『旅するタヌキ』狸穴ジャーナル別冊

ダイハツ工業 滋賀テストコース 《バンク伝説Navi》

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前書き(要約) 滋賀テストコースを本当に覗いたら!

1982年当時、小生はダイハツさんに試験装置を成約できたのでスーパーバイザーとして習熟運転の指導をさせていただいた。

当時は勿論テストコース内立ち入りは厳重警戒で、担当者に表門まで迎えに来てもらい、特別入門許可証でコース内にあった研究棟に入った...

《バンク伝説滋賀テストコース の目次

※ご注意、この施設は非公開施設です!、社外の一般人は特別イベントが開催される時以外は見学できません!

※以下用語については 当サイトシリーズ記事プルービンググラウンドについての走路用語と解説 を参照ください。

第1節 竜王第2工場に付属するテストコース

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バンク内・外周に設置された安全帯(路側帯)以外に、「珍しい築堤上の外周」とコース内周に支援レーンを持つオーバルコース。

左周りで工場側がホームストレッチとなっており、ピットとピットレーンが設けられている、但し反対側にも助走路と減速レーンを持つ出入り口が設けられている。

工場側の直線路にはブレーキパッドが併設され。最大コース幅はメイン周回路と合わせ約35m(支援走路除く)となっている。

第2節 インフィールドにあるワインディングロード(ミニサーキット?)

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インフィールド、バックスストレッチ側に全長約1.2km幅員約6~9m、途中3カ所にショートカット路のあるミニコースがある。

その他のインフィールド施設

北側エリア約半分に、先端にスキッドパッドを備え、中央部に全長約1.1kmの幅員約7mの直線路(南側半分は2車線構内道路と供用)が設けられたパイロン設定用の舗装グランドが設けられ、直線路を挟んで西側に石畳などの各種舗装路4レーンが設置されている。さらに西側に一般道をもしたすれ違い往復直線路、と未舗装悪路を想定したダート路が一本設置されている。

他に南半分にラインオフ車両チェック用思わしき波状路が5レーン、同じく最高速チェック用と思わしき直線路が1本、ダートトラック、プール(冠水路)未舗装路(砂利道)の3本の直線路が設けられ、西側メインストレッチの内側に接する形で、コンクリート、アスファルト、透水アスファルトの3種3レーンのブレーキ試験路が設けられている。

オーバルの外側にある、ワインディングロード

オーバルコースの外側に左周りで全長約5.1kmのコンバインド周回コースが設けられている。

舗装路が主体だがラフロードの区間もある周回路で小さなコーナーを除くほぼ全周に渡り、他種に渡る路面状態が設定されている。耐久走行テストなどに用いられているモノと思われる。

さらに周回路北側にも4レーンの各種舗装路が設けられている。

その他コース周辺には生産車のストックヤードが2カ所設けられている。

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

滋賀テストコースの施設データ

  1. 所在地   滋賀県蒲生郡竜王町山之上3000
  2. 所属施設/所有者 滋賀テクニカルセンター/ダイハツ工業。
  3. 指定管理者/運営団体  滋賀テクニカルセンター。
  4. 開設 1967年2月/旧施設、1986年10月新コース完成
  5. 設備概要 一周約3.0Km 幅員約15m(内外周安全帯2レーン含む)2レーン左周りオーバルコース 
  6. 直線部 長さ 約800mX2(最大幅25m)
  7. コーナー半径 約180mX2カ所
  8. 曲線部最大バンク角 約?度
  9. バンク設計速度 ?km/h
  10. 舗装 アスファルト、コンクリート
  11. 付帯コース スキッドパッド、ダートトラック(未舗装路)、各種舗装路(コンクリート、各種アスファルト、煉瓦舗装路、石畳舗装路、など)
  12. 付帯設備 管理棟、食堂、宿舎、パドック(試験路整備場&スタッフ控え室)、整備工場、給油所、滋賀テクニカルセンター(1991年6月開所)

ダイハツ工業滋賀テストコースのある竜王町の観光ガイド

じゃらんの周辺観光案内はこちら。

参考資料 ダイハツの歴史  

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起源

1907年3月 - 大阪府西成郡鷺洲村大字大仁(現・大阪市北区大淀中一丁目、新梅田シティの一画)に発動機製造㈱を設立して、日本で最初の国産内燃機関「6馬力 吸入ガス発動機」を発明。その当初は工場等に集中動力源としておかれる定置動力用として用いられるガス燃料レシプロエンジンや鉄道車両用機器の製造を手掛けていました。

戦後の1960年代までは中小企業はもとより大企業の工場でも、工場の一角に動力源を設置して、工場の屋根裏(梁上)にシャフトを張り巡らせて、平ベルトで、旋盤、ボール盤、研磨機、等の工作機械に「動力を分配する」動力集中システムが当たり前の時代で、ましてや20世紀初頭の当時は電気が普及していなかったこともありガスエンジンやや灯油で動く焼玉エンジンが主流でした。
1930年 - 三輪自動車「ダイハツ號HA型」の試作型に成功。
1931年 - 量産型三輪自動車「ダイハツ號HB型」を発売する。
1937年 - 小型四輪トラック「FA型トラック」を発売する。
1939年2月 - 大阪府豊能郡池田町字桃園町(現・池田市桃園)に池田工場(現・本社工場第1地区)を操業。

班戦後のダイハツ

1951年12月 - ダイハツ工業株式会社に商号変更。
1957年8月1日 -創業50周年を迎えて 軽三輪自動車初代「ミゼット」を発売開始。
1960年 - 同社初の軽四輪ピックアップトラック「ハイゼット」を発売する。
1963年 - 同社初の大衆向け小型四輪自動車「コンパーノ」登場。
1965年3月 - 本社を池田市神田町に移転。
1966年5月 - 舶用ディーゼル機関の製造販売部門ダイハツディーゼル株式会社を分離独立。

1967年11月 - トヨタ自動車と業務提携。
1970年 -11月 - 旭工業株式会社(旧・明和自動車工業)を合併して西宮工場となる。
1972年3月 - 多田工場を操業。
1973年4月 - 京都工場を操業。
1974年4月 - 滋賀第1工場(現・滋賀工場第1地区)を操業。
1978年8月 - 日野自動車に「レンジャー2」としてOEM供給を開始。
1989年1月 - 滋賀第2工場(現・滋賀工場第2地区)を操業。
1998年9月下旬株式公開買付けでダイハツ工業発行株式の過半数を取得して同社はトヨタ傘下に入り連結子会社となりました。
2003年5月 - 鏡工場を操業。
2004年 - ダイハツ車体(現・ダイハツ九州)の大分工場を操業。
2006年 - 6月29日付にて、「執行役員制度」、「本部制」を導入。
2007年 1973年以来、軽自動車販売台数首位に立っていたスズキを抜き、初めてトップ!に躍り出ました!。
2010年9月28日 - 親会社のトヨタ自動車が2011年9月以降に自社ブランドで軽自動車事業に参入することを発表して、

ダイハツからムーヴコンテ(2011年9月26日にピクシススペースとして発売)およびハイゼットトラック、ハイゼットカーゴ(ともに2011年12月1日にピクシストラック・ピクシスバンとして発売)また(発表当時)未定の1車種(2012年5月10日にミライースをピクシスエポックとして発売)をOEM供給することが発表されました。

2016年7月27日 - 株式公開(上場)が廃止されて、8月1日 に トヨタ自動車の完全子会社(持ち株会社)となりました。

後書き デジタヌの思い出話

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1982年当時、滋賀が担当エリアで、竜王工場にも頻繁に訪れていた。

そのころ開発部署が池田本社からテストコースのど真ん中に新たに建設された研究棟に移り、当時1000万円程度の試験装置を成約して納品して、スーパーバイザーとして習熟運転の介助をした。

当時は勿論テストコース内立ち入りは厳重警戒で、担当者に表門まで迎えに来てもらい、特別入門許可証でコース内にあった研究棟に入ったことを思い出した。

当時は初代シャレードも発売されていた時期で、珍しい車両はめったに周回していなかったが、ベルリーナのレース車両P3が周回していたのを記憶している。GTレースからは身を引いていたダイハツだが、1979年からWRCに参戦しておりエンジン開発のシャシーとして利用していたのかもしれない。

参※用語については 当サイトシリーズ記事プルービンググラウンドについての走路用語と解説 を参照ください。

 

公開:2018年8月11日
更新:2022年9月26日

投稿者:デジタヌ


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