こした独Daimler Motoren Gesellschaft, DMGが1926年に合併してDaimler-Benz AGとなりライセンスを共有するまでは、世界各国とくに仏・英両国でKarl Friedrich Benzが発明・開発したautomobileの基本的な機構「コイル点火装置、点火プラグ、クラッチ、ギアシフト装置、ラジエーターなどの特許や変速ギア、リンク機構とチェーン減速によるステアリング装置、ブレーキライニングの発明などの数多くのライセンス」に基づいたautomobile生産が盛んでした。

第2節 Reverse engineeringとは

ライセンスだけでは実物が制作できないので定評のある市販品を模倣した?Reverse engineeringも盛んにおこなわれていました。

Reverse engineering...とは、機械を分解したり、製品の動作を観察したり、ソフトウェアの動作を解析するなどして、製品の構造を分析し、そこから製造方法や動作原理、設計図などの仕様...を調査することを指す。《Wikipediaより引用》

例えばBMW Motorradのオリジナルと思われいる"2気筒水平対向エンジン" の始祖となった1920年製のM2B15フラットツインは、当時の職長が使用していた英国製の輸入2輪車Douglas (motorcycles)についていた水平対向エンジンをReverse engineeringした模倣品から発展したものです!

航空機用大出力エンジンの専業メーカーだったBMW

1916年に航空機エンジンメーカーBayerische Flugzeugwerke AGとして誕生したBMWは第1次大戦に敗戦した後ベルサイユ条約で本業の航空機用大型エンジンの製造が禁止されていました。

小型汎用エンジンの経験がなかった当時のBMWが生き残りの為に取った手段がReverse engineeringでした。

しかし水平対向2気筒は1896年に前途したカールベンツが特許を取得したエンジンです、つまり独Benz & Company Rheinische Gasmotoren-Fabrik→1905年に英Douglas (motorcycles)がReverse engineeringして→1920年にBMWが再度Reverse engineeringして発達したエンジンだったのです!)

最初の乗用車もリバッジモデル!

1928年に、当時Austin 7をライセンス生産しDixiにリバッジして製造・販売していたFahzeugfabrik Eisenachを買収したときに自動車部門がスタートして、同じく同年にAutomobilwerk Eisenachを買収した後に両工場でDixi(Austin 7)を再度リバッジしてBMW 3/15として発売したのが最初でした!

つまり戦後の日産自動車と同じような経緯で、1935年に米車シボレーに搭載されていたエンジンのReverse engineeringから出発したTOYOTAと生い立ちはそんなに変わりません。

なので、Mercedes-Maybachと張り合えるhigh-priced luxury automobile marquesの「ロールス・ロイス」ブランド獲得に躍起になったのでしょう?

第2章 ノックダウン生産とバッジエンジニアリング製品の違いは?

(※以下名称の直接リンクはWikipedia該当項目にリンクしています。)

現在も世界各国で行われているレプリカ車両生産によるグローバル車両生産手法です。

第1節 ノックダウン生産

ノックダウン生産(ノックダウンせいさん、英語: knock-down kit, KD)とは、他国や他企業で生産された製品の主要部品を輸入して、現地で組立・販売する方式である。《Wikipediaより引用》

海外進出した企業の現地法人が本国の輸出モデルを、現地生産する場合に用いられます。

現在各国で「自国内での(仕様パーツの)生産比率・(調達率)」が厳しく規制されていて」本来のノックダウンは少なくなっています。

日本の自動車部品メーカーが現地法人を立ち上げて現地生産しているのはこのためです。

日本でも行われていたノックダウン生産

戦前は米国のフォードおよびGMが自己資本で生産拠点を設立した。具体的には、1925年から日本フォード、1927年から日本GMが太平洋戦争勃発時まで操業し、CKD(コンプリート・ノックダウン生産)をおこなった。《Wikipediaより引用》

敗戦後もあったノックダウン車両

1950年代初頭には日本において多数のノックダウン生産が開始された。...1951年に東日本重工業(のち三菱日本重工業)が米国・カイザー=フレーザー社のカイザー・ヘンリーJを生産開始した。

1953年には...いすゞ自動車が英国・ルーツ自動車のヒルマン・ミンクスを...日野自動車がフランス・ルノーのルノー・4CVを生産し、1952年に日産自動車が英国・オースチン自動車のオースチンA40を生産し、さらに、三菱自動車工業が...カイザー=フレーザー...のジープのノックダウン生産を開始している。

オースチンはA50から日産オースティンとなり、ジープは共にライセンス生産(バッジエンジニアリング)で100%日本製部品の国産車?となりました。

第2節 バッジエンジニアリング

バッジエンジニアリング(Badge engineering)は、自動車業界において兄弟車・姉妹車を別の販売網で売るために商品名やエンブレム、いわゆる車名やブランド名のバッジを変えて販売する手法。《Wikipediaより引用》

バッジエンジニアリングは日本語で言うところの"技術提携"品で、通常は製作(工作)図面を借用したレプリカ製品を指す場合が多く、OEM製品もこれに該当します...が

リバッジ(Rebadge)

自動車業界で多いリバッジ(Rebadge)モデルは、社内のディビジョン(ブランド)間でメインになるプラットフォーム(エンジン・走行装置をコンプリートしたシャシーとフレーム(ボディー))を共通化して一部の外板・外装とエンブレムだけを変更した車種で、かつてのトヨタ・セルシオと輸出用レクサス、嘗ての日産セドリックとグロリアなどがその例です。

次項に挙げるOEMの例ではトヨタ・日産の軽四輪シリーズ、TOYOTAヤリスなどが代表格でしょう。

OEM(相手先商標品)

現在家電製品、スポーツ雑貨も含む多くの分野で行われているOEM製品は販売元のブランドで供給元(製造元)が製造する製品(車両)で、リバッジと言えなくもありませんが...

家電や一般消費財などの場合は全くの"発売元オリジナル製品"も多く、小生の個人的見解では「リバッジモデルとは異なるカテゴリーではないか?」と思っています。

事実、現在日本国内の家電メーカーの多くは海外(主に中国)のOEM専門メーカー!で製造されている商品を国内ブランドで販売しています。

またこれらの製品は発売元さえシッカリしていれば、厳格な製品管理(分別)でmaid in japanと遜色ない高品質・高信頼性を併せ持つ"商品"に仕上がっています。

あのTOYOTA86はSUBARUが製造するOEMのリバッジ品であり、2020年7月15日現在「ステランティス」(STELLANTIS)となった旧フィアット・クライスラー・オートモービルズのFIAT S.p.A.からアバルトとして発売されている車種もMAZDAが製造するmade in japanのOEMであり MAZDAロードスターのリバッジ品でもあります。

第3章 企業統合・連合の4つの形態

第1節 買収・吸収合併

昔からよくある形態で、基幹になる企業が別の企業を「(負債も含めて)事業その物」を丸抱えで買い取ってしまうやり方で、企業統合・合併がそれに当てはまります。

かつて高度成長期の日本国内でお国(通産省)の指導の下に行われた企業再編成や民鉄各社が、事業拡大を図ったやり方がこれです。

企業にとっては、(動産・不動産含めて)資産が増えて、"増資"による一般投資家の株式投資や社債発行による融資や「金融機関」からの直接融資(借金)も受けやすくなります。

Vintage Brand 獲得の一手段

自動車業界の場合は・ブランド(商標)獲得法の一手段ともなっています。

従業員から見れば、労働条件が基幹会社の条件に統一されて(ボーナス査定分)以外の各職場間での条件が均一化されますが...

経営側にとっては巨大化する「労働組合」対策、日本では総会屋対策などの別の問題が生じてきます。さらに金融機関を通じての「監督官庁の天下り先」の温床となりやすく役員人事問題などが生じやすくなります。

第2節 買収・完全子会社化

嘗てのGM100%出資の完全子会社オペルがこれに当たるでしょう。

嘗ての米国のBIG3が海外進出したときの手法がこのやり方です。

(日本の場合はかつて法規制(国内資本規制)があったので、次項の合弁事業が盛んでした。現在でも世界各国で自国以外の他国資本の実質出資比率規制は残っています。)

親会社が出資金(株式)の100%を保有して株式公開されていないのは後述するホールディングス形態と同じですが、完全子会社の場合は「独立した現地法人」なので個別に進出した各国の金融機関の直接融資や一般投資家の債券(社債・借金)を受けやすく、

また労働条件を親会社に合わせる必要もありません!

更に日本で重要なことは、株式公開に伴う総会屋対策に煩わされず、所轄官庁からの天下り、融資先金融機からの余剰人員の"患部"派遣社員受け入れも必要なくなります。

日本では 現在 ダイハツ工業(※1)がToyotaの完全子会社になっています。

参※1)当サイトシリーズ記事 ダイハツ工業はこちら。

第3節 ホールディングスとは

ホールディングス(持ち株会社)は、出資金である株式を全額親会社が出資している「株式公開」していない独立した非上場企業を「子会社」として運営する昔の大英帝国時代の総支国グレートブリテンと世界各国の属国(植民地)の関係みたいなもので、本体は株式配当で利益を得て「融資などの一時金・資金繰りは」各企業が従来通り取引銀行や社債(証券)で賄っているわけです。

勿論、発行株式を100%保有している完全子会社以外にも、連結決算可能な範囲内で株式所有している「分法子会社」もあり、またホールディングス自体も。完全に株式所有だけでその他の経済活動を行っていない、「阪急・阪神ホールディングス」のような形態もあれば、トヨタのように自社も生産活動をしながら、100%子会社のダイハツ工業や分法子会社の「SUBARU」を従えている場合もあります。

ホールディングス本体は、株主としての発言権があり「幹部役員の人事」などには権限がありますが、運営・経営はそれぞれ独立した子会社に任せているので、子会社同士は兄弟関係はあっても「全く別の家計の事情で」従業員から見れば「待遇」は各社で異なり、勤務条件・賃金(ボーナス)・福利厚生などはそれぞれ異なっていますし、このことについての問題(労働争議・監督官庁の指導)も生じようがないわけです。

海外ではGroupe PSAが有名です。

1976年、経営難に陥っていたシトロエンをプジョーが傘下に収めたことで誕生。一つのグループの下に共存することにより工業的、財政的、テクノロジーなどにおいて相乗効果を生み出し成功し、(2019年)現在EUの自動車メーカーグループ中第2位を占めている。

2019年10月、フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)と経営統合することを発表し、双方の創業家と東風とフランス政府は7年間出資することで合意した...

2020年7月15日、新たな企業グループの名称を「ステランティス」(STELLANTIS)にすることを発表した。《Wikipediaより引用》

現在日本では、自動車関連企業ではTOYOTA一社だけで、運輸関係では「阪急・阪神ホールディングス」流通業界ではセブンアイホールディングスなどがこれに当たります。

第4節 広範囲にわたる企業提携(アライアンス)関係とは?

カタカナ和製英語が大好きで、何でも美化したがる日本では、「広範囲にわたる業務提携、緩やかな企業統合」を「アライアンス」と言う宗教用語で表現しますが、米国ではcommunity(共同体)と言う言い方をします。

日本で使われているアライアンスとは ?

ナイターや、リフォーム同様に「カタカナ英語」に近いものです。

本来はカソリック用語からでた同盟・縁組の意味ですが、日本では企業間の関係を表すときに用いられるカタカナ英語として「広範囲にわたる資本提携・業務提携・契約関係」を表わすときに使用されます。

日本の"'赤系統"?の巨大マスコミN〇KやA新聞あたりの編集者が、戦前戦後の"赤狩り"の対象となったcommunist(共産主義者)の象徴的存在だった集団農場communeを連想してトラウマに見舞われるのを嫌がり、元々カソリック用語だったアライアンス(alliance)を見出しに用いることを思いついたのでしょう!

鈴木自動車工業(現スズキ)(※2)マツダ(※3)、富士重工(※4)現三菱自動車(※5)、現NISSAN(※6)がこれに当たります。

参※2)当サイトシリーズ記事 鈴木自動車 のPGはこちら。

参※3)当サイトシリーズ記事 マツダ のPGはこちら

参※4)当サイトシリーズ記事 SUBARU のPGはこちら。

参※5)当サイトシリーズ記事 三菱自動車 のPGはこちら

参※6)当サイトシリーズ記事 日産の世界戦略を担うPG軍団はこちら。

最近増えた前途したホールディングスの場合は100%「完全子会社」で企業統合・合併に近いものですが。

communityの場合は、お互いに株を持ち合い、ほぼウィンウィンの関係で独立は保たれます。

但し、金融機関や投資家の投融資を受けずにお互いに株式を持ち合う関係なので、その出資比率でほぼ役員比率も決まり、つまり出資金が多いほうの発言力が大きくなるので、実質的には多額な出資で株式を分担したほうの発言が大きくなります。

世界各国間にまたがる合弁事業としての新規事業や、国境に縛られないグローバルビジネス(多国籍企業)、企業グループ展開に用いられてきた手法です。

第4章 産業革命とVintage Car

動力革命と素材・製造技術・生産技術・製造設備の発達から眺めた自動車

第1節 水車・馬力の時代から続くベルト伝達式集中動力源の時代

18世紀の一般的には「産業革命」といわれている製造業の大変革は、第一次「動力革命」といったほうが正しいかもしれません。

生産技術者以外の単なる産業歴史家は蒸気機関の登場を画期的な出来事のように言いますが、動力源が不安定な水車・人力&馬に代わって安定した回転力(回転数&トルク)が得られる蒸気機関に代わっただけ!という見方もできます。

第1次産業動力革命を起こした蒸気機関の登場

1712年に、Thomas Newcomenが鉱山の排水用として実用になる最初の蒸気機関を開発しました。

しかし非常に巨大でかつ低効率で、一般の"工房"の動力源になるような代物ではありませんでした。

1769年 James Wattによる最初の効率的な近代的実用蒸気機関の開発成功がそれまで「水車や馬」に頼っていた動力源に大変革をもたらし、同時期に開発された紡績機、自動織機と共に石炭を燃料とした蒸気機関による産業革命がおこりました。

同年フランス人のNicolas-Joseph Cugnot世界初のautomobileである蒸気自動車の試作に成功しましたが旧来型の蒸気機関だったので実用化はされませんでした。

1800年にワットの蒸気機関の特許が失効したのを受けて、改良に着手した英国の技術者Richard Trevithickが現在の蒸気機関車につながる高圧蒸気機関の実用化に成功して

1802年に彼が務めていたペナダレン製鉄所で世界初の高圧蒸気機関を完成させました。

1815年頃には 洋上船舶にも用いられて海上大量輸送の時代に入りました。

1830年 George Stephensonが開発した当時革新的な数多くのアイデアで以後の蒸気機関車のモデルとなったロケット号により Liverpool and Manchester Railwayが運行を始めて、陸上交通が一変しました。馬車を走らせるrailway(鉄道は)それ以前から炭鉱の採掘などに用いられていて存在しておりまた短距離の貨物輸送にも用いられていましたが、高速?旅客手段としての公共鉄道はこれが初めてで、その後英国全土、世界各国に普及していきました。

とくに当時の英領インド・オーストラリア・南アフリカ、そして広大な国土のアメリカなど(石畳・レンガなどの)舗装が行き渡っていなかった荒野!で快適な旅客輸送と大量貨物輸送を行う手段として適していたために、これらの地域で急速に普及しました。

第2次産業動力革命に通じる内燃機関の発明

19世紀に入り都市ガス(※7)が普及し始めるとこれを燃料とする内燃レシプロエンジンの開発が活発となって、1860年代には様々な形式のガスエンジンが定置式の産業用原動機として普及し始めて、

1846年 カナダ人のAbraham Gesnerが"地上に滲み出したコールタール"から灯油を蒸留する生成工程を発明した。

1856年 ポーランドで世界最初の石油精製所が誕生。

1868年にNikolaus August Ottoらの起こした会社で初めての2ストロークガス内燃機関が発売開始されて蒸気機関に代わって工場の集中動力源に用いられるようになりました。

1872年からGottlieb Wilhelm DaimlerWilhelm Maybachが参加して、Ottoが着目していた4ストローク・サイクル内燃機関の開発に着手しました。

1884年、オットーは低圧電磁点火装置を考案して、液体燃料が使えるようになり、移動する物体に搭載することが可能になりました。

1877年、オットーは「オットー・サイクル」として4ストローク・サイクル内燃機関の基本特許を取得しましたがこれは後年クレームがついて無効となりました。

1888年夏Benz & Company Rheinische Gasmotoren-Fabrikが世界最初の2ストロークガソリンエンジンのAuto Mobil を発売しました。

参※7)今のようなメタンガスを主にした天然ガスではなく石炭からコークスを製造する際に出来る一酸化炭素を主にした石炭ガスでした。

第2節 分散個別動力による工作機械の進化!

実はこの大変革が、部品工場の生産設備に大変革をもたらしました。

古い白黒記録映像でよく見かける光景、明り取り窓のある片流れ屋根の工場に整然と並列設置された工作機械は、集中動力から天井に張り巡らされた回転者シャフトに動力を伝達して、ホール盤、サンダー、旋盤、フライス盤などの工作機械にプーリー&平ベルトで"動力を分配"するための配置でした。

つまり、連続ラインには配慮されていなかったのです。

日本では、戦後15年以上経過した1960年代まで、中小企業や零細企業の町工場で当たり前に見かけることのできた光景です。

その名残で、小生が某工科系大学に通っていた時のっ機械実習で用いる旋盤はVベルト掛けの多重プーリーを備えた旋盤が用いられていました!

小型モーターの製造技術が向上して、量産が可能となり小型で安価な3相200vの産業用モーターの供給が十分になり「工作機械ごとにモーター設置が可能」となって、各工作機械も天井のドライブシャフトの呪縛から解放されて、効率的な配置が可能となって、生産効率が飛躍的に向上しました!

第3次動力革命につながる電磁式発電機の発明

1827年、ハンガリーのÁnyos István Jedlikが electromagnetic self-rotor と名付けた電磁回転装置(electrical generator:発電機)を発明して実用化実験を開始した。

1832年フランス人Hippolyte Pixiiが世界初の直流発電機dynamoの開発に成功してその後現在一般的な交流発電機alternator電動機(Electric motor)などが派生して19世紀末にはアメリカに電力産業が興り産業革命以来の工場動力源"蒸気機関"を駆逐して行きました。

1878年 - Thomas Alva Edison エジソン電気照明会社を設立。

発電事業を開始する。

1889年 John Pierpont Morganの再融資を受けて現GEの起源となるEdison General Electric Companyを設立。

第3節 車体製作技術の進歩

量産技術の確立

1902年 Oldsmobileを創業したRansom E. Oldsが アセンブリーラインの概念を発案して自動車の量産を開始しました。

1913年、Henry FordがベルトコンベアをT型フォードのアセンブリーラインに導入して"流れ作業"を実現して、大量生産に乗り出し同時に"大幅なコストダウン"を実現いました。

板金技術の進化

当初の自動車は自社の"工房!"で製作したサスペンション、操舵装置を装着したシャーフレームに購入品のエンジンを搭載したベアボーンに、木製スケルトン(骨組)に「手叩きで成形した金属パネル」を張り付けたボディーをコーチビルダーから購入して自社工房で完成させて出荷されていました、なので1台を完成させるのに何日も費やして、年間数十台規模の生産しかできなかったのです。

最初の大量生産車両Ford Model Tが登場した1908年頃には大型のプレス機はまだ開発されていなく、単純なパネル構成のデザインになっています。

なのでほとんどの初期の量産車は幌を用いたフェートンで「金属屋根」のクローズドボディーのセダンは1920年代後半に大型プレス品の深絞り技術がされてフェンダーを始めとするボディー外板が成形できるようになってから量産されています。

なので戦時中の1941年からパッカードは大型金属パネルの深絞り技術を確立していた、Briggs Manufacturing Companyにボディーを外注していました。

スポット溶接技術の進歩

近代の自動車生産において重要な技術の一つが抵抗溶接の一種のspot weldingです。技術自体はアメリカでは1887年つまり19世紀に登場した技術で目新しい技術ではありませんが、可成りの電力がいるので戦前戦後を通じて、日本の電力事情が悪かった時代にはそれほど普及はしませんでした。

塗装技術の進歩

1970年代初頭(ファミリアロータリークーペ!頃)のマツダ車は塗装が悪く、直ぐにさびることで悪評が絶えませんでした!

そこで、業界に先駆けて国内初の下地のカチオン(陽イオン)電着塗料と仕上げの静電塗装を採用して、見違えるように耐食性が向上したのは有名な話です。

小生も1986年から十年間ルーチェ4ドアハードトップに乗り続けましたが、ドア内部も含めて全く錆の発生はありませんでした!

鋳鉄・鋳造技術の進歩

キャスティング(鋳造)は古くから大量製造に用いられている手法ですが、A型TOYOTA社の製造で一番苦労したのがエンジンブロックの鋳造技術だったと語り草になっているほど「奥の深い」技術でもあります。

砂型によるシェルモールドで作られるわけですが、巣が発生しないように、鋳込み口、ガス抜き孔の位置を決めるのは、ながねんの経験がいりますし、中子と呼ばれる空洞を作る鋳型も技術力がいる分野です、鋳鉄素材そのものも含めて、薄肉(軽量)で高強度な鋳鉄部品製造するには高い技術力を要します!

アルミダイキャスト製品はあまり軽くならない?

一般人は「アルミダイキャスト」(金属金型鋳造)のほうが優れた技術であるように思いがちですが、アルミダイキャスト製品は「巣」が生じ安く「強度」を保つためには肉厚が必要です。

さらにニカジルメッキのような特殊なメッキ処理を施さない以外はそのままでは使用できないので一般的には鋳鉄ライナーが必要となってきます。

4気筒ブロックで比べた場合でもよくできた鋳鉄ブロックと「結果的」にはあまり重量差はありません!

むしろ、騒音的にも鋳鉄シリンダーブロックのほうが優れています!

第4節 機械部品加工技術の進歩

NC(数値制御)技術、産業用ロボットの進歩

ボディー組み立てに用いられるスポット溶接は現在90%が産業用ロボットが行っているといわれています。毎年6千台以上が自動車工場にスポット溶接用として納入されているそうです。

勿論塗装工程等の環境が悪い工程でも使用されていますが上記の6千台には含まれていません。

そして現在日本国中で約35万台のロボットが稼動中で、そのほとんどが自動車関連だそうです。

さらに、高度な機械加工は、NC制御のmachining centerが行っており、コストダウンと品質の安定に役立っています。

第5節 素材・電子パーツの進歩

製鉄技術、圧延技術の進歩

今日一般的な国産車の外板は0.65mm以下の薄肉鋼板のプレス品で構成されています。

この技術も1980年当時に「当時の」鋼板メーカーで開発された圧延技術の賜物です。

その迄は0.8㎜以上の鋼板が使用されていました、つまり幅5.5mもある圧延鋼板を均一にこの薄さに仕上げるのは圧延ロールの管理、組付け精度、更には回転制御(送り速度)など、の総合技術力がいり日本の技術力をもってしてもこの時期まで安定した品質の自走車用薄肉鋼板が製造できなかったわけです。

有名な話ですが、当時三菱自動車と技術提携していたヒュンダイ自動車や、起亜重工

が製造する自動車は、安定した品質の薄肉鋼板が国内から調達できなくて、リバッジモデルの比較では10%以上重い車!になっていたそうです。

新素材・電子パーツの進歩

Studebaker社が行った世界初の、プラスティック部品貼り付けによるPackard marquesno リバッジカーはその安っぽさ!と低品質で「子供向け玩具?」と極評されて、当時のユーザーからもそっぽを向かれましたが...

今や、カーボンコンポジットパネルの貼り付けは「最高級」の証?

さらに、チタニウム削り出し部品、カーボンコンポジットディスクブーキローター、エンジニアリングプラスティックを用いたアフターマーケット向けのサスペンションブッシュ類等、新素材のオンパレード、エンジンルームを開けるだけでプラスティック類のカバーがブラックボックス(エンジン)をスッポリカバーして、場末のストリッパー同様に「直ぐに前を開けたがる?」GASスタンドの連中からエンジンを守っています!

おかげで、プラグの交換もななまらず、目をむく技術料をはたいて修理工場にプラグ交換をお願いするありさま!

オイル交換、オイルフィルター、エアクリーナーエレメント交換などもド素人のGASスタンドでは手が出せないようになっています!

ねえTOYOTAさん!

マイコンの発達による電制完備!

丈夫になったエンジン本体?に寄り掛かり「アフターマーケット」では大口径ターボキットがお手軽チューニングとして大うけで1000馬力以上!のNISSAN GTがゴロゴロ、

仕方がないので、現在によみがえったVintage Brand Bugattiはメーカー出荷のノーマルバージョンでも1500馬力、最高時速(直線で)495㎞/h!

しかも、場所さえあれば「ど素人のカワイ子ちゃんドライバー」でも容易に試せる?

化け物!

参※当サイト関連記事 《バンク伝説》レース出場ではなく、プレステージカー作戦でイメージアップに成功したVWグループはこちら。

歴史編 high-priced luxury automobile marquesの誕生と変遷

自動車産業の誕生と同時に、裕福層のオモチャ?として誕生したVintage Carですが、その特殊な商品価値ゆえに多くの荒波にもさらされました。

1901年 米テキサス州で米国最大級の油田が発見されてGusher Age始まる。

1907年 キネマトグラフを実用化したThomas Alva Edisonが映画スタジオ(Edison Manufacturing Company、)を開き、映画産業を興した。

1914年7月 第1次世界大戦勃発(1918年11月終戦)

1920年1月 アメリカで禁酒法が施行されて、この時期の大恐慌以前のアメリカは"狂乱の時代"を時代を迎えて絶好調でもあり「新興富裕層」が続出してluxury automobile marquesにとっては最高の時代でもありました。

事実当時high-priced luxury American automobilの最高峰と目されたDuesenbergが本格的に始動?したのは1925年10月にErrett Lobban Cordが買収してDuesenberg, Inc.に改組してからの事です。また大恐慌直前にはたった数か月しか存在しなかったRuxtonも新規参入していました。

1929年9月4日ブラックチューズデーに端を発する米国大恐慌が世界恐慌へとつながる

1931年世界恐慌を受けて誕生したナチスドイツが欧州戦線を起こして第2次世界大戦とに広がりました。

この期間世界中でhigh-priced luxury automobile marquesが次々と消えていきました!

(※米国では軍需産業のおかげで消費が拡大して景気が回復して1941年になって大恐慌以前のGDPに回復して、さらに戦災を免れたので終戦後はヨーロッパ諸国の戦後復興を支える"世界の工場"となり戦後まで好景気が続きました!)

長引く不況と戦時体制下で高級車市場が無くなり、大掛かりな機械加工ラインを持っていた企業は軍需産業に衣替して生き残りを図りましたが...

ボディーはコーチビルダーから、エンジンも専門メーカーから購入して、自社の工房でシャシーフレームだけを生産して組み立てだけを行っていたDuesenbergなどの弱小"工房"は次々と閉鎖されていき、多くのmarquesが市場から消えていきました。

1945年長かった第2次大戦が終戦を迎えて、戦火を免れた米国内では戦後ヨーロッパ復興への支援生産もあり、1941年いらいの好景気が持続して大衆車が爆発的に売れ出す。

  • 1948年 伊Isotta Fraschini1904年生産開始の)high-priced luxury automobile marques 生産終了撤退!

1951年朝鮮動乱が勃発して、日本も巻き込む特需(軍需)景気が再来する。

  • 1957年AMCの小型車政策でNashHudson 共にブランド埋葬?。
  • 1958年 仏Automobiles Talbot France (1920年生産開始の)marques生産終了撤退!
  • 1959年 Packard(1899年製造開始の)ブランド埋葬!
  • 1963年 Studebaker 本社サウスベント工場生産終了
  • 1966年 Studebaker of Canadaのハミルトン工場閉鎖して(1904年ガソリン車製造開始)Studebaker marquesも埋葬。
  • 1967年 Panhard (1890年製造開始の)marques 生産終了撤退 

1970年マスキー法が成立して排ガス対策の規制が年を重ねるごとに厳しくなり「少量生産の高級車」を取り巻く環境がますます厳しくなる。(一時期ヨーロッパ製のluxury automobile marqueもアメリカ市場から撤退する。)

1973年イラン革命により、イランに対する経済制裁で・輸入規制で第維持oil shokが起こり石油製品価格が高騰して、アメリカ市場で日本製などの小型車がブームとなる。

1974年独BOSHが第2世代の電子制御式燃料噴射装置L-Jetronicを開発。

1978年3元触媒+O2センサー+電子制御燃料噴射技術が確立してベンツなどの大型高級車が再び米国市場に再上陸しだす。

日本では1986年12月から1991年12月迄バブル経済となり大型高級車が飛ぶように売れだす。(アメリカではその後も持続する)

  • 1987年 AMCがクライスラーに買収される。

2001年 米国内同時多発テロが発生して、イラン原油の輸入規制が再び巻き起こり世界に飛び火して石油製品が暴騰。(2008年まで続く)

2007年夏から起こった、米国内の住宅価格の下落傾向が引き金となりサブプライム住宅ローン危機が発生して金融市場が大暴落して、

2008年終盤にはかつて20世紀初頭にStudebakerのパトロンだったこともあるリーマン・ブラザーズが倒産してよるリーマン・ショックが引き起こされて、ますます金融市場に対する不安が起こり、金融引き締めにより、「サブプライムローンのひとつの自動車ローン」も金利が高騰してなおさら大型車が売れなくなってしまう。

この時期、米国BIG3が次々に業績悪化して、米国BIG3が持っていた高級ブランドが次々とバーゲンセールに出されて、いくつかのブランドがなくなる。

  • 2008年 Daimler、Roverが親会社ジャガー諸共インドのタタ・モーターズに売却されてDaimler、Rover両ブランドは永眠?しました。(但しLand Rover marquehは現在も残っています。 )

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後書き 《時代の流れに翻弄された Vintage car Brand 》シリーズについて

『人は歴史から多くの事を学んだ』といわれていいますが、

『企業経営者は、歴史から決して多くを学ぶことは無かった!』ともいえるでしょう?

多くのVintage Brand Carはお金儲けの手段として"ブランド転がし?"に利用されて、転々と投資家の手を渡り"埋葬?"されたり、大メーカーの思惑で"ブランド復活"して企業イメージの向上ために"ハクをつける"ことに利用されたりしています。

そんな"時代の流れ"に翻弄されたVintage Carの数々を綴ったシリーズ記事です。

狸穴総研 経済研究所 出自多留狸

 

公開:2020年8月 9日
更新:2021年11月23日

投稿者:デジタヌ

TOYOTA Centyury に唯一備わっていないものとは...TOPドイツ・フランスの Vintage Brand Car


 

 



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