三菱自動車のテストコース 2選《バンク伝説Navi》
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前書き(要約) Google earth で覗いてみた 岡崎オーバル とその兄弟
1970年に三菱重工業から独立して、 2016年10月以来日産自動車が筆頭株主となり、日産自動車、ルノーと共にルノー・日産自動車・三菱自動車連合の一員となっていますが。
パジェロ、GTO,ランサーエボリューション、アウトランダー等数々の栄光に輝く名車を育んできた岡崎自動車試験場や十勝研究所試験路も現在は少々手持無沙汰?のようでもあります。
《バンク伝説》岡崎オーバル とその兄弟 の目次
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※ご注意、これらの施設は非公開施設です!、社外の一般人は特別イベントが開催される時以外は見学できません!
※以下、用語については当サイト関連記事 プルーピンググラウンドの走路用語と解説をご参照願います。)
乗用車技術センター 自動車試験場
1977年に操業開始した三菱自動車名古屋製作所岡崎工場に付随したproving groundです。
高速周回路以外に各種試験路や大型風洞、デザインスタジオなどを完備した三菱自動車の開発拠点、総合リサーチセンター(試験開発センター)となってます。
当初インフィールドは試験・開発部署以外立ち入り禁止でしたが、近年は岡崎工場の工場棟も立っています。
一般非公開施設
通常は一般非公開であるが年に数度、新車発表試乗会などで、マスコミには公開されている。
岡崎工場テストコースの施設データ
- 所在地 愛知県岡崎市橋目町字中新切1番地
- 所属施設/所有者 名古屋製作所岡崎工場/三菱自動車工業
- 指定管理者/運営団体 三菱自動車工業。
- 開設 1977年
- 設備(規格) 高速周回路。
- 敷地;延べ面積; 約55.3ヘクタール コース総延長?km
- 設備概要 一周2.3Km 幅員15mオーバルコース
- 舗装 コンクリート、
- コーナー半径 約140mR X2カ所
- 曲線部最大バンク角 ?度
- バンク設計速度 ?km/h
- 直線部 650mx2カ所
- 付帯コース 直線路、ミニ周回路x2、ワインディングロード、スキッドパッド、ダートコース、煉瓦舗装路、石畳舗装路、各種アスファルト舗装路、外周道路その他。
- 付帯設備 管理棟、パドック(試験路整備場&スタッフ控え室)、研究施設。
岡崎工場テストコースのある岡崎市の観光案内
三菱自動車工業㈱ 十勝研究所
〒080-0271 北海道河東郡音更町字長流枝22番1号
1996年7月開所
敷地面積 約740ha
敷地面積約740haの広大な敷地に設営されている、同社最大、日本国内でも有数の規模を誇るオールシーズン対応のproving ground
高速周回路
全周10km、設計速度300km/hの高速オーバル。
バンクコーナーを持った4車線のオーバルトラックで、両端のバンクコーナー部は外周部3レーンがバンク付きの走路で、再内周1レーンはサービス通路を兼ねた"ほぼフラットのバンク無しの走路"となっておりガードレール外側の堰堤上面にサービストラックを備えたタイプ。
西側がピットレーンのあるメインストレッチとなっていて、左回りで運用されている高速周回路となっている。
インフィールド施設
南端テクニカルコース
インフィールド南端に各コーナーに軽いバンク角のついたスポーツ走行も可能な変形オーバルコースがある、メインストレッチ部分にはマルチパーパスの長型グランドが設置されているが、現在はあまり使用されていない模様で舗装がかなり荒れている!
北端テクニカルコース
北端の丘陵部には高低差の大きい可成り長いコース長の、テクニカルコースが3つが設けられていて、2車線幅の舗装路コース2つは背中同氏が接したサイアミーズ型スタイルで、東コースは途中にラフロードのショートカット並走路を設けたデザインで、一般道を模したコースで冬季の積雪路としても使用されていたオールシーズン用途であったようです。
西側の舗装周回路は途中Vibration and Harshness (NVH) surfacesと思わしき走路部分が大部分でサスペンションの開発にス買われていたのでしょう。
巨大なスキッドパッド
バックストレッチに沿って、マルチレーンのSpecial Surfaces Trackエリアを備えた巨大なスキッドパッドが設置されています。
アウトサイド周辺部施設
敷地南東端部に、冬季エリアとして南端にスキッドパンを備えたグランドがあります。
このグランドはほとんどグラスエリアですが一部はじゃりで舗装されたラフロードになっているようです。
これらの施設間は2車線の舗装路でつながれておりこれらのアクセス路も試験路として利用されていたようです。
1990年発売(2001年生産終了)の三菱・GTOの熟成や、1998年の ランサーエボリューションがWRC完全制覇にも一役買った施設でしょうが、
前途したように2009年8月10日 以来エボリューションおよび商用バンを除く国内向けランサーの生産を終了して事実上、大衆向け小型セダン市場から撤退して以来は、出番が少なくなったようで、冬季PGとしての役割に変化したようです。
さらに2016年10月20日以来 日産自動車が三菱自動車の株式を34%保有する単独筆頭株主となり、ルノー・日産アライアンスの一員となった現在、2006年9月運用開始の日産自動車陸別試験場高速周回路との関係もあり、時代は、設計速度300km/hの超高速アメリカンオーバルトラックをぐるぐる回り連続高速耐久性を試験する時代ではなくなってきている?ので、現状の三菱自動車の役割分担(製品ラインナップ)から考えて、今後の去就が注目される施設でもあります。
三菱自動車の歩んだラフロード?
1917年10月 - 三菱造船神戸造船所で三菱A型乗用車製作。
1934年4月 - 三菱造船は三菱重工業に社名変更。
1950年 財閥系企業解体で自動車事業部門は中日本重工業となった。
1953年1月 - ジープのCKD生産を開始。
同年5月 新三菱重工業に社名変更。
1959年 - 軽3輪トラックの「レオ」、1960年 - 戦後初の自社開発乗用車、三菱500を発売。1962年 - 軽自動車ミニカ発売。
1964年6月 、1950年に分割された3社が再統合して、三菱重工業誕生。
1970年6月1日 - 三菱重工業とクライスラーの"合弁事業"として新たに三菱自動車工業が誕生
1998年 -バス車両の製造を三菱自動車バス製造(MBM。現在の三菱ふそうバス製造)へ移管。
同年 合弁先のクライスラーがベンツと合併してダイムラークライスラー・AGとなる。
2000年 -10月18日 - ダイムラー・クライスラーと乗用車分野におけるアライアランス(広範囲にわたる資本・業務提携)を結んだ。これを機に、大型車分野における業務提携先がをボルボからダイムラー・クライスラーに変更された。
2005年 11月11日 - ダイムラー・クライスラーが三菱自動車工業の全株式を売却したことでアライアランスは消滅した。
同年12月 市場低迷を理由に、中型・大型セダン市場から撤退。
同年12月12日 - 三菱重工業(ホールディングス)の持分法連結会社となり三度"三菱重工業"グループに復帰。
※ダイムラークライスラーのクライスラー部門(クライスラー、ダッジ、ジープ、ラム・トラックス)は2007年5月にアメリカの投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントの持ち株会社として「クライスラー・LLC」として分離しましたが、その後2009年4月30日の事実上の倒産後、クライスラーはアメリカ公営企業として再建に乗り出して2014年1月にフィアット(ホールディングス)の現アメリカ現地法人として株式非公開の完全子会社になりました。!
2008年ミツビシ・モーターズ・オーストラリア・リミテッド 生産工場閉鎖。
2009年8月10日 - エボリューションおよび商用バンを除く国内向けランサーの生産を終了。事実上、大衆向け小型セダン市場からの撤退。
2011年5月 - 軽ボンネットバンでもっとも長い歴史を持っていたミニカバンの生産終了(翌月末をもって販売終了)。ミニカの商標は名実共に8代49年の歴史に幕を下ろしました。
同年6月三菱自動車・日産自動車の軽自動車事業に関わる合弁会社(規格・開発・発売元)生産は三菱自動車工行が担当、株式会社NMKV設立。(資本構成は双方50%ずつ)
2013年8月29日 - スズキと軽商用車のOEM供給につき基本合意。
11月5日 - ルノー=日産アライアンスと広範囲な資本・業務提携を図るプロジェクトを推進することに合意。
2015年4月10日 、およびごく一部の新興国を除く日本国外におけるセダン市場からの完全撤退が決定した。これにより、軽自動車(日本国内のみ)、およびSUVを中心としたラインナップ構成となった。
2015年7月ミツビシ・モーターズ・ノース・アメリカ(アメリカ合衆国イリノイ州)-撤退決定
2016年10月20日 - 日産自動車が三菱重工から三菱自動車の株式を34%取得して単独筆頭株主となり、ルノー・日産・Mitsubishi のアライアランス(広範囲にわたる資本・業務提携:企業連盟)が誕生しました
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公開:2018年8月11日
更新:2022年9月26日
投稿者:デジタヌ
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