狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

ブガッティ の道場!VWグループの高速周回路《バンク伝説》

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前書き(要約) レース出場ではなくプレステージカー作戦でイメージアップに成功したVWグループの proving ground family

あのブガティーがスピード記録を樹立したVWファミリーの聖地Testgelände Ehra-Lessienをはじめ数多くのproving groundsを運営しているグループについて...

現在世界2位の自動車メーカーフォルクスワーゲンは、主要ブランドだけでもアウディ、ベントレー、ブガッティ、ポルシェ、ランボルギーニ、スカニア(トラック)、ドゥカティ(2輪車)、マン(大型車両)と陸上を自走するほとんどの「トランスポーター」を製造する巨大グループとなっていますが...

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※現在VWファミリーの一員ポルシェが所有しているナルドリングについては当サイト連載記事 Nardò Ring《バンク伝説》スピード教?の聖地!をご覧ください。

※ご注意、この施設は非公開施設です!、社外の一般人は特別イベントが開催される時以外は見学できません!

※以下用語については 当サイトシリーズ記事プルービンググラウンドについての走路用語と解説 を参照ください

第1節 Volkswagen AG Testgelande Ehra-Lessien

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Official Site https://www.volkswagen.de/de.html

あのブガティーのスピード記録もここで生まれた...!

※現在VWファミリーの一員ポルシェが所有しているナルドリングについては当サイト連載記事 Nardò Ring《バンク伝説》スピード教?の聖地!をご覧ください。

29378 Wittingen, ドイツ

敷地面積 110ha!

1968年の秋、第1期工事完成・

1968年9月19日 高速周回路完成で本格運用開始。

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

※Wikipedia該当項目 Testgelände Ehra-Lessienはこちら。

※以下走路用語については当サイトシリーズ関連記事 プルーピンググラウンドの走路用語と解説 をご参照ください

VWファミリーのすべての車両がこのproving groundを使用

110ha!の面積を持つPGは長辺約10キロメートル幅約1キロメートルの細長い敷地で、南北に細長く伸びています。

2005年4月19日量産タイプのブガッティ・ヴェイロンが平均最高速度408.47 km / h(253.81 mph)を記録したのがこのコースで、さらにブガッティカイロンが量産車の最高速度記録490.48 km / h(304.77 mph)を2019年8月2日に樹立したのもこのコースです!

よく言えばドイツ的合理性重視で機能的な走路群ですが、悪く言えば何とも機械(奇怪)な幾何学模様の集合体で、ニュルのワインディングのようなエロチシズム?は全く感じられないナチスドイツ時代の構築物のような几帳面な?PGという印象を受けます。

超高速周回路

目玉施設は世界でも屈指の変形オーバル超高速周回路です。北端と南端にニュートラル設計速度200km/hの半径約330Rのバンク走路を持つ3車線の走路です。

ホームストレッチは走路長約8㎞もあり、バックストレッチ側は大きく弓形に湾曲していて中央部分の約3.1㎞区間では並走して往復6車線の走路となっていますが、ファミリーのポルシェが所有するナルドリングとは異なり時計回りで運用されているようでこの区間では車両左側通行で追い越し車線が外側車線という変則区間となっています。

メインのランプウェイは管理センターから各走路に通ずるアクセス道路が周回路をオーバーパスする部分に設けられたインターチェンジ?にあり、ホームストレッチが終わり200㎞/hに減速?した第1ターンの付け根部分から侵入して、ほとんどカントのない最内周を100㎞/h程度で駆け抜けて、バックストレッチの逆ターンで加速して、3㎞程の短い?バックストレッチ側の入ストレート部を抜けて、再び逆ターンに入り十分に加速して200km/h程度で北バンクを通過してホームストレッチ側の長ーい直線部分に突入して最高速に達して、再び南側の減速バンクに突入する...という周回を繰り返すようです、なおパドックエリアは入退出用のランプの北側3㎞程にある、走路が並走する区間のすぐ南側の3角中洲?の部分に設けられています。

このパドックの配置が不可解な走路レイアウトなので、3車線の走行車線のうち最内周はサービス通路(側道)に使われていて、本来の試験走路はバンク角のついている外側2車線のようです。

バンク部分はもちろんプログレッシブアングルですが、カントのある走路は外側2車線だけで、残り一車線はほぼカントのない高速道路仕様のバンク路になっています。

最内周には舗装された路肩が設けられていて緊急時のサービス通路となっているのは他社の周回路と同様です。

周回路インフィールド施設

南バンクの内側にはマルチレーンのSpecial Surfaces Trackと波状路を、"廿楽折れ"を組み合わせた、何ともドイツ的なシメントリカル配置の走路が設けられています。

またそれとは対照的な雲形定規を組み合わせたようなテクニカルコースも配置されています。こちらには最外周の一部にVibration and Harshness (NVH) surfaces区間が併設されています。

北バンク内側の変形オーバルラフロード

北バンク内側にはターン部分が異常に部くらんだ未舗装の周回路があり、多分冬季の圧雪路、アイスバーンを想定した冬季試験路ではないかと思われます。

周回路西外沿施設

南部には巨大な2つのスキッドパッドが配置されていて、一番南の小さいほうは定常円とジムカーナーグラウンドとして、

中ほどの巨大な台形のグランドの東西2辺から南北側にラケット状にバンクのついた2車線の巨大な転回路(進入路)が設置されていて、グランドの東西には南北を結ぶ車線が設けられており、周回路としても利用される時があるようです。

長大なRural Roadエリア

北側2/3の広大な丘陵部には2車線のRural Roadが幾重にも幾何学模様を描いて張り巡らされており、一部冬季の極寒試験に用いると思わしき建屋も配置されています。

第2節 1937年誕生の若輩者!VW

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ご存じの通り、VWは「Volkswagen」のその名が示すように戦前の1937年にナチスドイツの肝いりで誕生して1938年9月16日フォルクスワーゲン製造会社(Volkswagenwerk GmbH )として生まれてた100年にも満たない若い自動車会社?です。

その後敗戦後の1945年に現在のフォルクスワーゲン社に改組されて、以後1964年には、1901年創業のアウディが中心となり戦前の1932年に創業したアウトウニオンを傘下に収めて、1965年に「アウディ」ブランドを復活させました。

1998年にはロールスロイスと肩を並べる高級車でありルマンでも活躍した 1919年創業のベントレーも手中に収めました。

翌年20世紀最後の1999年には1962年4月創業して1978年4月 に一度倒産して以後クライスラー、そしてインドネシアの投資ファンド(ハゲタカ?)の手に渡っていたランボルギーニ社を破格?の安値で買収することに成功して、ド派手なイタリアンエキゾチックカー造りにも進出して、それ以降のランボルギーニのクォリティーを宿敵フェラーリ以上に向上させることにも成功して「スピード狂」以外の富豪層!にも受け入れられるようにもしました。

2000年12月15日にブガッティの故郷のフランスにブガッティ・オトモビルを設立して実質VW社内で最高級グランツーリスモの開発に着手しました。(1998年には1987年以来商標を買い取っていたイタリアのベンチャービジネスBugatti Automobili SpA から商標権を譲り受けていてこの日の来るまで温存していました、この時の旧Bugatti Automobili SpA にいたエンジニアが別のファンドの投資で開発を続行して作ったスーパーカーがあの野趣あふれる粗削りなパガーニです!)

2012年 には 1898年創業のドイツ第2のトラックメーカー MAN Truck & Bus AGの株式の75.03%を手に入れて傘下に収めて大型トラック事業にも進出しています。

同じく2012年8月1日には初代ビートル(テントウ虫)生みの親フェルディナントポルシェ博士が1931年に創業した Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG(完成車メーカーとしては1948年9月から)を完全子会社としました。

さらに同年4月イタリアの2輪メーカーDucati Motor Holding S.p.Aも買収して2輪車製造にも進出しました。

2014年5月にはスウェーデンのスカニア株式のTOBに成功して98.19 %の株式を手中に収めて完全子会社化(持ち株会社化)してMAN・Scania合わせてベンツと匹敵するトラック事業を展開するようになりました。

第3節 競合他社では絶対に造れないプレミアムブランド・ブガティ!

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嘗てバブル経済の最中に、当時威勢の良かった、ビッグ3やフィアットがスーパーカービルダーを買いあさり?ましたが...

ぽっと出のバックヤードビルダー上りのマセラーティーやフェラーリのブランドを手に入れても、企業のイメージアップにはつながりませんでした...

むしろ、ベントレー、ロールス等のブランド(※1)を買い取ったVW、BMWが正解だったといえるでしょう。

BIG3もマセラティ、フェラーリ、ランボルなどの"痛車?"に手を汚さずに自国の嘗ての名車、"パッカード""ハドソン""ナッシュといったブランドを復活させたほうが得策ではなかったのでしょうか?

これらの会社は、経営規模が小さかったためにモデルサイクルが早くなった戦後のイケイケドンドンの時代についてこれなくて、古臭さが際立ち、最後には品質までも低下して「マスプロ社会」から脱落していったわけですが...

何れもヨーロッパの自動車メーカーに引けを取らない「歴史」ある高級ブランドであったのは間違いありません。

参※)当サイト内関連記事 Hispano-Suizaと同じようなフランスの超高級車メーカーBugatti... はこちら。

※1、1906年3月創業のRolls-Royce

1971年に経済破綻し一時は国営企業になったロールス・ロイス社ですが、1973年には(1931年に吸収合併したベントレーを含む)自動車部門は分離・民営化されることが決定して当時同国のヴィッカースに買い取られて、社名は「ロールス・ロイス・モーターズ」(Rolls-Royce Motors) となりました。

1992年には生き残りをかけてBMWと提携して1998にはBMW製のV型12気筒エンジンを搭載した「シルヴァーセラフ」を送り出しました。

しかしロールス・ロイス リミテッド 本家の自立再建をあきらめた親会社ヴィッカースが同年にロールス・ロイス リミテッド 本家の資産をVWに売り渡したために、BMWとの間でブランド紛争が生じることとなりましたが、両者の間で和解が成立して契約が取りまとめられました。

1998年から2002年までBMWはフォルクス・ワーゲンによるロールス・ロイスのブランド使用を認めるとともに、BMW製エンジンの供給を続けて、2003年1月1日からロールス・ロイスを生産・販売する権利はBMWが所有するという内容でした?

2003年1月BMWはロールス・ロイスのブランドで乗用車を製造・販売することが可能となり、新たに建設したイギリス南部、ウェスト・サセックス州グッドウッドのRolls-Royce Motor Cars の新工場で新シリーズの生産を始めました。

かつての本拠地、旧ロールス・ロイス・モータースが有していた生産設備、従業員、知的財産などの一切はベントレーブランドと共にフォルクス・ワーゲンが引き継ぎ現在に至るわけですが...。

なんだか、歴史のない2社が結託して旨くやって"弱り目に祟り目"のグレート?ブリテンから、ロールスとベントレーのヴィンテージブランドを分捕った形に見えるのですが?

武力戦争には敗れても経済戦争で英国をやっつけた感はぬぐえません。

VWのイメージを完全に書き換えたブガティ・ヴェイロン

車好きなら誰もが知っている名前です。

ベントレーやアウトウニオンといったクラシック(極上の)レースカーの名前は知らない現代の「お子ちゃま達?」もブガティ・ヴェイロンの名前は知っています!

そのブガティですがブランドを購入したVWが自社内(完全子会社)で作っていることは案外知られていません。

ベントレーとヴェイロンが同じW16気筒を積んでいるのはこのためです。

同じ血筋を引くW型16気筒

共に1991年に登場したフォルクスワーゲンの挟角V型6気筒(VR6)エンジンが原型となっています。

このV型エンジンは15度の挟角V型配置で、クランクシャフトはフラットプレーン配置つまり180度の6ジャーナル7メインベアリングですが高回転まで回り、しかもストレート6より全長を短くできるメリットがあります!

その後2001年にフォルクスワーゲン・VR6型エンジン(VR6)を二つ組み合わせ、ダブルV(VV)構成とすることで、72度のシリンダーバンク角度を持つ市販用W型12気筒エンジン、WR12型エンジン(W12/WR12)が発表されてシナリオ通りロールスロイスブランドをBMWに譲ってから旧ロールスロイス工場!で生産されるベントレーのフラッグシップに搭載されました。

そしてこのW12/WR12から、8気筒エンジンのW8/WR8とブガティ・ヴェイロンに搭載された16気筒!エンジンW16/WR16が夫々派生開発されたわけです。

1999年フランクフルトモーターショーでイタルデザインによるコンセプトカーEB18/3Chironが発表された時はW18気筒でしたが、2000年のパリサロン(国際自動車ショー)では、より現実的な?16気筒!エンジンW16/WR16に仕様が変更されて2001年にW16/WR16の生産体制が整ってヴェイロン(Veyron 16.4 )が量産?に入ったわけです。

ブガティ・ヴェイロンの始祖Auto Union Recing Car

実は現在のVintage Bugatti ブランドにつながるのはこのW16気筒だけで、実際にVW生みの親ポルシェ博士が設計したアウトウニオンフォーミュラカー(※2)の再来ともいえる設計コンセプトでデザイン(設計)されています。

ザックリ言えば初期のアウトウニオン・レーシングカータイプAでは、FRが標準的だった当時に先鋭的なミッドシップ・レイアウト、そして全輪独立懸架、6.0L のV16エンジン(実車は4,358 cc)のプロトタイプで登場して、1937年のタイプCではボアφ77mm×ストローク85mm、圧縮比9.2の6,333cc、で過給圧0.94バールのルーツ型スーパーチャージャーの助けを借りて当時としては驚異的な実に545PS/5,000rpm、トルク90kgmを発生させていました。

1938年にはフォーミュラ既定が変わって3リッターV12+スパーチャージャーになり第2次大戦前の1938年シーズンまで使用されました。

参※2)Wikipedia該当項目 アウトウニオン・レーシングカーはこちら。

スペアパーツは案外入手が楽なW16/WR16エンジン

という事でベントレー・ブガティ共に、「エンジン」に関するメンテナンスパーツは、専用ホイール、専用タイヤなどに比べて比較的リーズナブルなお値段だとか?

※但し「まるで機械時計のように複雑精緻」なエンジンを整備できるガレージはそうざらにはなく、パーツ交換・整備技術料は目をむくほどの料金となります。(※場合によっては、エンジンユニットごとドイツ本国に返送しないと整備できない場合も...)

しかし、2006年6月からデリバリーされて2011年8月に完売したブガッティヴェイロンは、300台限定生産で年間僅か50台!(※3)幸運にもオーナーとなられた方は世界でもほんの一握りのカーマニアなので、壊れれば「自宅の片隅」に静態保存するか砂漠に不法投棄?すれば済むので「修理の心配はいらぬお節介」という事でしょう。

参※3※FIA World Rally ChampionshipのグループBカー(※3-1)のFIAホモロゲーションに必要な「連続する12か月間に200台製造された車両」とは比べ物にならないほどの小ロット生産量で、2018年3月から発効したFIA 規定カテゴリ2に所属するグループGT3「カップグランドツーリングカー」の新規定「12ヶ月以内に10台、24ヶ月以内で20台の販売を義務付けるホモロゲーション規定」(※3-2)程度の数量。

参※3-1)Wikipedia該当項目 グループB はこちら

参※3-2)Wikipedia該当項目 グループGT3は ホモロゲーション車両一覧はこちら。

結語 最小の投資で最大の宣伝効果!

1000馬力超のエンジンも、レース用エンジンのような「ネジ1本」からの開発スタートになる事に比べれば、実績のある汎用エンジン(量産部品)の延長で、開発リスクは少なく試作車をまとめて300台造ると考えれば安上がりで、しかも開発費の全て とはいきませんがほとんどは回収できます!

しかも、競合メーカーの他車とモータースポーツで戦う必要もありません!

だから最初から無冠の帝王が約束されているわけです!

この点がVWにとってはヴィンテージカーブランドを再興する最大のメリットだったのかもしれません?

 

公開:2020年8月 6日
更新:2022年9月10日

投稿者:デジタヌ


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