狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

マツダ のテストコース 2選《バンク伝説Navi》

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前書き(要約) マツダのトレードマーク?ヴァンケルローター型の三好試験場とその仲間

日本車で初のルマン24時間レース優勝の快挙をなし遂げた"マツダロータリー"を育んだ"お結び型"の高速周回路を備えた三好試験所、とアバルト・ロードスター生んだ21世紀の"ハンドリング道場"美祢自動車試験場をGoogle earth で覗いてみました。

※ご注意、この施設は非公開施設です!、社外の一般人は特別イベントが開催される時以外は見学できません!

※以下用語については 当サイトシリーズ記事プルービンググラウンドについての走路用語と解説 を参照ください。

《バンク伝説》マツダ の巨大お結び周回路 の目次

三次試験場

★三次市にあるマツダの開発拠点

(公式ブログサイトはこちら)

中国自動車道三次ICの北側国道375号沿いにある施設。国道375号線とJR芸備線に囲まれた3角地帯にあり、高速周回路もNASCAレーシングコースのようなお「むすびがた」となっている。

当初はテストコースのみが開場したが10年後の1975年5月にインフィールドにガソリンレシプロエンジン製造工場として三次事業所が開所している。

通常一般非公開施設

残念ながら通常は一般非公開施設となっているが、2017年9月17日にマツダ車オーナー対象に、ロータリー車登場50周年アニバーサリーイベントとして、オーバルコースが公開され、ペースカー先導で参加者によるパレード走行会が開かれて、全国から訪れた参加者で1日中賑わった。

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

変形三角おむすびがた周回路

一般にはヴァンケル・ロータリーエンジンにちなんだとされているが、これは敷地の問題の方が大きかったと思われる。

実際は直角3角形に近いおむすび型の頂点を300Rで丸めた周回コースと考えた方が正しい。

現在工場が建っている375号沿いのメインストレッチが約900m、試験場管理棟や屋内試験施設のある中国道側のサブストレッチが約740m、そして芸備線八次駅側のサブストレッチが約690mでそれぞれの直線路を緩和曲線を持つ最小半径300mRの3つのコーナーで結んで全長約4.4kmの高速周回路としている。

又開所以来、付帯設備のある中国道側のストレート部にピットロードが設けられ緊急時以外はここからバンクに出入りしている。

このコースは珍しく『左回り』で運用されている。

インフィールドにあるサーキット?

現在1974年当時はなかった本格的クローズドサーキット(ワインディングロード)がインフィールドに設けられている。

三次工場側にあるため池、八次駅側のため池、北側バンク内周を通り、工場側に戻ってくる全長約3.6Kmの2車線の周回路が設けられている。

さらに本館側(中国道側)にヘアピンコーナーが設えられており、最終コーナー(北バンク側)出口付近はアウト側に大きく広がりセーフティーゾーンとかなりのバンクがつけられている。ホームストレッチは工場側で約590m。

この周回路は工場付近にピットロードが設けられ、高速行コーナーにはセーフティーゾーンが設けられている。北バンク付近に風洞設備らしき建物が有り、たぶんマツダスピードなどの団体も貸し出されレース車両(かつての782Bなど)の開発にも利用されていると思われる。

本館側のその他のコース

本館裏に(内側)に助走路付きの大スキッドパッド、石畳を含めた、各種舗装炉直線路、ブレーキ試験路と思わしき直線路、駅側ストレートの内側に波状路などが設けられている。

アウトサイド施設

周回路と中国自動車道に挟まれたエリアに両端にターンエリア(スキッドパッド)を設けた全長約1.7km幅員25m(路側帯含む)の往復2車線コンクリート舗装の直線路(一部アスファルト舗装)が設けられている。

通常は右側通行(左周り)で運用されている様だが、主に市販車の加速性能や最高速チェックに使用されているようである。

南バンク(正門側)にあるミニクローズドコース

この試験場にしては珍しく一般的な右回りのショートコース。

一般市販車のハンドリング評価などに使われていると思われる。

デジタヌの豆知識

三次試験場の施設データ

  1. 所在地  広島県三次市東酒屋町556
  2. 所属施設/所有者 三次試験場/マツダ。
  3. 指定管理者/運営団体  三次試験場。
  4. 開設 1965年5月 -
  5. 設備概要 左回り一周約4.4Km 幅員約15m(曲線部外・内周安全帯1レーン含む)異形コース
  6. 直線部 長さ 約900m,約740m、約690m
  7. コーナー半径 約300m 
  8. 曲線部最大バンク角 約?度
  9. バンク設計速度 ?km/h
  10. 安全帯)
  11. 舗装 アスファルト、コンクリート、煉瓦、
  12. 付帯コース スキッドパッド、ダートトラック(未舗装路)、各種舗装路(コンクリート、各種アスファルト、煉瓦舗装路、石畳舗装路、など)
  13. 付帯設備 、管理棟、食堂、社員宿舎、パドック(試験路整備場&スタッフ控え室)、整備工場、給油所、屋内試験設備など。

アクセスの変遷

1965年5月の開設当初はすぐ近くを走る中国自動車道もアクセス道路の国道375号線も整備されていなかった。

1971年3月22日 国道54号全線完成により本社工場と繋がる。

1978年10月28日 北房IC-三次IC間が開通し中国吹田IC、名神吹田IC乗り継ぎで東京IC

と繋がる!

1979年5月15日 吹田JC完成で乗り継なしで東京ICと直結する!

1983年3月24日三次IC-鹿野IC間開通と同時に広島北JCー広島北IC間の広島自動車道開通により本社工場と繋がる。

1985年3月20日 広島自動車道  広島北IC - 広島JCTが開通し全線開通

1988年12月7日 山陽自動車道 広島JCT-広島IC間の開通により先に開通していた広島自動車道とともに広島本社とさらに近くなる。

2010年4月26日の広島高速及び大州出入り口完成で全線高速道路で本社工場と直結!

★美祢自動車試験場

〒759-2152 山口県美祢市西厚保町1173−1

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

嘗てのMINEサーキット(旧西日本サーキット)。

1972年11月に全長1300のminiコース"厚保サーキット"として開業して、1976年に'西日本サーキット'として全長が2,815mに延伸されてリニューアル。1991年の大規模改修工事で全長3,330m"MINEサーキット"となり2006年2月28日まで営業を続けたが、閉鎖。

同年5月18日にマツダ美祢自動車試験場として再出発をした。

  • サーキット当時観客用の連絡用だった部分を、道幅8m・全周2.9kmの周回路に改修し。
  • 旧サブゲートを正門として整備し旧メインゲート付近の駐車場を半径80mの大型旋回場に改修。
  • メインストレート近くの旧駐車場をフリーフラットコースに改修。
  • コース全体を一般道路用のアスファルト舗装に改修。

プライベートサーキットの一種だが、現在マツダではレース活動は行っていないので前途の大改修で、一般生産車両のテストコースとして用いられている。

参※用語については 当サイトシリーズ記事プルービンググラウンドについての走路用語と解説 を参照ください。

★まるでロータリーエンジンのように目まぐるしく回り続けたMAZDAの軌跡

起源

1920年(大正9年)1月 - 東洋コルク工業㈱として設立?
1927年(昭和2年)9月 -東洋工業株式会社に改称。

1929年 佐世保海軍工廠、呉海軍工廠の指定工場となり、 工作機械の制作を開始して 8月に海軍省の指定工場となる。

自動車産業に転身

1931年7月 - 三菱商事と3輪トラック!に関する販売契約(業務提携)を締結して10月から3輪トラックDA型を発売。
1936年(昭和11年)8月 - 三菱商事と3輪トラックに関する国内の販売契約を解除。
1937年(昭和12年)12月 - 三菱商事と3輪トラック輸出に関する販売契約を解除。
1941年(昭和16年)7月 - 内山コルク工業所(現・内山工業)に会社起源のコルク事業を売却
1944年(昭和19年)1月 - 兵器および工作機械部門が陸海軍の軍需会社に指定される。

班戦後の1946年(昭和21年)8月 - 会社経理応急措置法に基づき特別経理会社に指定されるて、工作機械部門が賠償工場に指定される。
同年12月 - 民間兵器工場部門が賠償工場に指定される
1948年(昭和23年)7月 - 特別経理会社指定の解除。
1949年(昭和24年)5月 - 東京、大阪、名古屋の各証券取引所に株式を上場(その後、広島、福岡、京都、新潟、札幌の各証券取引所に株式を上場)。


1950年(昭和25年)6月 - 初の小型4輪トラックCA型発売。

同月、始まった朝鮮動乱による特需景気で順調に業績が回復。

1952年(昭和27年)4月 - 工場の賠償指定解除。
1957年(昭和32年)1月 - 生産累計20万台を達成した。
1960年(昭和35年)5月 - 初の量産型乗用車となるマツダ・R360クーペ発売
1961年(昭和36年)2月 - NSUおよびバンケル社とロータリーエンジンについて技術提携。
1962年韓国の(戦時中の1944年起業)起亜産業-でオート三輪・「K-360」のノックダウン生産開始。
1962年(昭和37年)3月 - ベルトーネと乗用車設計について技術提携]。
1963年(昭和38年)1月 - 南アフリカ向けノックダウン輸出を開始。

1965年(昭和40年)1月 - パーキンス社とディーゼルエンジン製造に関する技術提携
5月 - 三次自動車試験場完成[25]。

1966年(昭和41年)11月 - 宇品乗用車専門工場が完成。
1967年(昭和42年)3月 - ヨーロッパに本格輸出を開始。
同年5月 - 初のロータリーエンジン搭載車コスモスポーツ発売

1970年(昭和45年)1月 - 東洋工業・日産自動車・フォードとの合弁で「日本自動変速機株式会社」(現・ジヤトコ)を設立。
4月 - 対米輸出を開始

1971年(昭和46年)2月 - MMA(マツダモーターオブアメリカ)を設立。

1974年(昭和49年)1月 - フィリピンで現地組立を開始[28]。
1977年(昭和52年)12月 - 5代目社長に山崎芳樹が就任し、松田耕平は取締役会長に退いて同族経営は終焉した。

1978年(昭和53年)1月 - ロータリーエンジン車生産累計100万台達成。


1979年(昭和54年)11月 - フォードが株式の24.5%を取得しフォードとのアライアランス開始


1983年(昭和58年)4月 - コロンビアで現地生産を開始[28]。
7月 - マツダスピードを設立。
同年9月 - 起亜自動車へ資本参加
1984年(昭和59年)5月 - 商号をマツダ株式会社に変更。

1985年(昭和60年)1月 - 米国生産会社MMUCを設立。
8月 - 乗用車生産累計1000万台達成[29]。
1986年(昭和61年)4月 - ロータリーエンジン車生産累計150万台達成[29]。
1987年(昭和62年12月 - スズキと軽自動車における生産協力を発表。
1988年(昭和63年)5月 、アメリカのアーバインに研究開発拠点「マツダR&Dセンター・アーバイン」を設立。10月 - ヨーロッパに販売会社MMEを設立[29]。
1989年(平成元年)7月 - シトロエンの輸入を開始。
11月 - 北海道剣淵耐寒自動車試験場を開設。
1990年(平成2年)5月 - 欧州に研究開発拠点MREを設立。

1991年(平成3年)6月 - 第59回ル・マン24時間レースでマツダ787Bが総合優勝。

1992年(平成4年)6月 - 米国生産会社MMUCの社名をオートアライアンスインターナショナル(AAI)に改称し、フォードとの合弁企業化。

1995年(平成7年)11月 - タイにフォードと合弁でオートアライアンスタイランド(AAT)を設立。
1996年(平成8年)5月 - フォードが出資比率を33.4%に引き上げてフォードの子会社化

同年6月9代目社長にフォード出身のヘンリーD. G. ウォレスが就任。
1997年(平成9年)10月 - 北米事業を統合。
1998年(平成10年)5月 - タイ・AAT社で量産を開始[30]。
1999年(平成11年)6月 - 三菱自動車と小型商用車のOEM供給で合意(のち2011年9月を以ってOEM供給解消)。8月 - 保有するジヤトコの全株式を日産自動車に売却
11月 - フォードと新型エンジンシリーズの共同開発及び分業生産を発表。
2001年(平成13年)9月 - 宇品第2工場を閉鎖。
2003年(平成15年)7月 - いすゞ自動車と小型トラックのOEM供給で合意。
2004年(平成16年)4月 - 本社第1工場での生産を終了。5月 - 宇品第2工場を再稼働。
2005年(平成17年)3月 - 中国に統括会社を設立して8月 - 中国技術支援センターを開設
9月 - マツダ、フォード、長安汽車の合弁で南京にエンジン生産会社を設立。
2006年(平成18年)5月 - 美祢自動車試験場(旧・MINEサーキット)を開所。
2008年(平成20年)11月 マツダの株式33.4%を所有してグループ傘下に置いていたFordが持ち分の内約20%の株式を手放して、マツダとメインバンクの広島銀行などが買い戻して、直接経営から退き 14代目社長兼CEOに山内孝が就任した

(※2001年9月のアメリカ同時多発テロ以降の原油価格高騰によるガソリンの値上げなどの影響で、アメリカ国内市場における主力商品のフルサイズSUVやピックアップトラックの販売不振で経営危機に直面して資産売却による経営立て直しが図られて2007年3月には、PAGグループのアストンマーティンが売却されて、これに続いてMAZDAからの資本回収も行われた。)


2010年11月 - フォードが3.5%の株式を残して10%を証券市場で売却処分。
2011年(平成23年)6月 - アメリカ現地生産からの撤退を発表。同月、メキシコに車両組立およびエンジン組立工場建設を決定。
2012年(平成24年)11月 - トヨタとメキシコ工場における北米向けトヨタ車の生産について合意。10月 - ロシア工場の操業開始[43]。
2013年(平成25年)3月 -当時のFIAT S.p.A.とオープン2シータースポーツカーにおけるOEM生産契約。

2014年(平成26年)1月 - メキシコ工場操業開始。4月 - コロンビア生産から撤退。
2015年(平成27年)1月 - タイのパワートレイン工場が操業開始。

同年5月 - トヨタ自動車と中長期的な業務提携に向けて基本合意。
同年9月 - フォードが所有していた株式を完全に売却して資本関係は解消された。
2016年(平成28年)7月 - いすゞ自動車から次世代ピックアップトラックをOEM調達することで基本合意。
2017年(平成29年)8月 - トヨタ自動車と新たなアライアランス(広範囲にわたる資本・業務提携)することを発表。同月、技術開発の長期ビジョン「サステイナブル Zoom-Zoom宣言 2030」を発表。
9月 - トヨタ自動車・デンソーと電気自動車の共同技術開発契約を締結し、合弁会社「EV C.A. Spirit」を設立。
2018年(平成30年)3月 - トヨタ自動車と米国完成車生産を行う合弁会社「Mazda Toyota Manufacturing, U.S.A., Inc.」を設立。
2019年(平成31年・令和元年)1月 - フォードが保有していた「長安フォードマツダエンジン有限公司」の全株式を取得し、社名を「長安マツダエンジン有限公司」に変更

6月 - トヨタとソフトバンクの合弁会社MONET Technologiesとアライアランスすることを発表

2020年現在は「TOYOTA」グループの一員となっている

 

公開:2018年8月11日
更新:2022年9月26日

投稿者:デジタヌ


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